726話 様々な予兆
最近オフェリーはご機嫌だ。
今までなら……。
オフェリーがマリー=アンジュの見舞いから戻った日は、エテルニタは絶対オフェリーに近寄らない。
触ろうとすると威嚇までする。
そのエテルニタが逃げなくなったのだ。
見舞いに連れて行こうとすると、猫パンチに加えて威嚇をするが……。
いずれは連れて行ける、と期待しているようだ。
そんなエテルニタに、変化が見えはじめた。
人に触られたくないときは、書類棚の上に避難するのは変わらない。
だが……壁にもたれて、オッサンのようにだらしなく座り込んでいる。
どうも、カルメンのポーズを真似したらしい。
自室では、淑女にあるまじき……だらしないポーズで過ごすようだ。
そうキアラが嘆いていたな。
自室でリラックスしているなら構わないだろう。
エテルニタはそんな姿勢で疲れないかと思ったが……。
ムリをしている様子がない。
むしろとてもリラックスしている……。
猫って……猫でいることが大変なのか? と思いもする。
いや……ただの思いつきだけどさ。
ミルたちはその格好が、気になるようだ。
エテルニタはミルたちと目線が合うと……。
気にするなと言わんばかりに欠伸をする。
賢いのかただの変猫なのか……わからない。
正直気にしていないがな。
俺には、猫の奇行を気にする暇などないのだ。
差し当たり、キアラに冒険者ギルドの調査をしてもらっている。
パトリックもラヴェンナ市民として協力してくれた。
そもそも存在意義を盾にして、交渉の材料にするのは認められないようだ。
パトリックがマトモな人で助かるよ。
それでも世間は、マトモな死霊術士より……とんでもない主張の一般人を信じる。
肩書だけで判断するのは仕方ないが……。
どうもスッキリしない。
言動で是非を問うべきなのだが……。
人間性に対してのない物ねだりだろうな。
せめてラヴェンナの中では、中身で判断する人が、肩書だけで判断する人に非難されないことを願うよ。
この話は、それでいいだろう。
それより、新居への引っ越しが近い。
身の回りはバタバタしていた。
この屋敷に5年くらい住んで、結構愛着がある。
ちょっと寂しい気もするな。
単に、新しい配置を覚えるのが面倒なだけかもしれない。
楽しいはずの引っ越しだが、ミルは頭を抱えていた。
理由はわかるよ。
観葉植物をかなり増やす必要がある。
名前をつけるのが大変なんだろう。
そう思っていると、ミルに睨まれる。
なんでわかるんだよ。
そんな日常を過ごしていると、カルメンが俺を訪ねてきた。
少しばかり真顔だ。
なにかあったのだろうか。
「カルメンさん。
どうしました?」
「山の向こうからきた人です。
リーダーで……。
ハンノと名乗っていましたね。
そのハンノですけど……。
ちょっと気をつけたほうがいいかもしれません。
決して気を許さないのが賢明です」
カルメンがそこまで断言するのであれば……。
なんらかの根拠があるのだろう。
「理由を伺いましょう」
カルメンは、軽く
「薬学の勉強に来ている優等生の彼。
タツィオ・サモリと笑い方がソックリなんですよ。
彼の性向と似ていると感じました」
珍しいな。
それだけの言葉で、俺を説得する気なのだろうか。
「笑い方だけではちょっと弱いですね」
カルメンは真顔だ。
「サモリは毒の話だと、自然な笑い方をします。
それ以外の話だと……。
ここは笑うところだ、と判断してから……つくり笑いを浮かべます。
ニイッと顔の筋肉を動かしてつくる笑みですね。
そして反応が、ちょっとだけ遅れるんですよ。
そのハンノという人も、同じ笑い方をしました。
そんな笑い方をする人で……。
マトモな人は、ひとりも見たことがありません」
そういえば探偵みたいなこともしていたな。
その経験にもとづいているのか?
「つまり今までの経験から導きだされた結論なのですか」
カルメンはほほ笑んだ。
余計な質問を省けたとき、カルメンの機嫌はよくなる。
「それらの人には、傾向があるのですよ。
複数の傾向があって、個人差はありますが……。
概ね幾つかの傾向が、強く出ます。
モデストさんとも共有している認識なので、私個人の思い込みじゃありません。
それにライサさんにも相談して、間違いないとお墨付きをもらえました」
どちらも多くの人を客観的に見てきた人物だ。
ふたりが異を唱えなかったとすれば、それなりの説得力はあるだろう。
とくにライサのお墨付きは強い。
占い師をやって来ただけに、人物鑑定が出来ないと食っていけないだろう。
「そこまで根拠を持ってきてくれたのです。
伺わないわけにはいきませんね」
カルメンはとても嬉しそうにうなずく。
そういえば……。
ここに来る前はカルメンの話を、モデスト以外に真剣に聞く人はあまりいなかったらしい。
実の両親からしてそうだ。
あまりに変人だから仕方ない部分もあるが……。
話をちゃんと聞いてもらえるのは嬉しいのだろう。
「総じて危険な人物です。
知らずに接すると、痛い目を見ますよ。
すべてが一致するわけではありませんが……。
表面上は口達者で社交的かつ魅力的です。
その内面は表面とは似ても似つきません。
非常に利己的で、自分のことしか考えないのです。
そして自尊心が過大なまでに大きいので、自慢話が大好き。
それも実績にもとづいているとは限りません。
異常なほど平気で噓をつきますから」
聞いているだけで胃もたれしそうだ。
「なんとも楽しい人物像ですねぇ……」
「まだまだです。
自分の非を決して認めません。
あと結果至上主義なので、経過は無視。
つまり他人を踏み台にすることを躊躇しません。
手柄を盗もうとも騙そうともです。
当然ながら良心はないので、罪悪感は皆無。
それでいて相手の目から感情を読み取るのは得意ですね。
その特技から、人の良心を利用して食い物にします。
概ねそんな傾向です」
なんだそのロマンやトマのような人物像は。
大体は的中している気がする。
だがなぁ。
「そんな人がリーダーで、山を越えられるのでしょうか?
まるでロマン王やクララック氏じゃないですか。
探検隊はバラバラになって失敗しますよ。
自然は人の権力に忖度などしませんから。
強力なリーダーシップがない限り、あの山を越えるのは不可能でしょう」
カルメンは苦笑して、肩をすくめた。
俺に言われて、ふたりがハマっていることに気がついたのだろう。
「あのふたりほど、ほぼすべてが強く出る人はまれですよ。
あと決定的に違うのが能力です。
大体は優秀ですから。
普通なら各傾向の濃淡は個人差があります。
そしてリーダーとしての適正が高いのも特徴ですから。
表面上魅力的なのと……手段を選ばずに目的の達成に向かいます。
そして人を操って利用することに長けていますから。
腐臭を嗅ぎつける禿鷹並に利用できる人を嗅ぎ分けます。
長期的な成功は難しいですが、短期なら結構成功しますね。
優秀と評される人には、多々いるタイプですよ。
あ! アルフレードさまは違うタイプですから安心してください」
俺がどうなのかは自信がない。
と思ったが、ミルとオフェリーがブンブンと首を縦に振っている。
ふたりもカルメンと同意見らしい。
それにしても話が怪しくなってきた。
まあ……ここまで聞いたら聞くべきだな。
「疑うわけではありませんが……。
もうちょっと根拠が欲しいですね。
ハンノ殿は本当に合致しているのですか?」
「そうですね……。
キアラに頼んで、会話に同席させてもらいましたけど……。
今回の成功は自分ひとりの功績だ、と自慢していましたね。
かなり盛っている気がしますよ。
そして足手まといを切り捨てる決断も躊躇しない。
それを美談のように話していますが、どこか演技くさいです。
だからこそ彼の言葉は、あまり信じないほうがいいでしょう。
ただ探検家としては、極めて優秀だと思います。
自分が生き残るための最善を、迷いなく選べますから。
一緒に探険するかと言われれば、絶対にいやですけどね」
頭から否定する話ではないな。
より注意して応対する必要がある。
「その傾向が正しいとするなら、下手な応対をしては危険な気がします。
戻ったときに、こちらは敵対的だと吹聴されそうですねぇ。
とはいえ要求を聞けばエスカレートしかねません」
カルメンは苦笑して頭をかいた。
「否定は出来ません。
ハンノが故郷でどれだけ信用されているか……。
それ次第でしょうね」
これは相手に合わせて応対をすると、面倒なことになりそうだな。
「ふと思ったのですが……。
本国の説明も誇張されていませんか?
それに本国での自分の地位もです」
カルメンは上機嫌だ。
「私の話を信じて進めてくれるから、とても助かります。
本国の情報ですが……。
話を聞く限りですが、大きく進んではいないと思います
あちらは敵がいないようなので、発展の必要性も薄かったのではないかと。
地位に関しては、かなり盛っていると思いますよ。
先祖は王族の
まったくもって面倒な来訪者だな。
よりにもよってこんなときにだ。
いや……。
面倒な性格だからこそ、山を越えるなんて酔狂なことが出来たのか。
部下の人望は、あまりなさそうだな。
カルメンの推測の裏取りも兼ねて、ハンノの部下とも面談をしてもらうか。
「それは不幸中の幸いですね。
いずれにせよ、そのハンノ殿の言葉はうのみにせず……。
慎重に対応してもらいましょう。
それにしてもちょっと面白いですね」
思わず笑いがこみ上げてしまった。
カルメンが首を傾げる。
「なにがですか?」
「世界が違っても、人間は人間なのだなと。
違うのは言葉だけのようですからね」
カルメンは、俺の笑いのツボが理解できなかったようだ。
微妙な顔で愛想笑いをしている。
カルメンの愛想笑いは珍しいようだ。
キアラ曰く、カルメンが愛想笑いをするのは俺にだけ。
他の人にはしても無意味だからと。
男女の関係ではないが、好意はもってくれているのだろう。
本人がそう明言しているからな。
その話をしたとき、疑うようなキアラの視線が痛かった……。
◆◇◆◇◆
警察大臣ジャン=ポールから、書状が届いた。
この前の暗殺がらみではない。
アルカディア国境沿いでの異変だ。
アルカディアで町や村から、丸ごと人が消えたなどの噂が飛び交って、パニック状態になりつつある。
人のような魔物が
噂なので尾ひれがついている可能性は高いが、アルカディアで変事が発生していることは、間違いないとの報告だった。
そのため古巣や教会への工作が現状では難しい、という言い訳がセットである。
それと追伸のように記されているが……。
正体不明の老婦人が配っていたミントを育てると、人型の魔物が寄ってこないという噂も広がっている。
おかげで多くの町や村は、ミントで外周を囲うようになっているらしい。
これらのほうが、大事な情報だ。
恐怖で人を煽って、人に
しかも人々を救うはずの統治側は、使徒ユウの急激な改革で、機能不全に陥っている。
若者とそれ以外の世代も分断されている始末だ。
そうなると、この魔物はどこから出てきたのかと、疑問に思うだろうな。
それがユートピアとなれば……。
教会がなにかをした、と思い込まれる。
人々は、
そこに火山噴火。
もうすべてが壊れるな。
そして人々は、ランゴバルド王国やシケリア国王に逃げ込もうとする。
そんなものを受け入れていたら、共倒れになるだろう。
俺の心を折るついでに、人々の心を徹底的に折るつもりだな。
観客なら拍手したくなる。
ミルたちは不安な顔をしていた。
オフェリーは、少し青い顔だ。
アレクサンドル・ルグラン特別司祭が心配なのだろう。
冷たいが出来ることはない。
彼がひとり逃げてくるハズはないだろう。
最後まで踏みとどまるはずだ。
だからこそ何も出来ない。
支援を求められたら、話は変わってくるが……。
それでもラヴェンナのためになれば、という条件がつく。
俺の行動はすべてその制約がついて回る。
俺ひとりだけの責任なら、もっと自由に動けるのだが……。
有り得ない前提を考えても詮ないことだ。
キアラは、俺の予想を聞いていたから驚いてはいない。
ただ多少緊張している。
「お兄さま。
ついに来ましたね。
ここからクレシダは、なにか手を打ってきますの?」
それはない。
クレシダの実行部隊は、そこまで潤沢じゃないはずだ。
「恐らく成り行きを見守るでしょう。
そこでどう背中を押して、崩壊に導くかだけ考えていると思いますよ」
キアラは不安そうに、眉をひそめる。
「それも座視しますの?」
アルカディアに直接、干渉など出来ない。
「手の出しようがありません」
キアラは小さくため息をつく。
「そろそろ、クレシダにどう対抗するのか……教えていただけません?」
方針は決まっている。
だが具体的な方法までは決まっていない。
「まだ頭の中で漠然とした案しかありません。
なのでまだ、ハッキリとしたことは言えませんよ」
キアラは、あきらめ顔でため息をつく。
「こうなったらお兄さまは、絶対に口を割らないですわね。
でもただ座視していないことだけは信じますわ」
俺が方針を口にすると、それが決定された未来のように動き出してしまう。
それではマズいのだ。
クレシダ相手では一手の遅れが、致命傷になり得る。
こちらが圧倒的に不利な戦いなのだ。
「ええ。
負けるつもりは、サラサラありませんよ」
そこに、外交省の職員がやって来た。
職員はキアラに報告して、書状を差し出す。
急ぎの報告のようだな。
どこからかはわからないが……。
キアラはそれを読んで、ため息をつく。
「お兄さま。
ベンジャミンさんからです」
キアラが差し出した書状を受け取る。
石版の民か。
契約の山が爆発することは知らないはずだが……。
別の方向から予測したのか。
「アルカディアでの不可解な現象ですか。
彼らの教えで、この世の終わりの光景に、よく似ていると。
審判のときがくるのではと、石版の民たちが動揺しているようで……。
落ち着くまでは、なにか依頼があっても動けないとの謝罪の言葉ですよ」
ミルに書状を手渡す。
読み終えて、首をひねっている。
「ええと……。
契約の山方面の空が、時折不気味に光っているのね。
上空の雲も不気味な模様になるって……。
それが審判のときが来る前の予兆ってことなの?」
他の噴火のときに、同じような現象が起こったのだろう。
それが、言い伝えで残っていると考えるのが妥当か。
ベンジャミンからもらった本は、筆写して図書館に収蔵してある。
俺はそれに目を通す暇はなかった。
「彼らの終末論まで読んでいませんが……。
そのようですよ。
各方面の同胞が目撃したのでしょう。
神話は幾分かの事実を元にしているでしょうから……。
あながち妄想だとも言い切れません。
石版の民が動けないのは、少々残念ですが……。
仕方ありませんね」
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