730話 閑話 アルフレードへの認識
チャールズ・ロッシは珍しく困惑していた。
対リカイオス戦の専任者として、指揮を執っている。
そこに大々的な輸送計画の情報が流れてきたのだ。
幕僚たちも困惑している。
どう考えても自滅行為なのだ。
幕僚たちに答えを求められたチャールズも、流石に返答に窮した。
かくしてここで、アルフレード直通通話機を使用する。
機密扱いなので、陣幕でなく建物の中での通話。
すぐにアルフレードからの応答があった。
『ロッシ卿。
なにか困りごとですか?』
世間話のような軽い口調だ。
それはいつもかわらない。
だからこそ困難な時ほど……アルフレードの顔を見ると落ち着く。
顔は見えないが声でも落ち着く効果がある。
「ご名答です。
相談したいことがありましてね。
よろしいですかな」
『ちょっと待ってください。
部屋を移動します』
執務室で受け取ったのだろう。
会話の内容は機密なので、別室で話すための移動。
念のためだな。
暫し待つと、すぐに応答がある。
『どうぞ』
いちいち相談した理由を聞かれないのは、話が早くて助かるのだ。
そこで敵の大規模輸送計画について話した。
どう見ても自殺行為で、敵の意図が読めないのだ。
今までは、少なくとも理性で動いていた。
「といった次第で、なにか裏があるのか読めないのです」
アルフレードが暫し考え込んでいることは、すぐにわかった。
『恐らくですが……。
上層部と現場の認識が、
そんな非現実的な計画を止めるものがいないのでしょう』
思わずチャールズは首を傾げた。
だが……マトモな考えをする人間がいないなど想像出来ないのだ。
「全員がそんな馬鹿ではないでしょう。
ペルサキス卿だけしか正常な人間がいない、とは思えません」
『異論を挟む人間は存在するでしょう。
でも意思決定をする集団に仮に存在しても、発言力がなければいないも同然です。
なので……いないという表現になります』
チャールズは考え込んでしまった。
過去の苦い記憶が蘇ったからだ。
どんなにおかしな指示に、異を唱えても聞き届けられない限り……。
馬鹿な行動をせざる得ない。
そして馬鹿にされるのは、不承不承実行する側なのだ。
昔はこれだけ声を上げてもダメなのかと、歯がみした。
その答えを今更ながらに提示されたわけだ。
ダメなのは当然。
意思決定の場にいないのだから。
もしかして……自分もマトモな意見を、黙殺などしていないだろうか。
考えさせられた。
そして苦笑が漏れる。
最初に出会った時、アルフレードが口にした言葉を思い出したのだ。
そんな人の気持ちがわかることが大事なのですよ。
あの時は口説き文句かと思った。
今になって、その言葉の重さがハッキリわかる。
「なるほど……。
そうなると攻撃は、暫くないと見るべきでしょうかな?」
『決め付けるのは早計ですね。
ペルサキス卿を本隊に戻す口実づくりかもしれません』
チャールズの顔が渋くなる。
理解が追いつかなかったのだ。
「どういうことですか?」
『現場でのペルサキス卿待望論が強くなりすぎたのでは?
海戦に訴えるにしても……。
ペルサキス卿が不在では、こちらに意図がバレバレです。
なんとしても本隊に戻したいと思いませんか?』
付き合いは長くても、たまにアルフレードの言葉が理解出来ないこともある。
話が飛ぶ場合は、恐ろしいことに計画通りに進んでいる時だ。
まさか……この奇っ怪な現象も誘導したのか?
チャールズは一瞬、背筋が寒くなった。
話を詳しく聞く必要に駆り立てられる。
聞かなくては……もはや夜も眠れない。
「それはそうでしょうが……。
だからといって、あのような自殺行為がまかり通るのでしょうか?」
『それはロッシ卿が理性的だからでしょうね。
リカイオス卿は疑心暗鬼の虜になっています。
そして有効な手が打てないまま、状況は悪化するばかり。
そんな時に、王宮への影響力が低下したらどうでしょうね』
疑心暗鬼で、有効な手がないことはわかる。
そして王宮に、手を突っ込んだにしても……。
結論とはまったく結びつかない。
平凡な疑問から潰していく必要があると、チャールズは思った。
「リカイオス派が
『まあ……。
キアラとディルトゥラ王女は文通していますからね。
私の意向は、気になって仕方ないでしょう。
検閲の熱意は溢れんばかりですよ。
リカイオス卿が不利となれば、考えもかわる人たちも多いかと』
チャールズはアルフレードの言わんとすることが、少し見えはじめた。
「つまり孤立を感じたリカイオス卿が……焦って暴走していると?」
『現場でロッシ卿が違和感を抱くのも、そのあたりが関係していると思います。
ここ最近は……敵の動きが鈍いのではありませんか?』
チャールズは思わず苦笑した。
細かな報告は、一切していない。
敵の動きが鈍く、兵糧もそこまで欠乏していないはずなのだ。
なのにこの大規模輸送計画。
これが、チャールズを困惑させた。
わずかな相談から逆算して、答えを導き出す反応の早さには苦笑しか出ない。
「報告していないのによくわかりますね」
『前線の統率が取れていれば、無謀な計画を策定する必要もないかと。
前線の崩壊を食い止めるために、ペルサキス卿がどうしても必要になったと思いますよ』
ようやく、本題に戻ってきたようだ。
この話しぶりからして……。
馬鹿な計画を立てた理由に、心当たりがあるような口ぶりだ。
「そのために、あんな馬鹿な計画を?」
『リカイオス卿は余裕がありません。
長期的な計画より、反射的に目の前の問題を解決するほうに目がいくでしょう。
まず大規模輸送作戦が成功して、後顧の憂いがなくなれば問題ありません。
仮に失敗しても、もう襲うだけの輸送が出来ない。
それならばペルサキス卿を、前線に連れ戻す理由になりますよね』
チャールズは首をひねる。
それでペルサキス卿の名前の出すのはわかった。
だが答えにはなっていない気がしたのだ。
「ご主君の言葉を疑うわけではありませんが……。
長期的な視点で考えるのが、リカイオス卿と側近たちだと思います。
これでは現場の声に引きずられているだけではありませんか」
『ただしい在り方をすればそうですね。
そうさせないのが、犠牲を減らす最善の方法ですから』
この言葉で明確となる。
狙っていたことがだ。
何時の間にやったのだと、思いもする。
「なにか仕掛けたのですか?」
『最初にもう済んでいますよ。
あとは状況の悪化と共に、勝手に転がり落ちていくだけですから』
戦いが始まる前から、幾つもの予想はアルフレードと立てた。
行き詰まると、一発逆転を夢見るだろう……までは話をしたのだ。
「ここまで派手に自滅するとお考えでしたか。
以前そんな話は、一言も出ていませんでしたが」
ややチャールズの口調が鋭くなった。
自分にも意図を隠していたのかと思ったのだ。
『だといいな……程度ですよ。
ここまで後先考えないのは、少々予想外でしたよ。
どうも効き過ぎたようです』
チャールズは渋い顔になる。
最初に自滅する可能性を聞いていたら、そちらに流れてしまうと思い至ったからだ。
それでは足を引っ張ると、アルフレードなら考える。
一瞬不満を持ったことに苦笑してしまう。
俺もまだ青臭いな。
そうチャールズは自嘲してしまう。
「暴走の度合いは予想外だった、と
『リカイオス卿の陣営は、問題の対処と解決が出来ない組織ですからね。
出来るなら戦争なんて考えません。
そして逆境にも弱いでしょう。
だからこそ私は、リカイオス卿とシケリア王国を分断しました。
そのうえで、危機への解決方法を提示してあげたのですよ。
それが唯一であれば、そこに殺到しますからね』
分断は当然知っている。
だがリカイオス卿に解決方法を提示したのは初耳だ。
はじめて聞く話に、チャールズは眉をひそめる。
「解決方法ですか?」
『元々外交的な解決は拒否する布告を出しました。
この時点で、軍事的な勝利のみに道を絞ったわけです。
だがそれもポンシオ将軍の活躍で行き詰まったでしょう。
そしてロッシ卿が、圧力をかけ続けています。
そこでディミトゥラ王女との書簡で、リカイオス卿の配下は許してもよい、と
ただ側近まで許すつもりはない。
加えてラヴェンナと正式に話したいなら、前任者以外と話すつもりはない……とも付け加えました。
さて、どうなりますか?』
アルフレードが得意とする手だ。
この段階で仕掛けるとは思っていなかった。
なにがしか勝利してからだ、と考えていたのだ。
「周囲は、徐々にリカイオス卿から離れていくでしょうなぁ……。
しかも失脚した人たちに、力を与えることにもつながります。
そんなことをしていたのですか」
ふたりは知る由もないが……。
ペイディアス・カラヤンが投獄されたのは、クリスティアスがこの話に過剰反応したためだ。
最初は殺すつもりだったが、配下が今後を恐れて投獄で落ち着いた。
アントニス・ミツォタキス卿も復活しつつある。
引き籠もっており、断罪する口実はない。
口実を捻り出そうにも、これも配下が保身のため非協力的になっていた。
これがさらにクリスティアスと側近達を追い込んでいる。
『もうリカイオス卿は、急いで決着をつけるしかなくなるわけですよ。
これが私の見せた解決方法です。
時間なんて気にしていられません。
唯一頼りになるのはペルサキス卿でしょう。
でも……よく考えれば、ペルサキス卿はシルヴァーナさんと婚約しています。
できるだけ功績を立てさせたくない。
でも頼りたい。
待っているのはパニックです。
きっとリカイオス卿の周辺は、目前の問題を処理することしか考えられませんよ』
チャールズは嘆息した。
まさに魔王の所業だ。
それも裏から人の恐怖を煽り立てる。
幾つか聞きたいことは残っているが、それは帰還してからの楽しみにしよう。
「やはり怖い人ですなぁ。
ご主君だけは敵にしたくない。
よくもまぁ、自由に敵を操れますな」
『ガリンド卿が種を蒔いてくれて……。
ポンシオ将軍が成果を出す。
ロンデックス殿も思った以上の働きを見せてくれました。
そしてロッシ卿が、的確にリカイオス卿を抑えてくれたでしょう。
それを利用しただけです』
たしかにそうだ。
こちらの侵攻が上手くいかないと、意味をなさない。
よくよく人の心理に詳しい主君だと思う。
だからこそ悩み相談なんて、上手くやっているのか。
悩みを解決出来る人は、悩みの操作も出来るらしい。
チャールズは、思わず笑いそうになった。
「そう言って頂けると有り難い限りですな。
では気を抜かずに、今まで通り対処しましょう」
『そうですね。
現場の判断は、私が口を出す領域ではありませんからね。
またなにか困ったことがあれば、力になりますよ』
チャールズは通話を終える。
かなりの汗をかいていたことに気がついた。
怖さを知っているだけ自分は幸運だ。
謀略と気付かせない謀略ほど恐ろしいものはない。
知らずに火遊びをしている連中は、将来どんな報いを受けるのだろう。
そして妙に納得したことがある。
家臣からいじられても憮然としているだけの理由だ。
これで厳格な態度だったら、家臣は精神を病む。
恐ろしさを実感できないからな。
◆◇◆◇◆
クレシダ・リカイオスは大規模輸送計画を聞いて笑いだした。
アルファは首を傾げる。
「ムチャな計画ですが……。
なにか笑う点があったのでしょうか?」
「
それが楽しかったのよ」
アルファには理解出来なかった。
アルフレードがリカイオス卿に、ムチャな計画をさせることが可能なのか?
アルフレードのやっていることは、地固め程度にしか見えない。
「ラヴェンナ卿に操られたのですか?
クレシダさまならリカイオス卿を、直接操れると思いますが……」
クレシダは頰を上気させて、
「ええ。
なにも人を操るには直接でなくてもいいの。
その人の性向を見極めて……見たい現実を見せて追い込めばいい。
そのお手本よ。
本当に人間って生き物を熟知しているわね。
惚れ惚れするわよ」
「予想より早く、リカイオス卿が倒れてしまっては問題ではありませんか?」
クレシダは声を上げて笑う。
心底楽しそうだ。
「大問題よ。
でもいいじゃない。
下らない芝居ならブーイングでもしたいけど、あれだけ徹底されるとねぇ。
私より人間の本性を熟知しているわ。
この世界には似つかわしくない人よ」
クレシダからはじめて違う言葉が出てきた。
感情が揺らがないアルファでも、驚きを隠せない。
「似つかわしくないですか?」
クレシダは手に持っている本を、愛おしそうに撫でる。
「この世界はね……。
使徒が現れて、教会が思想的な統一をしたせいで、一つの常識が生まれたのよ。
それは自分の物差しで、人を判断すること。
でも
他人の物差しで、他人を判断するの。
それがこれには、
キアラが書いたアルフレードの言行録。
現3巻だ。
「読んだことはありませんが……。
たしか賛美過剰だと思いきや、意外にも淡々と事実が書かれていると聞きました」
クレシダは妖艶な笑みを浮かべる。
とても心を揺さぶられている、とアルファは理解出来た。
「ええ。
多分、
それにしても素晴らしいわ。
私が望む本能を超えた理性。
これを既に体現しているもの」
アルファはクレシダと、色々な話をしている。
その理論についてなど、1番知っていると自負していた。
「本能を貪る期間が足りないと
クレシダは頰を染めながら、唇の端を歪めた。
「そう。
だからこそ憎いし……愛しいのよ」
再度、アルファは驚かされる。
はじめて聞く言葉が連発されているからだ。
「憎いですか? そんな感想は……はじめて伺いました」
クレシダは拳を握りしめた。
爪が食い込んで、血が滴るほどだ。
「ええ。
なんでこんな時に現れるのかというくらい憎いわ。
でも同じくらい、私の理想を体現しているから愛しいのよ」
クレシダは滴る血を、妖しげな表情で舐める。
「憎いけど愛しいのですか?
よくわかりません」
クレシダはアルファが、目を丸くするほどのぞっとする表情を浮かべた。
このような、深い憎悪に満ちた顔を見たことがない。
「
心を折って壊したい。
でも
どちらも同じくらい強いのよ。
でも一つだけ、ハッキリとした不満があるわ。
それが敵対する理由ね」
「それはなにですか?」
一転してクレシダは、心底悲しい表情になる。
この感情の起伏に、アルファはついていけなかった。
それだけアルフレードが、クレシダの心に深く食い込んでいることしかわからない。
「
私は助力を惜しまないわ。
でもね。
あとは後世に任せる。
出来るのになんでしないの?
おかしいじゃない。
あれだけ心血を注いでつくった社会を、他人に委ねる。
そして確実に、自分より劣った者によ。
人を信じていないのに……信じて託す。
もうわからないわ。
この不合理が、私を捉えて放さないのよ」
クレシダの笑いは、愛憎の入り交じった不気味なものだ。
正気の人間なら逃げ出したくなるような……不協和音を奏でていた。
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