762話 前向きな言葉
クレシダは少しだけ沈黙してから苦笑した。
なにか、別の手を考えたのか。
「ラヴェンナ卿の
ある程度緩やかな組織にせざるを得ませんね。
それとは別件ですが……。
ひとつ提案があります」
別件か。
だからと油断など出来ない。
危険な武器は豊富に転がっているからな。
「うかがいましょう」
「情報共有は必要ですが、自分たちは安全だから無関係、と思う民衆が多くては困ります。
そこは同意いただけますか?」
嫌な予感がする。
クレシダが表向き正しい意見を述べるときは、必ず裏があるからな。
「ええ。
その点は」
「そこで現状を伝える役割が必要になると思います。
各領主への通達では握りつぶされる可能性がありますもの。
この役割を担う者は、国境に左右されず、自由に動けるようにすべきかと。
あとは各種通行税からも、自由にすべきでしょうね」
信じると言いつつ、情報
まさに、善意を利用する手段だな。
クレシダにとって、善意など道具にすぎない。
だから使い分けているのだろう。
「それでは人類連合が、それを担うので?」
クレシダは苦笑して、肩をすくめた。
なにを言い出すか、想像はつくがな。
「さすがにムリがありますわ。
アルカディア難民を使うべきかと。
ええと……。
ジャーナリストでしたっけ。
そう名乗っていたと思います。
情報を公正中立な立場から、広く民衆に伝える。
大変結構ですわ。
今回の役目にうってつけかと。
ある程度の資金援助は必要ですけどね。
それはシケリア王国が行いましょう。
なので資金の心配はありません。
これも反対ですか?」
業務を委託するような形か。
連中を使う以外は、妥当な話だが……。
クレシダは俺の反応をうかがうかのような素振りだ。
実に楽しそうだな。
どう反対するか期待しているのか。
「いえ。
反対する理由はありません。
人類連合に直接所属する組織ではないのでしょう?
シケリア王国が独自で行うことですからね。
ただ……」
反対を誘う罠だからな。
迂闊に踏み抜くと、シケリア王国独自の決定にまで反対したと言われる。
そして過去の発言を攻撃する腹づもりだろう。
最悪、大幅な譲歩を強いられる。
クレシダは『ほら来た』と言わんばかりの顔になる。
「ただ……。
なんですか?」
「彼らを人類連合唯一の広報として使うのですか?」
クレシダは苦笑して、首を傾げた。
「他に出来る組織がないでしょう?」
「私に心当たりがあります。
ランゴバルド王国も独自に、別の組織を雇いたいところですね」
クレシダの眉がわずかに動いた。
アルカディア難民は絶対に、各地で問題を起こす。
燃えるとわかっているなら隔離するまでさ。
連中を人類連合から切り離す。
クレシダ独自の部下として位置づければいい。
連中が火をつけたら燃えるのはクレシダだけ。
当然ながら、それに気がついたろう。
「難民たちだけではご不満で?」
「唯一の情報源であれば、彼らは好き勝手に活動するでしょう」
クレシダはニヤリと笑う。
まだ、罠を切り抜けたわけではない。
そう言いたげだ。
「つまり信用できないと
非常識な連中ですが、常に事実をねじ曲げるとは限りませんわ」
「その点は同意しますよ」
クレシダは意外そうな顔をした。
それも、
「あら……。
意外なお答えね。
彼らを信用できないのは……。
わずかな過ちすら許容できないからですの?」
本当に罠だらけだな。
意識していないと引っかかりそうだ。
「彼らの言葉は、自身の感情的利益に抵触しない限りは、客観性を持ち得ます。
そうでない場合は……。
彼らの言葉は、その場を取り繕うだけですよ。
噓をつくことが問題だと思いませんから。
つまり彼らにとって気に入らないことがあれば、自分の願望に沿った
それが彼らの真実であり、道徳的に正しい行為になるのですからね。
そんな人たちを雇うのは止めません。
私は彼らだけに、広報を任せる気にならないだけです」
クレシダは、笑顔を崩さない。
それでも連中が、平気で噓をつくのは知っているだろう。
まあ……噓を言っている自覚はないがな。
その場を取り繕うため、反射的に思いつきを口にするだけだが。
「ラヴェンナ卿の雇う人たちが、事実だけを伝えると限らないのでは?」
釘を刺しても、さりげなく
「話をすり替えるべきではないでしょう。
今は彼らに信をおけない。
そういう話ですから。
まあ……いいでしょう。
人が関わる以上、事実だけを伝えられるとは思っていません。
だから異なる組織で競わせればいいのです」
クレシダのメイドが、わずかに身じろぎした。
クレシダを侮辱したと思い、不快になったか。
まあスレスレを、ちょっと越えるラインで釘を刺した。
クレシダは唇の端をつり上げた。
この程度で、怒りはしないだろう。
単に楽しんでいるだけだな。
「同じことを伝えるのに、ふたつの組織ですか。
それはムダになりませんか?」
冗長性の話をすると長くなって、
ここは明確な現実を突きつけるか。
それで事足りる。
「ならないでしょう。
アルカディア難民だけで世界をカバーしきれません。
私の側だけでもね。
だからムダにはなりませんよ」
実際は故意にかぶせるつもりだが。
クレシダは小さく肩をすくめた。
食い下がる気はないようだ。
「では複数の組織に、情報を伝える方法はお考えで?」
「人類連合の本部を作るのでしょう?
そこで発表の形を取ればよろしいかと。
もし今後、新たに組織を加えたいなら、そこに参加させればいいだけですからね」
クレシダは、あっさりとうなずいた。
この段階で人類連合をかき回すのは諦めたか。
「わかりました。
ではその方向で進めるとしましょうか」
ここではい終わりじゃ困る。
将来起こる問題への布石が必要になるからな。
「そうそう。
ひとつ彼らに、役割を加えてもよろしいでしょうかね」
クレシダはやや面倒くさそうな顔をする。
楽しんでいる反面ウンザリしているか。
「なんですか?」
「情報を広めるのと同じく……。
報道組織の不正を見つけたら、隠さず追求することですよ」
クレシダは、わざとらしく驚いた顔をする。
「彼らが不正を働くと?
ただ情報を流すだけでしょう」
連中はバカじゃない。
異なる価値観のせいで、愚かに見えやすいだけだ。
利益を嗅ぎつける嗅覚は、俺たちより鋭いかもしれない。
これだけの特権だ。
十分に活用するさ。
しかも報道そっちのけでな。
「惚けなくても結構ですよ。
少し考えればわかります。
密輸の手助けにはじまり……。
商会を脅して、金品をむしり取ることも考えられますね。
悪い噂を流すと脅すなりして」
「ちょっと考えすぎではありません?
それじゃあ……犯罪組織と大差ないですわ」
大きく違う。
犯罪組織は、犯罪をしている自覚がある。
連中は、道徳的に正しいことをしている、と信じているだろう。
だから余計歯止めが効かない。
リスクとリターンの計算が出来ないのだ。
まあ……常に自分が正しい前提だから、リスクはゼロなのだがな。
連中の頭の中では。
クレシダも、連中が思う正当な行為を知っているはすだ。
だからこそ、ハッキリ決めずに済ませては危険だろう。
連帯責任に持ち込まれる。
それこそ狙いだろうな。
「アルカディア難民の所業はご存じでしょう。
自分が儲けられるなら、彼らは平気でやりますよ。
儲けることが、彼らの感情的利益と合致しますからね。
それと疑っていませんよ。
彼らと我々は、価値観が違いすぎます。
そういうものだとわかっているからこそ、対処が必要なだけです」
クレシダは小さなため息をつく。
俺を罠に嵌めることを失敗しているのが、少しばかり楽しそうだ。
俺は全然楽しくないが。
「わかりました。
不正があれば追及する役割を認めますわ。
あとは人類連合の運営資金は、各国から供出でよろしいですか?
必要な額は……役人たちに協議させましょう。
予定が変わったので、計算しなおす必要がありますわ」
「それで結構です。
そこまで大きな額にはならないでしょう」
これで実務者同士の会話になったとき、対抗する武器になるな。
部下にもちゃんと戦える武器を渡さないといけない。
それが俺の役目だ。
「そうですわね。
他に人類連合が担う役目などに、希望はありますか?」
「医療技術を伝えることでしょうかね。
各国とも、内乱の痛手から回復していないでしょう。
シケリア王国は、病気になった人たちが多いのでは?」
折角、アーデルヘイトが提案してくれたのだ。
正式な役割として加えてもらおう。
それに周囲が、ボロボロになっては困る。
クレシダは意外そうな顔をした。
俺がこんな申し出をするとは思っていなかったようだ。
「悲しいことに……。
叔父さまが無謀な徴発をしたせいで……倒れた民も多いですね。
医者はそもそも絶対数が不足しています」
サロモン殿下も驚いた顔をしている。
俺をただの反対屋だと思っているのか。
別にいいけどさ。
「わが王国も同様ですね。
プルージュから救出した民が、病気を持っていたらしく……。
こちらも病気が広まっている状態です」
アルカディアの民は、色々な方面で迷惑をかける存在だな。
「では医師を志す者は、本部に集まってもらうのがよろしいかと。
そこで教育するのは如何でしょうかね。
即効性はありませんが、後回しにしていい話ではないでしょう」
クレシダが口に手を当てて笑いだした。
「ラヴェンナ卿から、はじめて前向きな言葉が聞けましたわね。
あら失礼。
皮肉を言ったわけではありませんよ。
あとは冒険者ギルドと教会の代表を招集して、正式に発足としましょう。
細かな話は、役人たちで協議させるとしますが……。
ラヴェンナ卿の部下も細かいのですか?」
そもそも行政を、大雑把にやるのが信じられないよ。
「世間一般から見ればそうですね。
なにかするときは、必ず根拠を持つように、と教えていますから」
クレシダは引き
「役人たちには覚悟するよう……言っておきますわ。
あと他にはあります?」
エベール・プレヴァンがサロモン殿下に、何事か耳打ちをした。
サロモン殿下が小さくうなずく。
「報道組織ですが、アラン王国からも参加させてもよろしいでしょうか?
教会関係の伝手がありますので、それを組織化する予定です」
世界主義がここで便乗してくるか。
ある意味好機だな。
陰に隠れていた組織を捕まえる切っ掛けになりそうだ。
「アラン王国も参加されると、公平感が増すので、結構なことだと思いますよ」
クレシダは皮肉な笑みを浮かべた。
「そうですわね。
ラヴェンナ卿が公平感を口にされると、なにか含みがあるように聞こえますが」
実際公平ではないからな。
それを説明するのは面倒だ。
そもそも公平なんて不可能だし。
「それは気のせいですよ」
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