718話 閑話 取るに足らない男
ヤン・ロンデックスとフォブス・ペルサキスの戦いは、直接刃を合わせない。
フォブスは網を張り、ヤンはそれを躱す。
2カ月ほど戦いを繰り広げているが、ヤンの捕捉は出来ていない。
側近たちは敵の指揮官が手練れであると痛感している。
だから焦っていない。
そもそも早期解決は不可能だ、と思っている。
だが周囲は違う。
ペルサキスが出馬すればすぐに解決する、と勝手に思い込んでいたのだ。
たかが野盗に2カ月も振り回されている。
それが外野の感想。
そんな感想は無責任な噂の母胎となる。
ある将軍曰く、野盗の討伐だから、ペルサキス卿はやる気がないのだ。
ある商人曰く、ラヴェンナと直接戦いたくないから、故意に野盗を討伐しないのだろう。
ある貴族曰く、リカイオス卿の粛正を恐れて、指揮権を手放したくないのだ。
これらの噂を、フォブスは放置していた。
一々構っていられないのだ。
それを憂慮したゼウクシス・ガヴラスが、懸命に噂を打ち消す。
これらの噂は危険だと思ったからだ。
討伐をはじめて1カ月ほど経過してから、クリスティアスの使者が頻繁に訪れるようになる。
建前は協力できることがないか聞くためだ。
その実態は催促である。
使者からの質問内容は、フォブスをウンザリさせるものだった。
襲撃位置を予測できるのではないか。
囮の輸送部隊を作って、それを襲わせればいい。
など結果論から、ああだこうだいうのだ。
結果を見てからの作戦なら誰でも立てられる。
『ならお前がやってみろ』との言葉を、フォブスはなんとか飲み込む。
クリスティアスの意図は明白だ。
早く解決してこちらに合流せよ。
だが時間を与えると約束している。
クリスティアスはこれを反故に出来ない。
反故にすれば自身の信用問題に関わるのだ。
だから表向きは約束を遵守している。
代わりに、質問の形を取って
この見え透いた魂胆はフォブスを辟易とさせる。
そんな小物じみた行動は、今まであまり見なかった。
小勢力のときは、大人物のようにどっかり構えていたのだが……。
自分が大勢力になると、猜疑心が勝って小物のような行動を取る。
クリスティアスは小勢力であれば、
大勢力を扱える器ではない。
出世を目指している間はいいが、自分が頂点に立った途端に精彩を欠く。
道半ばで倒れれば名君。
功成り名を遂げると暗君。
ある意味気の毒な人物である。
それをフォブスは嫌なほど思い知らされていた。
フォブスは、プライベートな空間でゼウクシスに延々と愚痴りはじめる。
ゼウクシスにとって、実に胃の痛い話である。
それでも使者に切れるよりはマシ、と諦めていた。
黙って愚痴を聞き続けるだけだ。
クリスティアスが焦るのは、理由がある。
ラヴェンナ軍が一気に攻めてこない。
道路や砦を作りながら、ジワジワと圧力をかけてきている。
クリスティアスは攻勢にでたいところだが……。
ここで一度攻撃が失敗すると、一気に陣営が崩壊すると恐れていた。
将軍たちが疑心暗鬼で動けないからだ。
それだけではない。
ラヴェンナ兵士たちはやたらと作業に慣れていて、瞬く間に道路や砦を作っていく。
その速度を聞いたとき、クリスティアスの開いた口が塞がらなかったほどだ。
クリスティアスは攻め時がつかめずにいた。
ラヴェンナ軍は決して突出してこない。
ならばと騎兵を繰り出して作業の妨害を試みる。
だが帰ってくる数は減る一方。
馬防柵が張り巡らされており、近づける場所は限られる。
接近しようにも矢の嵐が飛んできて、馬がやられてしまう。
それをかいくぐっても、最後の罠が待っている。
繰り出される異様に長い槍を、馬が嫌がるのだ。
結果として騎兵での妨害は不可能と悟る。
ロングボウ兵を繰り出すと、有翼族が高所から矢の嵐をふらせてくる。
有り得ない連射をしてくるのだ。
命中精度は高くないが、数が多いので避けきれない。
しかもこちらのロングボウが届かない距離からだ。
飛行状態からの射撃なので、必然的に飛距離が伸びる。
こちらの射程外から一方的に攻撃されてしまう。
これではロングボウの意味がない。
幸い敵の有翼族は数が少ないので、被害は大きくない。
だがロングボウ兵は熟練を要するので、補充は難しいのだ。
歩兵を繰り出して、本格的な衝突をする決断は出来ずにいた。
こんなときは、フォブスを起用して局面の打開を図りたいのである。
兵数を集めて押しつぶそうにも、それが出来ない。
兵糧輸送の妨害が減ったとはいえ、大軍を招集すると自分たちの首が絞まるのだ。
だからとクリスティアスは、ただ座視するつもりはない。
別方面からの反撃の準備を整えている。
それでも迫ってくるラヴェンナ軍は目障りなのだ。
この問題の解決には、フォブスを召還するのが最善手。
それを知っているからこそ、フォブスは使者に怒りをぶつけない。
だが腹立たしい。
約束くらい守れと言いたいのだ。
ムダな時間を使者との応対に浪費しているのも、苛立ちの原因である。
フォブスはそんな愚痴を垂れ流しながら、酒を一気に
ゼウクシスの頭に嫌な考えがよぎる。
フォブスは、ゼウクシスの表情が変わったことに気がつく。
「どうした? なにか気になることでもあったのか?」
ゼウクシスは一瞬
「ペルサキスさま。
もし輸送の護衛が
どうされます?」
フォブスは眉をひそめる。
「成果がでないなら、オッサンの手助けに回るかな。
リスクは高いが、ラヴェンナ軍を倒したほうが早いだろう。
……おい待てよ。
わざと成果を出させて、私を拘束していると言いたいのか?」
ゼウクシスはため息をついて頭をふる。
「考えすぎですね。
いくらラヴェンナ卿でも……。
ペルサキスさま相手に、そこまでの芸当をさせるとは思えません」
フォブスはウンザリした顔で頭をふる。
「あの魔王なら考えそうだが……。
そこまで余裕があるとは思えないな。
だが結果として、そうなっている。
実に不愉快な話だがな」
ゼウクシスは天を仰ぐ。
「そろそろリカイオス卿の忍耐力も、限界に近いようですね」
ゼウクシスは、猜疑心が強いクリスティアスに見切りをつけていた。
本来であれば、クリスティアスから離れるよう、忠告するつもりなのだが……。
フォブスにその意思がまったくない。
それでも理不尽に粛正されそうなら……。
亡命させてでも助けるつもりだった。
フォブスはため息をついて、肩をすくめた。
「時間をくれと言ったのに……。
たった2カ月程度で音を上げないでほしいものだ。
しかし敵の指揮官は、大したタマだよ。
どんな人物なのか、気になるな」
「それより私はラヴェンナ卿が無名ながら有能な人材を、どれだけ抱えているか心配ですよ。
ヴァード・リーグレの将も、極めて優秀です。
獣人でも才能があれば、迷いなく起用するのですから。
あの徹底した先入観のなさには恐れ入りますよ」
フォブスは酒の残りを喉に流し込んで、ニヤリと笑った。
「まあな。
だが心配ばかりしてもはじまらない。
目の前の任務を片づけようじゃないか。
そろそろ違った手を使うつもりだ」
ゼウクシスは嫌な予感に眉をひそめる。
「なにか策があるのですか?」
フォブスはウインクした。
「ま、内緒さ」
こうなったら、フォブスは絶対に止めない。
かなり危険なことをするつもりなのだろう。
ゼウクシスに出来ることは、終わったあとの説教だけであった。
◆◇◆◇◆
数日後、フォブスは野盗討伐のため出陣する。
出し抜かれてから、寝ても覚めても敵のことを考えていた。
そして一つの結論に達する。
敵は悪戯好きで、格好をつけたがる。
そんな性格を見て取っていた。
だからこそこの手を選択した。面白ければ絶対に乗ってくるはずだと。
側近たちから離れて、単騎で視察にでた。
正確には、側近たちを撒いたのだ。
そうでないと、こんなことは決して出来ない。
目に見えない戦いの最中、敵の指揮官に対してどこか相通じるものを感じていた。
なんの根拠もない直感である。
これは命をかけた遊びのお誘いだ。
自分の予想が当たっていれば、敵の指揮官も単騎で現れると踏んだ。
このあとで、ゼウクシスにロングバージョンの説教をされると知っていた。
それでもこの局面を打開するなら、これが一番早いと考えたのだ。
兜を脱いで、山の麓に広がる平地の様子を探る。
普通の敵相手なら絶対にしない。
だが今回の敵は、単騎の自分を絶対に狙わないと確信している。
どこかから視線を感じた。
フォブスは、ニヤリと笑う。
そうこなくてはな、と独り言を
暫く待っていると、山のほうから馬に乗った男が現れた。
ずんぐりしており、お世辞にもスマートと言えない。
それより山の中で馬を走らせる技量に感服した。
男は黒いフルプレートを着込んでおり、顔は隠している。
巨大なウォーハンマーを肩に担いで、背が低く不格好な馬に乗っている。
予想通り、男の背後に人の気配はない。
フォブスは、こぼれる笑みを抑えきれなかった。
認めた相手と言葉はなくても通じ合える。
実に心が躍るのだ。
「そこの黒騎士殿。
卿が輸送部隊を襲撃している者たちの指揮官かな?」
男は肩を震わせて笑いだす。
「卿なんてよしてくれよ。
貴族じゃねぇんだ。
そういう
ええと。
ペ……ペ……なんだっけ?」
フォブスのことを有名人だと言っておきながら、肝心の名前を言えない。
ただ自分の顔を知っていることはわかった。
フォブスは、思わずガックリと肩を落とす。
矛盾を突っ込むより、自分の名前を覚えていないことに落胆したのだ。
自分を知らない人物など、今までいなかった。
それでも不思議と苛立ちはない。
苦笑して一礼した。
「では改めて名乗ろう。
フォブス・ペルサキスだ。
名乗ったのだから、貴公も名乗ってくれるよな?」
男は馬を下りて、ウォーハンマーを構えた。
はじめから戦う、とわかっているかのようだ。
「名乗るほどのモンじゃねぇよ。
それにしても……。
それじゃあちょっと困る。
てなわけで……。
馬から下りて勝負するのは、どうだい?
お誘いに乗ったんだからな。
その位いいだろ?」
フォブスは苦笑して、馬を下りる。
男が本名を名乗るはずはないと思っていた。
それでも自然と聞いてみたくなったのだ。
フォブスは兜をかぶってから、槍を構えなおす。
「客人はもてなすのが、私の流儀だ。
異存はないさ。
名前は、貴公を打ち倒して暴くとしよう」
突然、男は重装備に似合わない素早さで突っ込んできた。
フォブスは、まだ突きを繰り出さない。
ハンマーをふるタイミング。
その一瞬を狙っているのだ。
こちらのほうが間合いは広い。
武器を振るう瞬間は、どんな達人でも隙が生じる。
こちらの突きが先に決まるはずだった。
ところが男は突然急停止して、ハンマーをふる。
槍が届くギリギリの距離だ。
フォブスの槍の長さを正確に把握している。
これにフォブスは一瞬
すぐさま大胆に踏み込んで、ハンマーの平らな部分に槍をぶつける。
金属のぶつかる嫌な音が響き渡った。
ふる途中だからこそ、勢いがつく前に止められるのだ。
フォブスが集中していれば、このような神業も繰り出せる。
いつでも出来るわけでなく、強敵と相対したときしか集中できないのだが……。
なにせフォブスはムラっ気の塊なのだ。
男はすぐ後ろに飛び去る。
直後、男の顔のあった位置にフォブスの槍が繰り出されていた。
男は、楽しそうに笑いだす。
「おいおい。
無茶苦茶だな。
ええと……。
ペ……。
もういいや。
ペの
フォブスは、心地よい緊張感と強敵に出会えた喜びに包まれていた。
こみ上げる笑みを抑えきれない。
「いい加減覚えてほしいものだな。
ペルサキスだ。
貴公こそ重い
そんな男は、今まで見たことがないぞ」
男は、肩を震わせた。
どうやら笑っているようだ。
「慣れだよ慣れ。
ペの
フォブスは男の謙遜を受け入れる気はなかった。
もっと評価されるべきだと、自然に思えたのだ。
相手は手練れではなく、規格外の豪傑だ。
「謙遜しなくていいさ。
集中した私の槍を躱したのは、貴公がはじめてだ。
素晴らしいとしか言いようがない。
悔しくもあるがな。
それでも……。
こんな楽しい気分は、生まれてはじめてだよ」
「奇遇だな。
俺っちもワクワクしてきたぞ。
いい感じに、尻が締まってきたぜ。
今屁をこいたら口笛みたいな音が鳴りそうだ。
そうなると尻笛になるか……。
まあいいや。
ペの
なんとも下品な返しだ。
だがこれだけの技量に、フォブスは敬意を払って何も言わなかった。
フォブスはプライドが高い。
だが相応の技量を持った人物には、ほぼ無制限に寛容になる。
アルフレードだけは例外的に苦手なのだが。
ふたりはひとしきり笑い合ったあと、武器を構えて相対する。
左右に動いて、互いに隙を探った。
10分ほどこの場を沈黙が支配する。
フォブスは、汗がしたたり落ちるのを感じた。
敵もきっとそうだろう。
この緊張した時間は突然終わりを告げる。
男は突然、ハンマーを降ろしたのだ。
「チッ。
これからが楽しいところなのに、邪魔が入ったか。
これでお開きかぁ。
次はムリだなぁ。
残念だよ。
ペの
フォブスの耳に、遠くから馬を駆る音が届く。
側近たちがやってきたようだ。
フォブスは小さく肩を落とす。
「まったくだよ。
これが最初で最後だろうなぁ。
せめて戦った土産くらいくれないか?
手ぶらで帰るのは、寂しいものでね。
名前くらい教えてくれ」
男は馬にまたがってから、肩をすくめた。
「仕方ねぇなぁ。
じゃあな。
達者でやれよ」
言い終えた男は馬に飛び乗って、山へと消えていった。
フォブスはそれを名残惜しそうに見送る。
戦っている相手に達者でやれはないだろう。
そう思いつつ笑みがこぼれた。
「貴公もな」
取るに足らない男どころか……とんでもない豪傑だ。
やがて息を切らした側近たちが、フォブスの元にやってくる。
「ペルサキス卿。
なんて危ないことを!」
フォブスは兜を取って、肩をすくめる。
「一騎打ちでケリがつけば解決だったんだ。
邪魔をしないでほしかったな」
「それでは我々が、ガヴラス卿の説教地獄に落ちてしまいます。
今回はペルサキス卿が、ひとりで地獄に落ちてくださいよ。
きっとかなりのロングバージョンだと思いますから。
青筋を立てて、静かにほほ笑んでいましたよ……」
突然嫌な現実に戻されたフォブスは、ガックリと肩を落とす。
悪いが私は達者でいれないよ。
そう
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