763話 難儀な世の中

 俺たちは、人類連合の会議を終えて戻る馬車の中だ。

 モデストは俺を、興味深そうに見ている。


「シャロン卿。

どうされましたか?」


 モデストは小さく肩をすくめた。


「凡人には理解しがたい戦いでしたね。

私でもラヴェンナ卿が、将来的な危険を懸念して反対された。

その程度しかわかりませんでしたよ。

ただ激しい戦いだったのだろうと。

今までのラヴェンナ卿からは想像出来ないほど、徹底的に反対されていましたからね」


「クレシダ嬢は将来の布石として、罠を仕込んできました。

それを見逃すと、後々大変なのですよ」


 モデストは声を立てずに笑った。


「将来の困難を考えれば……。

今反対しておくほうがいいと。

それにしても細かなことまで、目を配られていますね。

私が目にした中で、最も勤勉な権力者ですよ」


 それは、仕方がないからだよ……。


「私は本質的に怠け者ですよ。

ただ働くことに、価値を見いだせない性質でしてね」


 モデストは興味深そうに目を細めた。


「ほう?」


「楽をしようと必死に考えました。

私は苦労するのが好きなマゾじゃありません。

むしろ逆ですから。

そして将来の安楽を求めて行き着いた先が、今の勤勉ですよ。

これが一番楽な方法だから仕方ありません」


 モデストは妙に感心したようにうなずいた。


「なるほど……。

今勤勉になったからとして、将来楽になるとは限りませんけどね」


「でしょうね。

悲しいことに……。

今怠けると、確実に将来が大変になります。

なので仕方ないのですよ。

私ひとりだったらねぇ。

とてもいい加減になります。

現実はひとりどころではありませんからね。

皆に迷惑が掛かるのは、自分が許せないのですよ。

自覚していますが……。

追い込まれないと本気を出せない性分ですから」


 モデストは礼儀正しく、俺の言葉に異を挟まなかった。

 あまり信じていないようだが……。

 ただ皮肉そうな笑みを、口元に浮かべる。


「何代目か忘れましたが、使徒の言葉が残っていますね。

『明日から本気出す』と。

まあ本気を出さなくても……。

なんとでもなったようですが。

ただの人では、そうもいきませんからね」


 本気で言ったのかは謎だけどな。

 ただ言いたかっただけのような気がする。

 モデストのいうとおり、本気でやる必要がないからな。


「悲しいかな。

私はただの人ですから。

明日は今日の次にやって来ます。

今日頑張らないと、明日の負担は増えますよ。

それを嫌ってまた明日。

それが出来るのは、現実逃避が出来る間に限りますね。

結果的にどうにもならなくなって、解決を迫られるでしょう。

だが既に手遅れ。

借金と宿題は、意識して減らさないと増え続けますよ」


 モデストは皮肉な笑みを浮かべた。


「わかっている人は多いでしょう。

だからと減らせる人は少ないわけですが」


 つられて……つい皮肉な笑みが浮かんでしまう。


「それが人というものですよ。

知恵がつくとは、怠惰の言い訳をひねり出せますからね」


「知恵も良しあしですな」


 俺は、ぼんやりと外を眺める。

 表通りに限れば、この町は復興している。

 裏は悲惨だが。

 これが、単に悪いこととは言い切れない。

 表だけでも復興していないと、全員が不安になるだろう。

 そのおかげで見えない部分は後回しだが……。


「世の中プラスにだけ働くものは存在しませんからね」


 モデストは外の景色を一瞥しただけだ。

 裏と表の解離が激しい世界を、趣味で泳いでいるからな。

 それにも程度がある。

 ここまで解離が激しいと、興味が湧かないか。


「難儀なの世の中と言いましょうか……」


 俺はモデストに向き直った。


「それだけ複雑なのですよ。

だからこそ人の歴史は続いてきたと思います。

話は変わりますが……。

私が世界主義を敵視する理由。

わかりますか?」


 モデストはわずかに、目を細める。

 本当の理由は誰にも説明していない。

 大袈裟な話ではないがな。

 なんとなく言いそびれていた。

 連中とは一切妥協する気がない理由をだ。


「もっと根源的に認められないものがあると。

ラヴェンナの多様性とは真逆というだけのことではないようですね」


「ええ。

すべてをひとつに。

彼らは世界を単純化して制御出来るようにしたいのですよ」


 モデストはいぶかしげに、眉をひそめる。

 ちょっと、話が飛びすぎたか。


「単純化ですか?」


「ええ。

行き着く先は、ここにいる私とシャロン卿の差すらなくすことです。

すべてをひとつですからね」


 モデストは小さく鼻を鳴らした。


「それは実につまらない話ですねぇ。

しかし男女は、同じに出来ないでしょう」


 理論上出来ないものは、ひとつにしないだろう。

 そもそも男女の違いを無くせば、子供が生まれない。


「ええ。

だけどそれぞれの個性を抑圧することは出来ます。

成功するかは不明ですけどね」


「どう考えても難しいですなぁ……」


「すべてをひとつにする。

ではなにを、基準にあわせるのか。

それは自分にとって都合のいい人格にすべて合わせろ、となるでしょう。

決して自分はあわせない。

その結果、不都合が生まれても……。

責任は決して負わないと思いますよ。

まだ統一化が不足している、と連呼するでしょう」


 モデストは俺の言葉の調子が鋭くなったことに気がついたようだ。

 興味深そうに、目を細めた。


「ひとつにするなら、それが絶対の正解でないといけませんからね。

そこで推進する側が責任を認めては、その絶対の正解すら揺らぐと。

救いがたい理屈ですがね」


「だから気に食わないのですよ。

敵視する理由の根源はそこですね」


「そういえば……。

ラヴェンナ卿は、善人の顔をして、裏でこそこそ悪事を働く輩は嫌いでしたね。

堂々と悪事を働く者を、それほど嫌悪しませんからね。

リスクを負わずに、リターンを堂々と求める手合いですな。

世界主義はまさにそれだと」


 それも個性なのだろうが、個人的には決して好きになれない。

 なりたくもないが。


「そんなところです。

悪事を自覚する悪党は嫌悪しませんよ。

法に従って処罰はしますけどね。

悪事でリターンを得ようとしたのです。

リスクを背負うのが当然でしょう。

その覚悟があるなら、個人的に嫌悪しないだけのことです」


 モデストは愉快そうに肩を震わせた。


「その独特な価値観のおかげで、私は重用していただけるわけですね。

一般人から見れば、基準が曖昧で不気味なのでしょうけど。

日陰者にとってラヴェンナ卿は、大変有り難い理解者ですよ」


 モデストは普通の常識で考えたら不気味だからな。

 俺は気にならないが。


「でしょうね。

私の価値観が、変だとは自覚していますよ。

だから私を見て、気持ち悪いと思う人がいるのは当然でしょう。

私にそれを改めろと強制しない限りは、気にしませんよ」


「人の心に土足で踏み込まないから、あのカルメンが気楽だというわけですね。

あの子も、なかなかに面倒くさい子ですからね」


 カルメンか。

 癖は強いが……。

 個性で収まる範囲だろう。


「別に面倒ではありませんよ。

普通の人から見れば、変わった娘さんに見えるでしょうけどね。

無責任な態度で、他人になにかを強制しない限り……。

私はなにも言いませんよ」


 モデストとは珍しく、声を立てて笑った。


「カルメンを託した甲斐があったというものです。

随分楽しそうにしていますからね。

あそこまで、積極的になにかに取り組む姿は珍しいですよ。

話は変わりますが、後学のためにお聞きしたい。

世界主義は、すべてをひとつにするつもりでしょう。

想像出来ませんがね。

ラヴェンナ卿だったら、どんな手を使いますか?」


 これだけ不可能なことを、俺ならどうするかか……。 


「不可能だからやりません」


「実現不可能ですか」


 不可能なことを、どうするか。

 考える気にもなれない。

 暇があれば、思考実験でやってもいいが……。


「人に限っても、男女があって、性格も十人十色です。

そんなものを、ひとつになんて不可能でしょう。

強引に力でねじ伏せるしかないですが……。

魚に空を飛ばせるようなものですから。

一瞬だけ飛び跳ねることなら可能です。

それでも鳥のように飛べないでしょう」


「つまりラヴェンナの多様性は、その違いを前提としているわけですか」


「ええ。

ムリにひとつの型に嵌めるより、ずっと楽ですよ。

それに多様性がないと、危機に大変もろくなります。

シャロン卿が退屈になった依頼ですが……。

もしすべてがひとつであれば、依頼はワンパターンになるでしょうね」


 モデストは嫌そうな顔をした。

 考えたくもないだろう。


「すべてがひとつだと大問題ですね。

苦手な問題が起こると、誰も解決出来る人がいないと」


「そんなところです。

人には得手不得手があるわけですからね。

それが完全に、一種類に固定されます。

事前に対策を立てれば解決出来る話ではありません。

それでも問題になるから不得手なのですよ」


「それもそうですね。

人がひとつになれば、問題は起こらないと考えたのでしょうなぁ……」


 理想論を超えて夢想論だよ。

 すべての問題を、人が事前に予測して解決出来るなどとは。


「もっと俗な話になりますが……。

病気が該当します。

人によって病気に罹る人、そうでない人がいるでしょう。

全員が同じだったら、一度病気に掛かると全滅コースですね。

ここでの病気は、社会で起こる問題になりますが」


「それを考えると、そんな目標は恐ろしいものですね。

なぜそれを目指したのか不思議になりますが」


 考え方の問題だろうな。


「思考方法かもしれません。

結論から論理を導き出すと、現実からの飛躍が出来ますからね。

ある意味で必要な方法ですよ」


「ラヴェンナ卿がそうおっしゃるとは、完全に否定されていないと」


 物事はすべて単純じゃないってことだ。


「私の基本的な思考法は偏らないことですからね。

現実からゴールを目指す思考法も、問題があります。

現実に気を取られすぎて、飛躍が出来なくなりますよ。

それは大きな問題が迫ったときも同じです」


 モデストは苦笑する。

 俺との問答は、常にこれが正しいという言葉は出てこないからな。


「時には飛躍も必要と。

つまりはどう適切に使い分けるかなのでしょうね」


「人のみならず、世界はさまざまな面を持ちます。

だから片方だけに偏っては長続きしませんよ。

いうはやすし……ですがね」


「そのバランス取りに失敗したものは脱落すると」


 それ以外にも圧倒的な力で脱落することもあるが……。

 希だな。

 多くは、自分でバランスを崩して脱落する。


「ええ。

運が良ければ脱落せずに済みますけどね。

ひとりがそのバランスを取れれば最善ですが……。

それはない物ねだりでしょう。

だから多くの価値観を集めるのです。

かつ偏りすぎることを戒めてね。

それでも人は偏りますが、仕方ありません。

次善の策ですが……。

妥当かなと思いますよ」

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