702話 蠱毒

 ヤンが挨拶にやって来た。


 ディミトゥラ王女に書状をだしたので、リカイオス卿が粛正に走るのは近いはずだ。

 いつでも動けるようにヴァード・リーグレで待機してもらうことになったからな。


 チャールズが軍を動かすと悟られる。

 粛正の手が止まってはマズイ。

 だから本隊は、まだ動けない。

 常備軍なので、動員の手間は少ないとはいえ……。

 バレずに国境沿いまで動かすのは至難の業だ。


 ヤンのゲリラでリカイオス卿に、拘束をかけて軍を動かす。

 プレッシャーをかける算段だ。


 真面目腐った顔のヤンからは珍しく、香水の匂いがする。


「ロンデックス殿。

これから大変でしょうが、よろしくお願いします」


 ヤンは胸をはる。


「任せておけって。

しかし……。

本当に俺っちの判断で、勝手に行動していいのか?」


 チャールズとも相談して、すべてヤンの判断に任せることになった。


「ゲリラ戦は負けないことが大事です。

遠くで現場もわからなくて、情報を伝えるのも困難。

さらには敵地で孤立無援なのです。

行動を縛っても、害悪でしかありません」


 ヤンがなにをしようとも勝つことが大事だ。

 その後始末は俺の仕事だからな。


 ヤンは破顔大笑したあとで、ニヤリと笑う。


「愚問だったなぁ。

ま、大船に乗った気でいてくれよ。

なんたって俺っちは、戦の天才だからな。

ペ……、ペなんたらの相手も任せてくれよ」


 ヤンは能力が、モチベーションに直結するタイプだ。

 やる気をだして貰えるように、配慮はかかせないからな。

 ペルサキス卿まで拘束してくれればいうことはない。


「ええ。

ロンデックス殿だからこそ送り出せるのです。

そういえば……。

香水をつけるようになったのですか?」


 ヤンは目が点になる。


「ん? そんなモンつけたことないぞ。

ああ……。

ちょっと人生初のお泊まりをしてな。

その匂いだよ」


 ヤンが顔を赤くしてモジモジする。

 ついにゾエと一線を越えたのか。

 ゾエはトラウマを一歩乗り越えたようだ。


 たぶんヤンの出陣が切っ掛けだろうな。

 生死の保証はないわけだから。


「それはそれは……。

おめでとう御座います」


 ヤンは顔を赤くしたまま、頭をボリボリとかく。


「なあ、ラヴェンナさま」


「どうしましたか?」


 ヤンは体をクネクネさせる。


「女の人の体って柔らかいんだなぁ。

ビックリしたよ……。

あんなに柔らかくて、気持ちイイもんだとは思わなかったよ。

しかもゾエがとっても可愛らしいんだ……。

普段聞かないような可愛い声をだしてなぁ……。

おっと。

これは、ふたりだけのナイショだった。

済まねえ。

忘れてくれよ」


 照れ笑いをしながら、ヤンは大笑いした。

 実は話したくて仕方なかったのか。


 聞き耳を立てていたミルは、顔が真っ赤になる。

 オフェリーは何故か、自分の腕を触りはじめた。


「え、ええ……。

忘れますよ」


 ヤンのクネクネは、さらに激しくなった。

 話したくて仕方ないようだ。

 元々喋しゃべり魔だからなぁ。


「しかしなぁ……。

戻ってきたら結婚してくれなんて言われちまってさぁ。

どうしたらいいかなぁ……。

おっと、これもナイショだった」


 惚気のろけている風はないな。

 結構、真剣に悩んでいるようだ。


「やはり結婚は怖いですか?」


 ヤンは急に真顔になって、ため息をつく。


「俺っちは、見ての通りの男だ。

気が良くて腕っ節が強いだけの醜男だよ。

そんなのが結婚して、ゾエを傷つけたりするのが怖いんだよなぁ。

俺っちを見下す連中が、勝手に傷ついても気にならねぇけどよぉ。

そうじゃない人を傷つけたら、どうするんだよ」


 実に生真面目な悩みだな。

 だがその裏になにか隠れているような気がする。

 ヤンが、自分で気がつかないような無意識的なものだな。

 いきなり聞き出しても自覚がない。

 もうちょっと話を聞くか。


「言い合いや喧嘩なら傷つきませんよ。

それを乗り越えていくものです」


 ヤンは目を丸くした。


「ラヴェンナさまも、そんなことがあるのかい?

モテモテで、女性と上手くやっている印象しかないぞ」


 そりゃあるさ。

 大喧嘩まではいかないけど。

 ただミルとオフェリーが、聞き耳を立てているからな。

 迂闊なことは言えない。


「まあ……。

なくはないですよ」


 ヤンはいつもと違う苦悩した顔になる。


「それでもよぉ。

喧嘩したときがなぁ……。

俺っちのことを下品とか醜男とか罵られる、と思うと……。

情けない話だけどよ。

やっぱ怖いんだ。

下品で醜男は事実だろ。

どうしようもないことに文句を言われたら、どうするんだよ。

……はぁ。

こんなに考えたのは、生まれてはじめてだよ」


 人と距離を詰めるのが怖いようだ。

 離れられる相手なら平気だろう。

 ヤンにとって離れられない、と思う相手は今までいなかったからだな。

 そして結婚したら、絶対に離れられないと思っているだろう。

 喧嘩したときに、なにを言われるか心配しているのもそれだな。

 今まで浴びた、心ない言葉しか想像できないのだろう。


 思い過ごしだと、軽く笑い飛ばすにしてもなぁ。

 喧嘩をして、言葉を探すうちにうっかり飛びだす、ということはありえる。


 ゾエは十分心得ていると思うが……。

 一応注意しておくべきか。


 ヤン自身はどうしたいのか。

 それは、この様子を見ても明らかだな。

 ただ今一歩勇気が持てないようだ。

 背中を押してやるか。

 普通だと微妙な言葉だが……。

 ヤンは女性不信が根底にある。

 普通の言葉では届かないな。


「本心で嫌でないならですが……。

一夜を共にしたのでしょう?

ここは男として、責任をとっては?

ラペルトリさんは、かなり勇気を振り絞ったのです。

女性に恥をかかせたくないでしょう?」


 責任をとってとか恥を掻かせない、という言葉は結構危ない。

 人によっては地雷ワードになる。

 仕方なく結婚するのかと、女性に受け取られる危険があるからだ。


 ミルには完璧に地雷ワードだ。

 アーデルヘイトはなんとも思わないだろう。

 クリームヒルトは、ちょっとモヤモヤするかな。

 オフェリーは……今だと傷つくかもしれない。

 なにせ目指す普通の基準が、何故かミルなのだ。


 ヤンは目を丸くした。

 すぐに破顔大笑して、頭をかく。

 ヤンにとってはすんなり飲み込める話だろう。

 ここで大事なのは、ヤンの背中を押してやることだからな。

 女性の気持ちは、話せば話すほど尻込みするだろう。


「ん? ああ……そうだな!

男なら責任はとらないといけないな!

俺っちみたいなヤツと結婚したいなんて、たしかに勇気がいるなぁ。

それに恥をかかせたら男が廃るってモンよ。

さすがはラヴェンナさまだ。

スッキリした!

俺も男だ! よし! 申し出を受けよう!

あ……このことは、ナイショにしてくれよ。

ゾエに怒られちまう」


 一応、話くらいはしておくか。

 俺は話さないがな。

 ここはミルに頼むとしよう。


「言いませんよ。

安心してください」


 ヤンは俺に両手を合わせる。


「すまねぇなぁ。

じゃいってくるよ」


 大丈夫だと思うが……。

 ギリギリに追い込まれたときでも、生きて帰ろうとするだろう。

 約束がなければ、格好つけて死にかねない。

 ラヴェンナのために働いてくれたのだ。

 それに報いるべきだと思う。


                   ◆◇◆◇◆


 スキップしながら退出したヤンと入れ違いに、キアラがやって来た。

 珍しくドヤ顔だ。

 嫌な予感がする。

 フンスと胸をはるキアラの報告に、思わずウンザリした顔になる。


「なんで全部的中するのですか……」


 アラン王国での動きだ。

 なんの根拠もない俺の推測が、全部的中してしまった。

 トマは旧フォーレ国民が起こした不始末の責任をとって退位する。

 使徒ユウが即位するまでセットだ。

 これは、議会が来るな……。


 キアラのますますドヤ顔が激しくなる。


「私は当たると思っていましたわ」


 ミルは何故か立ち上がる。


「私も当然、そう思っていたわ」


 オフェリーまで立ち上がったよ。


「私もです」


 ミルとキアラは、椅子を俺の隣に持ってくる始末だ。


 突っ込む気が失せたので、報告内容に現実逃避しよう。

 あれ? これは現実逃避じゃないよな。

 そうだ、これは仕事だ。

 報告書をミルに手渡す。

 オフェリーが読み終わるまでまとう。

 その間にキアラが、お茶を煎れてくれた。

 

 全員が読み終えたので、俺はティーカップを机に置く。


「今のところは、クララック氏が上手いこと立ち回っているようですね。

教会も旧フォーレ国民を見放しましたし」


 キアラはクスクスと笑って、相槌を打った。


「別の場所に移送する名目で、移動中に襲わせる。

実にトマらしい手ですわね」


 トマでなくても、そうするだろう。

 使い古された手だからな。

 オフェリーは、小さくため息をつく。


「ユートピアの人たちは放置されたのですね。

大変なことになります。

今更働けるのでしょうか」


 難しいが、駄々をこねても改善などされまい。

 ユートピア外の人間を蔑視してきたのが、ここで自分たちに返ってくる。

 それにしても……。

 一つだけ、気になることがあるな。


「難しいですが、やらざる得ません。

一つだけ予想を外したことがありましたね。

言ってはいませんでしたが」


 キアラは眉をひそめる。


「それはなんですの?」


「ここまで早く、ユートピアを離れたことです。

もう少し使徒ユウがごねるかと思ったのですが……」


 オフェリーが納得顔でうなずいた。


「言われてみればそうですね。

もう少し体裁を整えるかと思いました」


 ユートピアにいる限り、使徒米を作り続ける必要がある。

 それが嫌だから、これ幸いと逃げ出した。


 そもそも力を使いたくないだろう。

 もしくは、それすら疲労を感じるようになったか。

 この恐怖から逃げた。

 それが最も可能性は高いな。


 使徒米は長期的には毒だが、住民や他国から追い出された教会の人間の食を維持してきた。

 それだけではない。

 使徒から離れては死に至るだろう。

 どうするつもりなのか。

 半魔のつけ込む隙になるな……。


「力の衰えがさらには酷くなったのか、そう思い込んでいるのかわかりませんがね。

即位声明とかはまだでていないのですよね」


 キアラは真顔でうなずいた。


「ええ。

近いうちに発表されると思いますわ。

どんな内容だと思われますか?」


 さすがに読めない。

 誰が、主体になっているかもわからない。


「判断材料がありません。

クララック氏のみなならず、使徒ユウとアクイタニア嬢、世界主義の思惑が関係しますからね。

逆に即位宣言で、ある程度見えてきます。

それを待つとしましょう」


 その時点で、誰が主導権を握っているのか見えてくる。

 これは、悪い話ではないな。

 敵が集まりはじめているとも言える。

 蠱毒の中で、どの虫が生き残るやら。


 その過程で、使徒に死なれても困るのだが……。

 悪霊の対策も考える必要があるな。


 打てる手は限られる。

 だが、考えないという選択肢はない。

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