712話 閑話 世界を賭けて踊る相手
クレシダ・リカイオスは屋敷の私室で、ワイングラスを片手で回していた。
隣に控えているアルファがワインをグラスに注ぐ。
グラスに口をつけたクレシダは、髪をかき上げる。
「アルファ。
あの研究の後始末はどう?」
アルファは表情ひとつ変えない。
「最終確認は終わりましたので、破棄は完了しています」
クレシダは、目を細めてほくそ笑む。
「証拠を残してもいいけど……。
あまりサービスしても仕方ないからね」
アルファは無表情だが、僅かに首を傾げる。
「ですが近くに住んでいたエルフたちに感知されていませんか?
必要でしたら、口を封じます」
エルフたちの移住に関係した、不気味な気配のことは明白である。
「不要よ。
いちいち危なそうだと消していたら、却って本来の目的を見失うわ。
それにエルフがそんなことを言っても、誰が本気で対策を考えるの?
考えてなんとかなる話じゃないしね。
漏れても支障ないわ」
アルファは、小さく首を振った。
「ですが、あの地から逃げだすかもしれません。
そうすると逃げ先に、ラヴェンナを選ぶ可能性があります。
つまりラヴェンナ卿に漏れるかと」
クレシダは満面の笑みを浮かべる。
頰が僅かに紅潮していた。
アルフレードの話が出る度に、クレシダはこんな調子である。
「それはそれで構わないわ。
それがひとつ増えるだけよ」
アルファはアルフレードを危険視しており、隙を見せることに反対の立場だ。
「知られると、有効な対策を打たれる可能性があります」
クレシダは機嫌を損ねる様子もなく笑いだす。
アルファの率直な意見は、一切咎めない。
それどころか丁寧に自分の意図を説明する。
「だとしたら素敵よね。
だって
せっかく表舞台に立ったのに、こっちを見てくれないのよ。
失礼しちゃうわ。
だからこっちを向いてくれるように、ヒントをばら撒いているのよ」
クレシダは頰を膨らませる。
アンフィポリスまで調査の手が伸びることを期待していたが、完全に無視されていた。
アルフレードの気を引くため、両親の処刑をやったのだが……。
見事なまでに無視されている。
不機嫌なクレシダとは正反対に、アルファは一安心なのだ。
「ラヴェンナ卿はどこまで、なにを知っているかわかりません。
対策を考え出す可能性だってあり得ます」
クレシダは、少し呆れ顔だ。
この話は何度もしているが、アルファは納得しない。
「だからよ。
知らなかった、と負けたときの言い訳を用意する気はないの。
知った上で対策しきれないことが大事よ。
むしろ私は、対策を立ててくれるほうがいいわ。
それをどう乗り越えるか。
楽しみじゃない。
それこそ私のことを世界一考えてくれている証拠だもの」
アルファは大きなため息をつく。
「本当にクレシダさまは、このやりとりを楽しんでいるのですね」
クレシダはワインに、口をつけてからウインクする。
「当然よ。
だってこの世界で、私たちだけが出来る愛の語らいよ。
だからね。
エルフたちがどうするかわからないけど……。
ラヴェンナに逃げてくれると嬉しいわね。
普通に考えると有り得ないけど」
アルファは表情を変えずに、眉をひそめる。
「最近は有り得ないが起こり続けていますから。
私はエルフたちが住み処を捨てて、ラヴェンナにいくと思います」
クレシダはワイングラスをのぞき込んで、ため息をつく。
アルファの言葉に反論しようとしたが、すぐに考えを変えたのだ。
「本来長命種ってのは、余程のことがなければ、自分のテリトリーから離れないけどね。
ムダに長生きすると、自分の存在を自覚できなくなるわ。
無意識にでも、なにかに執着するもの。
だからエルフやドラゴンは、引っ越しなんてしないのよ。
でも……。
アルファのいうとおり、古い考えで決め付けるのは良くないわね。
ならエルフたちが、私からの愛の言葉を届けてくれると期待するわ」
アルフレードのことになると、クレシダは非合理的な行動ばかりする。
なかば諦めているアルファであった。
「それともうひとつ。
気になる動きがあります」
クレシダはワイングラスを回しながら、首を傾げる
「それは何かしら?」
「教会は今まで、使徒以外の偶像崇拝を禁止してきました。
ここ最近になって、急に開祖の像を建てています。
崇拝でなく……祈りを捧げるシンボルだ、と言っていますが……。
発案がルグラン特別司祭です」
クレシダはほほ笑んで、ワインを飲み干す。
「
偶像を建てさせるなんて……サッパリよ。
なにを考えているのか、まったく見えないわ」
アルファは空になったグラスにワインを注ぐ。
「はい。
まるで見当がつきません」
クレシダは、楽しそうに肩をふるわせて笑う。
「ゾクゾクしちゃうわぁ。
知らないことがあるからこそ燃え上がるのよ。
私にも見えていないなにかがあるのね。
やっぱり世界を賭けて踊る相手としては唯一無二ね。
世界の因果は、私と
「その因果ですが……。
使徒には注意を払わなくていいのですか?」
クレシダは大袈裟に、ため息をつく。
「アルファの長所でもある欠点は、空気を読まないところね。
あんなガキの話をするなんて。
考慮に値しないわ。
自滅するだけだもの。
でも……。
ふたりで舞踏しているとき、出しゃばってくるのは目障りね」
アルファはクレシダの注意を喚起するかのように、眉をひそめる。
「使徒本人は、今までの無気力さが噓のように張り切っていると聞きました」
クレシダはフンと鼻で笑う。
「現実が見えていないからよ。
物語の世界が、現実になっても楽しいのは一時だけ。
夢想しているときは楽しいのよ。
ただ現実に近づくほど失望するでしょうね。
すぐに夢から醒めるわ」
アルファは、使徒をノーマークにしていることが心配なのであった。
「そこまで猶予を与えますか?」
アルファの心遣いを、クレシダも承知している。
他の人間に、同じような発言は許さない。
アルファにだけは、自由な発言を許していた。
クレシダは笑って、軽く片手をふる。
「急ぐ必要はないけど……。
待つ必要もないわ。
つまり放置でいいわね。
こちらの計画を進めましょう。
計画が動きだせば、勝手に舞台から弾き飛ばされるもの」
「カールラはどうしましょうか。
最近やたらとクレシダさまに、手紙を送ってきていますよね」
カールラは最近、クレシダに手紙を送ってきている。
それも頻繁にだ。
クレシダの認識は、お友達試験の最中なのだが……。
マリー=アンジュを追い落としたあたりで、勝手に合格したと思い込んでいるらしい。
クレシダは苦笑して、返事を書いている。
あえてカールラの勘違いに乗った。
思い込むのは自由だし、そのほうが何かと楽しいことをしてくれそうだったからだ。
手紙の内容は、アルフレードの攻撃を心配する内容。
クレシダにすれば噴飯ものであった。
今にも崩れそうな塔の上で、他人の心配をしているのだ。
「私を心配してもねぇ。
ここに移動したのは織り込み済みよ。
叔父さまの近くにとどまっていたほうが危険よ。
まったくカールラは甘いわ。
人の心配をするより、自分の心配をしたらいいのに。
それとも……。
「仲は非常に悪いと聞きますね。
でも使徒は、トマの首を切ったら自分の政策を実現する人物がいなくなる、と危惧しているようです。
だからこそトマは、強気でカールラと衝突していると聞きました。
そんなトマを起用した見識にたいする疑問も広がっていますね。
トマの構想力のなさは定評があります。
目の前の出来事を、厚顔無恥に片付けるだけが取り柄なのですから」
クレシダは、冷たい笑みを浮かべる。
「さすがに疑問を持たないと、オツムの中身を心配するわよ。
あの白昼夢を実現させたければ……。
そうねぇ。
かなりの知性と理性があって、無私の精神を持った民が大多数必要ね。
全体の6割程度いれば、なんとかなるかな?
多数派でないとダメだからね」
アルファは、小さく首を振る。
「そんな世界は想像出来ません」
クレシダはグラスに、口をつけて嘲笑する。
「使徒は人の本質を軽視しているのが滑稽よね。
人はひとりで生きていけないくせに、自己中心的な生き物よ。
安全に群れるために、それを偽るだけ。
獣と人の境目は、とても
アルファは再び空のグラスに、ワインを注ぐ。
「使徒はそうでないと思っているのでしょうか?」
クレシダは、冷たい目で苦笑する。
「違うわね。
むしろそう思い込んでいるのよ。
しかも唱えている本人が、最も本質通りなのが笑えるわよ。
そして実行の中心人物も、本質を認めない
これで笑うなというほうが可笑しいわよ」
「カールラは目的から、どんどん離れていますね。
クレシダは小さく首を振った。
「使徒を頼ったけど、問題の使徒が……どうしようもないヤツだっただけよ。
カールラは自分の考えを信じすぎなのよね。
演技の才能はあるけど、知性が追いついていない。
それが悲しいところよ。
その本質を理解しないのが、カールラの限界ね。
理解したら頼る相手を考えたと思うわ」
アルファは一瞬息を吸い込んでから、小さく吐き出した。
発言は自由であっても踏み込めない領域は存在する。
それでもあえて聞いてみたくなったのだ。
「クレシダさまは、ラヴェンナ卿の本質を理解されていますか?」
クレシダは驚いた顔をしてから、優しくほほ笑む。
「そこまで自惚れていないわ。
ただ私とよく似ていることがわかる程度よ。
それでも別の人格なの。
わかりそうで……わからない。
これってドキドキするじゃない。
すべてを知ったような気になれる……。
幼なじみと恋愛する人の気がしれないわ」
「それは情や安心を求めたのではないでしょうか」
クレシダは自嘲気味に、肩をすくめた。
「そうなんでしょうけどね。
私にはダメね。
何度も転生していると……。
刺激がなくてはやる気が出ないのよ。
ホント転生なんてするもんじゃないわ。
アイオーンの子は、私をティファニーとしか認識していないしね。
今まで、期待に応えてあげたんだし……。
演技料代わりにフル活用させてもらうわ」
「私はクレシダさまを、クレシダさまとして見ています。
最初はアナスタシアとしても見ていましたけど」
クレシダは笑って、アルファの手を握る。
「だからこそ、アルファには本音を話すのよ。
彼らは忠実だけど従っているのは、記録上のティファニーに対してだから。
私じゃないわ。
それも彼らの望むティファニーだからね。
そこに人格はないわ。
それこそ人形を座らせていてもいいのよ」
「たしかにティファニーさまはどんな人か、と教えられましたね。
同じ人が転生するから変わらない、と言っていました」
クレシダはアルファから手を離して、皮肉な笑みを浮かべる。
「同じ人でも、環境が変われば違う反応を見せるわよ。
ティファニーが言わないことを言ったら、彼らは腰を抜かして驚くでしょうね。
ホント、ウンザリしていたときに……。
世界を壊せるチャンスが舞い込んだわ。
しかも
転生してきた甲斐があったというものよ」
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