727話 閑話 想定外

 アルカディアは混乱に陥っている。


 民衆はいきなり、権利を与えられた。

 本来なら、権利には義務が伴い、自制する精神はそれなりに働く。


 だがそのような知恵をもつ中高年は、軒並み排除されている。

 それが、際限なき権利の要求に帰結した。

 影響も考えずに、要求ばかりを声高に叫ぶのだ。


 使徒ユウが生み出したメディアは、それを助長する。

 常識が崩壊して、良識も役に立たない。

 自分の利益だけを追求するのだ。


 政治自体も、ポピュリズムが正道とされている。

 このような状況では、社会は上手くいかない。


 ではどうするのか?

 わかりやすい敵を作って、責任を転嫁する。

 それは旧体制を連想させる役人だ。


 反論出来ない相手を叩くのは安直だが、手っ取り早い方法である。

 こんな状態でも、自己の責務に忠実な義務感の高い役人は、普通なら存在するはずなのだが……。


 ロマン、トマのリレーによって絶滅していた。

 職務に精励するだけ損なのだ。

 損だけならまだしも、命すら危うい。


 かくして行政を担う役人も、ポピュリズムに迎合する。

 国庫が枯渇しようともお構いなし。


 そもそも高所から、全体を采配するのはトマなのだ。

 トマ自身、長期的な視野など薬にもしたくない人物。

 目の前の問題を、解決した気になればよしとするタイプである。


 かくして使徒ユウが夢見た世界とは、まったく異なる世界が生み出された。

 本来ならこのような社会は成立し得ない。

 外国から侵略されるなどの末路が待っている。

 もしくは危機感が自制を促す。


 アルカディアは違う。

 使徒がアルカディアの存続を保証している。


 その保証が人間の業を解き放つ。

 声の大きい者が優遇され、やった者勝ちな世界。

 自制など食い物にされるだけなのだ。

 このような世界では不正が横行する。

 良識があるものは、社会に絶望して距離を置く。


 かくしてモラルなき世界が到来する。

 荒廃した社会に生きる人々は、正義が大好きだ。

 それは他人に強いるものであって、自分が守るものではない。

 

 そんな不純な武器だと知っているからなのか、正義を声高に叫ぶ声は日々大きくなる。

 アルカディアの正義とは、他者を叩くための武器である。


 だからこそ徒党を組んで、不正の追及から自分たちを守ろうとする。

 社会の主役となった若者同士は、グループに別れていがみ合う。

 

 他人に不正を追及されれば、相手の不正をより大きな声で打ち消す。

 アルカディアで、不正に関わらない有力者など存在しないのだ。


 不正をしないものなら存在する。

 残念ながら……しないのではなく、出来ないだけ。

 甘い汁を吸えない負け組に他ならない。

 それが暗黙の常識であった。


 そんな負け組は、正義という剣で敵を斬りつけるときのグリップとして使われる。

 敵が倒れれば捨てられるだけだ。


 弱みを見せると危険。

 溺れる者は棒で叩かれる。


 疎外された中高年の目に映る若者たちの姿はまるで、自分たちが侮蔑していた旧フォーレ国民の生き写しの様であった。

 裏社会のほうが、ずっと秩序と道理があると。

 そして旧フォーレ国民だからではなく、環境で人はこうなる現実を突きつけられる。


 それに気がつく客観的な者は、傷口に塩をすり込まれたのであった。

 かくして絶望のあまり、自ら命を絶つ者も現れる。

 主観的なものは、ただ若者の浅はかさを嘆くだけ。

 絶望と世代の溝は深まるばかりであった。


 それも知らずに、数年後はいい世界になる、と信じて疑わない使徒ユウであった。

 多少の混乱が起こるのは想定済み。

 今は産みの苦しみだ、と気にしないのである。

 そもそも聞きたくない報告は聞かないのだ。


 そんな夢を破るかのような半魔騒動。


 本来なら情報の広がりは遅く、国が統制出来ていた。

 それを取っ払って自由に報道させることを、原則としている。

 その副作用ともいうべき事態が巻き起こっていた。


 半魔の存在は以前から、噂で広まっている。

 娯楽程度の認識だったのだが……。

 大量の人型魔物発生と、住民の消滅。

 これを結びつけて、センセーショナルな報道をする。

 熱狂と不安に浮かれていた民衆は、それに飛びつく。

 民衆の混乱は、収拾がつかないほどになっている。


 対処を求められたトマは、いつものように脊髄反射で決定を下す。

 自己評価と実際の能力が相反する人物にありがちなことだ。


 目の前で火事になれば、誰しもが問題に気がつく。

 誰でもわかる問題にならないと対応しない。

 それを素早く消火したから有能だと満足する。

 だが火事を招いた原因や、消した後の問題にまで目が届かない。


 トマはいつものように、脊髄反射でミントに飛びつく。

 ミントがそのような魔物を遠ざけると聞いた。

 大々的に栽培して、それぞれの町を囲うように指示したのだ。

 そんな数のミントがあるのかと思われたが、ヴァロー商会に大量の苗を提供する者が現れた。

 それによって、トマは面目を施す。

 トマは自分の有能さを証明できた、と大満足。

 

 当面の危機は去ったと思われたが、幾つかの町や村が消滅していると噂される。

 確認に向かった酔狂な者が数名いた。

 だが……誰ひとり戻ってこない。


 このような事態に陥ると、使徒ユウへの救いを求める声が殺到した。

 使徒ユウへの報告を、一手に担うカールラですら抑えきれないほどだ。


 その話を聞いた使徒ユウは、不機嫌になる。


「情報が不確かだよ。

それでなんとかしてくれって言われてもなぁ」


 カールラはユウが、何もしたがらないことだけは知っている。

 消極的な反応は予想できたのだ。

 それだけでなく、今回の救いを求める声は曖昧すぎた。

 集まってくる情報の質がまばらすぎて、真偽や規模を判断しかねたのだ。


 頼みのモルガン・ルルーシュは、問題が発生したとして、ここに来る回数が露骨に減っている。

 だからこそこの話を軽視出来ないのであった。

 この問題の対処に追われているのでは、と思ったのだ。


 カールラは、どのように対処すべきかわからない。

 元々上流階級の出身なので、その方面でなら頭が回る。

 このような問題を対処した経験がなかった。

 相談できる相手もいない。

 ダメ元でユウに話をしてみたが、やはりダメだった。

 カールラは深いため息をつく。


「どうしたらいいのかしら……」


 カールラの様子に、ユウが少し慌てる。

 

「本来ならギルドだけで対処する話だろ。

僕を便利屋のように思われても困るよ。

それに僕がいなくなった後は、どうする気だよ。

自分たちでやれることはやるべきさ」


 カールラは困惑顔になる。

 どう返すべきか迷ってしまったのだ。


「そうね……。

ギルドに指示しておくわ」


 なんとなくぎこちない空気になったので、ユウは空気を変えようと笑顔になる。


「それより今日だっけ?

新しいメンバーが来るのは」


 さすがのカールラでも、ユウの話題変更に言葉を失う。


「え……ええ」


「僕にはそっちのほうが大事だよ。

それにしても冒険者ギルドもだらしないなぁ……。

ところでさ……。

ちょっと気になるんだよ」


 ユウは自分の話題変更が滑ったことに気がつく。

 慌てて、別の話題を探す。

 元々コミュ力は皆無なのだ。


 そんなユウに前々から持っている被害者意識が、天啓を与えたらしい。

 なにか望む答えを待っている様子になる。


 カールラは再びの話題変更に、戸惑いを隠せない。


「どうしたの?」


 ユウは身を乗り出す。

 少し頰が紅潮している。

 あふれ出る被害者意識が、精神を高揚させているようだ。


「このタイミングで、こんなことが起こるのは変じゃないか?

誰か僕に嫉妬して、嫌がらせをしていると思うんだよ」


 ここまで言われて、カールラは気がつく。

 前々から狙っていた、絶好の機会だが……。

 あまりに拍子抜けするタイミングでのチャンス到来に、戸惑いを隠せない。

 想定外だったのだ。


「そうね……」


 カールラは一瞬戸惑ったフリをするが、ユウが誰を指し示しているか明白だ。

 この世でユウに敵対するのは、ひとりしかいないのだから。

 ユウはさらに身を乗り出す。


「なにか心当たりがあるのか?」


 カールラは表向き躊躇ためらった様子だが、鼓動は早くなっていた。


「半魔の噂って、ラヴェンナから流れて来ているんじゃないかしら……」


 ユウは大袈裟なポーズで、天を仰ぐ。


「またアイツか!

どれだけ僕の邪魔をすれば、気が済むんだ!」


 カールラにとって、待ちに待った機会だが……。

 心が警告を発している。

 ここで同調すれば、完全に敵対行動に持って行ける。

 だが現在のアルカディアで、そんなことをしていいのだろうか。

 そもそも勝てるのか?


「まだ証拠はないわよ……」


 ユウは唇の端をつり上げる。

 カールラは現実的な視点から尻込みしてしまった。

 それをユウは知らずに決断させるために、わざと躊躇ためらったフリをしていると解釈したのだ。

 ユウはカールラの望みを知っている。

 だから尻込みしたなど想像の外であった。


「僕に殺されかけたことを、根に持っているに違いない。

アイツ以外に僕を嫌っているヤツなんていないだろ」


 カールラにとって冷静な部分が、さらに警告を告げる。


「そ、そうね……。

どうするの? 放置する?」


 だか今のユウには、慎重な態度は逆効果。

 煽る態度にしかならない。

 だが……いざ実行となると、生来の日和ひよる癖が顔を出す。


「こんな邪魔されて黙っていたら……つけあがるだけだ。

でも今は、選挙に向けて手一杯だ……」


 奇妙なことに、ユウが日和ひよった瞬間、カールラは不安になる。

 今を逃すともうチャンスは来ない、という恐怖にとらわれた。

 言質だけでもとっておく必要がある。

 それとユウが冷静になったのは、肝心のカールラが乗ってこなかったのもあった。

 ユウの性格を知り尽くしているだけに、今度はカールラが同意しないとダメなことに気がつく。


「それなら今回の騒動は、ラヴェンナのせいだって広める?

それなら皆も納得して、仕返しに協力してくれるわ」


 ユウは満面の笑みを浮かべてうなずく。


「さすがはカールラだ。

あの陰キャに相応しい仕返しだな。

そうしてくれよ」


 こうして後戻り出来ないラインを踏み越える。

 ユウは成功を疑わない。

 カールラは、どう成功するかの筋道が見えないままに。


 


                  ◆◇◆◇◆


 クレシダは珍しく困惑顔だった。

 そんなクレシダを、アルファは不思議そうに見ている。


「クレシダさま。

珍しいですね」


 クレシダは自嘲気味の笑みを浮かべた。


「そうね。

世の中なんでも私の、思い通りいくはずがない。

愛しい人アルフレードだけは、例外と思っていたけど……」


「半魔の件ですか?」


 クレシダは悩ましげに、ため息をついた。


「そうよ。

予定だと半魔の群れが、プルージュの近くまで押し寄せているはずだったの。

そうなれば、使徒でも見ないフリはできない。

ところが半魔は、ルートを変えたのよね。

お陰でランゴバルド王国方面に移動しはじめたわ。

ちょっと計画の修正が必要ね」


「ラヴェンナ卿の仕業ではなさそうですね」


 クレシダは苦笑して、肩をすくめた。


「方向が違うわ。

それにいくら愛しい人アルフレードでも、正確な時期を狙って誘導なんてムリよ。

まるで餌に釣られたかのように誘導されているのが、気になるわね」


「ユートピアへの出入りはなくなっていますからね。

半魔の発生時に、町の外に誰かいたのでしょうが……。

普通なら町に入りますし、異変を感じたら全力で離れます。

町の外で踏み止まる理由もありません」


 クレシダは悩ましげに、首を傾げた。


「そうなのよ。

ふたりだけの舞台で踊るには時期尚早みたいね。

もうちょっとかかりそうだけど……。

叔父さまが心配よね」


 アルファは記憶を探るように、首を傾げた。


「ラヴェンナが本格攻勢に出ない限りは安泰だと思いますが」


 クレシダは恍惚こうこつの表情で、ため息をつく。


「ペルサキスが名も知らない野盗に釘付けよ。

あれは驚いたわ。

しかも一騎打ちまでしたそうじゃない。

あれでペルサキスは、虜になっちゃったしね。

任務を外れろと言っても外れないわ。

愛しい人アルフレードは、どんなカードを持っているのか……。

考えたら楽しくなっちゃった」


「そういえば……。

ラヴェンナ卿は、他者が見向きもしない人材を集めて活躍させていますね。

獣人の将軍は、さすがに驚きました」


 クレシダは渋い顔で、外に視線を向ける。


愛しい人アルフレードの話は楽しいけど、今回の心配はそれじゃないわ。

叔父さまにすべての責任を押しつけて、愛しい人アルフレードと手打ちにする動きが出てくるはずよ」


「ラヴェンナ卿にそんな動きがあるとはつかめていませんが……」


 クレシダは、軽く笑って手をふる。


「違うわ。

国王陛下よ。

正確にはその背後にいる存在かしらね。

叔父さまは海戦を仕掛けるつもりだろうけど……。

そう上手くいくかしら。

長期戦になったら、叔父さまが不利だしね」


「ラヴェンナ側は長期戦だと、兵站の問題が出ると思いますが……」


 クレシダは笑って、手をふる。


「それより先に、叔父さまがダウンするわ。

これも正確に言えば、叔父さまを支えている民衆ね。

相次ぐ徴発で、食糧不足になっているもの」


「そういえば、数で圧倒する方針に切り替えましたね。

ペルサキス卿の働きで、輸送が改善されたからでしょう」


 クレシダはフンと鼻を鳴らす。

 

「決戦の準備もあって、馬が徴発されているわ。

農作業の男手と労働力の馬がとられたらね……。

収穫は減る一方。

今や一般市民は、豚と食糧を奪い合っているじゃない。

それは分かっていても、そうせざる得ないのよ。

時間は叔父さまの敵に回ったわ。

愛しい人アルフレードに踊らされているとも知らずにね」


「仮に決戦で負けたら、リカイオス卿の命はないと」


 クレシダは艶やかに笑って、手をふる。

 叔父の命は、どうでもいい素振りだ。


「多分ね。

元々愛しい人アルフレードが、半魔に介入する力を削ぐための咬ませ犬だったけど……。

予定が狂ったお陰で、こっちも時間との勝負になるわ。

そういえば……。

エレボスは、上手くやれているかしら?」


「はい。

もう少し時間がかかります。

急がせましょうか?」


 クレシダは即座に、首をふった。


「いいえ。

急がせて失敗したら、目も当てられないわ。

ここは別の手で、時間を稼ぎましょうか。

カールラでも動かせば事足りるでしょ?」

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