747話 道徳なき者の理想郷
去り際に、アントニスが書類の束を差し出してきた。
アルカディアの残党たちについての言動を
「連中にどう対処すべきかわかりませんが……。
ラヴェンナ卿のお役に立つかと」
執務室に戻ってから目を通す。
軽い頭痛がしてきた。
アントニスが匙を投げたのが、よくわかる。
彼らへの対処を考えないと、足を引っ張られそうだ……。
しかし……これは頭が痛くなる内容だ。
狂っていると思うのも仕方ない。
クレシダの用意した妨害要素かぁ……。
殴られっぱなしは
どこかでお返しをしないとな。
こいつをどう対処したものか……。
などと思っていると、予想外の来客の知らせだ。
そのまま執務室に通してもらう。
「シャロン卿。
どうされましたか?」
モデスト・シャロン。
俺の指示で、王都の陰謀を監視していた。
モデストは落ち着き払った様子だ。
「ニコデモ陛下よりのご依頼です。
ラヴェンナ卿は人類連合の代表になられたとか。
それで私を護衛にとのご意向です。
どんな蛇が潜んでいるかわかりませんから。
私としても、趣味の供給源に倒れてもらっては困ります。
それに最近王都は退屈でしてね。
ラヴェンナ卿の後ろ盾は、強力すぎるのですよ。
毒蜘蛛を利用していた小動物が、魔王の影を感じて逃げ散る始末です」
モデストは趣味のために生きている自由人だからなぁ……。
俺の名前があると、皆怖がって手を出さないから退屈なのか。
なにせ呼び名が『魔界の毒蜘蛛』に昇格していたな。
それにしても……。
スリルシーカーは相変わらずだ。
「わかりました。
ではお願いするとしましょう」
「ところでこんな話にカルメンが黙っていると思えませんが……。
大人しくしているのでしょうか?」
ああ……。
やっぱり口出しすると知っていたか。
「まさか。
同行の申し出があったので許可していますよ」
モデストは目を細めて満足気にうなずいた。
「それは結構です。
今回も愉しい話になりそうですね」
俺は気が重たいよ……。
「そうも言っていられません。
シケリア王国代表はクレシダ嬢ですよ」
モデストの目が細くなる。
心底楽しそうだ。
「ほう……。
我が儘娘から、国の代表ですか。
華麗なる転身でしょうかね」
そこでクレシダの情報を伝えることにした。
モデストは静かに聞いていたが、僅かに目が鋭くなったようだ。
「そんなわけで、アルカディアの残党も入り交じっての大混乱が予想されます」
「残党に注意されるとは、それほど興味深いのでしょうか?」
俺はアントニスからもらった書類を差し出す。
「これを読んでください」
モデストは書類の束に、目を通す。
読み終えるまで、一切表情は変えなかった。
「ふむ……。
アルカディアの住人は、2年前なら普通だったはずです。
幼児退行したかのようですねぇ……」
幼児退行か。
そう見えるのだが……。
その一言で片付けられない気がしている。
本来なら関わらないのがベストだ。
「なまじ声が大きいだけに、処理を誤ると面倒なことになります。
対処方法を思案しているのですよ」
モデストは僅かに目を細める。
「まだ明確な方針はでていないと?
さすがに外交の場で、子供を躾けるように、尻を叩くわけにも参りませんからね」
たしかに……やれることは限られているな。
「対策は考えています。
ただ合点がいかないのですよ」
「合点ですか?
何者かに操作されているとでも?」
それならずっと、話は簡単だろう。
出来るのは使徒だろうが……。
もういないからな。
「そうではありません。
シャロン卿の言葉通り、2年前は普通の人たちです。
そしてアラン王国の価値基準は特殊ですが、国の違いで済む話でした。
それがこうなるとは、なにか理由があるのではないかと」
モデストは僅かに、眉をひそめた。
「つまり対策は正しいが、対症療法にすぎないのではと。
そこに疑念があるわけですね」
「よくわかりましたね。
どんな人たちなのかは理解しました。
なぜこうなったのか……。
それがないと、後手後手に回りかねないのです」
モデストは珍しく、腕組みをして考え込む。
やがて小さくうなずいた。
「それならば、衆知に頼るべきかと」
それが妥当か。
だが条件があるなぁ……。
「これを読んでなお、彼らが狂っていると思わない人が望ましいですね」
モデストは、楽しそうに目を細めた。
「私もそのお手伝いが出来そうです。
よろしければ人を見繕ってきましょう。
3日後にお時間を頂けますかな?」
ミルとオフェリーが、目を輝かせる。
知恵を借りたいと聞くと、すごく喜ぶからな。
「構いませんよ」
モデストは珍しく苦笑した。
「ああ……。
断っておきますが、ラヴェンナ卿に近しい人は外します。
奥方さまたち、キアラさまにはご遠慮いただきたい。
考え方がラヴェンナ卿に近すぎますからね」
ミルとオフェリーが、露骨に肩を落とす。
モデストの言葉は正論だな。
人数ではなく、意見の種類が大事になる。
俺の考えが基本的に正しく違う視点が欲しければ、これ以上の適任はいないが……。
今回は該当しない。
「わかりました」
◆◇◆◇◆
モデストと約束した日を迎えた。
ジト目のミルとオフェリーから逃げるように、応接室に向かう。
応接室に入ると、モデストが立ち上がった。
俺は手を挙げて挨拶する。
「お待たせしました。
早速はじめましょう」
俺が目で合図をするとモデストが座る。
「すっかり広くなりましたね」
座ったままのライサが、欠伸をする。
「簡易ベッドでも設置してくれれば……。
いうことなしだよ」
カルメンが苦笑する。
「ライサさんは昼夜逆転していますね」
「このシャロン卿が、アタシを訪ねてきたときは驚いたよ。
最近退屈していたから、丁度いいさね」
最近は絵師にいろいろ注文をつけて、絵師が大変らしい。
文句だけでなく『アンタは一流なんだろ? なら出来るはずだ』までセットなのが悪質だ。
ご愁傷さまだよ。
そして最後のメンバー、シルヴァーナも欠伸をする。
「アルがアタシの知恵を貸してほしいって……。
すっごく怪しいんだよね~」
見事な人選だな。
本来なら法務大臣のエイブラハムを加えてもいいと思うが……。
多忙だからな。
声をかけたら確実に怒られる。
「では本題に入りましょうか」
アルカディアの残党が、人類連合に参加することを話した。
そして彼らは、独特の価値観を持っているようだと。
このような変化をしたのがわからないことも伝えた。
俺の言葉に、書類を先に読み終えた
「なるほどねぇ。
たしかに普通の人が見たら支離滅裂だよ。
でもねぇ……。
ひとりなら狂人。
集団ならそれが価値観ってことになるね」
ライサは呆れ顔で書類をテーブルに置いた。
「うーん。
こんな連中とどう付き合うか聞かれたら……。
関わるなって答えるね」
モデストが苦笑してうなずく。
「そうですね。
可能なら関わりたくないところです」
カルメンは疲れたように頭を振る。
「似たタイプは、甘やかされたお坊ちゃんでしょうか。
でも、その限りではなさそうですね……」
シルヴァーナが呆れ顔で頭をかく。
「そうねぇ~。
なんか妙に自信があるようで、ない感じがするかな」
ちょっと引っかかる表現だな。
こんなときのシルヴァーナの勘は馬鹿にならない。
「どうしてそう感じたのですか?」
シルヴァーナは腕組みをして、難しい顔をする。
「そうねぇ。
なんか自分は絶対に正しいって思い込んでいるわりに、あちこちに嚙みつくのよね。
それって虚勢を張るヤツほど嚙みつくのと一緒ね」
ライサも腕組みをする。
悲しいかな……。
両者の胸の差は明白だ。
シルヴァーナの頰が引き
なにか口元が動いているな。
多分『理不尽な格差社会だ……』と言っていると思う。
気にしないでおこう。
話が
ライサはシルヴァーナの様子に気がついていない。
「根拠のない自信には満ちているねぇ。
他人のダブルスタンダードを非難するのはいいさ。
でも、自分はダブルスタンダードをしているのがねぇ」
ある人が地位や特権を利用して不正に蓄財をしていた。
難民でも蓄財に励むのが微笑ましい。
その人は非難されるが、非難した人が同じことをしている。
それでいて自信満々なのだ。
「その自信の元が、どこからきているのやら……。
思い込みだけとは思えないのですよね」
シルヴァーナが意外そうな顔をする。
「えっ? そこに気がつかないの?
アルらしくないわね」
予想外のセリフだ。
驚いてしまったよ。
「シルヴァーナさんは……。
もうわかったのですか?」
シルヴァーナはフンスとない胸を張る。
「簡単よ。
使徒は正しいのが、この世界の前提でしょ?
使徒の遺志に従っているから、自分は正しいと思っているのよ。
そのわりに自信ないのが、気になるけどね」
迂闊だった。
その言葉を否定していたから、それに固執する人の心理を見落としていたようだ。
「それが大きな根拠ですか。
これでいろいろつながりました。
それでこうなるわけだ……」
シルヴァーナが呆れた顔で、ため息をつく。
「アタシはその先がわからないのよ。
アタシたちを集めておいて、自分ひとりで納得しないの!」
「ああ……。
すみません。
彼らの行動が、ようやくつながりました。
ええとですね……。
彼らの価値判断は特殊なんですよ。
自分の主観的正しさが優先されます。
それに関係ないことであれば、我々と同じような善悪判断をします。
だからこそ同じ価値観だと錯覚するのでしょう」
カルメンがため息をついた。
「キアラが愚痴っていたアルフレードさまの飛躍癖ですね……。
目の当たりにすると、ため息がでます。
凡人の私たちにわかるように教えてください。
主観的正しさが優先とは?」
カルメンも十分超人だよ。
俺は物の考え方が、ちょっと違うだけだ。
「我々が正しさを証明するときは、客観的な根拠を積み上げて、それが正しいとしますよね」
「それ以外で他者に、正しさを証明する手段なんてありませんよ?」
そのステップを飛ばすのが、使徒の正しさだ。
これは思ったより危険な思想だな。
「彼らは違います。
絶対の正しさが存在して、根拠は重視しないのですよ。
根拠を重視しては、正しさを証明できないからです。
つまりですね……。
使徒は絶対に正しい。
それを信じる自分は正しいとなります。
それが彼らの思想の核ですよ」
「結果は大失敗じゃないか。
それはどう、辻褄会わせをするんだい?」
「簡単です。
自分は正しいことをしているが、他人は間違っている。
だから失敗したとなるのですよ。
恐らく……ほぼ全員がそう思っていますね」
「つける薬がないねぇ……。
それが主観的正しさか。
待てよ……。
たしかロマンやトマと話がかみ合わなかったのに似ていないか?」
あの話を耳にしていたか。
「ええ。
彼らの思想の継承者だからですよ。
アラン王国の民にしてみれば、今までの価値観が壊れました。
そこで新しい価値観を押しつけられます。
でも彼らにわかるのは、使徒が正しいことだけ。
そこで問題なのは、実務を取り仕切っていたクララック氏です。
行政の価値基準も、それに引っ張られますよね。
それは民衆にも浸透します。
自分の価値観があれば抵抗できますが、それもない。
そしてクララック氏の統治は稚拙なのです。
その辻褄を合わせないと、人は耐えられません。
彼らにとって、使徒の絶対的正しさは普遍なのですから」
ライサが大きなため息をつく。
「つまり失敗は人のせいにするトマのやり方が、下にも伝わったと。
しかも若い連中なんて、新しい社会に順応したようだしねぇ。
その見本が最悪。
真似るには楽だったとなれば……。
染まっていくか。
辻褄を合わせるなら、そうするしかないね。
小型のトマが量産されたわけかぁ……」
モデストが小さく首を傾げた。
「しかし……。
その考え方では、社会が成り立たないのでは?
彼らは隔離された地で、まがりなりにも自治を出来ているようです」
こうやって俺の意見を鵜呑みにしないのは、とても有り難いな。
「彼らの社会での疑問点があったのです。
全員が平等と謳っていますが、ガチガチの序列社会なんですよ。
余りに相反しています。
ですがこの序列で、どうにか秩序を保っているのですよ。
序列上位の正しさに、下位は従わなければいけないのです。
だから序列が下に対しては、なにをしてもいいと思うのでしょう」
カルメンは憂鬱な表情で、髪をかき上げる。
「それだとある程度理解できます。
彼らがシケリア王国の人と、やたら揉めるのは不思議だったんですよ。
難民だけど、態度が馴れ馴れしくて尊大らしいですからね。
あれもシケリア王国民を、下に見ているわけですかぁ……。
窃盗癖もその延長線上ですかね」
そんな事件も記されていたな。
最初はとても友好的だったけど、難民側が窃盗をしまくった話だな。
それでシケリア王国民側が態度を硬化させて、関係がどんどん悪化していったとあったな。
難民側は裏切られた、と憤慨していたらしい。
疑うのかと逆ギレして……。
折れたシケリア王国民から窃盗をしたのが笑えた。
「それはちょっと違うと思います。
別の価値観が関係していますね」
「そんな行動の裏まで考えるのかい。
そこまで徹底すると呆れるばかりだね」
「異なる価値観ですからね。
なんとか制御できないかと思案した結果ですよ。
それで……。
この行動の大本は使徒が掲げた『人は皆平等』が関係すると思います。
すべて人は同じと言い切ってしまうと、個性がなくなって違いを認めないでしょう。
そこに自分は正しいという前提が加わります。
つまり、相手は自分と同じ正しさを共有する前提につながるのですよ」
シルヴァーナはあんぐり口を開けた。
「もしかして……。
自分と同じだから、相手の物も自分の物だと思うってこと?
それで自分の物は、相手に取られてもいいの?」
なかなか鋭いな。
「仲間の物は、自分の物です。
でも自分の物は、自分の物でしょう。
そうでなくては、彼らの強欲さが理解できません。
そこに矛盾を感じないのは、自分は絶対に正しい……という思考が根本にあるからです」
強欲と言っていいほど、要求が多いとあった。
皆で分け合うためでなく、自分で溜め込むためだともあったな。
「うわぁ~。
絶対に関わりたくないわ」
俺だって嫌だよ。
カルメンは深いため息をついた。
「使徒の正しさって危険だったのですね。
そして新しい秩序をつくる人が大事なのも、よくわかりました。
キアラがアルフレードさまの自制が強すぎる、と愚痴っていましたけど……。
領主なんだから、もっと強くでてもいいってね。
でもアルフレードさまは、下に態度が伝染することを心配していたわけですか」
トップの態度は簡単に下に伝染するんだよ……。
伝統や歴史があれば、防波堤になるけどね。
それをアルカディア《道徳なき者の理想郷》は実証したわけだ。
実態はディストピアだけどな。
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