746話 遺志を継ぐ者たち

 講和を早期締結する、と口にしたわけではないが……。

 アントニス・ミツォタキスがラヴェンナにやって来た。


 ライサのところに転がり込んで、アポを取ってきたのだ。

 この一点で、本気だとわかる。


 キアラはこの報告に驚いていたが……。

 むしろ俺の無表情に感心していた。

 俺だって驚いている。

 顔に出さないだけで。


 面会は来週に決めた。

 即日会っては、こちらも締結したがっていると思われる。


 結果的に、講和条件はもっと有利に出来たはずだと、シケリア王国内での反発を招くだろう。

 これが人類連合なんて茶番に悪影響を及ぼす。

 そんな隙をクレシダが見逃すとは思えない。


 正式な外交使節なので、随行員はそれなりにいた。


 随行員は宿屋に宿泊。

 アントニスはライサの家に転がり込んだ。


 ライサはシケリア王国の上流階級に、コネがあったからな。

 アントニスとも面識があるようだ。


 賓客用の屋敷にまだ空きがあったので、そちらに宿泊してもらう。


 屋敷に移ってもらってから、下交渉が始まる。

 当然、それなりに揉めた。

 最初から、譲歩案を出しても仕方ない。

 これも面会日時と同じだ。

 

 出来レースと言えばそれまでだが……。

 油断すると、相手に優位な条件で押し切られる。

 面倒な話だが……仕方ない。


 かくして条件は整った。

 閣議での了承を経て、アントニスとの面会日を迎える。


 応接室にミルとキアラを連れて行く。

 アントニスも数名の側近を連れてきているようだ。


 アントニスは、少し痩せたようだ。


「ミツォタキス卿。

お久しぶりですね。

少し痩せたようですが……。

お元気そうでなによりです」


 アントニスは優雅に一礼した。


「お久しぶりです。

いろいろありましたからね。

ラヴェンナ卿こそ、ご自愛をば」


 そこから儀礼的な挨拶を経て、講和条件の確認となる。

 俺から提示された条件に、アントニスは驚いた顔をした。

 まあ演技だけど。


「これほど寛大な条件。

感謝の言葉もありません。

私の面目も立ちましょう」


 リカイオス卿が統治していた巡礼街道をラヴェンナに譲渡。

 今はラヴェンナ軍が実効支配しているけどな。


 こちらが占拠している主要港の返還。

 ただし無償での使用権利はもらう。

 

 それと賠償金は金貨20万枚だが、分割での支払いとなる。

 賠償金の支払いが終わり次第、無償の使用権を返上することになった。

 あとは双方の捕虜交換。

 それだけだ。


 かなりシケリア王国に甘い条件だが……。

 取りたくても取れないんだよ。

 使徒貨幣が無価値になって、経済が混乱している。

 加えてリカイオス卿が、強引な徴発をしたせいで、飢えに苦しむ民が多い。

 そんな土地をもらっても、復興にかかる金額が洒落にならないのだ。

 使徒貨幣による混乱は、ランゴバルド王国にもある。

 復興に回す金すらない。

 そして冷害が確実視されている。

 治安の悪化など悪要素が多すぎて、話にならない。

 

 これでは戦勝国でなくて、惨勝国になってしまう。

 他家への褒美だが、幸い王家の直轄領は十分ある。

 これは早期講和を示唆したニコデモ陛下に任せることにした。


 王家としては直轄領が減るのは嫌だろう。

 それでも他家が、ラヴェンナを主ではなく、ニコデモ陛下を主とみなすほうが大きい。

 王権の安定の面に寄与するからな。


 アントニスは、これらの条件を見越して吹っかけてきたわけだ。


「それなら結構です。

では調印が終わり次第、軍に引き上げる指示を出しましょう。

念のために確認しますが……」


 アントニスは穏やかな笑みを崩さない。


「なんでしょうか?」


 大丈夫だろうが……。

 念押しする必要がある。


「そちらの軍が軽挙妄動すれば、この話はご破算となります。

そこはお忘れなきように」


 アントニスは意外そうな顔をした。

 俺がこの話題を切り出すと思っていなかったようだ。


「ああ……。

それなら心配無用です」


「理由をお伺いしても?」


 アントニスは、やや芝居がかった様子で表情を崩す。


「手段は知りませんが……。

ラヴェンナは、連絡がすぐ届く仕組みをお考えでしょう。

そうでなくてはラヴェンナ軍の動きが説明できませんからね。

おっと……肯定も否定も不要です」


 俺が倒れたときや、海戦の勝利などの動きから推測したか。

 別に新技術でなくても伝えることは可能だ。

 伝書鳩でもいい。

 距離に制限がある念話をリレーしてもいいからな。


「なるほど……。

その推測と心配無用が、どう関係するので?」


「ラヴェンナ軍が撤退を開始したら、ペルサキス卿に引き上げるように指示してあります。

問題など起こりませんよ。

ペルサキス卿なら完全に、軍を掌握しておりますから」


 すでに仕込み済みか。

 実に用意周到だこと。


「ではそう願うとしましょう」


 調印を終わらせたあと、アントニスは随行員に退出を命じる。

 こちらも補佐官を下がらせよう。

 内密の話をしたいようだ。


「なにかありそうですね」


 アントニスはミルとキアラがいても、気にしていない。

 俺が、そうしないのを知っているからな。


「ご明察です。

これは内密の話ですので……」


「外には漏らしませんよ」


 アントニスは真顔に戻る。

 一気に、雰囲気がかわった。


「結構です。

今回、魔物の襲撃をいち早く知って……。

人類連合を提唱されたのが誰なのか。

ご存じでしょうか?」


 ここは惚けておこう。

 下手に知っている態度を見せるのは悪手だ。

 アントニスは俺が、全部知っているものと勘違いするだろう。

 大事な情報が抜け落ちる可能性すらある。


「わかりませんね」


 アントニスは俺の表情を探ったが、優雅に苦笑する。


「クレシダ・リカイオス嬢です。

彼女のことはご存じでしょうか?」


 ミルとキアラが、小さく息を吞む。

 ミルは仕方ないが、キアラはポーカーフェースでいてほしいのだがなぁ。

 こんな反応をされては惚けることも出来ない。


「ええ。

ある程度は」


 アントニスは声を立てず、小さく笑った。


「本来なら腹の探り合いは、大変楽しいのですが……。

率直に申し上げましょう。

我々は彼女が危険だと認識しております」


 ようやく辿り着いたか。

 遅きに逸した感はあるが……。

 手遅れ一歩手前だな。


「そうおっしゃるからには、なにか根拠が?」


 そこからアントニスは、疑う根拠を説明しはじめた。


「遅まきながら……。

ラヴェンナ卿がリカイオス氏と表現した意図が、ようやくわかった次第です。

それともうひとつ……。

リカイオス卿が最後の破滅に至る切っ掛けです。

まず強引な食糧徴発ですが……。

クレシダ嬢から穀物の輸送を断られたのが、最大の要因です。

大軍を維持するためには、もはやそうせざる得なかったのですよ。

当然これは極秘なので、一部の者しか知りません」


 戦争を仕掛けるように扇動したのもクレシダ。

 自滅するように仕掛けたのもクレシダか……。

 リカイオス卿が少しばかり気の毒になるな。


「なるほど……。

少々厄介ですね」


「なにより厄介なのは、クレシダ嬢の意図が読めないのです。

このような状況で、権力を欲しているように見えません。

とても不気味なのですが……。

我々には、選択肢がないのです。

危険な話に乗らざる得ない。

そこでラヴェンナ卿と協力すべし。

それがディミトゥラ王女殿下のお考えです」


 クレシダの意図なんて、政治的判断では絶対に読めない。

 人類の歴史をやり直そうとしている、と言っても伝わらないだろう。

 ちょっと話をかえるか。


「つまりシケリア王国で、主動的な役割を果たしているのがディミトゥラ王女殿下であると」


「左様です。

外交上伏せるべき情報を出しているのは、ラヴェンナ卿に納得してもらうため。

通常であれば決して話せる内容ではありません」


 キアラは、頭の切れる女性だと評していたな。


「それもディミトゥラ王女殿下の意向と」


「左様です」


 まず、政治的判断が出来るディミトゥラ王女の意図を確認すべきだな。

 なんとなくわかっているが……。

 直接聞くのが大事だろう。

 聞けばわかることに、時間を費やしたくないのだ。


「それで私に求めるものとは?」


「現在の3国で、しばらくは安定を目指すべきでしょう。

それはラヴェンナ卿の意図とも合致すると思っています。

ですが……。

クレシダ嬢はそれ以外を求めていると考えられます。

統一国家ではないでしょう。

なにか明確な方針が見えてこないのです」


 話を戻されたか。

 動機が不明で困惑している。

 だからこそ敵と認識しても、今ひとつ対応しかねているのか。

 アントニスが、ある程度納得できるように誘導する必要があるな……。


「人類連合など……。

統一への道筋に思えますね」


 アントニスは強く首を振った。

 珍しいな。


「3国であればその道は見えます。

ですがクレシダ嬢は、こだわったのです。

これは混乱を招くばかりかと」


 そのワードがひっかかるのは、俺も同意見だ。

 俺の知らない情報をもっていそうだなぁ……。


「教会と冒険者ギルドですか?」


「それだけでも揉め事の種ですが……。

もっと危険な集団がいるのですよ」


 世界主義か?

 それだと教会の一派閥と認識するだろう。

 他に敵がいたか?


「危険な集団とは初耳ですね」


 アントニスは珍しく疲れた顔で、ため息をついた。


「我々も最近になって知りました。

アルカディアから、シケリア王国への避難民が一定数存在します。

アラン王国からではありません。

半魔騒動が持ち上がって以降、そこそこの数が流入しました。

アルカディアのみならず、町や村から逃げてきた連中です。

その数は、6000人程度いますね。

今も増え続けていますよ。

近いアラン王国に逃げる選択をしなかったのです」


 避難民は、ランゴバルド王国を避けて、シケリア王国に逃げ込んだのか。

 それなりにいるとは踏んでいるが……。

 数を提示できたとすれば、一カ所に固めたのか。

 こいつは厄介だな……。


「意外と多いですね。

民主主義思想をもった一団ですか」


 アントニスは力なくうなずく。


「ご明察です。

そんな危険思想を迎え入れる領主などいません。

クレシダ嬢以外は」


 ここでもクレシダか。

 アルカディアの残党に、使い道を見いだしたわけだ。


「クレシダ嬢がアルカディアの残党を囲い込んだと……。

それが危険になり得るとお考えなのですね」


「彼らも人類連合に参加させる意向なのです。

使として」


 そう来るよな。

 使徒の権威は、まだなんとなく残っている。

 一定の説得力があるわけだ。

 国一つ、まともに運営できない連中だがな。

 使徒の正当性は、ボロボロに擦り切れているが……。

 人によっては、まだ使えるだろう。


 ふと気がつくとミルは質問したそうにしている。


「ミル。

いいですよ」


 ミルはちょっとだけ嬉しそうにうなずいた。


「ありがとう。

ミツォタキス卿。

アルカディアの人たちって、もう後ろ盾はないですよね。

それが脅威なんですか?

彼らに助力しないだけで、何も出来ないと思いますけど……」


 アントニスは苦笑気味にうなずく。


「ミルヴァ夫人の見解は、常識では正しいでしょう。

クレシダ嬢は保護したものの……。

民主主義とやらを広める活動は許可していません。

強制居住区域に固めて、そこの中では自治を認めていますがね。

この人類連合に、彼らを引き込むことが問題なのです」


 キアラは小さく首をかしげた。


「使徒の遺志だけで押し切れるほど甘くない、と思いますわ。

少なくともお兄さまが参加されるのですから。

もしかして彼らが、お兄さまを狙うとでも?」


 狂信的なヤツなら、さもありなんだ。

 アントニスは皮肉な笑みを浮かべる。


「いいえ。

彼らは、ジャーナリストと自称していた下種げすな噂屋です。

あとはその関係者ばかり。

目端の利く方々ばかりでしてね。

自分の命を危険に晒して、ラヴェンナ卿を狙うことはないでしょう。

扇動はしても、責任は取りません。

問題は……。

彼らを加えて発言を認めると、ことが明白だからです」


 よりにもよってジャーナリスト関係かよ。

 面倒な連中を再利用する気だな。

 思わず、ため息が漏れる。


「それだけ断言するとは、なにか理由があるのでしょうね」


 アントニスは疲れた顔で苦笑する。


「最初は彼らが狂っていると思いましたが……。

あそこまでの集団で狂うことはないでしょう。

彼らの中で秩序がありますからね。

ですが……。

まったく話が通じないのです。

言葉が通じるだけに厄介ですよ」


 思ったのと違う回答だな。

 話が通じないだと?


「話が通じないとは?」


「ええ。

彼らの話は、場当たり的で矛盾しかないのです。

願望を事実とすり替える始末でしてね。

つまり噓ばかりつくのですよ。

矛盾を指摘しても……。

論点を逸らすか、その場を取り繕う言い訳ばかり。

揚げ句……。

指摘した側に、偏狭だの……理性がないだのと決めつけで攻撃までします。

どうも自分たちは尊重されるべきだ、と信じ込んでいるようで……。

皆がまったく理解できない有様です。

クレシダ嬢がそれを野放しにしているだけでなく……。

後ろ盾になっているのです」


 アントニスが愚痴っぽくなるのは珍しい。

 ほとほと疲れたようだ。

 その話より、気になるのだが……。


「つまりシケリア王国側の代表はクレシダ嬢ですか」


 アントニスは渋面をつくる。


「ええ。

クレシダ嬢をアンフィポリスに留めておくのは危険です。

そこから切り離そうとしたところ、クレシダ嬢自ら代表になると言い出した次第です。

自分で発案した人類連合を潰そうとしているようにしか思えない。

我々ではクレシダ嬢の意図がつかめないのです。

情けない話ですがね。

ここまでお話したのは、ラヴェンナ卿の意見を伺いたいのです」


 やはりクレシダの真意が、気になって仕方ないのか。

 気持ちはわかる。

 俺も第三者なら気になるからな。

 だが説明しても信じて貰えないだろう。

 なかなかな面倒くさいな。


「単純に考えれば……。

失敗させるつもりでしょうね。

クレシダ嬢は保身を、一切考えない人です」


 アントニスは驚きを隠せずにいる。


「それは魔物に、人類を滅ぼさせると!?

なんのために……」


 利益や損得。

 それで人の行動を図るのは正しい。

 普通ならな。


「どうでしょうね……。

そのあたり、どっちでもいいのかもしれません」


 アントニスの目が鋭くなる。


「ラヴェンナ卿の言葉が理解できません」


 揶揄われたと思ったか。

 そんなつもりはないのだが……。

 ここは、答えがないことにするのが着地点だろうなぁ。


「これは失礼。

既存の秩序を破壊したいだけではありませんか?

意図が読めないのは、損得を計算しているからでしょう」


「それはそうですが……。

損得抜きでここまで大それたことをするものでしょうか?」


 動機は知っている。

 損得じゃないんだよな。

 動機は感情で、言葉はおまけ。

 それが徹底しているだけだ。


「クレシダ嬢がどう考えているかですね。

教えてくれないと思いますよ。

そこを詮索しても、仕方ありません。

それを気にする余り……。

こちらが変な踊りをしないようにするべきでしょうね」


 アントニスは、小さくため息をついた。


「つまり気にしないほうがいいと……?」


 クレシダと相対するときに、最も危険なのは……。

 自分の価値観で、クレシダを判断することだ。


「霧の中で、必死に目を凝らしても、先は見えません。

うっかり崖から落ちないように、足元をしっかり見るべきだと思います」


 アントニスは力なく苦笑した。

 どうやら納得してくれたようだ。


「やはり……。

クレシダ嬢は私の手に負える相手ではないようです。

情けない話ですが……。

ラヴェンナ卿にお任せするのが、一番よさそうですね。

我々に出来ることは、可能な限り協力します」


 むしろ俺がやらないと引きずり出そうとする。

 会ったら、俺を殺したい衝動に負けると書いていたな。

 はてさて……。

 どうその衝動を抑えるのか見物だな。


 アルカディアの残党も、俺を引きずり出すための舞台装置なのだろう。

 話を聞くと……。

 違う価値観で行動しているようだ。

 1~2年で、そこまで人はかわるのだろうか。

 これは考える必要があるな。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る