736話 閑話 不吉な灰色
アルカディアで異変が起こる。
ミントで外壁を囲った領域すべてが舞台となった。
満月の夜、ミントが囲いの中に根を伸ばしはじめる。
不思議と外へは伸ばさない。
まるで餌を求めて競うかのように、生物のいる方向に伸びる。
深夜なので、城壁の通路にいる警備兵以外は、眠りについている。
外を歩く者はいない。
その警備兵は、意識を失って倒れていた。
城壁を伝って根が伸び続ける。
やがて根は通路に達した。
根は迷いなく倒れている警備兵に向かう。
その体は、間もなく根に覆われた。
根の成長は止まらずに、町中へと伸び続ける。
警備兵を覆う根から、ひときわ大きな花が咲く。
花と蜜の色は、どす黒い血の色だった。
やがて花びらが落ちる。
それはキラキラと光る粉になって、宙を舞う。
光る粉は、あちこちの村や町から舞い上がる。
そして契約の山を目指して、緩やかに飛んでいく。
まるで小川が合流して、1本の大河となるようだった。
なにも知らなければ、美しい光景だったろう。
だがそれを見た者は少ない。
そして朝になると、ミントはすべて霧のように消えてしまった。
そのあとは死体だけが残される。
目や鼻、口など穴の部分すべてに、ミントの根が侵入していた。
遺体はすべての水分が抜け落ちたように干からびている。
民家で寝ていた住人たちも、この運命から逃れられなかった。
根は民家を覆い、扉や窓を破って侵入したのだ。
ミントがあった町や村、家はすべて同じ。
生きて朝を迎えたものはいない。
人も動物も、すべて等しく死に絶えていた。
◆◇◆◇◆
アルカディアの王都プルージュ。
その王宮の一室は、かつてないほど険悪な雰囲気に包まれている。
部屋にいるのはふたりだ。
カールラ・アクイタニアとトマ・クララックが睨み合っていた。
カールラは机を叩く。
「トマがやったんでしょ!」
カールラが問い詰めているのは、カールラの署名つき暗殺指示の話だ。
これがアラン王族の手に渡ったと聞いた。
そこから噂は広まる。
それを聞いたはずのアルフレードは、表だった反応を見せていない。
アルフレードからアラン王家に伝えられた、とは露ほども思っていなかった。
それには理由がある。
ラヴェンナではサインなどしていない。
ユウハーレムの一員になってからサインはしている。
その機にサインを変更しているのだ。
だから正しいサインを知るはずがない。
しかもサインつきの書類を渡しているのは……トマにだけ。
かくしてカールラは反射的に
自分の署名を知っているのはトマだけ。
だから偽装出来るのは、ひとりしかいない。
カールラはそう考えた。
クレシダにも送っているが、クレシダは自分の敵ではないと思い込んでいる。
カールラを陥れる動機がない。
トマにはある。
疑われたトマは、顔を真っ赤にしながら体が震えている。
身に覚えがないことを糾弾されるのは、この上ない屈辱だからだ。
「言い掛かりだ!
トマはそんなことをしない!
妄言も大概にしろ!」
トマのいうことは正しいのだが……。
悲しいかな発言者の信用がない。
詐欺師が『人を騙していない』と訴えたところで誰も信じない。
カールラが鼻で笑う。
「はぁ?
トマはいつも、
火のないところに放火して、火のないところに煙は立たない、と豪語しているわよね。
そんなヤツなんて、誰が信じるのよ。
しかもこんなこと出来るのは、トマしかいないわ」
これも概ね正しい。
ただ冷静に考えればおかしいのだ。
これほど確実に自分が疑われることをするのか。
トマは保身に関しては頭が回る。
一撃必殺の
嫌がらせが精々だ。
だから最初疑っても、その疑ったことを疑うのが普通。
ところがカールラは人をまったく信じない。
強すぎる猜疑心は、自分の判断だけを盲信してしまう。
つまり自分が疑いをかけたら、もう有罪なのだ。
そしてトマは、疑うには格好の存在である。
むしろ信じる方が困難と言えよう。
カールラはクレシダが指摘したとおりの状況に陥っていた。
猜疑心が過剰な人間ほど、容易に騙せる。
疑われたトマの目が充血したように赤くなる。
「トマはそんなことなどしていない!
だいたい証拠はあるのか!」
いつも甲高い声だが、さらにトーンが高い。
だがトマ本人は、捏造などしたことがない、と心の底から信じていた。
このような言動が、信用を低下させていることも気がつかない。
「証拠ってねぇ……。
トマは疑われる方が悪いって、散々言っていたでしょ。
しかも証拠なんて証言だけで十分だとも豪語していたわね。
だから私の証言で有罪よ」
トマは相手を罪に陥れるとき、相手の反論を一切聞かない。
陥れ方も雑なのだが、主がロマンだったので問題なかった。
自分がトップに立てば尚更である。
「そんなもの証拠にならないだろう!
思いつきや言い掛かりで、トマを責めたのか!」
即座に言い返すトマ。
人にやってもいいが、自分にはダメ。
このようなダブルスタンダードは、トマの特徴でもある。
さすがにカールラも開いた口が塞がらない。
これは意図的に使い分けていないと理解した。
本心から信じているのだ。
これは人間の思考なの? とカールラは戸惑う。
自分は人の姿をした別の生き物と
そんな恐怖に駆られた。
「なんで自分の時だけ、証拠を気にするのよ……」
トマは興奮のあまり、肩で息をしている。
「それが正義だからだ!
そこまでいうなら……。
使徒さまに判断してもらえばいいだろう。
噓なら簡単に見抜くはずだ!」
カールラは考え込んでしまう。
そんな話を聞いたことがないからだ。
「ユウにそんな特技があるなんて聞いたことがないわよ……」
トマはカールラを馬鹿にしたような顔をする。
それはとても醜い顔で、カールラは生理的に嫌悪していた。
思わず顔をしかめる。
トマは勝ち誇った顔をした。
それはカールラを、さらに苛立たせる。
「使徒さまに不可能はないだろう。
トマの無実を確認することなど、造作もない」
カールラは不思議だった。
トマの自信はどこからくるのか。
ユウは、カールラにとって不利な判決はくださない。
もしかして本当に無実なのか。
そんな考えが一瞬頭をよぎる。
すぐにそれを打ち消した。
消去法で残ったのがトマなのだ。
仮にトマ本人は指示していなくても、部下がやったなら有罪だ。
トカゲの尻尾をきって、また自分だけ逃げるつもりなのか。
カールラは混乱してきて、思わずため息を漏らす。
「ユウは最近力を使いたがらないわ。
そんなことに、力を貸してくれないわ」
トマが唇の端を歪める。
「つまり
やっぱり濡れ衣じゃないか」
安い挑発。
だがイライラしているカールラには効果覿面であった。
トマごときに侮辱される。
これはカールラにとって飲み下せる話ではない。
「そんなわけないでしょ!
いいわ。
聞いてあげる。
そこで待っていなさい!」
カールラはユウの元に向かった。
ユウの居場所は決まっている。
広い居間で嫁たちと一緒だろう。
居間の扉を開けると、すぐユウの姿が見える。
ハーレムメンバーと談笑していた。
ユウはカールラの姿に気がつくと笑顔を向ける。
「カールラ。
つまらない仕事は終わったのか?」
カールラは既に平静を取り戻しており、やや
「まだなのよ。
せっかくユウが寛いでいるところを悪いんだけど……」
ユウは天井を見上げて、ため息をつく。
「やれやれ。
またトマの無能者が、なにかしでかしたのか?」
カールラは内心
これは、話を聞いてくれる時のポーズだからだ。
聞き取れないような声でブツブツいうときは、絶対に話を聞いてくれない。
「ええ……」
そこでアルフレード暗殺指示の書状が
さらに、そんなことが出来るのはトマしかいないことも。
そしてトマが、噓をついていないか調べろ、と言い出したことまで話す。
カールラはユウの表情を観察する。
迷っていることが見て取れたので、押しの一手を放つ。
「私はいいのよ。
でもユウが出来ない、と思われるのは悲しいから……」
ユウは顔をしかめていたが、少し考えてからうなずいた。
「なるほど……。
僕が出来ないと思われると、皆が悲しむな。
わかった。
トマと話をしよう」
かくしてカールラは、ユウを連れてトマを待たせている部屋に向かう。
トマはユウの姿を見ると、手揉みをして愛想笑いを浮かべる。
「これは使徒さま。
お忙しい中ご足労頂き、汗顔の至りに御座います」
ユウは面倒くさそうに手を振る。
「
僕は
そう口にするが、言葉を額面通りに受け取ると機嫌を損ねる。
それはトマも熟知しているので、ただの挨拶と受け取った。
「
トマの真心から生まれた言葉でありますから」
ユウは満足気にニヤリと笑って椅子に座る。
「それでカールラに話を聞いたが、トマはやっていないというのだな」
トマは下品な笑みを浮かべる。
「御意に御座います。
奥方さまは自分の悪評を振りまかれて、冷静さをかいているかと……」
カールラはトマを睨むが、ユウは手で制する。
「そもそもなんだけどさぁ……。
カールラのサインがあるって話だよな。
それは本物なのか?
現物を見て、カールラは自分のサインだと認めたわけじゃないだろ。
カールラに嫉妬している連中が、適当に捏造した可能性だってあるぞ」
意外にも冷静な発言に、トマは一瞬固まる。
すぐに媚び
「
噂だけが流れております」
カールラは、思わず口に手を当てる。
暗殺を依頼したことは事実なので、完全なでっち上げだと思い至らなかった。
この甘さこそ、アルフレードから危険視されず、クレシダから遊ばれる原因なのは気がついていない。
ユウは満足気にうなずく。
「まずはその指示書を入手しろ。
その上でカールラの筆跡確認。
もしカールラのものだったら、改めて犯人捜しでいいな。
トマはカールラの悪い噂は否定しておけよ。
僕は暗殺なんて、卑劣な方法は嫌いだ。
男なら正々堂々戦うものだろ?
もし暗殺なんてしたら、僕の評判に傷がつく。
だからカールラも、そんなことはしない。
トマならやりかねないが……。
勝手に暗殺なんてされると……迷惑なんだよな」
迷惑と言ったユウは意味深に笑う。
やるならバレないようにやれ。
そんな表情だった。
トマは気持ち悪いくらい愛想のいい笑みを浮かべる。
「ええ。
私がやるなら、そんなヘマは致しません。
使徒さまのお心を煩わせることなど決して」
暗殺は既に失敗しているが、ここでのヘマは自分の関与が疑われるかなのだ。
アルフレード暗殺計画が明るみに出た。
自分の関与を示す証拠はないから、失敗していない。
アルフレードはいつも超然と振る舞っているが……。
自分の命が狙われれば、すぐに本性が現れるだろう。
トマはそう考えている。
所詮はちょっと頭のいいガキだ。
肝を冷やして、疑心暗鬼に陥るだろう。
そうなれば、トマが取り入る隙も生まれる。
どちらに転んでもトマは傷つかない。
ユウは鷹揚にうなずいて、席を立つ。
その時、外から銃声のような大きな音が鳴り響く。
カールラとトマは、急いで部屋のテラスにでる。
聞いたことがない音だったからだ。
暫く外の様子を見るが、なにも起こらない。
ふたりが引き返そうとすると、
途端にカールラは両手をついて倒れ込む。
呼吸があらくとても苦しそうにしている。
同時に部屋から何か倒れる音がした。
トマは驚いたが、カールラを助け起こさない。
ユウがいるのだ。
迂闊に触れようものなら、どんな目にあうかわからない。
というのは口実だ。
嫌いな女が倒れ込んで、苦しそうに息をしている。
内心、『天罰だ』とほくそ笑む。
だがユウがいる手前、無表情を装う。
使徒ユウにカールラのことを報告しようと、室内に目を向ける。
ユウまで倒れ込んでいた。
トマは慌てて、ユウに駆け寄る。
ユウは床に突っ伏している。
仰向けにすると、口から血を吐いてぐったりしている。
口だけでなく、鼻や目……そして耳からもだ。
生きているか死んでいるかわからない。
トマは使徒ユウに背を向けて、嫌らしい笑みを浮かべる。
ざまぁ見ろといった心境で、内心ガッツポーズをした。
すぐ真顔に戻る。
慌てた風を装い、室外の衛兵に急を告げた。
一気に王宮内が慌ただしくなる。
急ぎ自室に戻ったトマは、奇声をあげて喜びを爆発させる。
天罰だ!
悪人には天罰が下る!
このトマを馬鹿にした報いだ!
使徒であっても、トマの正義からは逃げられない!
その顔は醜く歪み、歓喜の涙まで流している。
ひとしきり喜びを爆発させて冷静になった。
使徒の安否確認をしなければならない。
涙のせいで目が充血している。
心配したあまり涙がでた、とでも言えばいいのだ。
部屋で声をあげたのも、同じ理由で済む。
晴れやかな気分のトマと正反対に、王宮はただならぬ空気に包まれている。
トマは不思議に思った。
使用人から詳しい状況を聞き、呆然とした。
使徒ユウが死んだ。
それだけではない。
2番目の嫁、使徒騎士のノエミ・メリーニ。
3番目の嫁、魔族のアンゼルマ・クレペラー。
このふたりも、ユウと同じような症状で突然死んでしまった。
4番目の嫁、猫人ユリエ・ベドナージョヴァー。
5番目の嫁、ダークエルフのカルロッテ・オリーン。
6番目の嫁、ブリジッタ・ティルゲル。
彼女たちは
血を吐いているとのこと。
長くは持たないとの話だ。
そしてカールラは、酷く衰弱しているが死に至っていない。
カールラの推薦でハーレム入りした面々も、体調不良を訴えている。
トマはハーレム加入期間で症状が決まる、と推測した。
カールラは助かりそうなのが腹立たしい。
憎まれっ子世に憚るだ。
ひとしきり心の中で悪態をつく。
そして至急大臣を招集する。
集まった大臣たちは、顔が青ざめていた。
どいつもこいつも役立たずだ。
そう思ったトマは、全員を冷たい目で睨む。
有能な人間を決して抜擢しない。
そんな都合の悪い記憶は、トマの頭から消え去っていた。
ロマンやトマの治世では、脅威にならない程度の能力でなら、出世は容易なのである。
「使徒さまと嫁たちが亡くなったなどの情報は、絶対に漏らすな。
漏れたら……賊が一斉に攻めてくる。
よって我々の命はないぞ」
賊とはアラン王家の残党のことを指している。
大臣たちが即座にうなずく。
使徒がいるから、どんなムチャをしても攻められないのだ。
トマは冷酷な笑みを浮かべて、舌なめずりをする。
「情報を漏らしそうな者は、全員殺せ」
なにか食事でも注文するような軽い口調だ。
トマ以外は全員うつむいた。
やがてひとりの大臣が、恐る恐る顔をあげる。
「わからないものは……。
いかが致しましょう」
トマはフンと鼻を鳴らす。
「それは漏らすかもしれない、ということだ。
少しは自分の頭で考えろ。
使えないヤツだな」
この部屋にいる全員が、これから血の粛清が始まることを予感する。
別の大臣が顔をあげた。
「騒ぎになっていることは隠しきれません。
まさか王都の住民を、全員殺すわけには……」
トマは暫し考えてからうなずいた。
「使徒さまは心労がたたって静養している、と公表しろ。
もし死んだなどと、口にする者がいたら殺せ。
いまある死体と今後増える死体は密かに焼いてしまえ。
絶対に証拠を残すな。
骨も砕いて、下水にでも流してしまえ。
決してバレないようにな。
秘密が漏れたら、お前たちの責任を問うぞ」
かくして王宮から、多くの者が姿を消すことになる。
だが民衆に、それを気にする余裕はなかった。
契約の山が爆発して消えてしまったと、噂が流れる。
それだけではない。
その近辺から、魔物が大量発生しているとの噂も広がっていた。
そんな不吉な噂を肯定するように、昼でも薄暗くなり、各地で灰が降り注ぎはじめる。
トマの心は晴れやかだ。
それと反比例するように、アルカディアの空は不吉な灰色で染まっていた。
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