710話 閑話 天敵

 最近のフォブス・ペルサキスは不機嫌であった。

 原因はシケリア王国内部にある。

 リカイオス卿が怪しげな証拠に飛びついて、粛正を行った。

 敵が目の前でタイミングを待っているときに、なぜそんなことをするのか。

 

 そして粛正のお陰で、将軍たちは疑心暗鬼に囚われていた。

 この隙を、あの魔王が逃がすはずはない。


 ときを同じくして、領内で野盗が活動をはじめたようだ。

 周囲は野盗と言っているが、そんなハズはない。

 理由は簡単だ。


 民間の輸送や村を襲っていない。

 襲うのは兵糧の輸送や討伐隊に限られている。

 あの魔王の手先だろう。


 徴収を行う側とそれだけを狙う野盗。

 これだけでも印象が変わる。

 徴収が厳しすぎた場合、その野盗が奪った食料を町や村に置いていくのだ。

 歓迎すると処罰されるから、大っぴらに接触できない。

 それを野盗は咎めずに立ち去る。


 こうなれば民衆は、どちらの味方をするか明白だ。

 逃げた方角など、決して教えないだろう。


 クリスティアス・リカイオスも座視していたわけではない。

 討伐隊を差し向ける。


 ところが相手はただの野盗と侮った討伐隊が、ことごとく討ち取られている。

 処罰を恐れた討伐隊長が、数を過大に報告して実態の把握が難しくなっていた。

 

 本格的な討伐のため将軍を選任しようとするも、誰も行きたがらない。

 成功して当然。

 失敗すると、処刑は必須。

 さらには疑心暗鬼に全員が囚われており、自分が出陣したあとの讒言を恐れる。


 魔王が涼しい顔で笑っている光景が、目に浮かぶようだった。


 フォブスは窓に映る自分の顔に苦笑してしまった。

 そんなとき、扉が開く。


 ノックなしで入ってくるのはゼウクシス・ガヴラスだけだ。

 ノックするなと言っている。


「どうした? ゼウクシス」

 

 お互い椅子に座って向き合う。

 ゼウクシスは、小さくため息をつく。


「クレシダさまの件ですが、慎重に調べるのは困難ですよ。

それでも収穫はあります」


 フォブスは、興味深そうにニヤリと笑う。


「ほう。

聞こうか」


 ゼウクシスはそんなフォブスに苦笑する。


「統治が予想外に上手くいっています。

それはお聞きですよね」


 フォブスはアゴに手をあてて腕組みする。

 口元には冷笑が漂っていた。


「ああ。

最近のオッサンにしては、数少ない成功例として鼻高々らしいな。

それでクレシダの両親が、甘い汁を吸おうとすり寄ったのは知っている。

金の匂いには、敏感な連中だ」


「ええ。

多少であればリカイオス卿も黙認したでしょう。

まだ公表されていませんが、予想外の事態が起こりました」


 フォブスは、少し眉をひそめる。

 ゼウクシスの予想外という言葉が、気になったからだ。


「クレシダを探っていたからこそ、先につかめたのか?」


 ゼウクシスは生真面目な表情を崩さない。


「そうなりますね。

リカイオス卿にも速報が届いていると思います。

ただ公表するか迷っているだけかと」


「もったいぶるなよ。

さっさと言え」


 ゼウクシスは、小さく息を吐く。


「クレシダさまの両親が、公金横領の罪で公開処刑されました。

インフラの修理費など、民の生活に直結する金を横領したようです。

貴族の懐に入る金を横領すれば、争いになりますが……。

領民のための金であれば平気だ、と計算したのでしょう。

ところが即座に逮捕されて、即日処刑が決まりました。

役人達は遠慮したのですが……。

クレシダさまが強引に決めたようです。

大勢の民衆を広場に集めて、クレシダさま立ち会いで執行されました」


 思わずフォブスは、椅子から立ち上がりかける。


「なんだって!?

それだけ大きな金をちょろまかしたのか?」


 ゼウクシスは、小さく肩をすくめた。


「大金と言えばそうですね。

ただ処刑されるほどではない額です。

噂によれば、金貨2000枚程度ですね」


 フォブスは、渋い顔で首を傾げる。

 金貨2000枚。

 結構な額だ。


「かなりの大金だろう。

普通な貴族がやったら、首が飛ぶぞ。

だが……。

身内に甘いオッサンは返却させて終わりだな。

舐めているから、連中はそれすら誤魔化すさ。

1000枚程度を返して終わりかな」


 ゼウクシスは苦笑してうなずいた。


「それでアンフィポリスの住人たちは熱狂したそうです。

リカイオス卿が、身内に甘いのは周知の事実ですから。

今回もどうせ無罪放免だろう、と諦めていたようです。

ところが領民のために、自分の両親を公開処刑。

これに感激してしまったようです。

民衆はクレシダさまが自分たちの側だ、と思いはじめていますから。

こうなれば、クレシダさまが野盗に陵辱された過去も、プラスに働きます。

どん底を知っているから、他のお高くとまった貴族とは違う。

そう思われています。

あとは役人たちのクレシダさまを見る目が変わった、と聞きますね」


 フォブスは考え込んでしまった。

 あのクレシダが、民衆から熱狂的に支持されるなど想像できない。

 それにしても処刑とは予想外だった。

 両親とは疎遠気味だが、仲は悪くないと思っていたからだ。


 なんの根拠もないが、アルフレードの手口に近いものを感じた。

 自分にとって無価値でも、相手にとって価値があれば、高値で売りつける手法だ。

 ただクレシダにとって、両親は無価値なのだろうか。

 本当に無価値なら、民衆に両親の命を売り飛ばして、熱狂的な支持を得ることはあり得る。

 だが貴族は、家や家族を比較的にも大事にする。

 フォブスは、いつもなら信じる直感に自信が持てなかった。


「うーむ。

そこまでバッサリいくか。

そういえば……。

アンフィポリスの治安は、クレシダが赴任してすぐ改善したのだったな」


 ゼウクシスはため息をつく。


「ええ。

リカイオス卿は自分の派遣した部下の功績だと満足したようですが……。

悪化した治安など、そう簡単に改善しません」


 フォブスは、少し不機嫌な顔になる。

 昔のリカイオス卿は、全然違ったのだが……。

 権力を手に入れるにつれ、どんどん失望させられる。

 メッキが剝がれたのだろうか。

 それとも権力に酔ってしまったのかはわからない。

 もし権力がそれほど危険な酒なら……。

 一切酔わないアルフレードは人間なのかと、思いもする。


「それはそうだな。

オッサンも冷静なら疑うだろうが……。

今はなんでも、いい情報に飛びつきたいだろう。

完全に自分を見失っている。

あの魔王が、敵に回ると……。

ここまで簡単に、人の心を操られるのかと恐ろしくなったよ」


 ゼウクシスは不機嫌なフォブスを見て苦笑した。

 アルフレードはフォブスにとって、唯一の天敵とでもいうべき存在だ。


「すっかりペルサキスさまも、ラヴェンナ卿に魅入られていますね。

クレシダさまの話に戻りましょう。

治安が良くなったのは事実です。

これが非常に怪しいと思いませんか?」


 フォブスは小さく頭を振る。

 魅入られていると言われたが……。

 否定しきれなかったのだ。

 なにか考えると、ついアルフレードが連想されてしまう。

 実に精神衛生上良くない存在であった。


「たしかにな。

クレシダが裏で扇動していたなら、1番わかり易い。

だがなぁ。

それだけの組織を、いつ手に入れたのかわからないがな」


 ゼウクシスが僅かに身を乗り出す。


「その点も収穫がありました。

クレシダさまが7-8歳の頃ですが、とある商会を訪問したことがあったのです。

一度も行ったことがないはずですけどね。

最初から知っているかのように、道を進んでいったのです。

そして主人を呼び出してなにかささやくと、態度が一変したようで……。

その後、なにを話したかはわからずじまいです。

人払いをされましたからね」


 フォブスはいぶかしげな顔になる。


「えらい細かいな」


「もう引退しましたが、クレシダさまの護衛をしていた人から聞きました」


 フォブスは納得した顔でうなずいた。


「なるほどな。

元家来に当たったわけだ。

それなら比較的安全だな」


「引退して以降接点がないようです。

監視もされていませんでした。

忘れられた存在なのでしょうね。

便りのひとつもないそうですから。

その日を境に、側近の顔ぶれは変わっていったと聞きました。

現在クレシダさまの側近は、ご自身で選んだものだけです。

その供給元が、とある商会由来ですね」


 フォブスは唇の端をつり上げる。

 なにかをつかんだと確信したからだ。


「その、とある商会はわからない……で終わらないよな?」


 ゼウクシスは背中を丸めた。

 絶対に、誰にも聞かれたくない話をするときのポーズだ。


「どうやら裏社会とつながりがあるようです。

噂レベルですがね。

ただ上流階級とも、コネがあるようですから……」


 ゼウクシスの声は小さくなっていた。

 フォブスも背中を丸める。


「あながち噂とも言い切れないか。

ただの商会ではないのか?」


「表向きは小さな商会をやっています。

取引も、そこまで大きくありません」


 上流階級に取り入ろうとする商会は多い。

 だが小さな商会は、取り次ぎすらされないのが普通だ。

 クレシダは自分から尋ねたのが怪しい。


「そこはなにを取り扱っているのだ?」


「薬です。

病気によく効くと評判でした。

あとはご婦人たちに、大変好評な香水などもつくっています」


 フォブスは怪訝な顔をする。

 それならもっと大手を振って、大きな商会になれるだろう。

 薬や香水などは、実入りがいいのだ。


「それならもっと手広くやっていると思うが……」


「そこは別の商会に卸しているようですね。

なので儲かっていますが、商会としての規模は小さいままです。

どうも現状から拡大する気はないようですね」


 フォブスは再び渋い顔になる。

 大きくしない理由は、いくつかある。

 材料が貴重で大きく出来ないか、品質が落ちることを避けたい場合だ。


「それだけ聞くと、現実的な商会に思えるがな」


 ゼウクシスの目が鋭くなった。


「不思議なことに技術漏洩は、一切起こっていません。

それが不気味なのです。

度々周辺で、人が消えると聞きました。

技術を盗もうとした者か……。

漏らそうとした者が消えている、と噂されています」


 大手の商会からすれば、小さな商会に圧力をかけて、秘密を売らせる。

 もしくは金の力で秘密を盗むのは、よくあることだ。


 一度も秘密が外に漏れない。

 これは異例だ。

 大手が手を出せない程のバックがいるなら、話は別だが。


「裏社会とコネがあるのか」


 ゼウクシスは首を振った。


「いえ。

むしろ裏社会が、表向き小さな商会の看板を立てている。

そんな感じがありますね」


 フォブスは腕組みをして、息を吐く。

 あまり現実的な話ではないからだ。


「裏社会が大っぴらに、表に出てくると潰される口実を与えるぞ。

それだけの組織なら、歴史も長かろう。

よく生き延びていられるな」


「表向きは裏社会に依頼しているという形を取っていますが……。

人を消したいときは、ここに依頼すると、1番確実だとの噂です」


 人を消すなんて依頼は、上流社会か金持ちがする。

 その依頼窓口は、基本アンタッチャブルな存在だ。

 暗殺を実行する側も、窓口が口を割らないか、護衛も兼ねて常に監視する。

 窓口を拷問して、お偉方の弱みを握ろうとする不届き者が、たまに現れるからだ。



「つまり上流階級と、色々なコネがあるから潰されずにいるか。

かつ医薬品などがある。

潰すとデメリットが大きいか。

他の商会にしても販路を広げていないから、ムリに対立する必要もない。

そう言いたいのか?」


「その通りです。

クレシダさまがどう、顔をつないだかわかりません。

ただ事実としてあるのは、側近はすべてそこから選んでいます。

クレシダさまに常に付き従っている侍女はご存じですか?」


 フォブスは記憶を探る表情になる。


「ああ。

あの無表情で、なにを考えているかわからない娘だな。

ただ驚く程隙がない。

ただの侍女とは思えないほどだ。

ちなみにその商会の名はなんだ?」


「ビュトス商会です。

意味はわかりません。

その名を知る人は、殆どいませんよ」


 フォブスは苦笑して、肩をすくめた。


「それこそ魔王にでも聞きたいところだ。

今はムリだがな。

明確に敵対してしまっている。

オッサンの領内で、野盗が暴れているな。

確実にあの魔王の手のものだろう」


 ゼウクシスは同意のうなずきを返す。

 タイミング的に、犯人はひとりしかいない。


「ことごとく討伐隊が、返り討ちにあっている話ですね。

えらく手練れのようです」


「それだけじゃない。

義賊のようなことまでして、民衆を味方につけている。

お陰で討伐も困難だ」


「将軍を選んで任せないとダメでしょうね」


 フォブスは椅子にもたれかかって、皮肉な笑みを浮かべる。


「行きたがるヤツがいない。

それに断片的な報告だけだが……。

私以外では歯が立たないだろうな」


 ゼウクシスは目を丸くする。


「驚きました。

そこまでの手練れですか?」


 フォブスは、楽しそうな笑みを浮かべる。


「ああ。

ガリンド卿が亡くなってから……張り合いのある相手がいない、と落胆していたがね。

久しぶりに衝撃が走った。

思わず嬉しくなったよ」


 ゼウクシスは苦笑する。

 フォブスは強敵との戦いになると、別人のように燃え上がるからだ。


「ですが、ペルサキスさまを起用するのは難しいでしょうね。

リカイオス卿の配下に人材なし、というようなものです。

敵はただの野盗だ、と宣言してしまっていますからね」


 フォブスはフンと鼻を鳴らす。


「だろうな。

だが背に腹は代えられない。

じきに私に、お声がかかるさ」


「そのときが、ラヴェンナ軍侵攻の合図でしょうね……。

もしやペルサキスさまを拘束して、不在の軍を倒すつもりではないでしょうか」


 フォブスは途端に嫌そうな顔をする。


「あの魔王なら、当然考えるさ。

だがそこまで、面倒を見切れない。

オッサンが自ら出陣して、雌雄を決するしかないだろうな。

元々疑り深いんだ。

誰にも自分の命運を託す気などないだろう。

無論、私に対してもだ。

一度でいいから、自分の命を預けてくれる主君と巡り会いたいものだよ」


 思わずゼウクシスは吹き出す。


「ラヴェンナ卿に仕えたいのですか?」


 フォブスは心底嫌そうな顔で、手を振った。


「勘弁してくれ。

私の胃に穴が空く」

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