739話 閑話 異変と崩壊

 使徒の死後、全世界で異変が発生した。


 まず使徒米を食べていたものに、それは訪れる。

 体調を崩すか、死に至る者が多数現れた。

 だが……アルカディアで死は隣人より近い関係だ。

 噂にはならない。


 それより生きている者にとって、大変な変化が訪れた。

 使徒貨幣が石や泥に変わってしまったのだ。


 使徒貨幣に対する不安から、大きな商会や貴族たちは、使徒貨幣を避けていた。

 それでも使わないのはムリだった。

 そんな彼らでも、2~3割の貨幣が無価値となる。


 しわ寄せは、より弱い者に向かう。

 7~8割の貨幣が無価値となった者まで現れる。

 当然、世界中が大混乱に陥る。

 

 ランゴバルド王国は、比較的にも混乱は少ない。

 ニコデモ王がアルフレードからの忠告を受け入れて、対策をしていたからだ。

 それでも予想外に早く発生したので、対策が完璧とは言えない。

 他国に比べれば、遙かにマシと言えるが。


 もっとも被害が多かったのはアルカディア。

 生活困窮者が続出する。


 腹が減っては議論もできない。

 民主主義を声高に唱えていた若者たちも、パニックに陥る。

 どんなに立派な理想を唱えても……。

 人は餓えに直面すると獣に戻るのだ。


 行政も大ダメージを受けて、対応できない。

 役人だって人なのだ。

 ただでさえアルカディアでの役人は、罵声を浴びることが多い。

 義務感や生活を考えて仕事をしていても……。

 給料がなければどうにもならない。


 ラヴェンナとの対決姿勢に、前のめりになった冒険者ギルド本部も直撃を受ける。

 もう対決どころではなくなっていた。

 だが冒険者ギルドが白旗を揚げようとも、ラヴェンナは意に介さない。

 

 これらの不平不満や窮状を訴える声が湧き上がった。

 貨幣が突然価値を持たなくなると、社会は成り立たない。

 使徒に対処を求める声が、王宮に殺到する。

 だが使徒は静養中の一点張りで、門前払いだ。


 もはや暴動寸前である。

 本来なら、教会が責任を問われるはずだった。

 使徒を任命したのは教会なのだ。

 皮肉なことに弱体化していること。

 これが身を守る盾となる。

 貴族に荘園を没収されても座視するばかりだ。

 補償を求めようにも、金がないことは明白。


 責任を問おうとしても、前々教皇は使徒によって退位させられた。

 直接恩恵を得た前教皇は崩御。

 現教皇はロマンで、既に故人。

 それなら前々教皇を責めるところだが……。

 ラヴェンナとの繋がり、開祖サムエルの像の設置を主導した。

 これが奇跡へと繋がったので、責めるものはいない。


 使徒によって被害を被った人。

 それでも教会に尽くしている。

 つまりは聖人扱いなのだ。


 使徒任命の責任を問われずに済んだ教会は、別件で動揺している。

 聖地が消滅した噂だ。

 確認しようにも、人を派遣できない。

 半魔の脅威が現実である以上、契約の山まで行くことは自殺行為なのだ。

 宗教の聖地が消滅することは、それだけの衝撃となり、存在意義の有無へと直結する大問題。

 この対処で手一杯なのだ。


 そして使徒貨幣が石や泥になったこと。

 これは一つの確信をもたらしている。

 使徒が急死したであろうこと。

 記録から明白だが、その対処を考える余裕はなかった。


 教会が権勢を誇っていたときなら、このような秘密は絶対に漏れない。

 だが今は違う。

 使徒死亡の噂は瞬く間に広がる。

 かくしてアルカディアでは、使徒の姿を見せろと叫ぶ民衆。

 それを拒むトマとの衝突が深刻化していた。


                  ◆◇◆◇◆


 使徒が死んだらしいという情報は、クレシダ・リカイオスの元にも届いた。

 ボドワン経由なので、噂ではなく情報としてだ。


 クレシダにしては、珍しく意外そうな顔をする。

 持っていたティーカップを、机に置く。


 アルファもクレシダのそんな顔を見たことは希だった。

 クレシダは、カップを指で弾いている。


「契約の山を飛ばしたことが原因かしらね。

それとも偶然の一致なのか……」


 後ろに控えていたアルファは、いつもの無表情。


「タイミングが良すぎですね。

でも関係する証拠はありません。

使徒に関しての情報は持ち合わせていませんから。

教会の過剰とも言える賛美で、真実はわかりません」


 クレシダは小さく首をかしげる。

 今ひとつすっきりしない顔だ。


「そうねぇ。

でも……。

タダの偶然として片付けるには妙なのよね」


「なにか気になることでも?」


 クレシダはアルファに向かって苦笑した。

 珍しく困惑顔だ。


「あの山が吹き飛ぶと、魔力の流れが歪んで魔物が生まれるわ。

昔は0から生み出されたから、そこまで数は多くなかった。

でも今回は違うわよ。とんでもないことになるわ。

だからこそ腐っても、使徒の力は重要よね。

今までの悪評も、一気にひっくり返すチャンスだもの」


 アルファは表情を変えないまま、眉をひそめる。


「まるで使徒に手助けでもするかのようですね。

それでもクレシダさまは、計画を中止しませんでしたね」


 クレシダは頰を上気させて、ため息をつく。


「使徒は障害にならないわ。

だって愛しい人アルフレードが、なんとかしてくれるもの」


 アルファは思わずため息を漏らす。


「またラヴェンナ卿ですか……」


 クレシダは、アルファになだめるような笑顔を向ける。


「そう怒らないでよ。

私にはない目を持っているからね。

見えない部分は、愛しい人アルフレードの目を通せば、結構見えてくるわ。

使徒の性向は、私でもわかる。

幼児がそのまま大きくなった感じよ。

両方の悪い部分ばかりが増幅されていたわ。

だからどんな行動をとるかもわかる。

途中まではね」


「途中まで……ですか?」


 クレシダはカップをリズム良く指で弾く。


「ロマンの即位までは理解できたわ。

戦争を手助けすることもね。

でも途中でやめた。

これが不思議だったのよねぇ。

カールラもわからないと言っていたわ」


「そういえば……。

クレシダさまは、珍しく考え込んでいましたね」


 クレシダは色っぽい吐息を漏らす。


「それで気がついたのよ。

愛しい人アルフレードを見ればわかるってね」


 アルファは力なく首をふった。

 クレシダとの会話で理解が困難になるのは、特定の人物に話が及んだとき。

 まさに今であった。


「ラヴェンナ卿のことになると、話が飛びますね……」


 クレシダは意外そうな顔で肩をすくめる。


「そうかしらね?

アルファがそういうなら……そうなんでしょう。

私に自覚はないわ。

ともかくね……。

使徒に襲撃されて生き残ったあたりから……意識しはじめたのよ。

それで過去の業績を調べると見えてきたの」


「当時はやたらと、ラヴェンナの情報を欲しがられていましたね……。

あれは戸惑いました」


 クレシダは上機嫌でうなずく。


「意図は見えたのよ。

使徒に寄生せず、自分たちで考えて生き方を決めろ。

いうだけなら簡単だけど……。

それを具体的な形にしているのは素晴らしいわ。

内部的な環境を整えたら、次は外部ね。

使徒の正当性を破壊して、教会の支配を揺さぶる。

それだけでなく運命共同体を形成して、独自の社会の存続を図った。

驚くばかりよね」


「それがどう、使徒と関係するのですか?」


 クレシダは苦笑して手をふった。


「アルファは愛しい人アルフレードの話になると不機嫌ねぇ。

話は簡単よ。

外的要因を忘れない。

それなら……。

なんで、使徒を放置するの?

手助けに近いことまでしているわ」


 アルファは表情を変えないまま、口に手を当てる。

 かなり驚いたときの仕草であった。


「あ……。

そういえばおかしいですね」


 クレシダは上機嫌でウインクした。


「そこで使徒はいつでも消せるか……。

無力化する手を持っていると考えたわ。

消さないのは、生きていた方がいいからね。

使徒まで消えたら、社会の混乱は増すもの。

体制作りの難易度が増すからでしょう。

足場を固めてから処理すると思っていたの」


「それなら納得ができます。

手段はわかりませんが……」


 クレシダは上機嫌なまま胸を張る。


「私もわからないわ。でもそれがいいのよ。

知らないことがあるのは魅力的だもの。

ドラゴンすら一撃で消し飛ばす使徒の力よ。

あれを食らって生存しているなんて変じゃない。

だからなにか隠している力があるはずなのよ。

噂ではドラゴンともコネを持っている。

私たちとは違う領域に、顔が利くはずね。

今回の件で、それは証明されたわ」


「証明ですか?」


 クレシダはアルファに問いかけるように、笑みを浮かべる。


「教会が開祖サムエルの像を造りはじめた話よ。

愛しい人アルフレードの示唆ね。

そのあとでサムエルが現れて、警告を発したというじゃない。

狙ってやったわね」


「そうですね……。

教会でも反対する声は多かったそうです。

皮肉なことに……。

その開祖サムエルの奇跡で、教会への信仰は維持されていますからね」


 禁止している偶像崇拝が、教会を救ったのは皮肉な事実である。

 反対派は黙るしかなかった。

 原理主義的な者たちは、教会から離れて、独自の動きを見せはじめている。

 それでも崩壊せずに済んでいた。


「そしてミントの話も知っているはずよ。

その効果もね。

それでいて今まで放置していたのが引っかかっていたの。

魔物の大量発生なら、使徒の出番よ。

それで使徒の声望があがると愛しい人アルフレードにとって迷惑よね。

でもなにもしなかった。

答えは簡単じゃない?

そうならないか……」


 アルファはクレシダの考えが、ようやく理解できた。


「そうなっても問題ない……ですね」


 クレシダは笑顔で人差し指を立てる。


「そう。

だから私は、遠慮なく計画を進めたのよ。

どんな手を使うか見たかったしね。

そうすれば……。

愛しい人アルフレードの世界が見えてくる。

そう期待したのだけどね……。

まさかなにもしないまま、使徒が死ぬとは予想外よ。

それを予期していたのでしょうね。

契約の山が吹き飛んでも構わなかったのでしょ」


 アルファはクレシダほど、現状を楽しめない。

 アルフレードのことは、極めて危険な敵と認識しているからだ。


「魔物があふれるまでは計画どおりですが……。

ラヴェンナ卿の意図が、気になりますね」


 クレシダはゾッとするような妖しい笑みを浮かべた。


「そう。

なにもしないのは不気味なのよ。

だからこそゾクゾクしちゃうけどね。

いつ動きを見せるか楽しみだわ。

なのでこのまま、汚物にたかトマを掃除しましょう。

カールラは残念ながら、ここで退場かしらね」


「使徒なくしては、その身を守る術がありませんからね」


 クレシダは皮肉な笑みを浮かべる。


「それになんか預言書のおかげで、使徒を惑わせる悪女扱いでしょ。

確実に民の怨嗟えんさは向かうわね。

残念だわ。

折角お友達になれるかと思ったのに」


 言葉とは裏腹に、まったく残念そうにしていないクレシダであった。

 アルファはカールラについて、なんの感情も持っていない。


「使徒死亡の事実は、トマが必死に隠蔽いんぺいしています。

これも噂で流しましょうか?」


 クレシダは楽しげに笑う。


「ええ。

そうして頂戴。

あそこが匂っていると、後々迷惑になるからね」


                  ◆◇◆◇◆


 アルカディアの首都プルージュ。

 高い城壁に囲まれた城塞じょうさい都市である。

 

 使徒急死の噂は、トマが必死に打ち消しても消えない。

 それどころか、多くの民衆が流れ込んできた。


 魔物が大量発生したとの噂を携えてだ。

 かくして冒険者ギルドに、対処が持ち込まれる。

 ところが冒険者ギルドは機能不全。

 有効な手が打てずにいた。


 困り果てた冒険者ギルドは、トマに訴える。

 トマの回答は、素っ気ないものだった。


「そんなことは、悪質なデマだ。

生活に困ったヤツが、魔物のせいにすれば保護してもらえると思ったのだろう。

契約の山が噴火して食い詰めた農民の悪知恵だ。

使徒さまをそんな話で呼び出せるか!」


 だが冒険者ギルドは依頼を受けるプロだ。

 真贋しんがんなどすぐわかる。

 それに契約の山付近の支部から連絡が途絶えているのだ。

 トマが頼りにならないと悟ったギルドは、各支部に救援を要請した。

 そこで問題がおこる。


 サボタージュ関係で、各支部は地元と軋轢を抱えていた。

 依頼は受けるが、わざと冒険者に仕事を割り振らないなどで抵抗している。


 そこに本部から救援要請が来たからと、冒険者を派遣する。

 どうなるかは明白だ。

 地元は後回しかと思われることは不可避。

 サボタージュは一時的なのだ。

 終われば、業務を再開する予定。

 それが再開しても、不信感を持たれては困る。


 それでも派遣を決断した支部は自信があった。

 冒険者ギルドは一つしかないなら、渋々でも頼られるだろう。

 歴史ある組織など、すぐに真似できるものではない。


 サボタージュ主導派はそれを根拠にしている。

 事実ではあった。


 その前提を覆す人物が出てくるまでは。

 ものすごい速度で、冒険者ギルドを新設したのだ。

 本部はウェネティアに設立される。

 まさにアルフレード主導の経済圏をカバーする意図が明白だった。


 新しい冒険者ギルドは信頼がないので、民衆からもなかなか相手にされない。

 ところが……。

 地元の依頼はサボタージュをして、本部の要請にだけ素早く対応する既存ギルド。

 まだ信頼度は低いが対応してくれる新ギルド。

 どちらを頼るかは明白であった。


 しかも冒険者は、支部がサボタージュしても、仕事がないときの報酬はもらえない。

 冒険者にすれば、既存のギルドは勝手すぎると思うのは当然。


 かくして新ギルドへ登録するものが、あとを絶たなかった。

 新ギルドも、旧ギルドとの重複登録を認めている。

 

 このあたりは新ギルドでも色々揉めた部分だった。

 そこは解決を求められたアルフレードの一声で、重複登録を認める流れとなった。


「古いギルドが消滅すれば、重複登録は無意味ですから。

今は人手の確保が最優先ですよ」


 そして旧冒険者ギルド支部の対応は別れる。

 黙認したところは、まだいい。

 重複を認めないとした支部は、脱退が相次いだ。


 あとから黙認すると言っても……手遅れである。

 冒険者がいない冒険者ギルド。

 冗談のような話だが、当人たちにとっては笑えない。

 この話を聞いたアルフレードは淡泊だった。


「冒険者は、仕事がないと生きていけません。

それを無視して、自分たちの主義主張を押しつける。

そんな人を食い物にする組織など、有害なだけです。

私が人を食った対応ばかりだ、と他所から時々非難されますけど……。

決して食い物にはしていません。

食い物にする人がいなくなったとき、どう生き延びるのか見物ですよ」


 かくして予想外のスピードで、従来の冒険者ギルドの崩壊は始まったのであった。

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