20章 夏祭り

704話 閑話 奸悪無限

 アルカディアの首都プルージュ。

 そこにある城の一室は、不穏な空気に包まれていた。


 その部屋には、カールラ・アクイタニアとトマ・クララックしかいない。

 お互い、不機嫌な顔でにらみ合っている。


 先ほどから言い争っているが、トマはどんどん早口になっていた。

 カールラは、トマの言葉など聞き取れなくても構わないと思っている。

 どうせ中身がないのだからと。

 それをトマは論破した、と自己満足する。

 ところが自分の発言などなかったかのように、カールラが攻撃してくるのでトマはヒートアップする。

 互いが好き勝手なことをいうので、不毛なことこの上ない。

 それを知らないふたりではないのだが……。

 切り上げた場合、負けた気になるので引っ込みがつかないのだ。


 言い争っている内容は、ユウの建国宣言だ。

 彼らにとっても、寝耳に水だった。


 即位を願ったとき、ユウは自分に全部任せることを条件にした。

 トマは、どうせ中身のない宣言しかしない、と高をくくっていたのだ。

 カールラも抽象的な理想論を述べる程度だと思い、軽い気持ちで受け入れた。


 ところが飛び出した発言は、想像の外だった。

 民主主義国家などカールラにとって、想像も出来ない。

 そもそもその日暮らしの民に、政治など出来るはずがないだろう。

 ある意味恐怖でしかないのだ。

 子供に医者をさせるようなものだ、と思っていた。

 だがユウは本気らしい。

 ユウをけしかければ、ランゴバルド王国との戦争に突入できるはずだった。

 民主主義になれば、民まで誘導しなくてはいけない。

 陰鬱いんうつたる気分であった。


 トマにとっては、選挙など聞いたことがない制度をつくれと言われた。

 黒幕として安全に野心を満たす予定が、ご破算になったのだ。


 かくして目論見が外れた同士、仲良く罵り合っているのが現状であった。


 トマは忌々しい思いで一杯だ。

 このまま言い合っても、自分が一方的に不利になると知っている。

 言い争いが酷くなれば、使徒ユウの耳にも入るだろう。

 使徒ユウがカールラとトマのどちらを信用するか。

 いくらトマでも理解できるからだ。


「ここで、互いを非難していても無益だろう。

使徒さまの意思を翻すことは出来ないのか?」


 カールラは鼻で笑う。


「出来るわけないでしょう。

大々的に公表したのよ。

そんな単純なこともわからないの?」


 トマは顔を赤くする。

 目は充血して、その表情は怒りに満ちていた。


「侮辱的な態度ではないか?

このトマは、王まで務めた高貴な身分なのだぞ」


 カールラは侮蔑した表情を隠さない。

 内心、ロマンよりヤバイ奴だと思っている。

 知れば知るほど、ロマンのほうがマシなのでは、と思えるからだ。


「なんの功績もなくて、ただ失敗した高貴な身分ねぇ。

あなたの高貴って、野良犬より身分が低いわよ」


 トマは机をドンと叩く。

 自分のプライドを傷つけられたからだ。


 それだけではない。

 人の失敗を散々利用してきたから、失敗という言葉を極端に恐れる。

 トマにとって失敗は純粋悪だった。

 そして自分は失敗などしていない、というのがトマの自己認識である。


 他人の失敗を十全に利用してきた。

 たとえ昔の過ちでも構わない。

 だからこそ自分が失敗すれば、それを一生利用される。

 そう恐れていたのだ。


「失敗ではない!

不要な連中に、不要な連中を始末させたろう!

いうに事欠いて、野良犬より劣るなど……。

謝罪を要求する!!」


 カールラは冷ややかに、トマを一瞥した。

 旧フォーレ国民が暴走しただけで、不要な民を排除したとは思えない。

 魚の腐った部分を取り出したはずが、腐敗がすでに全身に転移している状態。


 そもそも制御を一切していない。

 不要に国力を消耗させた愚策だろう。

 それがカールラの認識であった。


 トマにとっては、計画通りなのだろう。

 国力の消耗を考えず、ただ嫌いな同胞の始末を優先したのだ。

 それが名案だと思うから、周囲に馬鹿にされるのだが……。


 ロマンに従っていたときは、主人があまりに酷い馬鹿だった。

 その恩恵により、相対的に優秀に見えただけだ。

 ロマンが消えた今、能力のなさは明白であった。

 ある意味でロマンの存在は、トマにとって大きな恩恵であったのだ。


「ただ獣の鎖を離しただけでしょ。

誰でも出来るわよ。

それに謝罪しろとか笑えるわ。

口の利き方に気をつけなさい。


 カールラが睨むと、トマは露骨に狼狽する。

 トマがよく使う脅しの手口を、そのまま使われたのだ。

 どんな意図があるのか明白だった。


「汚いぞ!

使徒さまに告げ口する気か!?」


 カールラは、大きくため息をついた。

 トマと話をすると、とても疲れるのだ。

 トマの現実は、他人が見る現実とあまりに乖離かいりしすぎている。

 それを指摘すると怒り狂うのだ。


「鏡を見たことあるの?

告げ口と責任転嫁だけで生き残ってきたくせに。

アナタが生き残るためには、ユウの望んだ選挙を実現させるしかないのよ。

失敗したらアナタの責任が問われるわ。

わかっているの?」


 トマは顔を真っ赤にして、カールラを睨みつける。


「とんだ悪女だな。

使徒さまは気の毒だよ。

こんな女をつかまされるとは」


 カールラはフンと話で笑う。


「酷い言い草ね。

奸悪無限アルフレードより、ずっと可愛いわよ。

アナタだって、ロマン共々こっぴどくやられたんでしょ」


 トマとカールラは、アルフレードや魔王という呼び方を嫌った。

 アルフレードの新たな呼び名を決めろ。

 それも悪逆非道なものだと、役人たちに指示が飛ぶ。


 最初に決めさせたことがこれなのだ。

 第三者にすれば笑い話であった。


 指示を出すほうは真剣だったが、指示されたほうはウンザリである。

 そして決まったのが奸悪無限。

 指示した側への反発が、この言葉に隠されていた。

 お前たちでは、無限の力をもっているアルフレードに敵わないだろう、という揶揄だ。

 カールラやトマはそれには気付かないのであった。


 トマは血走った目をしながら、口の端を歪める。


「本当の悪は、善の顔をするものだからな。

あの善人面した奸悪無限アルフレードには、腸が煮えくり返る。

あの屈辱は1000年たっても忘れない。

思い出しただけで、頭が沸騰して目の前が暗くなる。

そういえば……。

お前が使徒さまの元に来たのは、奸悪無限アルフレードの差し金だったな。

よもや内通していないだろうな?」


 カールラは、鋭い目でトマを睨む。


「そんなわけないでしょ。

どうせ小娘ひとり……何も出来ないと思われて、哀れみをかけられたのよ。

そもそも内通していたら、ロマンを即位させるわけないでしょ。

ま、トマの信用なんていらないわ。

あっても気持ち悪いだけよ。

アナタの信用なんて、銅貨1枚の価値すらないもの。

むしろ負債よ」


 トマは小さく震え出す。

 怒りのあまり体が震えたようだ。


「あまりに酷い言い掛かりだ。

だが……使徒さまに免じて見逃してやろう。

お前こそ、使徒さまの制御を誤るなよ」


「わかっているわよ。

それより、自分が無能だと思われたくなければ、しっかりやることよ。

とはいえ、ベストを尽くしてもダメなのが、無能なんだけどね。

人のせいにしても実現できなければ、ただの無能よ。

せいぜい自分の妄想を守るために頑張るといいわ」


                   ◆◇◆◇◆


 トマが怒りに震えながら、部屋から出て行った。

 カールラはウンザリした顔で、ため息をつく。

 そこにモルガン・ルルーシュが入室してきた。

 カールラとモルガンは、最近連絡を密にしている。

 カールラにとって、数少ない頼れる人物であった。

 そんなモルガンが、自分を排除するつもりだったなど知る由もないが。


「ご苦労なことだ」


 カールラは苦笑して、肩をすくめた。

 心なしか嬉しそうな顔をしている。


「ルルーシュじゃない。

本当に大変だったわよ。

人未満トマの相手をするのはね」


 モルガンはニヤリと笑う。


「前も話したろう。

あの人未満トマは、恨みがないと何も出来ない。

すぐに事大主義に走るからな。

適度に殴る必要があるのさ。

私が殴ってもよいが……。

アクイタニアに殴られたほうが、より効果的だろう。

あの人未満トマは、自分が男らしいと思っているからな。

女に殴られたとあれば効果覿面だ」


 カールラは声をたてずに笑う。


「そうね。

あの怒りっぷりは、笑いたくなったもの。

知っているかしら?

人未満トマは、奸悪無限アルフレードより、頭がいいと思いこんでいるのよ。

あの程度の政策なら、自分でも簡単に出来ると豪語したんだから。

開いた口が塞がらなかったわよ。

後追いで真似するのと、何もないところに前例をつくる違いが、まったくわかっていないのがね」


 モルガンは目を丸くして、肩を震わせる。


「それは実に滑稽だな。

どんどん妄想の自分が大きくなっていく。

まるでドブネズミが、自分をドラゴンと勘違いしているようだな。

あの奸悪無限アルフレードに対抗できる頭脳の持ち主は、そういないだろう。

加えてあの自己制御は常人ではない。

人未満トマがもっていないものを、すべてもっているわけだ」


 カールラはアルフレードが、最も厄介な敵だと認識している。

 その能力の高さも含めてだ。

 統治の難しさを知っているだけに尚更である。


 高く評価するアルフレードは敵。

 無能なトマはこちら側。

 クレシダは、本当の意味で味方かわからない。

 カールラは自嘲気味な笑みを浮かべる。


「そうね。

それでなんの話をしにきたの?」


「使徒さまのことだ。

あまり張り切って、実務に首を突っ込まれても困る。

現場が混乱するからな。

可能な限り象徴であっていただきたいものだ」


 カールラもその懸念はもっていた。

 ユウに実務能力がないことは、周知の事実だ。

 今までは熱意がなかったから、首を突っ込むことがなかった。

 今回は、妙に意欲的なのだ。


「それはわかるんだけど……。

妙に張り切っているのよ」


「別のことに気を逸らすのが良策だろう。

その提案をもってきた」


 カールラは安堵あんどのため息を漏らす。

 トマとのやりとりは、カールラにとって消耗を強いるものなのだ。

 そこから解放された、という実感がこもっていた。


「提案まで持ってきてくれるのは助かるわ。

悪くいうつもりはないけど、人未満トマの後だと……違いがすごすぎてね。

ゴメンなさい。

あんなのと比べるようなことをして」


 モルガンは苦笑して、肩をすくめる。


「構わないさ。

人未満トマと関わりすぎると馬鹿になるからな。

あれの数少ない特技は、関わる人間のレベルを下げることだ。

当然心しているだろうが……。

気をつけることだな。

話を戻そう。

それで提案とは、ハーレムの増員だ」


 カールラは眉をひそめる。


「ユウに女を与えて、それだけで手一杯にするの?

数が増えると、予想できない影響を与える危険があるわよ」


 モルガンは小さく苦笑した。


「そこはアクイタニアが吟味すればいい。

アクイタニアの意向に従うものだけを推薦するのだ。

数は増えるが、意思は増えない」


 カールラはモルガンの言わんとすることを、即座に理解した。

 今の使徒ハーレムでは、カールラは部外者のような扱いだ。

 敵意は向けられないが、多少の疎外感はある。

 多数を占めれば何かと優位になるだろう。


「そうね……。

ユウは新しく来た子を大事にするから、そっちで手一杯になる可能性があるわね。

わかったわ。

人選を進めて頂戴。

それで何人くらい増やしたいの?」


 モルガンは肩をすくめる。


「アクイタニアの意向に従う。

こちらは依頼されれば提供し続けよう」


 カールラは笑いながらうなずいた。

 話の通じる相手とのやりとりは、トマのあとでは有難みがとても大きい。


「まずはユウに相談するわ。

勝手に決めると拗ねちゃうからね」


 そう言ったカールラは楽しそうな顔をしている。

 モルガンは内心で苦笑していた。

 使徒ユウは力を除いたら、一体どんな魅力があるのか……わからないからだ。

 使徒は女を魅了する力でもあるのだろうか。

 それがモルガンの推測だった。


                   ◆◇◆◇◆


 使徒ユウは王都プルージュに移住したが、ハーレムメンバーはやることが無くなっていた。

 最古参メンバーであるノエミ・メリーニは、剣の鍛錬をしている。

 王都プルージュに来てから、自分の心に起きた異変に戸惑っていたのだ。

 マリー=アンジュのことを思い出せなくなりつつある。

 自分はそんなに薄情な人間だったのかと、内心戸惑っていた。

 剣を振ることで、気を紛らわせていたのだ。

 

 そこに本を片手にもったアンゼルマ・クレペラーがやってきた。


「ノエミはまた剣を振っているの?」


 ノエミはアンゼルマに振り向きもせず、剣を振り続けている。


「ええ。

思うところがあってね」


 アンゼルマは少し躊躇ためらってから、小さく息を吸う。


「よければ……。

ちょっと相談に乗ってほしいんだけど」


 ノエミは声の調子に、ただならぬものを感じて、手を止める。

 

「いいわよ」


 アンゼルマは、小さくため息をついた。


「マリーのことよ。

最近思い出せなくなってきているの。

まるで最初からいなかったかのようにね。

だから本に、小さくメモしているんだけど……。

どんなことをしてきたのか思い出せないのよ。

私はそんな薄情だったかなって」


 ノエミは驚愕きょうがくした。


「アンゼルマもそうなの?」


 アンゼルマは、少し安心した顔になる。


「ノエミもそうなのね。

他の子たちは、ほとんど忘れているわ。

名前を出してようやく思い出すのよ。

どうしてこんなことになったのかしら……」


 彼女たちは、知る由もない。

 ユウの思うように、思考が誘導されてしまうことを。


 ユウは、マリー=アンジュの存在を記憶から消去しようとしていた。

 意図してではない。

 無意識にだ。


 守れなかった自責の念と、ロマンによって汚されたことへの嫌悪。

 他人の手垢がついた玩具に興味を失う。

 子供のメンタリティそのものだった。

 それに加えて、マリー=アンジュを拒否して追い出した。

 これはユウにとって後ろめたいものだ。


 ユウは自分を守るため、無意識に忘れることを選択したのであった。

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