728話 大義名分

 ジャン=ポールから、連続となる報告が届く。

 読んだキアラは、怒り心頭といった顔だ。

 黙って差し出された書状を一読する。


「なかなか想像力が逞しいですね。

使徒ユウの頭の中では、私はどんな存在なのやら」


 怪訝な顔で、隣にやって来たミルに書状を手渡す。

 書状を読んだミルは、オフェリーにパス。

 ミルから表情が完全に消えた。

 これはガチギレモードだ。

 オフェリーも読み終えたあとは、完全に無表情。

 怒りのあまり、どんな顔をしていいのかわからないようだ。


 思わず笑ってしまう。

 当然……3人から冷たい視線を浴びるわけだが。

 キアラは大袈裟なため息をつく。


「笑い事じゃありませんわ。

半魔騒動の首謀者として名指しされたのですよ?

大変ですわ」

 

 使徒ユウの名前で、ニコデモ陛下に親書が送られてきた。

 俺を、半魔騒動の首謀者として糾弾しただけでなく……。


「それで私の身柄を引き渡せ、と要請したのがなんとも」


 ミルも呆れ顔でため息をつく。


「さすがにそんな要求は退けたみたいだけど……」


 亡命者ならともかく……。

 他国の領主だぞ。

 それも証拠すらなく、ただ身柄を引き渡せなんてなぁ。

 少なくとも、ロマン以外の国王なら全員首を横に振る。

 属国だと話は、少し変わってくるが……。

 それでもこれよりマシな理由をつける。

 オフェリーまで呆れ顔で、ため息をつく。


「王都の貴族たちが動揺しているみたいですね。

使徒の意向に従うべきだという声があるのは、ちょっと信じられませんが……。

アルさまって、実は結構嫌われています?」


 俺は他家から好かれているなど、一度も思ったことはない。

 オフェリーは俺が好かれていると思っていたのか?


「そうでしょうね。

そもそも私に好意をもつ貴族なんて、ごく少数ですよ」


 オフェリーは納得がいかないようで、膨れっ面になる。


「でも……。

アルさまは、とても他家に気を使っていましたよね」


 気を使っても好意には結びつかない。

 これは中立から、若干好意的な人たちになら有効だが……。

 そんな人たちは、態度を鮮明にしている。

 俺と友好関係にあることで、利益が得られるからな。


 だが俺の方針は、むやみに味方を増やさない方針にしている。

 味方を増やすと利害衝突に巻き込まれるからな。


「それはマイナスを増やさない要素でしかありません。

そもそも自分よりが、独自の社会を作って陛下から友人扱いされている。

シャロン卿とも親しく、どんな弱みが私に流れたのか疑心暗鬼になっています。

キアラとオフェリーは即位式で見たでしょう。

私とシャロン卿が笑ったら、皆さんビクっとするのです。

それで私を嫌いにならないのは、余程の人格者ですよ」


 キアラはジト目で俺をにらむ。


「お兄さま……。

年齢は気にしない、と言っておいて……こだわりますわね」


 お前ら……。

 どれだけ俺を年齢でいじり倒したんだよ!


「皆していうから、嫌でも気にするようになっただけです。

私のせいではありません」


 ミルとキアラは目をそらす。

 オフェリーだけは不思議そうにしている。

 すぐに自分だけがのけ者と感じたのか、頰を膨らませる。

 顔を俺のすぐ近くまで近づけた。


「詳しく教えてください」


 誰が教えるかよ!

 ミルは無言でオフェリーを引き剝がす。

 前も見た光景だな……。


 俺はわざとらしくせき払いをする。


「話を戻します。

ランゴバルド王国は家格社会。

彼らの頭の中で、私は分家の当主なのですよ。

貴族社会の序列では、たとえスカラ家の分家といえ……弱小貴族の本家より下なのです。

建前上はね。

この建前とは大事なのです。

パーティーでは、家格上位の人間を尊重しないといけません」


 キアラはクスリと笑った。


「これを馬鹿にしたらいけませんわよ。

完全に実力のみだと社会は不安定になりますもの。

時を止める教会の意向に添いますし、地位を安定させたい王家の思惑とも合致しますわね。

ただ完全に固定させるのはムリなので、緩やかな変化を許容したのです」


 その緩やかな変化が常識なんだよなぁ。


「これだけ急激に成り上がったのは私だけですからね。

だからこそラヴェンナが、自分たちの家格を飛び超えたことが受け入れられないのです。

どうあっても好かれませんよ」


 分家の独立が王家から認められるには、最低でも2代は費やす必要がある。

 それが常識だった。


 内乱がその常識を壊してしまった。

 そしてこのような成り上がりは、俺ひとりなのだ。

 だからこそ妬み、そねみは自然な感情だろう。

 だがそれを、表に出すことはない。


 そこまで、表に出すような人物は生き残れない。

 表面上は友好的に振る舞いつつ、機会を雌伏して待つ。

 それがランゴバルド王国の貴族だ。

 そんな意味でスカラ家はかなり特別だった。

 俺にとっては幸運だったが。


 ミルは、やりきれない顔でため息をついた。


「それなら……。

あそこまで気を使うのが馬鹿らしくなるわね」


 ミルはかなり、貴族や上流階級には詳しくなってきた。

 それでも根っこは一般人だからな。


「それだと本来敵でない人まで、敵側に追いやってしまいます。

さすがに王都の貴族が、すべて敵だと困りますよ。

王都のほうにも、注意を向ける必要がありますからね。

まあ……シャロン卿もいることです。

なんとかしてくれるでしょう」


 こんなときのモデストは、とても役に立つ。

 本人にとっては退屈な仕事だろう。

 昔はこんな仕事でも愉しかった。

 ところが、俺からの依頼をこなすウチにつまらなくなったらしい。

 だからと手を抜けば、モデストにとって愉しい仕事の供給源が消えてしまう。

 きっと内心ウンザリしているだろうな。


 ミルは心配そうな顔になる。

 モデストに任せる。

 それは放置すれば危険、というサインに思えたのだろう。


「もしかして……。

安心できないの?」


 少なくともこの火遊びは放置していると、突然大火事になる。


「元々私を嫌う人たちに、大義名分を与えないために配慮していましたからね。

大義名分は、いがみ合う人たちの結集核になりえます。

それぞれの利害は衝突していても、大義名分があると団結します。

あとでいがみ合うにしてもね。

デステ家討伐の際に、各家の庶子を引き込みました。

討伐完了までは見事に協力していましたよ。

今はどうですか?

仲良くいがみ合っているでしょう」


 ミルは小さく笑う。

 庶子たちの経緯は説明済みだ。


「アレは笑ったわ。

リカイオス卿が戦争を仕掛けてきて、また協力しはじめたもの。

実は趣味でいがみ合っていると思うわ」


 それは、実のところ正しい。

 仲良しではないだろうが、価値観は同じなのだろう。

 本気で殺し合いはしない。

 猫どうしのじゃれ合いに近いな。

 本気でかまない部分はそっくりだ。


「まあ余裕が出来るとってヤツですね。

ともかく一致団結させると危険なのですよ。

そうならないように、配慮はしてきましたが……。

使徒の言い掛かりが、大義名分となってしまいました。

決して楽観できる状況ではありません」


 ミルは大きなため息をついた。


「くだらない言い掛かりでも、大義名分になるのね……」


 俺は苦笑せざる得なかった。


「不満という空腹を我慢していた犬がいたとしましょう。

理性という主人がそれを押さえ込んでいました。

そこに使徒の意向という……見た目だけでも美味しそうな餌が転がってきたらどうでしょう。

食いつくと思いませんか?」


 キアラは意地の笑い笑みを浮かべる。


「中は腐っていて、かすかな腐臭が漂っても食いつきますわね。

食べたらお腹を壊すでしょうけど……」


 ミルは力なく首をふった。


「アルの立場は安泰だと思ったら、結構不安定なのね……」


 オフェリーは不思議そうに、首を傾げる。


「アルさまなら……。

立場を強固に出来たのではありませんか?」


 それは危険なんだよな。

 俺が王都に常駐していれば、話も変わってくるが……。

 遠隔操作では、限界がある。

 だが特殊な例として認められたラヴェンナ領主が、王都に常駐していたら……。

 別の疑念を巻き起こすだろう。

 特殊を常識にする気じゃないかと。

 それに加減が難しい。

 手段が目的に、すり替わることもあり得るだろう。


「そうすると……それ以外のことが出来なくなります。

強く押さえつけようとするほど反発しますからね。

強固にしようとすればするほど、予想外の事態にはもろくなります。

それにちょっと不安定なくらいのほうが、長く続けられますよ。

私を嫌いな人たちも、今より状況を悪化させたくない人が大多数です。

なにより内乱を生き抜いたあとで、もう一度命を掛け金に博打をしたい人は、ごく少数ですから」


 オフェリーは心底不思議そうな顔をしている。


「アルさまは嫌われても……平気なのですか?」


 オフェリーの受けてきた教育は、他人の目を重視するものだったな。

 それを気にしないのは、まだ理解できないか。


「私は人からどう思われても、気にしません。

全員に好かれるのも、気持ち悪いですしね。

好かれようと必死になっても、なにかの拍子で人の感情なんて、簡単に裏返ります。

そんな不安定なものに寄りかかる気になれないだけです。

それにこれだけ、私を信じてくれる人がいるのですからね。

私を嫌う人に迎合して、周りの人を失望させる気にはなりませんよ」


 喋っていて、自然と冷笑的になってしまう。

 俺の顔を見たミルが慌てて、オフェリーの肩をたたく。


「オ、オフェリー。

アルにこの話をすると、闇しか出てこないから……」


 闇ってねぇ。

 素が出るだけだ。

 オフェリーはシマッタという感じの顔で、舌を出す。


「あ、そうでした。

数少ない地雷ポイントでしたね」


 地雷ポイントかよ。

 そんなに、態度に出ていたかなぁ。

 俺が首をひねっていると、キアラがわざとらしいせき払いをする。


「お兄さま。

この対処は、シャロン卿に一任しますの?」


 ナイスだ。

 話を変えてくれた。


「そのつもりですが……。

なにもしないわけにはいきません。

此方こちらの立場を表明したほうがいいでしょうね。

馬鹿げた話ですが……。

沈黙をしているのは反論できないからだ、と言われてしまいます。

それだけでなく私の弁護をしようとする人も、私がダンマリでは……なにも出来ませんからね」


「それ以外になにか付け加えます?」


 それだけでは弱いと判断したか。

 たしかにキアラの認識は正しい。

 そうだなぁ……。


「もし使徒の声明に同意するなら、根拠を示してほしいといったところですね。

使徒が言ったからは、もう根拠にならないとも付け加えてください。

正当性に対する教会の回答は、まだないのです。

なのでラヴェンナとしては使徒の正当性は認めていません。

単に他国からの身柄受け渡し要求ですからね」


 ランゴバルド王国内で教会の領地は、10分の1程度まで減っている。

 公開質問状の回答がないまま、既成事実を積み上げよう。

 だから有耶無耶うやむやにしても、一向に問題はない。

 だが使徒に乗っかって攻撃してくるなら、釘を刺す必要がある。

 忘れたわけではないのだから。


 キアラは満足気にうなずく。

 どうやら合格点らしい。

 どうも俺への攻撃だと対応が無頓着になるからな。


「ちょっと考えれば、お兄さま相手に火遊びは危険なのですけどね。

学ばない人は、多くて困りますわ」


 学んでいたと思う。

 だが1000年続いた常識のほうが強かったのだろう。


「腐っても使徒の威光は強いのでしょう。

でも全員がそうではないのです。

モロー殿が張り切って、分断工作を仕掛けてくれると思いますよ」


 オフェリーがビシっと挙手する。


「アルさま。

質問です」


 思わず苦笑してしまう。

 そのまま聞いてくれればいいのに……。


「断らなくてもいいですよ」


 オフェリーは生真面目な顔でうなずく。

 これは癖なんだろうなぁ。


「石版の民です。

審判の時が近いと思い込んだら、どうして動きが止まるのでしょうか。

彼らが動ければ、王都の問題への対応はやりやすいと思いますが……」


 そっちの疑問か。

 動けないと言われた話を黙って受け入れた。

 それが不思議だったようだ。

 説明しなかったからなぁ。


「ああ。

審判の時とは、戒律に背いた者が神によって罰せられるのです。

彼らにとってラヴェンナは、のろわれた土地。

そこの住人に協力など……恐ろしくて出来ないでしょう。

更に罪を重ねるのではとね。

今は可能な限り、戒律通りの生き方になっていると思います」


 オフェリーは目を丸くしている。

 あれ? 説明がマズかったかな。


「ええと……。

そんな理由を受け入れたのですか?」


 ああ……。

 そこが気になったのか。


「彼らはその戒律と共に生きてきたのです。

私たちが思うより、ずっと大事なのですよ。

戒律とは理屈と違うのですから。

それを知った上で、彼らと付き合いはじめたのです。

だからこそ彼らも、曖昧な部分は此方こちらに合わせてくれていますよ。

それなら……戒律に関わることは、可能な限り尊重すべきでしょう?」


 オフェリーは、小さくため息をついた。


「そういえば……。

アルさまは最初会った時に、私の話をちゃんと聞いてくれましたね。

それまでは聞いたフリをする人ばかりで……。

話のあとの配慮に、私は本気で話を聞いてくれたと感じました。

それと同じなのですね」


 石版の民は、被害者意識が強くて用心深い。

 それを知った上で、彼らとの協調を決めている。

 恐らく……俺への協力が難しいと伝える時、かなり内部で議論があったろう。

 疑う話も、当然出たはずだ。

 だが彼らの主張を受け入れたことで、ベンジャミンの発言力は高まるだろう。

 なにかとやりやすくなる。

 


「それよりこの世の終わりではない、と判断したときが大事です。

もし彼らの言葉が本当で、審判の時だったら……そもそも終わりですよ。

だから私としては、選択の余地はないのです。

ここは尊重して、あとに納得して働いてもらうのが得策ですよ」


 キアラは、少し悪戯っぽい顔をする。


「審判の時なんてない、と教えて差し上げるのはどうです?

クレシダの企みですもの」


 それはダメだな。

 理屈で納得できない話に、理屈を持ち込んでも有害なだけだ。

 自分たちの聖域に土足で踏み込んで来た、と思うだろう。


「彼らの慣習を無視して、私の認識を押しつけるのはマズイでしょう。

終わったあとで、わだかまりが出来ます。

今でも私を、疑いの目で見ている石版の民は多いと思いますよ。

長い歴史が、彼らを用心深くしていますからね。

彼らに疑う大義名分を与えることになります。

『自分たちを理解するのはポーズだけだ』と言われると、誰も反論できないでしょう?

そもそも彼らがいないと、私の地位が保てないのは話になりませんよ。

彼らはあくまで補助的役割です」


 オフェリーは、難しい顔で首をひねっている。


「シルヴァーナさんが言っていましたけど……。

アルさまは寛大なのか……人間不信なのか……わからなくなります。

あ! 私たちは信頼してくれていると知っています」


 一々付け足さなくても大丈夫だって。

 基本的には人間不信だ。

 疑ってかからないだけだからな。


「相手によるだけですよ。

聖人君子を売り物にしていませんからね」


 ミルが小さくため息をつく。

 また地雷だったのか?


「そういえばオフェリー。

ルグラン特別司祭からなにか、便りはある?」


 どうやらそのようだ……。

 話題を変えたからな。

 ミルたちにとって、俺のこんな態度は嫌なのか。

 気をつけよう。


 オフェリーは気まずい表情で肩をすくめた。


「いいえ。

叔父さまも驚いていると思います」


「教会はどうするつもりかしら……」


 オフェリーは首をふる。

 考えたくないのだろう。

 俺の見解を伝えておくか。

 多分間違っていないと思う。


「分裂するかもしれませんね。

どちらにしても……ラヴェンナどころではないでしょう。

国境沿いでランゴバルド王国に入れてくれ、と嘆願するアルカディア国民が相次いでいるようですから。

内部はもっと酷い混乱でしょう。

この問題を、教会は重く受け止めていると思います。

だからこそですよ」


 なにせ半魔は、教会のせいと言われかねないのだ。

 だから自分たちは無実だと主張するために、俺のせいにでもしたくなるのだろう。

 攻撃している間は、無実でいた気になれるというものだ。

 腐っても使徒の言葉。

 それにすがるのは、世俗の人間の正論より……ずっと飛びつきやすい。

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