741話 閑話 死んだふりをした怪物
チャールズ・ロッシは通話機で、リカイオス陣営の主要港を占拠したと報告を受けた。
陸での睨み合いは続いている。
チャールズはこの戦いも、最終局面に入ったようだと考えた。
こんなとき、主君アルフレードは最良の相談相手なのだが……。
相談するにしても、もう少し情報が欲しい。
そう思案していると、陣幕にいきなり誰かが入ってきた。
こんなことをするのは、ひとりしかいない。
「ロンデックス殿。
もう酒が切れたのか?」
輸送がほぼなくなったことで、ゲリラ作戦は終了となった。
そのままラヴェンナに戻っても、文句は言われないが……。
スッキリしないという理由で、こちらに合流していた。
ヤンは大笑いして、頭をボリボリかいた。
「昨日もらったばかりだろ。
敵を眺めていたら、ちょっと気になることがあったんだ」
チャールズの目が鋭くなった。
「ほう?」
ヤンは耳の穴をほじりながら、首を傾げている。
「配置がわずかにかわっている。
理由かわからないけど……。
ペの兄ちゃんのいるところだ。
それで一応、ロッシさんに伝えようかなってな」
とくに報告はなかった。
ヤンだからこそ見抜けた、わずかな違いなのだろう。
チャールズは腕組みをして、アゴに手を当てる。
「それは有り難い。
どうかわったかわかるか?
こちらを誘っている罠の可能性もあるだろう」
ヤンは耳に突っ込んでいた小指を引っこ抜く。
「それはないな。
誘うなら大袈裟にやらないとダメだ。
気がついたのが俺っちくらいだからな」
ヤンの意見は、理に適っている。
チャールズは思案顔になった。
「つまりなにか、状況の変化があるのか……。
攻撃を仕掛ける前段階なのかだな」
「そうそう。
かわったのは攻撃のためじゃないと思うぜ」
チャールズの目が、再び鋭くなる。
「その根拠は?」
「ん~。
俺っちの勘だけどな。
数が減ったのを誤魔化している。
そんな感じかなぁ」
チャールズはアルフレードの言葉を思い出して苦笑した。
「ロンデックス殿の勘は根拠に値すると、ご主君が言っていたな。
あっちで異変があったのだろう」
ヤンは照れ笑いをしながら、頭をかく。
「そいつは嬉しいねぇ。
ただ油断したら、こっちに攻撃を仕掛けてくるだろうな。
まだ戦えることを示すために、攻撃を仕掛けるのはあり得るだろ?」
「こちらは深追いしないからこそ、士気を高めるための攻撃か。
講和を優位に進めるための手段かもしれないな」
ヤンは笑いながらうなずいた。
「そのあたりの、難しい話ってさぁ。
俺っちは馬鹿だから……わからねぇけどな。
ただ、気を抜いていると危険だぜ。
今のところ、心配はないけどな」
ヤンが退出したあと、チャールズは笑いだしてしまった。
酒瓶が1本なくなっていたことに気がついたからだ。
値段はそこまで張らないが、とても美味い。
チャールズお気に入りの逸品だ。
接待用の一番高い酒はちゃんと残っている。
「やっぱり足りなかったのか。
それにしても鼻が利きすぎだろうに。
この酒代は高くつくぞ」
◆◇◆◇◆
その後予期したとおり、敵の攻撃があった。
今までと違って、士気が高い。
そして動きに統一がとれている。
チャールズはすぐに事態を把握した。
フォブス・ペルサキスが総指揮をとったに違いない。
多くの兵士たちは、今までの局地的勝利で内心油断していた。
ラヴェンナ兵士は油断などしていないが、他家の騎士や兵士は違う。
気をどれだけ引き締めても、どこかで安心してしまうのだ。
ラヴェンナ兵士が油断しなかったのは理由がある。
ラヴェンナでは任務を全うできないとき、理由を聞かれる。
他家なら形式上聞いただけで、処分は既に決定済み。
だがラヴェンナは違う。
上司の指示内容や環境整備なども問われる。
だからこそ、ラヴェンナ軍は上下共に口うるさい。
他家から煙たがられることは、彼らも知っている。それでも口うるさいのは……。
主君のアルフレードが怖いのだ。
政務官のひとりが怠慢な仕事で失敗したとき、アルフレードと個別に話し合った。
でてきた政務官は泣いていたのだ。
大の男が……である。
そのあと必死になって失敗を取り戻す。
それをアルフレードから直接褒められて褒美をもらえた。
周囲は『一度怒られてから挽回すれば得だな』と冗談を言ったが……。
その政務官は引き
「悪いことは言わない。
絶対に止めておけ。
死にたくなるから」
アルフレードの追求は、裁判など生易しい、と思えるほどに徹底していたようだ。
自分の怠慢だと言えば、普通は処分だけで終わる。
だが……何故怠慢となったのか。
それを徹底的に追求されるのだ。
つまり怠慢の根本的原因まで明かさないと、追求が止まらない。
そこで上司に過失あり、と見なされることもある。
そのときは、自分がいかにダメな人間なのかを徹底的に思い知らされた。
当然ながら、落ち込んでしまったのだ。
それでも挽回のチャンスはもらえた。
挽回出来ても、あんな思いは二度としたくない。
これが偽らざる心境であった。
つまりアルフレードは、言い訳が出来ない失敗に対して、別人のように冷厳なのだ。
ミルヴァたちが見かねて苦言を呈するも、アルフレードの態度はかわらない。
「社会的に尊敬される立場にあって、報酬もいいのです。
怠慢など許されないでしょう?
行政の怠慢は多くの人を不幸にします。
不幸にしてからでは遅い、と思いませんか?」
噂はあっという間に広まる。
かくしてラヴェンナの政治に携わる者たちは、アルフレードに恐怖したのであった。
ただ厳しいだけでなく、生活の向上や労働時間を短くする配慮なども怠っていない。
待遇は他家とは比較にならないほど上質。
言い訳できない失敗をしないかぎり、とても優しい主君なのだ。
だからと失敗を隠蔽したときは、厳罰が待っていた。
情報の隠蔽は、ラヴェンナで悪意ある失敗と見なされる。
一発解雇、最悪は牢屋行き。
状況次第では処刑すらあり得るだろう。
だが懸命にやった上での失敗には寛容。
失敗しても、本人にその気があれば挽回のチャンスもくれる。
心が折れたなら、別の就職先まで世話してくれるのだ。
シルヴァーナはそれを聞いて暢気に笑っていた。
「とろける飴に、トゲつきの鞭ね。
やっぱアルって怖いわぁ~」
これは政治の話。
アルフレードは、軍関係の人事には口を出さない。
だがチャールズがアルフレードの基準に倣うことは当然。
ラヴェンナ兵が守る一角は反応がよかった。
だが他家の兵士や騎士は違う。
今までの経験で、どうせすぐに引き返すと思い込んでいたからだ。
すぐに気持ちを切り替える。
それでも押されていることは間違いない。
チャールズは打開策を探るが、敵に隙が見えない。
内心歯がみしていると、突如事態が急変する。
いつのまにかヤンの部隊が移動していた。
敵の退路を断つ動きだ。
敵はすぐに引き上げた。
何時の間に移動したのかわからないほど、巧妙な動きだ。
早さではない。
自然に移動しすぎて、誰も注意が向かなかったというのが正しい。
チャールズは内心冷や汗ものだった。
ヤンの働きがなくても、負けはしない。
被害はもっと増えていたろうが……。
ヤンのお陰で、被害を最小限に食い留めることが出来た。
チャールズは撤退する敵を見て、ニヤリと笑う。
これが酒瓶1本の代金なら安いものだ。
むしろお釣りが来るだろう。
かくしてヤンの陣営にチャールズから差し入れが届く。
酒樽と大量のつまみであった。
◆◇◆◇◆
チャールズとヤンの会話のあった数日前。
やることがないフォブス・ペルサキスは、水筒に入った酒を飲んでいた。
テント内は酒臭い。
そこにゼウクシス・ガヴラスが尋ねてくる。
「ゼウクシス、どうした?
今は夜だ。
酒くらい飲んでもいいだろ」
「ペルサキスさま。
危険な事態に陥りました」
フォブスは、思わずため息をつく。
「その顔を見ると、
「リカイオス卿が、ペルサキスさまに謀反の疑いをかけています。
捕縛を画策している、との情報が入りました」
フォブスは、気だるげに首をふった。
謀反するならとっくの昔にやっている。
自分の予想を超えたクリスティアスの猜疑心。
これにウンザリしてしまったのだ。
「それって本当なのか?」
ゼウクシスは真顔のままうなずく。
「リカイオス卿の近辺からの情報提供です。
少なくとも粛正するための罠としては、危険すぎる情報かと。
ペルサキスさまが本気で動けば、罠ごと食い破れるでしょう。
なので情報は本物と考えました。
この動きを考えると、海戦で敗れたのではないかと思われます」
フォブスはため息交じりに、頭をふった。
「なんで疑うんだか……」
「簡単な話かと。
ここまで状況が悪くなったのです。
リカイオス卿よりペルサキスさまを、頼りにする人たちが現れるでしょう。
追い落とされると思うのも当然ではありませんか?」
フォブスはゼウクシスの言いたいことはわかっている。
それでもささやかな抵抗を試みる。
「それで私に、どうしろと?」
「状況に流されるのも限界です。
リカイオス卿を打倒して、ペルサキスさまが実権を握るべきでしょう」
抵抗はムダに終わった。
フォブスは大きなため息をつく。
「私に裏切れというのか」
ゼウクシスはため息をついて、首をふる。
わかっていたが、普段のペルサキスは優柔不断なのだ。
とくに裏切りなどを嫌う。
それが、人気や人望につながっているのだが……。
こんなときには、マイナス要素でしかない。
戦争に強いが、処世術は下手なのだ。
「裏切りではないでしょう。
むしろ裏切ったのはリカイオス卿です」
フォブスはゼウクシスと目を合わせようとしない。
「それは方便だろうに……」
「方便でもなんでもありません。
やらなければやられるだけです。
ペルサキスさまがやらないと、シケリア王国は悲惨なことになりますよ」
フォブスはこれまでかと悟る。
ようやくゼウクシスと目を合わせた。
「ゼウクシスの言いたいことはわかった。
少し考えさせてくれ」
ゼウクシスは即座に首をふる。
「ダメです。
もはや猶予はありません。
選択肢があるなら考えるべきです。
ですが……もはや考える余地はありません。
考えてどうするのですか?
ただの先延ばしです。
この先延ばしは、危険が増すばかりですよ」
フォブスはゼウクシスに押されっぱなしである。
「それはわかるが……」
「ペルサキスさまが、私の進言を却下されるなら……。
私はさっさとラヴェンナに亡命します。
危機が迫っているのに、徒に迷って……首を切られるのはゴメンですから。
犬死にするくらいなら、魔王の下で働きますよ」
ゼウクシスの目は笑っていない。
これで、勝負が決まったのである。
「それは困る……」
ゼウクシスはフォブスが、決意をしたと悟る。
「私に一部の手勢をお貸しください。
私がリカイオス卿を捕縛します。
ペルサキスさまは全軍を掌握していただければと。
兵士たちからも懇願されているでしょう」
兵士たちから内々に、総指揮をとってくれと懇願されているのは事実であった。
謀反を決意せざる得ない。
ただフォブスに、ひとつだけ飲み下せない部分がある。
「どうしてもやらないとダメか……」
「戦場と女性関係では、翼が生えたかのように軽やかなのに……。
それ以外では鈍牛のようですね」
フォブスが頭をふる。
「いや……。
ゼウクシスがオッサンを捕らえたら、悪評を被るだろう。
それなら私がやる。
ゼウクシスに汚れ仕事を任せて、私だけ奇麗なままでいるわけにはいかないだろう」
ゼウクシスは、思わず苦笑してしまった。
フォブスは人に女性問題の後始末をさせても、気にしない。
だが……汚れ仕事を人に押しつけたがらないのだ。
このあたりも、人望がある証左であった。
「敵が目の前にいるのですよ。
ペルサキスさまがいなくなれば、軍隊の掌握は誰がするのですか?
軍から離れたら終わりですよ。
それに今後の講和を優位に進めるために、攻撃を仕掛けてもらう必要があります。
ただの役割分担ですよ」
フォブスは深いため息をつく。
「わかった。
やらざる得ないか……。
こんなこと……したくなかったんだがなぁ」
フォブスはボヤいたが、すぐに動きだす。
兵士たちからは待望論が高く、翌日には軍隊を完全に掌握していた。
◆◇◆◇◆
ゼウクシスは騎兵500騎を率いて、クリスティアスの元に急ぐ。
内通者からの情報で、今のところクリスティアスの周囲は、屋敷の護衛程度しかいない。
カイローネイアに到着したのは、2日後の夜だった。
そのまま、クリスティアスの屋敷を包囲する。
ゼウクシスは捕縛と言ったが、そんなつもりはない。
自死へと追い込むつもりだった。
生かしておくと、絶対にフォブスは軟禁程度で済ませるからだ。
ここ最近の動きは急激に思える。
出来過ぎている気がするのだ。
誰かが裏で糸を引いているとしても、意図が読めずにいた。
それでも敢えて乗ったのは、クリスティアスの自滅に巻き込まれないためだ。
黒幕がいて、どのような意図があろうと……やって損はない。
さしたる困難もなく、屋敷を包囲できた。
クリスティアスが、周囲から見限られているのは明白だ。
屋敷の警備兵すら、こちらに協力した。
兵士がドアを叩く。
老執事がでてきて驚いた顔になった。
ゼウクシスは執事の前に進み出る。
「多くを語る必要はないでしょう。
リカイオス卿に着替えてもらってください。
寝間着のまま連行しては、名誉に傷がつきますからね。
30分だけ待ちます」
老執事は、顔面
だが抗議など無意味と悟った。
この老執事とて、内乱を生き抜いてきたのだ。
「か……畏まりました」
下がろうとする執事を、ゼウクシスが静止する。
「それと……。
秘密の地下道から逃げようなど……。
リカイオス卿にとって相応しくない行為に及ばれませんように」
老執事が青い顔になって、奥に入っていった。
これは、ゼウクシスのハッタリだ。
一部の隠し通路は知っている。
そこも監視させているが、すべてを知らない。
だが……これで確実に諦めるだろう。
なにより周囲から見限られた、と理解しているだろう。
猜疑心は強いが、何が何でも生き残るという意志にはかける。
20分後。
老執事が目に涙を浮かべつつ戻ってきた。
「リカイオス卿はご自裁されました」
恐らく毒杯を
この老執事は、クリスティアスが幼い頃から仕えてきたのだ。
猜疑心の虜となったクリスティアスにすら疑われないほどだった。
この老執事は、あとにクリスティアスと同じ毒を
律義に屋敷の処理をすべて追えてからだ。
老執事の実直な人柄が窺える。
誰も知らない、小さな一幕であった。
ゼウクシスはクリスティアスの遺体を確認してから、フォブスに成功報告の使者を送る。
そして側近の捕縛の指示を出す。
あとは国王に、事後承諾を得る必要がある。
身分差などがあり、ゼウクシスでは王宮に入れない。
思案していると、兵士のひとりが、小走りでゼウクシスの元にやって来る。
「ガヴラス卿。
ミツォタキス卿がお越しです。
今後のことでお会いしたいとのことですが……」
ゼウクシスは内心驚くが、どこかで納得もした。
この手引きをしたのはアントニス・ミツォタキスだったのか。軟禁状態でどんな手を使ったのか謎だが……。
タイミングよく現れたことからも明白だ。
「ここにお通ししてくれ」
兵士はシーツで覆われたクリスティアスの遺体を見て戸惑う。
「ここにですか?」
「ここにだ」
ゼウクシスから冷たい目で睨まれた兵士は、慌てて退出した。
遺体を見て、勝利を確認しないと納得しないだろう。
そのために、わざわざここに来たのだから。
すぐにアントニスが、兵士に伴われてやってくる。
「急に押しかけて済まないね。
だが今後のことを考えれば、早いほうがいいだろう」
ゼウクシスは一礼するが、内心は複雑だった。
主導権を奪われては
それこそ謀反の罪を、フォブスが問われる可能性すらある。
川を渡りはじめたなら、向こう岸につくまで足を止めてはいけない。
まだ川の真ん中にいるのだ。
シルヴァーナとの婚約は生きているが、それとて保証のかぎりではない。
そしてもうひとつの思いが、胸をよぎる。
貴人の死んだふりを見過ごしてはいけない。
その思いは、隠したまま一礼する。
「ミツォタキス卿のご配慮に感謝致します」
そしてシーツをめくり、クリスティアスの死に顔を見せた。
アントニスはクリスティアスの死に顔を確認してうなずく。
ゼウクシスは再び、シーツでクリスティアスの死に顔を隠した。
アントニスは一切表情をかえない。
「こうなったのは残念だよ。
さて……。
ここで今後の話をするのは、
場所をかえないかね?
よい場所がある」
ゼウクシスの目が、少し鋭くなった。
「ならば別室でお話ししましょう。
ここを離れるわけにはいきませんので」
ノコノコと相手の領域に入って会談などしては、主導権を握られてしまう。
それでは大事を決断した意味がないのだ。
アントニスはわずかに、目を細めた。
「それなら仕方ないね。
では知人を呼びたいので、人を借りていいかな?
今回の話に、絶対必要な人でね」
こう切り出されては、ゼウクシスも断れない。
「承知致しました」
ゼウクシスは、これからアントニスとやりあうと考え……。
気が重くなった。
そして痛感する。
伝統と歴史ある名門貴族の圧とはこれほどまでか……と。
クリスティアスが冷や飯を食わせたのも、この危険性を感じ取ったからなのだろう。
そして……。
こんな怪物と会話するのが楽しい、と笑ったアルフレードは……。
やっぱり魔王だと思った。
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