744話 冷たい夏
またあの空間か。
体調が戻った、と判断したラヴェンナのお呼び出しだな。
できれば拒否したい。
人の気配がしたので、横を見ると……。
「なんでキアラがここに?」
一瞬混乱した。
たしか今日は、俺の監視役だけど……。
キアラは不思議そうに首をかしげる。
「それは私が聞きたいですわ」
可能性があるとすればひとつだ……。
「まさか……。
俺にくっついて寝ているんじゃないか?」
途端にキアラの目が泳ぐ。
「そ、そんなことありませんわ。
気のせいですわよ」
キアラが看病したがったので、くっついて寝ないと約束させたはずだか……。
信じた俺が馬鹿だった。
ミルにバレたら大変だぞ。
そう思っていると、目の前にラヴェンナが突然現れて、笑顔で手をふる。
「はぁい~。
パパとママ。
ママとちゃんと会うのはじめてね」
キアラはラヴェンナの顔を、じっと見て笑顔になる。
「あら。
この顔は……。
あの像と一緒ですわ。
それとお兄さまが、生死の境を彷徨ったときも夢にでてきましたわね。
あなたは、お兄さまと私の子供ですの?」
ラヴェンナはウインクした。
「私は女神ラヴェンナ。
そう。
パパとママたちの娘よ」
キアラはママたちと聞いて目が鋭くなった。
気のせいだろうが、舌打ちが聞こえたぞ。
「つまりお
ラヴェンナは驚いた顔をする。
「あら……。
飲み込みが早いのね」
キアラはジト目で、俺を睨む。
「お兄さまは私に隠していたのですね。
許しがたいですわ。
そして……。
お
最近どうも、私に勝ち誇ったような……謎の笑顔を見せていましたの」
こんなこと言えるわけがないだろ!
ラヴェンナは苦笑して、俺たちを手招きする。
「もうひとりのママは、私を認めるのに、ちょっと時間がかかったのよねぇ」
キアラはフンスと胸を張った。
「私は認めますわ。
たちってのが気に入らないですけど……」
不穏当な発言は控えてほしいのだが……。
気がつくと、周囲が屋敷の歓談室になっていた。
「いつもの広場じゃないのか?」
キアラの眉がピクりとあがる。
「いつもの?」
なんでそこを気にするんだよ……。
いちいち細かいぞ。
ラヴェンナは気にせず、椅子に座る。
「その話はおいおいね。
いいから座って」
俺とキアラが座ると、ラヴェンナは指を鳴らす。
目の前に、ティーセットが現れる。
ラヴェンナは俺とキアラに、お茶を注いでくれた。
その仕草はキアラと瓜二つ。
キアラは口をつけて、満足気にうなずく。
「合格ですわ。いい味ですの」
ラヴェンナはフンスと胸を張った。
「ええ。
ママ譲りよ」
なんか世間話に終始しそうだ……。
「それで……。
帰ってもいいかな?
急用を思い出した」
キアラとラヴェンナはジト目になった。
「一応聞きますけど、なんの用事ですの?」
「一応聞くけど、なんの用事?」
完全にハモりやがった。
「あ~。
え~とだな。
そうだ! 健康を考えてだな……。
ちょっと屋敷の周りを走ろうかと思ったんだ」
ラヴェンナはフンと鼻で笑った。
「それでパパを呼んだのは、理由があるのよ。
ママは丁度一緒に居ただけなの。
そこは気を悪くしないでね」
無視しやがった……。
キアラは満面の笑みでほほ笑む。
「気にしませんわ。
むしろお兄さまとの娘なんて感動ですもの。
半分は邪魔ですけど……」
その不穏な発言は止めようよ。
ラヴェンナは苦笑して、指をふった。
「本気でないことは知っているから大丈夫よ。
それでね。
パパ……。
なんてものを許可してくれたの!
でてきていいわよ!」
突然まばゆい光が広がった。
「ハイッ! 姉御!」
暑苦しい声と共に……。
でたよ。
キアラは目が点になっている。
謝肉祭で公開された、あの像そのまま。
突然現れたマッチョはポージングをする。
「お初にお目にかかりやす。
ラヴェンナの姉御から、名前をもらいました。
バランと申しやス!」
また人の記憶を悪用しやがって……。
ラヴェンナはなぜか、得意げに胸を張る。
「ひとりだからね。
セットだったら、
あとふたり増えたら考えるわ」
キアラはジト目で、俺の腕をつかむ。
「お兄さま。
この怪現象の説明を要求しますわ」
絶対嫌とは言わせない空気……。
俺のせいじゃない!
渋々、神の誕生について説明することになった。
キアラは大きなため息をつく。
「つまり……。
多くの意識が、偶像によって集約されると。
そして思いの力が強くなると、神が生まれるのですわね……。
でもちょっと怖いですわ。
いくらでも生まれるのではありませんこと?」
ラヴェンナがチッチッと指をふった。
「その心配はいらないわ。
神はあとになるほど生まれにくくなるの」
キアラは首をかしげる。
「つまりは早い者が有利ってことですの?」
バランは会話に加わらずに、笑顔でスクワットをしている。
無視しよう……。
ラヴェンナは難しい顔で腕組みをした。
「説明がずれていたわね。
たとえばこのバランだけど……」
バランは、白い歯を輝かせる。
「ハイッ!」
ラヴェンナは慣れているのか気にもしない。
「筋肉と健康……そして愛の神よ。
だから筋肉や健康、愛に関係した願いは、コイツに流れ込むの。
神には役割が絶対に必要なのよ。
多くの人が望む役割なんて限られるでしょ?
役割は早い神勝ちだからね。
新しい役割がないと、神は生まれないのよ。
たとえば健康を別の偶像に願っても、コイツがその姿にもなれるってこと」
キアラはポカーンと口を開ける。
「あ……愛?」
話の後半は頭に入ってこなかったようだ。
やがてキアラは、冷たい目で俺を睨む。
俺は悪くない!
バランは暑苦しい笑顔で、スクワットを再開する。
「筋肉や力強さは、魅力のアピールとなりますッ!
つまりは好感や愛につながるのは必然!
同性でも成立しますッ!
男同士でも女同士でもOKです!
ただし駆け引きのような愛担当ではありません!」
性別は問えよ……。
キアラは、引き
「そ、そうですの……。
じゃあ兄と妹の禁断の愛を司る神も……」
おい。
まだ諦めていないのか!
ラヴェンナはジト目になる。
「生まれないわ。
そんな例外的なこと、多数の信仰を集めるわけないでしょ」
キアラは露骨にガックリする。
突然、バランが歯を輝かせた。
「自分の愛は、愛さえあれば大丈夫なので、肉親同士でもOKイ!
同性でもOKなら、肉親だって無問題ッス!
ただ双方の同意がないと、愛にはならないであります!」
よ、余計なこと言いやがった。
キアラは、目を輝かせる。
「合意は必要よね……。
見た目はともかく素晴らしいわ!」
ヤバイ。
話がおかしな方向に……。
なんか軌道修正せねば。
「それよりラヴェンナが、俺を呼んだのは……。
このバランの紹介のためか?」
ラヴェンナは、キッと俺を睨みつける。
「違うわよ!
なんで生まれるとわかっていて野放しにしたのよ!
暑苦しいじゃない!」
バランはいつの間にか、腕立て伏せをしている。
「自分はパンイチなんで、丁度いいッス!」
いきなりラヴェンナは、巨大なハリセンを持ち出してバランの頭をたたく。
スパーンと小気味よい音がして、バランは錐揉みしながら床を転がった。
ラヴェンナは神格が高いから、神同士の戦いでは強いんだったな……。
「アンタのことは話していない!」
余程痛かったのか、バランは頭を抱えて悶絶している。
「うぉぉっ! 姉御……! もうダメだ……」
バランはバタリと力尽きる。
なぜかチュドーンと爆発音だけが響いた。
これ……。
ラヴェンナが悪乗りして、俺の記憶から影響を与えやがったな……。
しっかし、ラヴェンナのキャラ崩壊も激しいなぁ。
「触れたくなかったんだよ。
それに楽しそうにやっているのを止めるのもあれだろ……」
キアラは茫然自失だったが、ようやく我に返る。
「そ、そういえば……。
普通の恋愛を司る神は、生まれる余地がありますの?」
ラヴェンナは腕組みをして、苦笑する。
「あるわよ。
今は私が兼任しているけど、オマケみたいなものだしね。
特化型は生まれる余地があると思うわ。
ついでに策謀と駆け引きの特性を持つんじゃない?
相手の気持ちを察するあたりが共通点だからね」
キアラは納得顔でうなずいた。
「やっぱりそうなりますわね。
ちなみにラヴェンナは、何を担当しているの?」
ラヴェンナはフンスと胸を張った。
「自分たちで考えて、生き方を決める。
それを後押しする女神よ。
最近は種族を問わずに融和する方面にも、手を出しているわ。
あ……。
言っておくけど、神に関係する話は喋らないでね。
あんまり意識されると、パパみたいに神すら計略に組み込む輩がでてくるから。
それは色々マズいのよ。
パパのは特例でOKだけどね」
突然、バランが起き上がって親指をたてる。
白い歯がキラリと輝く。
「グレイト!」
ラヴェンナが雷撃を放つと、バランは黒焦げになって倒れた。
死んではいないだろう。
そこから世間話をして、意識が途切れる。
目が覚めたときは、キアラは俺にひっついて寝ていたよ……。
俺が問い詰めようとすると、扉が開く。
ミルだった。
俺の隣で寝ているキアラを見て、表情が消える。
ようやくキアラが、目を覚ます。
「お兄さま。
おはようございま……」
ミルはキアラの腕を握って、俺から引き離す。
キアラはミルに気がつくと表情が引き
「お、お
誤解ですわ!」
ミルは振り返ったが無表情だった。
「では別の部屋で、ゆっくりお話ししましょうね。
胸騒ぎがしたから来てみれば……」
そのまま、キアラを別室に連行していった……。
◆◇◆◇◆
政務復帰の初日に、面倒な話が舞い込んできた。
閣議で報告するキアラの顔に、生気がない。
かなり絞られたらしい。
だが内容は重要だ。
アントニス・ミツォタキスから講和の打診。
クリスティアス・リカイオスは自死し、軍隊はフォブス・ペルサキスが掌握した。
ここで手打ちにしたいのが、国王ヘラニコスの意向らしい。
それと魔物の脅威が迫っているので、人類が大同団結をする必要があると。
使徒は死んだと思われることも付け加えられている。
健在なら、使徒に丸投げすれば事足りるからな。
「講和は結構なんですがね。
まず条件を出してほしいと来ましたか」
クレシダを処罰するには、理由が足りない。
そもそも処刑して万事解決とならないだろう。
むしろ処刑すると、余計事態が悪化するようにしているはずだ。
プリュタニスは腕組みをする。
「アルフレードさまが、どこで手打ちにするのか、計りかねているのでしょうかね?」
オリヴァーは静かにうなずいた。
「それはあるでしょう。
ですがもっと切実な問題があるかと。
つまり……時間が惜しいのでしょう。
通常ならある程度有利な条件を出して、着地点を探るでしょう」
魔物の脅威を、切実に感じているのか。
それはなぜだ?
アルカディアならともかく……。
シケリア王国だ。
つまり耳目より早く情報をえたと考える。
噂だけではないな。
そうなると、このアイデアを出すのはひとりだけだ。
クレシダが何を狙っているのか、なんとなく見えてきた。
正直考えたくない。
この手を使われると非常に困る。
だが……俺だったらそうする。
結論は古文書の解読が終わってからでも遅くないだろう。
じきに終わるらしいからな。
それにしても面倒くさい……。
考えていると、腕に感触が。
ミルが腕をつかんでいた。
「アル。
また固まっていたわよ」
思わず頭をかいてしまう。
「すみません。
ちょっと考え込んでしまいました。
講和することに、異存はありません。
ですが落とし所が難しいですね。
他家は褒美が欲しいでしょうし……」
プリュタニスは眉をひそめつつ、頭をかいた。
「人類の大同団結が、足を引っ張りますね。
講和条件をかなり加減しないと、問題になります。
それと気になったのですがね。
教会や冒険者ギルドも巻き込みたいのでしょう」
プリュタニスの成長は著しいな。
アラン王国ともやりとりをしているから、世界的な視野が広がっているのだろう。
シルヴァーナが怪訝な顔をする。
「ちょっと待ってよ。
その冒険者ギルドって、旧来のほうなら問題よ。
新ギルドの梯子を外しちゃうの?」
そこは、当然心配するよな。
「支持する対象を決めた以上、それを動かす気はありませんよ。
コロコロ変えたら、その場を混乱させるだけです。
そこは安心してください」
シルヴァーナは真顔でうなずいた。
「それなら助かるわ。
いきなり梯子を外されるのってホント……ムカツクわよ。
そいつを信じられなくなるしね」
ああ見えてシルヴァーナは、結構理不尽な目にあっているからな。
「そこは私が、なんとかします。
新ギルドの面々に伝えてもらって構いませんよ。
ただ問題なのが教会ですね」
オフェリーがビシっと挙手した。
「アルさま。
叔父さまは、ラヴェンナとの協調路線を選ぶと思います。
心配はいらないですよ」
俺が心配しているのは……そこじゃないのだよ。
「いえ。
ここで教会が助力できるとすれば、使徒騎士団を使うでしょう。
そこにふたつの障害が立ちはだかります」
オフェリーは小さくため息をついた。
「使徒騎士団ですか……。
アルさまにはいい感情を持っていないでしょうね……」
ミルが憮然とした顔をする。
「それはお互いさまよ。
こっちだって使徒に言いたいことは、山ほどあるのよ。
死んだなら安心だわ」
シルヴァーナは、なぜか遠い目をする。
「アルが死にかけたときのミルって大変だったからねぇ~。
相手するのも大変だったわ」
ミルは、目に見えて狼狽した。
「ヴァーナ! なんてこというのよ!」
シルヴァーナはフンと鼻を鳴らした。
「いいじゃない。
どうせアルにも話してないでしょ。
溜め込みすぎなのよ」
ミルは俺に助けを求めるような表情だ。
これ以上は話したくないのだろう。
「ミルの話は、今晩ゆっくり聞きます。
使徒騎士団についてですが、避けようもない問題があるのですよ。
今年の夏は寒くないですか?」
農林大臣のウンベルト・オレンゴは、厳しい顔になる。
「ええ……。
今年の収穫は落ち込むかと思います。
契約の山が大爆発したこと。
これが原因なのでしょうね。
ここにも灰が降ってくるくらいです」
いつになく、ウンベルトの表情が優れないのはそれだな。
「ええ。
つまり教会は自活できない状況に追い込まれます。
使徒騎士団まで動かすなら、兵糧の確保は絶対必要ですからね。
荘園の返却とまでいきませんが、なんらかの援助は必要になります。
だからこそ教会は、断っても参加したがると思いますね。
公開質問状を
商務大臣のパヴラ・レイハ・ヴェドラルが、大きなため息をつく。
「各地の食糧は値上がり傾向です。
当然ラヴェンナは心配はありません。
以前からアルフレードさまが、ジャガイモの栽培を指示されていますから。
ジャガイモの比率が増えますけど……。
噂のイノシシ肉まみれよりはマシかと。
あとはニシンもありますからね。
ただ他所が問題です。
土地なり金がないといけません。
教会が望むのは土地でしょうね。
それで使徒騎士団のために、土地を与えるのですか?」
ようやく生気が戻ったキアラは首をかしげる。
「でも貴族たちが没収した荘園を返すのは難しいですわ。
それこそ内部に、敵を作りますもの」
それは不可能だな。
公開質問状ですら棚上げされているのだ。
「そこは考えていません。
なのでリカイオス卿が、実質的に没収した巡礼地を返しましょう。
今はラヴェンナ軍が占領していますからね」
パヴラは不思議そうな顔をしている。
「今は巡礼も廃れているので、お金にならないと思いますけど……。
その土地をどう活用するのですか?」
潜在的な経済価値は高いと考えている。
聖地巡礼という価値は俺が壊したけどな。
「今のままならね。
そこでこちらの経済圏と連結しましょう。
ランゴバルド王国とシケリア王国をつなぐ、大規模な経済圏にします。
それなら意味はあるでしょう。
それと今までは観光地でしたが、巡礼街道でも開墾を進めるべきかと思います。
食糧の産出地にすればよいかと。
必要なら技術的援助をしてもいいでしょうね」
パヴラは納得顔でうなずいた。
「それならあまり揉めずに済みそうですね。
ただ当座をしのぐのに難儀すると思いますが」
開墾で問題は早期解決しない。
だが早ければ早いほどいいだろう。
「そこは仕方ありません。
援助もセットですね。
ともかく講和の条件を考えましょう。
3日後にもう一度、閣議を開きます。
皆さんも条件を考えてきてください」
ラヴェンナだけなら、冷夏に対応できるが……。
他がなぁ。
そんなときに、大同団結なんてハードルが高すぎる。
作物だけでなく俺にとっても冷たい夏だ。
いつもは夏でも暑すぎる、と文句を言っているが……。
夏は暑いのがいいよ。
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