767話 閑話 完璧な思想をもつ組織
サロモンの顧問であるエベール・プレヴァンは、第4拠点に近い町の教会を訪ねていた。
近い町だが、交通の便が悪いため発展していない。
そんな町にも教会は存在する。
モルガン・ルルーシュが元の主だった。
使徒との連絡役に任じられた際に、主が世界主義の一員に代わっている。
その教会の地下室兼倉庫に、エベールが入室した。
既にいたふたりの男が起立して、一斉に礼をする。
グスターヴォ・ヴィスコンティ枢機卿、モルガン・ルルーシュ。
エベールは鷹揚に礼を返す。
「同志ヴィスコンティに同志ルルーシュ。
集まってもらったのは他でもない。
人類連合の報道機関発足についてだ。
まず座ろうか」
そう言いつつ、エベールが着席した。
グスターヴォとモルガンがうなずき、着席する。
教会の序列では、枢機卿たるグスターヴォが遙かに上だ。
だが世界主義内では異なる。
グスターヴォは書状を、エベールに差し出す。
「同志サン=サーンス。
これがリストアップした人材です」
エベール・プレヴァンは偽名だった。
本名はヴィルジール・サン=サーンス。
世界主義の指導者である。
モルガンを重用している同志エベールとは別人であった。
ヴィルジールはリストに目を通す。
この手の仕事であれば、枢機卿であるグスターヴォは、顔が広く適任であった。
アルフレードと対面したときに犯した失態で、権威は失墜したのだが……。
混乱時で他の枢機卿たちは、もっと評価を下げていた。
そんなときでも、グスターヴォは地道に仕事をこなす。
比較的マシな枢機卿。
これが、教会内での評価であった。
「結構だ。
この通り進めてくれ」
グスターヴォは、少し
ヴィルジールを恐れていることが、態度から滲みでていた。
「同志サン=サーンス。
質問をよろしいでしょうか」
ヴィルジールは鷹揚にうなずく。
「よろしい。
許可しよう」
「元老たちは、反対しないのでしょうか?
現在行方知れずと聞きましたが……。
後から現れて反対されては、面倒なことになります。
使徒の正当性が揺らいでからも、積極的な活動には反対していましたので」
世界主義の有力な元老たちは、全員が行方知れずとなっている。
この混乱期なので、安否確認が出来ていなかった。
グスターヴォのやや震えた声に、ヴィルジールは含み笑いを浮かべる。
「同志ヴィスコンティは心配性だな。
心配無用だ。
元老たちは全員あの世だよ。
そこで私を解任する議論にでも熱中しているのだろう。
ご苦労なことだよ」
グスターヴォの目が丸くなった。
「では契約の山が消滅したときには……」
「左様。
私が緊急の全体会議を招集した。
同志バローの情報が役に立ったよ」
ヴィルジールは、事前にボドワンから報告を受けていた。
契約の山に変事が起こると。
クレシダが戯れついでに、ボドワンに示唆した。
それをボドワンは聞き流さず、ヴィルジールに報告したのである。
ヴィルジールは、それを好機と見て全体会議を招集したのだ。
全体会議は契約の山で開催されるのが決まり。
長い時間に晒される間、世界主義は保守的な組織となっていた。
とくに元老たちは、状況の変化に対応出来ずにいる。
状況がもっと好転するまで待て、としか言わないのだ。
全体会議の名称は既に形骸化しており、評議員たる元老たちと議長が出席するのみの会議。
指導者の暴走を止める仕組みだった。
そんな会議では、指導者とて呼ばれなくては出席できない。
ただ議題の提出は出来る。
そして欠席した評議員は、評議員の資格を剝奪される決まり。
これは指導者の圧力で、評議員たちを欠席させないための仕組みであった。
そんな評議員たちは、全員が反指導者派を形成している。
その中で議長は指導者派と目されていた。
指導者であるヴィルジールの親友で、ヴィルジールが議長に強く推したからだ。
だが議長は長老側に寝返っており、指導者の解任決議を狙っている。
全体会議にはその権限があるからだ。
全体会議は4年に1度の開催。
そこで4カ年計画を策定するのが慣習であった。
臨時会議の招集権は、指導者のみが持っている。
解任決議を察知しているので、ヴィルジールは会議を招集していなかった。
ただ先延ばしにしていたわけではない。
時を待っていたからである。
そしてその時がやって来た。
クレシダの示唆は好機だが、それをすべて信じたわけではない。
何も起こらなかったときのリスクは考えている。
そもそも全体会議と元老たちの力は、契約の山に蓄えられた財宝の数々が源泉だ。
財宝の使い道は、全体会議で決められるからだ。
使徒の正当性が揺らいだときに、活動を活発化させるとの名目で、かなりの額を持ち出した。
これを分散する形で隠すことに成功する。
これが成功したのは理由があった。
構成員の意識に変化があったからだ。
このような状況の変化でも、頑として動こうとしない元老たちへの不満が背景だった。
積極的に動く指導者派と、さらに状況を有利になるまで待つ元老派が形成される。
すべてをひとつにする集団は、このように内部分裂していた。
皮肉以外の何者でもない。
それをヴィルジールは自覚している。
さらにヴィルジールへ追い風が吹く。
元老派が大きなミスを犯したからだ。
コントロールできると思って、ロマンを王にするために動いた。
アラン国王を制御下におけば、ヴィルジールとて軽挙妄動できない。
ヴィルジールは、この点について反対していた。
これによってロマンを王にすべく、元老派が動くと想定してだ。
元老派はヴィルジールの俗世での人間関係から、ロマンが王になっては困ると勝手に判断した。
ロマンは悪い意味でコントロールできない存在だ。
それはすぐ明らかになる。
これが元老派にとって痛い。
権威の失墜を意味した。
指導者派の力が、日々増すばかりであった。
最悪なのは、次期国王として有力なサロモンとヴィルジールの関係だ。
家庭教師で、内乱の際に顧問にまで任じられた。
それだけ信頼されている。
かくして逆転の望みは、解任決議のみとなる。
ヴィルジールは解任決議を無視するほどの力を握ったが安心などしない。
今は無視できるだけなのだ。
だからこそ元老たちを処理する決意は揺るがない。
その好機を待っていた。
個別に暗殺しては、誰かが世俗に寝返るかもしれない。
だが会議を狙っての始末は難しい。
元老たちも、それを承知している。
警護は万全なのだ。
そこで活動方針の追認を得たいと、緊急会議の招集に踏み切った。
いかにも議長の説得に、渋々応じた体を装ってだ。
今までも独断で活動していたが、追認すら得ていない。
元老たちから議長への圧力が増していき、板挟みとなった議長が元老派に寝返った。
議題は既成事実の追認と、新たな方針の承認。
そして元老派への偽装工作として、既成事実への理解を懸命に求めていた。
追認すべし、という空気ができあがることを待っていたのだ。
この工作をしておいて会議を招集しなければ、ヴィルジールの権威は失墜する。
元老派に撒いた餌であった。
それがヴィルジールの待っていたタイミング。
期せずしてクレシダからの示唆があったため、タイミングを微調整したのだ。
臨時会議で、指導者から出された議題を無視して解任。
そうなれば元老派を排除する大義名分となる。
立場を明確にしない中立派も、元老派に味方しない。
変事が起こってくれれば大歓迎。
なくても支障がない。
これがヴィルジールの判断であった。
それにボドワンが入れ込んでいるクレシダという人物を計る機会でもある。
その結果として、極めて危険な人物だと認識した。
世界に対して強烈な悪意を持っていることは明白。
その悪意こそが、統一への道筋と考えた。
ひとつになるためには、強力な敵が必要なのだ。
最初はラヴェンナに期待したが、当てが外れた。
そこに魔物の襲撃だ。
これほど強い悪意であれば、団結の動機として申し分ないだろう。
ただクレシダには、強く注意を払う必要がある。
人類連合の会議で見た印象は、つかみ所がないであった。
だからこそ、もっと注意を払う必要があるだろう。
平然と元老は死に絶えたと言い切ったヴィルジールに、グスターヴォは
「そうでしたか……。
つまらぬ疑問を呈したこと……。
お許しいただければ幸いに存じます」
ヴィルジールは苦笑して手をふった。
「構わぬよ。
同志ヴィスコンティは、逃げ出した同志の弟より遙かに、勇気がある。
私はそれを評価しているよ。
そして組織への忠誠は、肉親たる弟の始末を躊躇する心に勝っているともね。
大変貴重な忠誠心ではないか」
グスターヴォの弟であるファビオ・ヴィスコンティは、実家から追い出されて使徒博士となった。
そして各地の家庭教師を転々としていたのが、ラヴェンナの顧問に納まる。
それを逃げたと評するのが、ヴィルジールの見解だった。
当然理由はあるわけだが……。
グスターヴォは、ハンカチで滲みでた汗を拭う。
「お、恐れ入ります。
弟めは自分の優秀さに、自信を持っていました。
井の中の
同志サン=サーンスに神学論争で負けて、敗北を認められず、教会から逃げたのです。
そして我々の差し伸べた手からも。
我が弟ながら愚かしい限りです。
同志サン=サーンスの偉大さより、自信の
惜しいとは思いますが……。
我らの大義の邪魔になるのであれば、同列にはなり得ません」
ファビオは、実家にいた頃から優秀として知られていた。
そこでグスターヴォを訪ねてきた、ヴィルジールと神学論争を行ったのだ。
そして徹底的に打ち負かされたが、それ以後ファビオは自堕落な生活を送るようになった。
ファビオはその理由を口にしなかったが……。
グスターヴォは、プライドをへし折られて挫折したせいだ、と思った。
結果として、家を追い出されたのである。
その後もグスターヴォは、それとなく世界主義に勧誘したが、その都度ファビオは答えをはぐらかしていた。
だからこそ逃げた、と認識しているのだ。
ヴィルジールはうなずく。
そしてモルガンに笑いかけた。
「大変結構だ。
それと同志ルルーシュ。
モルガンは無表情に首をふった。
「いえ。
長年の親友である同志サン=サーンスを裏切ったのです。
当然の報いかと。
それこそ偽りとはいえ……。
世を忍ぶ名前に、名字を使っていただくほどの栄誉に属していて、なお元老派に寝返ったのですから。
おそらく次期指導者にしてやる、とでも言われたのでしょう」
モルガンは議長であるギャスパル・エベールの腹心だ。
ヴィルジールは、そのモルガンを取り込んだのである。
だからこそ、ギャスパルの裏切りを事前に察知することが出来た。
そして裏切りに気がつかないフリをしたのである。
「そうだな。
私の陰に隠れる一生だったからね。
自分が脚光を浴びたいと思ったのだろう。
彼には悪いことをしたよ。
さて同志ルルーシュよ。
君にはひとつ別の仕事を頼みたい」
ヴィルジールは『悪いことをした』と言いつつ、まったく気にしない様子だ。
モルガンにも一切気にする様子がない。
既に過去の人という認識で、いずれは記録からも抹消されるだろう。
世界主義にとって内部の敗者は、最初から存在しなかったことにされる。
敵であれば打ち倒した成果として記録に残す。
だが権力闘争の敗者など最初から存在してはならない。
完璧な思想をもつ組織において、権力闘争などあるべきではないからだ。
「なんなりとお申し付けください」
「同志バローはアンフィポリスで活動しているだろう。
彼を助けてやってくれ」
モルガンの目が細くなる。
「同志バローに異心があるのですか?」
ヴィルジールは小さく肩をすくめる。
「どうかな。
裏切り者は匂いでわかるが……。
遠くでは匂ってこなくてね」
ヴィルジールの直感は鋭い。
裏切り者を嗅ぎ分ける嗅覚は、実に卓越したものを持っている。
だからこそ指導者になれたとも言える。
ただ疑うだけでは、指導者にはなれないのだ。
「その証拠を探ればよろしいので?」
「そんなことはない。
同志バローの組織に対する忠誠は、不変のはずだからね。
ただクレシダ嬢の側ではどうかな。
同志バローが心配だよ」
モルガンの表情が厳しくなった。
「それほど危険なのですか?
我らの知らない力と、組織を持っているようですが……。
敵対する可能性があると?」
「敵でも味方でも、力を知るべきだろう。
用心するに越したことはない。
そう思わないかね?」
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