761話 正義とは匂う布である

 クレシダは俺の反対に苦笑して、肩をすくめた。


「ラヴェンナ卿は実に厳しいお方ですね。

サロモン殿下もそう思いませんか?」


 サロモン殿下は曖昧にうなずく。


「そこまでハッキリ信じられないとおっしゃる方は珍しいと思います」


 クレシダは芝居がかった様子で、含み笑いをする。


「人類連合であまりに、原理原則にこだわりすぎると、本末転倒になるのではありませんか?

小さな違いには、目をつむる。

ラヴェンナでは、原理原則にこだわっても成功したようですけど」


 軽い挑発を入れてきたか。


「ラヴェンナの方法を、ここに用いるつもりはありませんよ。

その点は、ご心配なく。

それでもやっていけないことで共通した部分はあるでしょう」


「その点は認めます。

その割には、あまりに厳しい態度だと思えますが?

融和や寛容などを看板に掲げるべきではありませんか?

それを悪用するクズは現れるでしょうけどね。

1のクズを締め出すために、100の人を見捨てるのは……。

ええと……なんでしたっけね?

使徒が言い出して流行しはじめた……。

そうそう! 人道的ですわ。

人道にもとるのではありませんこと?

目の前に、危機が迫っているのは事実でしょう?」


 人道まで持ち出したか。

 失われた記憶にあったろうが、もう思い出せない。

 ただ……。

 いい印象を持っていなかった感じはする。


 それにアルカディア関係の報告書にあったな。


 この定義は、人によって大きく変わる。

 曖昧なわりに、効果は大きい。

 敵を非人道的だ、とレッテル貼りが出来る。

 人非人にんぴにんを普遍的価値に置き換えたような表現に思えるな。

 普遍的だからこそ、そのレッテルも強い。


 そもそも流行りはじめたのが危険だ。

 絶対に乱用される。


 曖昧かつ強力な概念だ。

 気に入らない相手を、無節操に黙らせるのに便利な武器になる。


 つまりただの我が儘、不平不満にも使えるだろう。

 どんな主張でも、正義の衣をまとえるからだ。

 衣なしでは相手にされないがな。


 正義こそ最も人を残酷にさせる。

 そして元々の主張がおかしいから、周囲は納得しない。

 それを押さえつけようと、主観的正義の武器を狂ったように振り回す。


 乱用によって言葉の信用が失われていく。

 正義と名のつく武器は、使えば使うほど汚れるだろう。

 振りかざす者もだ。


 その言葉が汚れきったとき、本当に人道を踏みにじる権力者が現れるだろう。

 汚れきった正義を振りかざされても、なんら怖くないのだ。



 ベンジャミンも言っていたな。


 すべての正義は、匂う布である。

 この匂いは、それに触れた人に染みつく。

 さらにその人に触れた人にも染みつくだろう。


 その匂いが全身に染み渡り、悪臭に気がつかなくなった人は、必ず安全な場所でその布をふりかざし続ける。

 他の人たちを危険な場所に追い立てながら。

 

 例外はあろうが、聞いたときは笑ってしまった。

 たしかにそんなヤツらは胡散からだ。



 さて……そんな危険な武器を持ち出してきたな。

 どう返してやろうか。


「人道的ですか……。

よくわかりませんね」


 クレシダは俺が惚けたことに苦笑する。


「この人類連合に物資と資金を集中する。

それで助けられる人は多いでしょう。

不正や非効率を気にして、多くの人を見捨てるのは、人道的見地から如何なものか。

そう申し上げています」


 サロモン殿下もうなずいたか。

 端から見れば、クレシダのいうことは正しいように聞こえる。


「人道的の捉え方が、私とは異なりますね。

その多くの者を助けるために、他の人を危険にさらすのは、私の解釈では人道的と評しません」


 それは最善の結果でも二流のエゴだよ。

 口には出せないがな。

 これを口にしたのは、ミルと出会った時だったなぁ……。

 俺も小っ恥ずかしいことをよく言ったものだよ。


「資金や食料の供出が危機?

まさか……。

魔物と戦う戦士たちの安全ですか?」


「戦う人たちのことではありませんよ。

資金や食料にしても、莫大ばくだいな量が必要になります。

そうなると利権にあやかろうと、寄生虫が群がってきますね。

中抜きを企む者、不当に利益を得ようとする者などが後を断ちません。

つまり必要な量が100だとして、120送るとしましょう。

実際に必要な人に届くのは、20か30。

もっと少ないかもしれませんね。

では数倍送ればいいか? そうはならないでしょう。

膨大になればなるほど……。

群がるものが増えますからね。

1000送って、現地に届くのは40が精々ではありませんか?

現地に100届くことは、決してないのですから」


 クレシダは小さなため息をつく。


「そこまで疑うのは……。

行き過ぎではありませんか?」


 知っていて惚けるから、本当にタチが悪いよ。

 クレシダだって、本心は同意見だろう。


「そうは思いません。

善意を建前にする行為ほど、善意で運営しがちですからね。

それこそ利用したいものにとっては格好の的ですよ。

細かな監視も、善意なら必要ない。

疑うのかとなってね」


 クレシダは渋い顔になった。

 

「少なくとも疑うことを前面に出しては、賛同は得られないでしょう。

ラヴェンナ卿は逆のようですけど」


「前面に出す必要はありません。

ただ内実を信じることで染め上げるのは愚策でしょう。

必要な監視へのコストを軽視する方向に向かいますよ。

寄生虫にとってはこの上ない楽園でしょう。

『少しだけちょろまかす程度だから問題ない』と思う連中が、大勢群がってくるのです。

一度はじめたら止められないでしょう。

つまり無尽蔵に吸い上げられては……。

持ちこたえられる領地など存在しませんよ。

魔物に殺されるか、寄生虫に殺されるかの違いでしかありません」


 絶対に小悪党たちを束ねるヤツはいるだろうがな。

 それを口にすると、それを捕まえればいいと言われてしまう。


 クレシダの目が細くなった。

 どうやら押し切れないと悟ったようだな。


「それではどのようにすべきか……。

お知恵はありますか?」


「子供に大人の仕事は出来ませんよ。

技術的にも精神的にもね。

私が反対するのは……。

理想は正しいが、背伸びをして届く高さではないからです。

だから出来ることを積み上げていくしかない、と思っていますよ。

つまりは情報の集約と支援要請を、適時行う組織です。

欲を刺激するものに関わるべきではないでしょう。

それに内乱のあとです。

成り上がろうとしている者たちは多いのですからね」


 サロモン殿下が小さく首をふった。


「それではあまりにも、組織として弱いのではありませんか?

多少の不正は覚悟しても、強い組織にしていけばよいではありませんか。

魔物の脅威を前に、足を引っ張る大勢がいるのは信じがたいですよ」


 魔物の脅威を、間近に受けているから切実か。

 人はそんな大局を見て自制できる生き物じゃない。


 個人的道徳に従ってやりたくないから……やらない。

 個人的欲望に従ってやりたいから……やる。


 言葉に理由がつくだけだ。


 それにしても……。

 やはり殿上人だな。

 個々人の欲望や、根源的な部分を知らない。


「殿下は王族として教育されてきたでしょう。

だから皆が、同じように考えると思っているかと。

実際は違うのです。

目の前に魔物がいない限り、欲に従う連中はそんなことを考えません。

いざ危機が迫れば、足を引っ張るだけ引っ張って逃げるでしょうね」


「まさか……。

そこまで愚かだと?

学のない平民でも魔物が迫れば、兵士の武器を盗んで売るなどしませんよ」


 認めたくないようだ。

 故意にズレた回答をしてくる。

 もし平時の会話であれば、それ以上は突っ込まないのが礼儀。

 だがこの会議自体が、平時の話し合いではない。


 そもそもだが……。

 サロモン殿下がこのような話をしたことが気になる。

 実際に兵士の武器を盗んで売ような事件があったのだろう。

 前線では起こっていないが、安全と錯覚されるような……。

 例えばお膝元だな。

 それを指摘すればいいだろう。


「それは魔物が見えるからでしょう。

遠く離れた、安全な地ではどうでしょうかね。

監視が緩くて、盗みの危険が少なく、利益が見込めるなら?

武器は今なら高く売れるでしょう。

当然……客観的な計算などしません。

盗っ人の主観的な判断基準ですが」


 サロモン殿下は一瞬渋い顔をした。

 ここは平時ではないと理解しているのだろう。

 つい誤魔化す話をしてしまったのだ。


「お恥ずかしながら……。

つまり安全だから……良からぬことを大勢が考えると?

そのお考えは、首肯しがたいものがあります。

学のない平民であれば、日々の感情に流されるばかりでしょう。

それなら理解できます。

ですが平民が関われる組織ではありません」


 前の言葉では納得出来ないか……。

 反論がズレているのは、その証拠だろう。


嗜欲喜怒しよくきどの情は、賢愚皆同じ。

そこには身分や育ちなど関係がないのですよ。

大人でも子供でもね。

節して限度を超えないか、ほしいままに振る舞うかの違いでしかありません。

平民だろうと立派な人はいます。

役人だろうと、貴族だろうと軽蔑される人はいるでしょう」


 サロモン殿下は大きなため息をつく。

 きっと、ロマンを思い出したのだろう。

 あれは王族ではない……と言いきれないからだ。

 ある意味役に立ったな。


「やはり……そこまで疑うのは如何なものかと。

非人道的まで言いませんが、あまりに冷たすぎるのでは?」


 クレシダは無益を悟って引き下がったが、殿下は気がつかないか。

 2対1は面倒だなぁ……。


「ちょっとお伺いしたいのですが……。

プルージュから民を救出されたとき、彼らの言動は理解できましたか?」


 サロモン殿下は渋い顔になった。


「いえ。

あまりに理解不可能でした」


「では、飢えに苦しんだときの言動はご存じで?」


 俺の意図が読めないのだろう。

 いぶかしげに首を傾げる。


「話だけは。

飢えに苦しんだと聞くと、哀れに思いましたがね。

あのような浅ましい行動を取るとは信じがたいものです。

ただ納得した部分もあります。

彼らの言動は不可解でなく不快そのもの。

そんな者たちだから、あのような行為に及んだのでしょう」


 殿下は話している途中、連れてきている人物を一瞬見た。

 名前はエベール・プレヴァンだったな。

 世界主義関係と疑っている人物だ。

 この結論は、エベールから聞いたのだろうな。


「そこは違います。

平時と飢えたときの人は別ですよ。

平時の彼らは、我々と価値観が違いすぎます。

ただ飢えると、生存本能が剥き出しになり、獣のようになるでしょう。

我々も同じ。

どんなに立派な人でも飢えると他人を殺し、その肉で腹を満たそうとします。

本能的欲求と戦う羽目になり、時間がたつほど理性の分は悪くなります。

その前に自分が他人の肉にされるか、衰弱死するか……。

どちらかでしょう。

例外はいますけどね。

あくまで例外です」


 サロモン殿下は首をひねっている。


「自分がそうなるとは思いたくありません」


「好悪なんて関係ないですよ。

理性は余裕があるからまとえる衣服にすぎません。

人の本能ではないからです。

それに殿下は、飢えた人を哀れとおっしゃいました。

幸運にも飢えを知らない証左でしょうね」


 サロモン殿下はやや不機嫌な顔になる。


「哀れむのが知らない証拠ですか?

ではラヴェンナ卿はご存じなので?」


 マガリ性悪婆が騎士だったころの体験談で、飢えた民について教えてくれたことがある。

 その言葉を聞いたときは、思わずうなってしまったが……。


「聞いた話ですけどね。

話してくれた人は性悪ですが……。

噓は言わない人なのです。

本当の飢えを知った人は哀れみません。

本能的な恐怖や嫌悪に襲われて、遠ざけるのですよ」


 サロモン殿下が眉をひそめる。

 機嫌を損ねたか。

 プリュタニスにあとで謝っておこう。

 嫌味のひとつくらい言われそうだ。


「私は知らないので、実際はそうなのでしょう。

そんな哀れむ余裕すらないとは、なんとも悲しむべきことだと思いますが」


「私を説得する材料として、人道的や冷たいと言われますが……。

人道や優しさの概念が、私は違うのですよ。

そんな状況に追い込まないこと。

これが私にとっての人道的であり優しさなのです。

悲惨な状態になった人を見て喜ぶのは論外ですけどね。

それに同情しない人を、非人道的だの冷たいなどということには納得できません。

追い込まれた人を不当に蔑むのも、卑しい行為だと思っています。

責められるのは……そのような状態に追い込んだ側でしょう。

それ以外はいません。

無尽蔵に金や食糧を供給するのは、領民をそのような状況に追い込むことですよ」


 クレシダとサロモン殿下は、同時にため息をついた。

 感情論が通用しない俺を心底面倒くさいと思ったろう。

 自分の戦場に引き籠もって出て来ないからな。

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