766話 閑話 人の振りみて我が振り直せ

 人類連合の会合を終えたクレシダは、自室に戻ると疲れたように椅子にもたれかかる。

 ワインの瓶を握り、ラッパ飲みしはじめた。

 かなりの量を流し込んだ後、大きなため息をつく。


 アルファも普段は直立不動なのだが、倦怠けんたい感を全身から漂わせていた。

 その様子にクレシダは苦笑する。


「疲れたでしょ。

たまには座ったら?」


「お言葉に甘えて……」


 アルファは、クレシダの部屋にいるとき、常に直立不動だった。

 クレシダがどんなに座るように言ってもだ。

 頑固なアルファがはじめて折れた。

 よほど疲れたらしい。


「私も人のことは言えないけどね。

楽しかったけどアレは疲れるわ」


「お言葉ですが……。

アレのどこが楽しいのですか?

男にあるまじき細かさですよ。

女だってそこまで細かい人はいません。

それだけでなく……。

頑固な上に口達者なのが最悪でしょう」


 クレシダはたまらず吹き出した。


「よほど愛しい人アルフレードが嫌いみたいね」


「あんな人が、なぜモテるのか理解できません。

徹底的な反対も、感情で反対しているなら、まだ可愛気があります。

アルカディアでは、奸悪かんあく無限なんて呼ばれていましたが……。

あれは頑固無限でしょう」


 クレシダは、アルファが素直に座った理由を悟った。

 アルフレードを見て、頑固すぎてはよくないと思ったらしい。

 人の振りみて我が振り直せ。

 

 これはクレシダにとって衝撃的すぎた。

 まさかこんなことが切っ掛けとは……思いも寄らない。

 笑おうとしてむせ返る。

 しばらく咽せていたが、なんとか落ち着いた。

 涙目にまでなっている。


「アルファがそこまでいうなんてね……。

あそこまで細かいのは想定外だったわよ。

それにしても……。

私の仕掛けようとした罠を、完全に予知して反対しているからねぇ。

慣習を無視して、役人を連れてこないとか……。

いろいろと驚きがあったわ。

こうじゃないと面白くないわね」


 アルファは表情を変えずに、首を振った。


「あまりに取り付く島がない対応でしたよ。

どこが面白いのですか?」


「表面だけを見ればそうよ。

面白いのはね……。

愛しい人アルフレードは、徹底的に人を信用していないでしょ。

でも……そんな人たちに、未来を残そうとする態度よ。

そんな矛盾を、目の前に突きつけられたら面白いじゃない」


「矛盾以前に、クレシダさまの試みは、すべて潰されてしまいました。

楽しむ気になれません」


 クレシダは面倒くさくなったのか、ワインを再びラッパ飲みした。


「ああ。

あれは全部失敗しても、問題ないのよ。

もともと愛しい人アルフレードが不利なの。

組織が結成できれば、私の目的はほぼ達せられるのよ」


「あれだけ権限を削られた状態でですか?」


 クレシダは楽しそうに唇の端をつり上げた。


「そうよ。

人の集まりは、どんどん拡大していくからね。

有名無実にしようとしても、魔物の襲撃がある以上は不可能なのよ。

だからと抜けることも不可能だしね」


「ラヴェンナ卿なら、不利益と判断したら即離脱しそうですけど……」


 クレシダはチッチッと指を振った。


「最初に取り決めをしたでしょう。

『この機会を利用して、各国に攻め込むか、弱体化を目論まないこと。』

つまり抜けたら、この協定から守られなくなるのよ」


 アルファは無表情のまま、身を乗り出した。


「ラヴェンナ卿を罠に嵌めたのですか?」


 クレシダは苦笑して手を振った。


「そんなおバカさんじゃないわよ。

それでもメリットの方が大きいと判断したと思うわ」


 アルファは小さくため息をついた。


「どんなメリットですか?」


「ある程度の干渉が出来ること。

そして私を監視するためよ。

私が隙を見せれば、容赦なくトドメを刺しに来るわね」


 アルファは無表情ながら鋭い目つきになる。


「暗殺などですか?」


 クレシダは楽しそうに笑いだした。


「そんな安直な手を使ったら……。

興醒めもいいところよ。

私が死んでも計画は止まらない。

むしろ制御されなくなって、大惨事を招くことくらい考えているでしょ。

それに愛しい人アルフレードは、未来を考えているわ。

今私を殺したら、潜在的な敵に武器を渡すようなものよ。

ラヴェンナが特殊じゃないなら、その手もあるけどね。

特殊ってことは、それだけ使える手段が制限されているのよ」


 アルファは無表情のまま、首を傾げた。


「敵に武器ですか?」


 クレシダは悪戯っぽく笑う。


「考えてもみて。

私の一般的評価は、我が儘娘よ。

たまたま統治がうまくいっているだけ。

その程度の相手を暗殺なんて、正気の沙汰じゃないわよ。

私の危険性を訴えても、鼻で笑われるだけ。

だからこそミツォタキス叔父さまは、私を警戒しはじめたけど、手が出せないのよ。

それを他国の人間が、手を下したら?

知らぬ存ぜぬは通じないようにするからね」


「そううまくいくのでしょうか?」


 クレシダはワインをラッパ飲みしようとしたが……。

 既に、空になっていることに気がつく。

 悲しげな顔で、大きなため息をついた。


「証拠なんてでっち上げでもいいのよ。

私が殺された事実に勝るものはないからね。

ないことの証明するのは、ほぼ不可能よ。

それこそ愛しい人アルフレードを蹴落とせるなら、誰でも喜んで犯人だと信じるからね」


「たしかに潜在的な敵は多そうですね。

確実な味方なんているのでしょうか?」


 クレシダは器用に、空になった瓶を人さし指で回す。


「いるでしょうけど、数は少ないわね。

スカラ家だって、好意的中立が限界よ。

それにね。

なんで私が鳥肌を抑えて、奇麗事や理想論を口にしていると思うかしら?」


「クレシダさまはよく我慢して演技されましたね」


 クレシダは瓶回しに飽きたのか、瓶を後ろ向きに放り投げた。

 瓶は見事に、屑籠に飛び込んだ。


「奇麗事の理想論を唱える頭がお花畑の小娘を殺したら……。

周囲にはどう映るかしら?

原理原則論で反対していた人が黒幕よ」


「それはラヴェンナ卿が危険人物だと思われますね。

ラヴェンナの特殊性が、さらに印象を悪くすると」


 クレシダは、楽しそうにウインクした。


「ご名答。

特殊なラヴェンナだからこそ、大義名分に縛られるのよ。

それを無視したいなら……」


「世界をラヴェンナが支配ですか?」


「そうなるわね。

でも……。

そんな手段を、愛しい人アルフレードは、考慮すらしないでしょう。

未来への選択肢を、極端に狭めるし……。

そもそも勝てるの?

だから世界の枠内に入って、控えめな異邦人として生きる手段を選んでいるのよ。

もしラヴェンナが特殊でないなら、自分が王になってたんじゃないかしらね」


 アルファが大きなため息をついた。


「それなら頑固王と呼ばれそうですね……」


 クレシダはまたむせ返ってしまう。

 今回はすぐに治まらなかった。


                   ◆◇◆◇◆


 人類連合の会議を終えたサロモンの顔色は優れない。

 馬車に同乗しているエベール・プレヴァンは、気難しい表情のまま沈黙を保っている。

 やがてサロモンは大きく頭を振った。


「先生。

私の力量はラヴェンナ卿に及ばない。

当然知っています。

だがクレシダ嬢にすら、位負けを自覚してしまいました。

私は今まで、何をして生きてきたのでしょうね……」


 会議で主導的な役目は、望むべくもない。

 それでも今回の会議では、いいところがなかった。

 サロモンは肉体年齢なら、3人のなかで最年長。

 さらには王族だ。


 それが自己嫌悪を、より深いものにしていた。


 エベールは落ち込むサロモンに目を細めた。

 その心中は誰も窺い知れない。


「殿下は、アラン王国の王族しての教育を受けてこられました。

そもそも実務を重視しない教育だったのです。

殿下はよくやっておられますよ」


 サロモンは自嘲の笑みを浮かべて、座席にもたれかかる。


「このようなご時世では、健闘に意味などないでしょう。

ナゼール兄上の決起も止められず……。

プルージュの民を救ってみれば、不和の種でしかない。

このような事態に対処できる才能がないことを突きつけられる日々です」


「ナゼール殿下が蜂起失敗して以降、精神の均衡を失っておられます。

人望も失い、立ち直れないでしょう。

つまり……。

殿下が次期国王の最有力候補なのです。

今は嘆くときではありません」


 サロモンは小さくため息をついた。


「こうやって、先生に叱られると……。

昔を思い出しますね。

わかっています。

わかってはいるのです……。

ラヴェンナ卿が、とても羨ましいですよ。

使者として来ているプリュタニス殿も、才知あふれる若者です。

ラヴェンナ卿は本人のみならず……部下も大変優秀。

優秀なトップの下には、優秀な部下が集まるのでしょう。

不甲斐ない私には、同じ程度の部下がお似合いなのです。

ああ……。

先生は違いますよ」


 エベールは小さく首を振った。


「比べても詮無いことです。

殿下は今、優位な立ち位置であることはおわかりでしょうか?」


 サロモンが驚いた顔になった。


「この状況がですか?」


「ええ。

理想論を拠り所にするクレシダ嬢。

現実論から動かないラヴェンナ卿。

殿下はその間に立っているのです」


 サロモンは苦笑しつつ肩をすくめた。


「間に立っていても、力がなければ無意味でしょう」


「今はです。

その立場を利用して、人類連合の進む道を指し示すべきでしょう。

バランスをとる殿下に、周囲の信望が集まります。

多くの人は、極端な立ち位置には立ちたがりません。

情熱を御し得ない若者ならともかく……。

集まる人達は皆成熟されていますから」


 サロモンは愁眉を開きつつも、まだ喜ぶ気になれなかった。


「それはそうですが……」


「そこで人類連合に、各国が賛同したでしょう。

つまり世界は、ひとつになる予兆なのです。

まだ国ごとの意識がありましょう……。

それでは魔物に勝てません」


「世界をひとつですか……」


「まだ現実味はないでしょう。

ですが…。

人類連合には、多くの問題が持ち上がるでしょう。

これは確実なのです。

その解決策として、国家統一を示唆していけばよろしいかと」


 サロモンは答えなかったが、目に光が戻っていた。

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