759話 思い詰める余裕

 話がまとまったが……。

 ベンジャミンは厳しい顔になる。


「ラヴェンナ卿にお伝えすべき情報があります。

ランゴバルド王国の問題についてです」


 キアラがわずかに眉をひそめる。


「私には報告がきていませんよ?」


 ベンジャミンは小さく首を振った。


「キアラさまを侮辱するわけではありません。

ラヴェンナの耳目は世界最高峰の技術を持っている。

これを我々は認めています。

この短期間でよくぞそこまで……と感嘆を禁じ得ません。

ですが明確な弱点もあります」


 耳目についてキアラはとても自信を持っている。

 弱点とは聞き捨てがならないだろう。

 だが……。

 ベンジャミンは、不用意にそんな言葉を使うと思えない。


 反射的にキアラから表情が消える。


「興味深いですわね」


「人数と時間です。

各地域に浸透するには、頭数と時間が必要です」


 キアラは小さくため息をつく。


「その点に言及されると、反論は難しいですわ……」


 キアラも自覚している問題点だな。

 人員も限られるので、ポイントを決めて情報収集をさせている。

 こればっかりは時間が解決するほかない。

 ベンジャミンは勝ち誇る様子を一切見せずにうなずく。

 マウントを取るためにそんな話をしない人物だ。

 自分たちの価値を伝えるため、あえてそんな表現をしたのだろう。


「我々が耳目に勝っているのは時間です。

商人として出自を隠して、その地域に溶け込んでいますから。

地方の諜報に関しては、我々に一日の長があります」


 その点は認めざる得ないな。

 つまり地方に潜む厄介な問題を見つけたと。


「では聞かせていただけますか?」


「使徒貨幣が泥になった影響は、地方ほど大きいのです。

いかに予測してニコデモ陛下が手を尽くしても……。

限度がありましょう」


 地方ほど使徒の威光は強く残っている。

 それは俺の思った以上だったようだ。

 実際に泥や石になると思ってもいないのだろう。

 つまりは面従腹背のような形に陥る。

 ニコデモ陛下は、即位して間もない。

 王権も脆弱だ。


「領主たちは、その報告を陛下にしていないのですか」


「もしありのままを報告しては……。

陛下の指示を無視していた、と告白するようなものです」


 そりゃそうか。

 それにしても……。

 王宮の面々は誰も気がつかないのか?

 ジャン=ポールが見逃すとは思えない。


「警察大臣すら知らないのですか?」


 ベンジャミンは小さく首を振った。


「モロー大臣の目は人が集まるところに注がれています。

これも天才的な手腕で、短期間のうちに構築した芸術品ですが……。

やはり人手が足りないのです。

警察大臣は、人の多い部分から目を光らせるでしょう。

それしか手段がないからです。

そこで兆候が起これば、地方に目が届きます」


 ここでも人手不足か。

 陰謀が3度の飯より大好きなジャン=ポールなら、上流である都市を監視すればいいとなるか。

 今は地方で陰謀を企む余裕などないからな。


「それで……。

地方の領主たちはどんな状況なのですか?」


「自分の生活水準を落とすことは出来ません。

つまり出来ることはひとつです。

必死に事実を取り繕う。

そのためにやることもひとつ。

つまりは過酷な重税を課すしかありません」


 思わずため息を漏れた。


「愚かしいにも程があるでしょう……」


「私にはなんとも言えません」


 ベンジャミンは賢明にも言及を避けた。

 このあたりの用心深さは石版の民の歴史を感じるな。


「愚問でした。

彼らは破滅への近道と知っているのでしょうかね」


「恐らくは。

皆さんから。

それでも止められないのでしょう。

実に羨ましい限りです」


 キアラは眉をひそめる。


「そんな状況が羨ましいですの?」


 ベンジャミンは真顔でうなずいた。


「はい。

のです。

意識してかは知りませんが……。

思い詰めていることを皆さんアピールされますね。

思い詰めても、問題の解決に寄与しません。

それだけの問題があるのに、ただ思い詰めることに時間を費やせる。

だから余裕と申し上げました。

もしかしたら……。

思い詰めていれば、情けを掛けてもらえる。

そう考えているのかは知りませんが……。

それも同じ社会の住人であればです」


 納得だ。

 皮肉ではなく本心だろうな。

 キアラは俺の様子を見てため息をつく。


「意味がわかりませんわ……。

お兄さまは理解されているようですけど」


 そんな難しい話じゃない。

 俺たちが考える以上に、彼らは過酷な状態を生きてきたのだろう。


「石版の民は、陰に隠れて生きてきました。

もし彼らが思い詰めていても、誰も気にしません。

素性を隠しても社会から、どことなく浮いた存在でしょう。

浮いた人が思い詰めていて、情けを掛けますか?」


 キアラは少し考えて苦笑する。


「普通は知らんぷりをしますわね。

慈悲深さをアピールしたい人なら知りませんけど……。

それならもっと効果的な対象を探すでしょう」


「問題とは時間がたつほど大きくなります。

そして周囲は手助けしてくれません。

だから思い詰める余裕などないのですよ。

そんな暇があれば、現実を打開するために議論をするでしょう。

珍案や愚案を消して考えられる最善を模索するためにね。

激論がない議論とは、そのような洗い出しが出来ていない証拠。

そう認識していると思いますよ」


 ベンジャミンは少し驚いた顔をする。


「正直驚きました。

前にも申し上げましたが……。

そこまで我々のことを理解する方がいる。

想像すらしませんでした。

ラヴェンナ卿は、一体何処まで我々のことをご存じなのかと」


 キアラは小さく頭を振った。


「私もまだまだ未熟なようですわ。

その話だけを聞けば、とても有意義なようですけど……。

ラヴェンナでは、そこまでの激論は推奨していませんよね」


 そもそも……意見と発言者の好悪を切り離せる人が多くない。

 だから石版の民のような、強固な同族意識が必要になる。


「ラヴェンナは環境が違います。

石版の民は戒律を守ることと……。

血によって強固な団結をしています。

喧嘩まがいの激論をかわしても同胞である意識は不変ですよ。

今のラヴェンナは違います。

もっと緩やかな結束ですからね。

そして元部族長たちのメンツを潰してはよろしくないのです」


 ベンジャミンは目を細めた。


「我々が旗幟を明確にしたのは、ラヴェンナ卿の力量に賭けたからでもあります。

そこまで我々のことを理解しているとは思いませんでしたが……。

話がれてしまいましたね。

地方領主たちが誤魔化すにしても限度があります。

いずれモロー大臣の知るところとなりましょう。

ですが……。

責任を問うて反発されると一大事でしょう。

大規模な反乱につながる恐れがあります」


 ホント頑固な汚れは一度の掃除では落ちなかったか……。


「それ以前に住民が反乱を起こしかねませんね」


「ご明察です。

かなり危険な状態でしょう。

ここで魔物の襲撃が起こって、対処を陛下から命ぜられたら……」


 最悪のパターンだな。


「押さえつける力が弱まれば反戦も起こりえますね。

それを恐れて、他領への助力を渋る可能性まで起こります」


 そっちまで手が回らないぞ。

 時間稼ぎでもしてもらわないといけない。


「これを宰相に伝えてくれませんか?

私からの報告の形を取って構いません」


 ベンジャミンは真顔でうなずいた。


「承知致しました。

我々が宰相殿に伝えると、モロー大臣に目をつけられてしまいます。

間近で見ているからこそわかりますが、あのお方は陰謀と諜報の怪物ですよ。

ラヴェンナ卿と比較しては気の毒ですがね。

可能な限りモロー大臣の注意を引きたくありません。

そうなると我らの立場は困難になりますから……」


 だから俺経由の形にしたかったと。


「それはもっともですね。

あなたたちが領主だったら……。

そうはいきませんが」


 ベンジャミンは一礼した。


「我々の立場をご理解いただいて感謝致します」


 ランゴバルド王国すら楽観視は許されないか。

 つくづく面倒くさい。

 自分の領地くらい、しっかり管理しろよ……。


                  ◆◇◆◇◆


 明日は人類連合の会談予定日だ。


 その前の雑事はすでに片付いていた。

 アルカディア難民への対策。


 連中に領地を与える話だ。

 それを決めるのが俺だと噂を流しておいた。


 あわせてアーデルヘイトやクリームヒルトへの誹謗ひぼう中傷に、強い不快感を表していると付け加える。


 連中は、決まるまで大人しくしようと決めたらしい。

 ピタリと誹謗ひぼう中傷がやんだからな。

 機嫌を損ねると、場所が悪くなると理解は出来るだろう。

 感情の動きならば理解出来るからだ。


 決まるまで黙っていればいい。

 そう考えていることもお見通しだ。

 

 予想通り連中の希望的観測がどんどん膨れ上がっている。

 どこかの交通の要衝かつ安全な場所ではないかと。

 どんどん妄想が膨らんでいる。

 俺は冷ややかに眺めるだけ。


 笛を吹けば踊るではない。

 懐に手を入れただけで、笛があると思い込んで勝手に踊り出した。

 それだけのことだ。


 その間にも別の情報が入る。

 クレシダの屋敷に、旧冒険者ギルドの首脳が出入りしている報告。

 これは陳情だろう。

 

 俺との合意をひっくり返すことはしないはずだ。

 信じたからではない。

 徹底的にかき回すには、まず人類連合を正式に発足させる必要があるからだ。


 そしてランゴバルド王国が魔物の襲撃を受けたと報告を受ける。

 これは予想していたことだ。

 魔物の大軍だが、事前にアルカディア側を国境封鎖していたのが役に立った。

 そもそも人類連合を結成したとして、防御面では連合の意味が薄い。

 攻撃に転じたときに合同で派兵出来るだけなのだ。


 だが意味はある。

 日和見は出来ないが、細かな拘束がない。

 なんとなく精神的な安定という意味合いが強いだろう。

 だから即時に各国首脳が拒否しなかった。


 その曖昧さこそクレシダの罠だ。

 だが……。

 罠と知りつつも避けることは出来ない。

 内乱によって各国が弱体化しているからこそだ。


 そして楽観視していたはずのランゴバルド王国。

 そこに大きな問題が潜んでいたとはなぁ。

 考えられることではあったが、そこまで手が回らなかったし権限が及ばない。


 それにしても最悪な選択肢を選んでくれた。


 人は窮地に立たされると、無意識に最悪の選択肢を選ぶ生き物のようだ。

 ……違うな。


 今までの選択で、安直なものばかりを積み重ねたらどうなるか。

 選択肢は安直なものしか残らない。

 窮地に立たされたとき、選択出来るのは……。

 現実を悪化させる手しか残っていない。


 つまりは事実の隠蔽いんぺいだ。

 隠蔽いんぺいしても、現実はそれを忖度そんたくしない。

 隠蔽いんぺいのペールは、現実に押し流されるだろう。


 使徒クラスの力があれば、その虚像は永続したな。

 悪霊の人選ミス連発でこうなったが。

 俺を選んでユウだからなぁ……。


 まあどちらにしても……。

 普段の行いによって使える選択肢は決まるってことだ。


 嘆いてばかりいても仕方ない。

 後背地から支援が受けられないと大問題だ。

 何度も襲撃を繰り返されると……。

 確実に突破されるだろう。


 突破されると大変だ。

 王国崩壊にまで至りかねない。

 そこは陛下たちに頑張ってもらう。


 最も危険なのはランゴバルド王国か。


 アラン王国は独力で防衛出来ない。

 アラン王国への援軍は、シケリア王国が主となるだろう。

 だからサロモン殿下はクレシダに頭があがらないのだ。


 シケリア王国は安泰に見えるが、クレシダがそんなことを許すとは思えない。

 絶対に何か仕込んでいるだろう。


 直接対決ではクレシダの攻撃をかわしている。

 だが……それだけだ。

 今は辛抱して耐えるしかない。

 反撃する機会を待つしかないからな。


 ここでやけを起こして、蛮勇を振るってはすべてがご破算だ。

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