732話 最低限の役割
「ぬわああああん疲れたもおおおおん」
いきなり、目の前に現れたのはラヴェンナだ。
寝ていたところを呼び出されたか……。
しかも抱きついて来やがった。
「いきなり呼び出してそれかよ……」
すぐにラヴェンナは体を離したが、死んだ魚のような目をしている。
「あの髭……石頭なのよ!
他に神なしってスタンスだから……説得するのが大変だったのよ。
パパ……。
生み出すならもっと柔軟なヤツにしてよぉ~。
よりにもよって、大きな宗教の開祖なんて……。
妙な使命感を持った頑固者なのよ」
そうじゃなきゃ、宗教なんてつくれないだろう。
「それだけ個性的だから、人々を惹き付けるのだろうな。
しかし髭ってねぇ。
たしかサムエルって、名前があったろう。
外見は知らないが」
ラヴェンナが、パチンと指を鳴らすと、男の姿が浮かび上がった。
短い髭をたくわえた黒髪の男性。
意志の強そうな目だな。
青いしま模様のキトンと、青い模様入りのタリスを着ている。
足はサンダルか。
当時の姿そのままなのだろうな。
「わざわざ再現してくれなくてもいいのに」
ラヴェンナがもう一度指を鳴らすと、男の姿は消えた。
「なに言っているのよ。
見せなかったら五月蠅く聞いてくるの……。
私は知っているんだからね」
必要な情報じゃないから、気にしないが……。
今反論すると危険だ。
「そ、そうか?」
ラヴェンナはビシっと指を突きつけてきた。
「そうよ!
なんとか説得したけど……。
私は聖霊扱いよ!
もう面倒くさくなって妥協したわ……。
ともかく私は、直接人間にコンタクト出来ないから、あの髭に言伝だけしたわ。
えらく張り切ってお告げしまくっていたけどね。
悪霊も打ち倒すと、鼻息荒かったわ」
ラヴェンナに直接頼まなかったのは、理由がある。
制約に関わることだからな。
俺が頼むと、制約に関わるようだ。
出来はするが、力の消費が激しいらしい。
そのあたりの法則があるようだ。
聞いても教えてくれないだろうけどな。
「それはなによりだ。
なにはともあれ助かったよ」
ラヴェンナは、だらしなくテーブルにアゴをのせる。
「パパはホント神使いが荒いわ……。
教会に像をつくらせた時点で、ピンと来たわよ。
まあ……あの悪霊は、さすがに無視出来ないからね。
でもかなり、制約ギリギリの行動だったのよ。
お陰で力はスッカラカン。
しばらくは当てにしないでね」
「そのうち折居に、神格を抜かれそうだな」
ラヴェンナは、ガバっと体を起こして、俺に指を突きつける。
「姉より優れた弟など存在しない!」
セリフのチョイスは、問題ありだ。
このセンスは、一体誰譲りなのだ。
名前でも呼んでほしいのか。
「それ……。咬ませ犬のセリフだろ……」
ラヴェンナはジト目で、ため息をつく。
「ホント細かい突っ込みばかりするわね……。
折居はやれることが多いのと、人の世界に割と干渉出来るから、神格は上がりにくいの。
ある程度までなら簡単に上がるけど、そこから先は大変なのよ。
あと思想や行動に関わる神のほうが、神格は高くなるの。
アイツはサービス業の神でしょ。
抜かれることはないわよ」
たしかにサービス業の神様だな。
「その話でいくと、開祖の神格はどうなんだ?
どちらとも取れるが……。
それで悪霊と戦えるのか?」
ラヴェンナはフンスと胸を張った。
「それは大丈夫よ。
悪霊の力は、限界まで弱まっているわ。
それと使徒が自滅し続けているのも大きいわね。
あれだけ失敗を選択出来るのは、一種の才能だと思うわ。
しかも同じ信仰のフィールドで戦うから、他の神格と戦うよりずっと楽なのよ。
その分、失敗すると消滅させられるけどね。
ハイリスク・ハイリターンってヤツよ」
そう簡単に賭けには勝てないか。
「確実ではないと」
ラヴェンナは苦笑して、肩をすくめた。
「使徒が突然発狂して、マトモなことをやらない限りはね。
突然そうならない保証はないし……。
だから100パーセントじゃないってだけよ。
すぐトドメを刺すのは難しいけど……。
少なくともパパが生きている間には、ケリがつくわ。
ただパパは、体調に気をつけて。
それと余計なお世話だけど、くれぐれも油断しないでね」
クレシダのことを言っているのだろう。
ため息が漏れるよ。
「気を抜けるような相手じゃないからな。
つきまとわれて……いい迷惑だよ」
ラヴェンナは、ニヤニヤ笑いだ。
「さすが重い女ホイホイ。
ああ……そうそう。
ママにマフラーのお礼を言っといてね」
いつの間にか、ラヴェンナの手にマフラーが握られていた。
寒いと言っていたあとに、ミルが像にかけていたな。
「直接言えばいいだろ」
ラヴェンナはジト目になる。
「あのねぇ……。
ママに会うより、パパに会うほうが楽なのよ。
それと片方のママだけに会っていたら、もう片方に知られたときが面倒なの。
わかるでしょ?
パパだけに会っていれば、角は立たないからね。パパが問い詰められるだけだし」
俺を犠牲にして逃げる気か……。
たしかにミルはキアラに喋りそうだ。
そうなると、実に面倒くさいな。
「たしかにそうだな……」
ラヴェンナは、突然首を傾げた。
苦笑して指で○をつくる。
「折居がパパに挨拶したいってさ」
挨拶って……。
不要だと思うがね。
「わざわざしなくていいのに。
ラヴェンナに許可を取ったのか」
「アイツ妙に律義なのよ。
私の領域に入るときは、必ず許可をとってから来るの」
ラヴェンナはちらっと、何もないはずの空間を見る。
いつの間にか、直立不動の折居が立っていた。
器用に体を斜めにして、お辞儀までする。
腰骨がないからな……。
すぐに直立に戻る。
違和感がなくなっている自分が怖い。
「魔王さま。
ご無沙汰しております。
神域にいらしたので挨拶を、と思いました」
「人間にわざわざ挨拶しにくる神様って……。
前代未聞だと思うぞ?」
折居は体を、左右に揺らす。
これは、首をふっているポーズか。
理解出来る自分が悲しい。
「いえいえ!
挨拶をしないのは失礼かと思いました。
あと人間扱いするのも失礼です」
ラヴェンナは、そう呼ばせたのか。
それにしても……。
「魔王のほうが失礼だと思うが……」
折居は直立不動で、敬礼をする。
ラヴェンナのヤツ……。
いらんこと仕込んでいるな。
「いえいえ。
犯人はお前か!
ラヴェンナは口笛を吹いて、視線を逸らす。
そして突然、意識が途切れたのだった。
◆◇◆◇◆
どうもスッキリしない気分のまま、イポリートとソフィアに会うことにする。
イポリートの屋敷は、来る度に細かい部分が変わっていた。
ダンスと礼儀は、ほぼ完璧になったようだ。
折角なので応用や、その他の教養を身につけてもらうことになった。
一通り報告を聞き終えたが、今一イポリートの表情が優れない。
アラン王国のことでも、気になっているのか?
「イポリート師範。
どうされましたか?」
イポリートは苦笑して、軽く手をふった。
「ゴメンなさいねぇ。
ちょっと旧友がね……」
ソフィアが、扇を口に当てた。
「旧友だった、というのが正しいわ」
どうも穏やかじゃないな。
死んだとは違うだろうな。
「心ない手紙でも送られてきたのですか?」
ソフィアの目が細くなった。
珍しく、温かみがない。
「心ないなら可愛いものです。
正確な表現をすると、頭がないでしょうか」
普段はとても上品で、人を非難する言葉は口にしないのだが……。
「ペザレジ夫人。
珍しく怒っていますね」
「私もまだまだ未熟です。
心が乱れてしまいました。
ラヴェンナ卿の前だと、つい本音が出てしまいますね」
俺が本音を話しやすいタイプだと思えないな。
お世辞として受け取っておこう。
「それはなによりです。
それだけ酷い内容の手紙だったと」
ソフィアはイポリートをチラ見する。
「ええ。
イポリートは語りたくないでしょう。
私が話すわね」
イポリートは芝居がかった仕草で、肩をすくめる。
「お願いするわ。
本当は話してほしくないけど、ラヴェンナ卿の前だとねぇ」
好きこのんで、人のプライベートに首を突っ込んでいないぞ。
ただ外国人なので、秘密は持たないように配慮しているのだろう。
ソフィアから聞いた話は、機密でもなんでもない。
それでも国外とのやりとりだ。
念のために知らせたか。
俺の暗殺計画から、周囲は少しピリピリしているからな……。
同じ芸術を志していた旧友たちと、更に高みを目指すイポリートは
そこから没交渉だったのは聞いている。
ロマンが即位してから、助けを求める手紙が来はじめたこともだ。
そのあと連絡が途絶えた。
イポリートとしては死んだと思ったようだ。
ところが生きていた。
しかも武器を芸術から言論に変えて……。
民主主義を広める自由の闘士に転職したらしい。
元々、芸術の世界で生きてきただけに、弁舌は民衆などを遙かに凌ぐ。
それは、それでいいのだが……。
イポリートに、民主主義の素晴らしさを語り始める。
そしてラヴェンナで、民主主義を推進する自由の闘士になれ、と説いてきたようだ。
当然、イポリートは断った、返ってきた返事は酷いものだった。
芸術など今の世の中では役に立たない。
民主主義を広めることが、今の世の中では必要だ。
そこから民主主義の賛美と、俺を教化すればラヴェンナは民主化する。
そのあとはランゴバルド王国にまで、教化が広がる。
今アルカディアが苦境なのは、古い社会を捨てられない他国が理解を示さないからだ。
同じ民主主義国家になれば協力しあえると。
なんか聞いていて……。
笑いを堪えるのが大変になってきた。
そんな手紙が送られてきたら、イポリートとしても困惑しかないだろう。
「イポリート師範も大変ですね」
イポリートは俺の感想が意外だったようだ。
一瞬目を丸くしたが、すぐに苦笑した。
「勝手に喚いてくるのはいいけどね。
相手にしないだけだから。
それにしてもあれだけ、熱心に踊りについて語っていたのに……。
そう簡単に捨てられるものなのかしら」
ソフィアは、小さく首をふった。
節操がないだけならいいけどなぁ。
思想の押しつけまできたら、嫌悪の対象になるようだ。
「まるで昔がすべて悪だったかのような、変わり身の早さね。
アラン王国時代にも、いいものはあったはずよ。
少なくとも礼儀は、そんな積み重ねが形になっているもの。
過去の振り返りをしないのは、とても思想を語る人物とは思えないわ。
ラヴェンナ卿はそう思いませんか?」
本人たちにとっては反省なのだろう。
すべての否定は、反省とは言わないのだが……。
「まったく同感です。
アラン王国時は芸術が尊ばれたので、芸術を志した。
つまり出世するための手段ですね。
都合が悪くなれば、素早く主旨替え出来ると思いますよ。
きっと目端の利く人物だったのでしょう。
イポリート師範にとって、踊りは目的です。
だからすれ違ったのでしょう」
イポリートは苦笑して、ため息をつく。
「それは薄々感じていたわ。
でも改めて、世の中の役に立たないと言われるとね。
まだ……同じ踊りを志していた仲間だ、とアタクシだけが思っていたみたい。
ゴメンなさいねぇ。
つまらない話に付き合わせちゃったわ」
世慣れしており、変わり身の早い人間の行動は、ヒントになる。
「いえ。
アルカディアの実態も推測出来ました。
決してムダな話ではありませんよ」
イポリートは意外そうな顔だ。
「あら? 意外ね。
ラヴェンナ卿は慰めで、そんなこと言わないから……。
ちょっとだけ気が楽になったわぁ」
推測を裏付ける情報だ。
とても重要ではないが、ムダとも言えない。
「絶対に反撃されない、と信じて攻撃していますからね。
自分を守らないといけないところまで追い詰められている、と見るべきでしょう。
そうなるとアルカディアの社会情勢も垣間見えます」
イポリートが首を傾げながら、大きなため息をつく。
すぐに理解は出来なかったか。
「こんな手紙ひとつでねぇ……」
手紙であることが大事だよ。
市井の噂話とは、わけが違うのだから。
「そもそも手紙だって、気軽に送れないのです。
今なら結構な金が必要でしょう。
必要次第で今までの踊りを捨てるくらいです。
損得勘定には
理想に酔って、相手に押しつけるタイプではないと思います。
それでもやるところに、そうせざる得ない現状が見えてきました」
イポリートは小さく肩を落とす。
「言われてみればそうね……」
こんなケースだと社会がどうなるか。
それを当然考えた。
なにせベストでも敵対的中立なのだ。
動向は無視出来ない。
「今までとまったく違う生き方を強制された社会は、どうなるのか。
推測はしていました。
それに裏付けが加わったといったところですよ。
上手くいっていないのは、外から見ても明白ですからね。
彼らは必死なのです。
問題が起こったときの対処方法がわからない。
だから自分たちがやってきたことを、より頑張るわけですよ」
方向性の見直しなど不可能だ。
つまり出来ることは限られるだろう。
今やっていることを……より頑張る。
どうにもならなくなったら……。
やるだけはやった、と自己弁護をして終わりだろう。
その頑張りをするのは民衆なのだがねぇ。
下らない計画の犠牲になるのはいつも民衆だ。
頑張るために……どれだけ犠牲がででも、意に介さないだろう。
「それがこの手紙ってわけねぇ。
そうなるとアルカディアがどうなるのか、ラヴェンナ卿は予測しているわけね」
上手くいかないことは、最初からわかっている。
だが、どうして上手くいかないか。
不可能なことをしようとしたからなのだが……。
もっと、根源から考えるべきだろう。
「あくまで予測ですがね」
ソフィアは目を細めて、上品にほほ笑む。
「興味深いわね。
是非お伺いしたいわ。
ラヴェンナ卿の洞察は、礼儀を考える上でも、大変興味深いですから」
イポリートやソフィアのような……。
ひとつの道を究めた人に誤魔化しなどきかない。
「その道を究めた人に言われると怖いですね。
今アルカディアで起こっている現象は簡単です。
自己の絶対化が起こっていますね。
自分たちは、優れた政治制度をつくろうとしている。
それ以外は劣った愚民程度の考えかと。
やり方や前提が間違っている、とは決して考えません」
イポリートは感心したようなため息を漏らす。
「あの手紙は、そんな態度が見えていたわねぇ。
詳しく見せていないのに、よくわかるわね。
ちょっと怖いくらいだわ」
押しつけられた思想で生きるなら、それを絶対化するしかない。
一種の宗教だ。
次に改宗前の信仰をすべて否定するだろう。
「そして過去への反省という形の全否定が、土台になります。
問題は……。
押しつけられた思想なので、自問自答が出来ません。
だから問題の改善も出来ない。
でも現実の問題は手加減してくれません。
問題が膨れ上がって、思想はいつか破綻します。
そのときは、茫然自失になるでしょう。
つまり精神的に、とても
一度転んだら立ち上がれませんよ。
別の思想を押しつけられるまではね」
イポリートは心当たりがあるようだ。
感心した顔でうなずいている。
「なんとなく言いたいことはわかるわ。
上辺だけ取り繕う人は、困難に陥ると……。
原因を他に求めて挫折しちゃうわねぇ」
「それでも他人の指示に従う間は、そこまで破綻しません。
いうとおりにやるのが正解と思いますからね。
ただ……そんな人が自分の責任を自覚しなければ、無責任でいられる立場になったときです。
つまり出世すると……。
周囲に不幸を撒き散らす道化に成り下がります」
イポリートは意味ありげに笑う。
「トマのことを言っているみたいねぇ」
これは、トマ個人から導き出した話ではない。
全体の流れを考えたとき、すっぽりはまっただけだ。
使徒ユウも当然、このお仲間だ。
だからと口には出来ないが……。
「クララック氏だけに限らないでしょう。
そんな人たちが、トップに立っているのが、アルカディアの現状です。
自分の位置とやるべきことが考えられません。
対応は場当たり的で、影響も考えない無責任ぶりを発揮します。
他者の批判だけは一人前という、困った人たちが量産されるわけですよ。
そんな社会だと、教育はあっても教養はない人だらけが増えるでしょう」
「それだけ聞くと……もう成功する余地がないわね」
なにせ客観的な考えがないのだ。
押しつけられた思想が正解であれば、まだなんとかなる。
だがなぁ……。
「しかも計画は、意気を示すだけですからね。
都合の悪いことは見ません。
願望を実態に置き換えて、計画が動いているはずです。
冷静に指摘しようものなら、社会的迫害を受けますよ。
なのでイポリート師範は、変な手紙が来たと思ってください」
イポリートは微妙な表情で苦笑した。
俺が、疑惑の目を向けないのは安心だろう。
だからといって不幸の手紙なんて嬉しい話ではない。
つい読んでしまうだろうから。
「そうね。
ひとつ聞きたいけどいいかしら?」
なんだろう。
改まって。
「なんですか?」
「アルカディアのやっている民主主義って、どう思うの?」
手紙への反論が欲しいのか。
この程度なら言ってもいいだろう。
「統治の役目は、人々に食糧を分配すること。
それが最低限の役割です。
どんな政体かは……。
衣食住を満たした後に、ようやく問題になるでしょう。
理論上どんなに優れていても、最低限の役割をこなせなれば……考慮に値しない。
それだけですよ」
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