740話 閑話 人生最後の精算
アルカディアの首都プルージュに、魔物の大軍が襲いかかってきた。
まったく予測しない事態である。
慌てて城門を閉めたので、事なきをえたが……。
魔物の大軍は、まるで軍隊のようにプルージュを完全包囲してきた。
魔物による兵糧攻めなど前代未聞である。
指揮官がいるらしく、漆黒の鎧を身に纏った騎士のようだ。
人なのかすらわからない。
なにかラッパを吹いて、魔物を制御下に置いているようだ。
だが対処は出来ない。
時折飛行系のモンスターが、上空から襲ってくる。
それだけではない。
腐肉などを井戸に落として帰っていく。
民衆は対処を求めて、王宮に殺到した。
トマ・クララックは門前払いどころか、城門を閉ざしている。
そしてトマは逃げられないことを悟った。
人の善意や理性を利用して成り上がってきたのだ。
本人は利用したと思っておらず、自分の優れた才能だと思っているが……。
そんなトマだからこそ見えるのだ。
むき出しの力には、自分の才幹は通用しない。
本能的に、それを理解していた。
普通の人間は、むき出しの力を飾りもせずに使わない。
良心や常識……世間体などを考えて踏み止まる。
それが普通なのだ。
上流階級に限れば、その認識は正しい。
トマにとって上流階級の人間以外は、家畜程度の認識なのだ。
そんな上品な人たちの常識を、心の底から信じている。
見極めた上で利用してきたからこそ、今の地位に成り上がれたのだ。
だからこそアルフレードを嫌悪していた。
話が通じないと判断するや、遠慮
まさにむき出しの力だ。
他国の王族を
常識があれば、内々にロマンの顔を立てつつ退去を願うだろう。
あまつさえ謝罪の誓約書まで書かせた。
常識知らずにも程があるだろう。
それでも自分が生き残るためなら、アルフレードの靴の底だってなめる。
そうすれば再起の機会は巡ってくる。
ところが魔物には、そんな技術は通用しない。
成功を積み上げてきた自分も終わりかと、絶望に打ちひしがれた。
それならばやりたいことをやる。
そう決意したのだ。
自分が権力を握ったのは、欲望を満足させるためだ。
それをせずに死んでいくのは負け犬だと思っている。
自分は常識を利用する。
常識の奴隷ではない。
それがトマの哲学である。
◆◇◆◇◆
プルージュ王宮の一室。
トマが鼻息を荒くしていた。
夏なのに、部屋の暖炉に火がついている。
そして火かき棒が、暖炉に突っ込まれていた。
同じ部屋には、体調の優れないカールラ・アクイタニアがいる。
トマは性的な目で、カールラをジロジロ見ていた。
舌なめずりまでセット。
「民衆の怒りは凄まじい。
この状況でお前を門外に放りだしたら、さぞ楽しいだろう。
今や使徒を惑わせた悪女だからな」
トマは醜悪な笑みを浮かべて、火かき棒をカールラに向けた。
十分に熱せられており、脅すためだと簡単に理解できる。
トマが接してきた女性は、こうやって脅せばなんでもいうことを聞いてきた。
暴力と恐怖、権力と金に女は媚びを売る。
これがトマの常識であった。
予想に反して、カールラは鼻で笑う。
「ならやってみれば?
そんなことをしても、事態の解決にならないわ。
数時間の延命措置でしかないわね」
トマは顔を真っ赤にして、カールラを拳で殴りつける。
カールラは力なく、床に倒れ込んだ。
「お前は自分の立場をわかっていないようだ。
もう使徒はいない。
お前に媚び
それとどんな声が聞こえても中には入るな、と命令している。
助けなんてこないぞ」
カールラは唾を床に吐く。
唾は殴られたときに口の中が切れたらしく、赤色が混じっていた。
「ユウがいてもいなくても関係ない。
お前のような人間未満に媚びる必要なんてないのよ」
カールラはトマを睨むが、その体はかすかに震えている。
直接的な暴力を受けたのははじめてだった。
だからこそ仕方ないことなのだが……。
トマは勝手に、虚勢と判断した。
殴ったことで性的興奮を感じている。
その興奮に押し流され、カールラの心が折れていない、ど感じる余裕はなかった。
あとひと押しで落ちる、と勝利の確信に囚われている。
トマは服を脱ぎはじめた。
勃起しており、カールラは精神的な嫌悪感から顔を背けた。
「行動次第ではお前を助けてやる。
トマはなぁ……。
高慢な女を屈服させるのが大好きなんだよ。
まず屈服の証しとして……これをしゃぶれ」
トマは自分のイチモツを指さした。
◆◇◆◇◆
王宮の警備兵は『どんな声がしても入るな』と厳命されていた。
なので叫び声がしても入ろうとしない。
男の声であったとしてもだ。
だが肉の焦げたような匂いまでした。
2人の警備兵は、互いの顔を見てうなずく。
警備兵たちが駆け込むと、異様な光景が目に飛び込んできた。
トマが床に倒れており、陰部に火かき棒を押しつけられている。
カールラは警備兵が入ってきて振り返ったが、口元は血だらけ。
一切の表情が死んだような顔をしている。
肉の焦げる嫌な匂いが、部屋に満ちていた。
トマは警備兵が入ってきたのを見て、なにか叫ぼうとする。
すかさずカールラが火かき棒を強く押しつけた。
トマは再び悶絶し、声にならない絶叫が響き渡った。
警備兵たちはあまりの事態に硬直するが……。
ひとりが我に返って、カールラの肩に手を置いた。
「お、お止めください!」
カールラは振り向きもせず、火かき棒を強く押しつける。
「止めるわけないでしょ。
これは消毒よ。
汚いものをかみ切ったからね。
傷口は消毒してあげないと」
カールラは唾を床に吐く。
それには肉片と血が混じっていた。
この一言で、なにが起こったか警備兵たちは理解する。
思わず腰砕けになった。
「か……かみ切ったのですか!
それでは切ったものはどこに?」
カールラは肩を震るわせて笑いだした。
その狂気じみた笑いに、警備兵は手を離してしまう。
「決まっているでしょ。
暖炉の中よ。
汚いゴミは燃やさないとね」
警備兵たちは再び固まってしまった。
カールラは、笑いながら火かき棒を暖炉に突っ込む。
トマは痛みに震えながらも、ようやく声を絞り出す。
「こ、殺せ! この女を殺せ!」
整備兵たちは身動きできない。
使徒のハーレムメンバーに手をかけるなど、想像もつかないからだ。
カールラは火かき棒を手にして、トマに近づく。
手で焼けただれた股間を守ろうとするのが精一杯だ。
カールラは寸分違わず、だらしなく開いたトマの口に火かき棒を突っ込む。
「五月蠅いわね」
カールラは火かき棒を押し込み続けながら、警備兵を振り返る。
「この
私に、汚いものをしゃぶらせようとしたのよ。
当然の罰だと思わない?」
男のイチモツなど、そう簡単にかみ切れるものではない。
カールラは大好きだった使用人の死を切っ掛けに、様々な護身術を習得していた。
それには男のイチモツをかみ切ることも含まれている。
カールラは再び笑いだす。
トマに対して使うことになる、と思っていなかったのだ。
ひとしきり笑い終えて、警備兵たちにほほ笑みかける。
「ところで……。
私を殺しても、
知っているでしょ。
こいつは自分だけが大事で、人を簡単に殺すわ。
それならこの
そのほうが生きる確率は高いと思うわ」
警備兵たちはカールラの言葉に、ハッとする。
トマを守れなかった、と責められることは明白。
その結果、殺されるだろう。
ただ死ぬならマシだ。
残忍な拷問が待っていることは、火を見るより明らかなのだから。
それでも警備兵たちは逡巡する。
カールラは真顔に戻って、火かき棒を暖炉に突っ込む。
「責任は私がとるわ。
あなたたちは自分の身を守るために必要なことをする。
それだけよ。
あとトマが放置していたあの件。
押し寄せる民衆への対処は、私が考えるわ」
その言葉で、警備兵たちは決断する。
剣を抜き、痛みに苦しむトマに迫っていく。
トマは恐怖と苦痛に、顔を歪めるが……肝心の声がでない。
幸か不幸か、失禁すら出来ない体となっている。
警備兵たちは最初事務的に、剣を振り下ろす。
すぐに今までの恨みからか、何度も剣を振り続けた。
カールラはそれを、無感動に眺め続ける。
警備兵たちが落ち着いたところで振り返ると……。
カールラは、疲れた顔で椅子にもたれかかっていた。
「まず、この
あとは声明文を出さないとね。
書記官を呼んできてくれるかしら?
あとは
◆◇◆◇◆
プルージュの王城前に群衆が押し寄せている。
突然『下がれ』と誰かが叫ぶ。
反射的に人々は
直後なにかが城壁から放り投げられた。
人々が投げ捨てられたものを見ると、無残にも切り刻まれたトマの遺体だった。
そこに布告官が城壁に現れて、紙をばら撒く。
そして静聴せよとのポーズをとった。
周囲は水を打ったようになる。
「この死体は、トマ・クララックのものだ。
罪状は使徒さまの殺害。
妻であるカールラさまを襲おうとした。
さらには人民を惑わし、偽ってきた大罪人である」
使徒の死亡と聞かされたとき、民衆から泣き叫ぶ声が響き渡る。
それは10分程度の長さだ。
だが……その場にいた者たちには、永遠とも思える長さであった。
民衆が落ち着きはじめたとき、再び布告官の声が響き渡る。
「今後、アルカディアの舵取りはカールラさまが行う。
また民衆の間から、影響力のあるもの5名を選ぶように。
明後日、彼らを城内に招く。
カールラさまがお会いになって、今後の対応をお話しされるだろう」
この代表5名が問題だった。
グループのリーダーらしき人物はいるが、それだけでも20以上。
そしてこの代表を送り込めないと、死活問題と考える。
かくして血みどろの争いへと発展した。
魔物に包囲されている最中の喜劇である。
この喜劇による副産物が生まれた。
グループの統合へとつながり、ある程度の秩序回復につながったのだ。
不安だったのは民衆だけではない。
アルカディア首脳陣は、急にトマが死んでしまったので不安だった。
トマに重用される程度の人材だ。
右を見ても、左を見ても指示待ち人間ばかり。
それでも指示を過不足なくこなすなら、問題なく優秀だろう。
そのような人物はひとりとしていない。
トマにとって、そのような人材は邪魔だった。
優秀なのは、自分の意志を持っていることだ。
そんな部下に自分の過ちを指摘されるのは、トマのプライドが許さない。
トマがロマンの腰巾着だったじきに、その事態が発生した。
表向きは度量ある上司として振る舞ったが……。
すぐに裏で陰湿な嫌がらせをして、ミスを起こさせる。
体よく左遷した過去もあった。
それ以降、トマは人事には慎重を期した。
なにも出来ないのでは困る。
ある程度、仕事は出来るが優秀ではない。
ミスも多いが、致命的な失敗をしない人物。
そんな人材だけが出世できた。
ミスしやすい環境を放置して、恩着せがましく尻拭いをする。
それが己を能吏と評価しているトマの実態であった。
彼らはトマに依存するよう調教されている。
飼い主がいなくなって戸惑っていた。
カールラがトマの代わりに舵取りをすると宣言したものの……。
手足の質がまったく伴わない。
それでもやれることが限られているぶん、なんとかなりそうなのは皮肉であった。
ひとりだけ不安な様子を見せないのはカールラだけ。
だが内心は虚無感に満たされている。
やったのはトマの掃除だけ。
このまま包囲が続けば、結果は明白。
全員飢え死にする未来しか見えていない。
そして自分の人生も、残り僅かだと悟っていた。
誰かに殺されての終わりだ。
今回舵取りをするのは延命が理由ではなかった。
人生最後の精算だけは、自分の手でやりたいという思いだけである。
つまりは救援がくるまで、可能な限り持ちこたえて、ひとりでも多く生かす。
自分の
ムダな茶番に他人を付き合わせる気にはなれなかった。
アルフレードが聞いたら、どんなことをいうか。
容易に想像が出来た。
「個人の
反論など出来ようもない。
ただこうなったら……どうすべきか考えただけなのだ。
なにもしないよりはマシ。
それだけだった。
◆◇◆◇◆
戦線が
リカイオス陣営にアルフレードが倒れたという情報が漏れてくる。
それを好機と周囲は勇み立つ。
だがクリスティアスは慎重だった。
敵から漏れてきたことが問題なのだ。
ところが周囲に突き上げられて、攻撃の決断をせざるえなかった。
今までは優位だった経験しかない。
劣勢の中を耐えることに慣れていないのだ。
そのせいなのか……。
不思議なほど、周囲が好戦的なのだ。
疑問に思ったが、それを止める力はない。
陸での戦いは、あくまで
さらにはペルサキスに、主導権を与えていない。
全軍を統括させると、自分に背かれるのでは、と恐れていたことが大きかった。
狙いは海戦に絞られる。
海戦で勝利して陸軍を温存すれば、有利な条件で講和に持ち込めると考えたのだ。
それでも問題があった。
クリスティアス側の主要港は、ラヴェンナ海軍によって監視されている。
封鎖はされていないが、ほぼ制海権をとられている状態。
それでも秘策があった。
時機を見計らって、海戦を仕掛けたのはリカイオス海軍。
隊列を組むも、艦隊の連携不足は否めない。
元海賊の寄せ集めなのだ。
十分な訓練をする時間もなかった。
連携は不十分なまま、各個撃破されかかる。
すぐに港に逃げ帰った。
それでも再出撃の構えは崩さない。
ここまでは予想通り。
ラヴェンナ海軍は突入を試みたが、すぐに諦めた。
港の守りは、極めて硬い。
力攻めを避けたようだ。
ラヴェンナ海軍は海上封鎖に移る。
昼夜問わずの封鎖だが、リカイオス軍にとって予想通りであった。
そして数日後、待ち望んだ好機がやってきた。
これは土地勘のある船乗りたちの言葉に従ったのだ。
夏に嵐が数回やってくる。
それも夜間に限ってだ。
最初の嵐はそれなりの激しさとなる。
海上封鎖をさせると見せかけて、嵐に片付けさせるアイデアであった。
嵐の夜が明けたあとは快晴。
リカイオス海軍の面々が、意気揚々と海を見ると……。
信じられない光景が広がっていた。
壊滅どころか、ラヴェンナ海軍は健在だったのだ。
海軍を預かるタルクウィニオ・テレジオは、この嵐を知っている。
浪人時代に、シケリア王国で船乗りとして働いた経験があったからだ。
このような事態を想定した猛訓練であった。
あの訓練のあと、非難の声が軍内部からあがる。
足の引っ張り合いをする組織なら、容易に失脚していたろう。
そうはならない。
アルフレードとチャールズが、盾になってくれた。
最初からこれを想定しての訓練と言えば、非難もでなかったろう。
だが意図が漏れては、敵が仕掛けてこない。
極秘の訓練で内容は伏せられていたが、厳しさだけは噂として漏れていた。
伏せたことには、もうひとつの意図が隠されている。
タルクウィニオがアルフレードから学んだことだ。
これを目標にした訓練と言えば、全員がそれを前提で物事を考える。
それこそ犠牲者がでたからこそ、前のめりになりかねない。
敵が嵐を期待してくれればいいが……。
そうならなかったとき、士気を取り戻すのに苦慮するだろう。
その隙をつかれては、無用な損害が増すばかりだ。
そこでタルクウィニオは主君の器量に賭けた。
その賭けがここで報われたのである。
旗艦で静かに高揚するタルクウィニオと裏腹に、リカイオス海軍の動揺は激しかった。
1隻が抜けた程度で、それも沈没ではない。
おそらく損傷が激しく、修理のために帰港したように見える。
仮に沈没したなら、朝になって捜索隊がでているはずなのだ。
とくにラヴェンナ軍では、人員を消耗品扱いしないのは有名。
そこから導き出された結論であった。
それでも嵐を過ごしたあとで、船員の消耗は激しいだろう。
突撃すれば、勝敗はわからない。
そう考えた将軍は、出撃を命じる。
だが船乗りたちの意見は違った。
船乗りは、なぜかロマンチストが多いのだ。
ひとつは海の男として、嵐を乗り超えた敵への敬意。
もうひとつの最も大きな要因。
彼らは元海賊で、クリスティアスへの忠誠は低い。
命をかけて、勝利をもぎ取る意志はないのだ。
それに彼らのロマンは自分の船に向けられる。
この軍船は借り物で自分たちの船ではない。
この状態に戦意喪失して逃げてしまった。
かくしてリカイオス軍は、勝負にならないと撤退する。
ラヴェンナ海軍によって、主要港を占拠される事態へと陥ったのだった。
これは大きな衝撃となって、クリスティアスを襲ったのである。
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