699話 閑話 ニコデモの悩み
ランゴバルド王国の新王都ノヴァス・ジュリア・コンコルディア。
その主であるニコデモ王は、気だるげな表情を崩さない。
いつもこの顔である。
演技なのか生まれつきなのか、誰にもわからない。
なにせ国政は順風満帆とは言い難いのだ。
問題山積である。
そんなニコデモが頼りにするのは、公事では宰相ティベリオ・ディ・ロッリ。
内々のことは、警察大臣のジャン=ポール・モローである。
ふたりのソリが合わないことは、周知の事実。
皮肉なことに、お互いが健在であるからこそ、互いの地位は安泰なのであった。
ティベリオが失脚すれば、周囲の恐怖と猜疑心がジャン=ポールに集中する。
讒言などが飛び交い、地位を追われるだろう。
ティベリオは、上流階級の恐怖からジャン=ポールを守る防波堤でもあった。
故にジャン=ポールは、ティベリオを守ることがある。
ジャン=ポールが失脚すれば、ティベリオが周囲からの嫉妬や讒言の的になる。
上流階級でもティベリオは異端なのだ。
異端でも自分たちの一員。
ジャン=ポールよりはずっと自分たちに近い存在。
いうなればジャン=ポールは異教徒であった。
異教徒が消えれば、次は異端を排除する。
そうなるのは火を見るより明らかであった。
故にティベリオは、ジャン=ポールを守ることがある。
そんなふたりはソリが合わないので、頻繁に嫌みが飛び交う。
その緊張感が、互いを職務に精励させていた。
アルフレードはふたりを、名コンビと称したが……。
ふたりとも心底から嫌がって、まったく同じ返事をしてきた。
あんなヤツと一緒にしないでほしい。
こんな喜劇が上演されるのは理由がある。
廷臣たちの讒言などを完全無視できるほど、ニコデモの王権は強くない。
かといって廷臣たちに迎合してもマズいのだ。
能力的にもふたりは抜きんでている。
代わりはいないのだ。
この牽制状態で時間を稼ぐ間に、ニコデモは抜かりなく権威を強化し続けていた。
それでも道半ば。
配慮は欠かせないのであった。
有能さで言えば、モデスト・シャロンも頼りになる。
ところが立ち位置が不明瞭。
ニコデモの認識では、アルフレードと個人的な主従関係だと見ている。
なので無条件に頼りには出来ない。
ニコデモは、アルフレードと敵対しているわけではない。
だがアルフレード自身が、ランゴバルド王国に無私の忠誠を誓っていない。
無茶な要求をしたら、平気で独立するだろう。
それを討伐するのは不可能。
ラヴェンナが王国に属しているのは、そのほうがアルフレードにとって好都合だからだ。
このあたりの緊張感は、今のところいい方向に作用している。
無私の忠誠を誓っているのであれば、キアラを王妃に迎えることも選択肢に上がる。
より密接な結びつきを考えるのだ。
だがそれは危険すぎる。
匂わせただけで、廷臣たちが大反対するだろう。
ラヴェンナの流儀を王宮に持ち込まれては、廷臣たちは失職確定だからだ。
アルフレード本人は乗っ取りなど考えない。
だが廷臣たちは勝手に騒ぎだすだろう。
望まないまま担ぎ出されることもありえるのだ。
廷臣たちが余計な気を起こさないよう、適度に距離を取っているのが現状である。
かくして王妃捜しも難航しているのであった。
スカラ家関係から選ぶことにも反対が多い。
スカラ家と王家の権威が接近しては元も子もない。
実力では王家のほうが明らかに弱いからだ。
ほかの名家は頼りない。
それだけならいざ知らず、いざこざに巻き込まれてしまう。
王妃捜しもニコデモにとっては、悩みの種であった。
そんな悩み多きニコデモの元に噂が流れてくる。
発信源はラヴェンナだ。
内容は神話のような昔話。
ところがそれを深読みする廷臣が現れる始末であった。
曰く、王家乗っ取りを誤魔化すために、昔話を流している。
曰く、政務やリカイオスとの戦いに疲れて、現実逃避をしているなど。
ニコデモは苦笑すら出来なかった。
どれも見当違いも甚だしいからだ。
廷臣たちは王家への忠誠心は申し分ない。
だが忠誠心と能力が反比例している。
これも悩みの種であった。
ニコデモが、このような現実逃避まがいの思考に走ったのは理由がある。
アラン王国関係の問題が報告されたからだ。
国境沿いの村々からの打診だ。
ランゴバルド王国に編入してほしいと。
これは危険な毒饅頭だからだ。
大臣たちの集まる会議上で、ニコデモは宰相ティベリオに、意味ありげな表情を向ける。
事前に打ち合わせは済んでいた。
この話をしたのは、廷臣たちへのセレモニーである。
これはニコデモの涙ぐましい配慮の一環であった。
廷臣たちは無視されると反発する。
無視されなければ、それだけで満足なのだった。
だからと発言を求めても、ティベリオの意見に迎合するだけ。
それなら聞く必要はない、とすれば反発されてしまう。
仕方なくニコデモは、最後に廷臣たちに意見を求める。
廷臣たちは異議なし、と唱和するのだ。
これが王宮にとって角の立たない日常であった。
王の御前で、自分の意思を表明することが、彼らの拠り所なのだから。
宰相の意見に毎回異議なしと唱える、としてもだ。
これも意見には変わりない、という理屈であった。
「宰相よ。
卿の見解を聞こうか」
ティベリオは、恭しく一礼する。
「受け入れるべきではない、と臣は愚考致します。
今受け入れてしまうと、賊徒共を団結させてしまうでしょう。
加えて賊徒共が討伐された後も問題です。
次期アラン国王とこの問題で揉めることが、目に見えておりますから」
トマを筆頭とする世界人民共和国の首脳陣は、賊徒と呼ぶことになっている。
ニコデモはうなずいてから、ジャン=ポールに視線を向ける。
ジャン・ポールとも打ち合わせ済みなのだ。
「警察大臣はどうか?」
ジャン=ポールも恭しく一礼した。
「私めも同意見に御座います。
さらにはその村を取り込んだ場合、既存の村との境目論争が巻き起こりましょう。
今は国境という境目があります。
それがなくなれば諍いのタネになり得ましょう。
組み込むにしても時期尚早かと」
近隣の村同士は、境目を巡って争うのはいつものことだ。
明確な境界線は引かれていない。
明確にしようとすると、当事者同士の村から反発が起こる。
曖昧なほうが好都合だからであった。
正確な測量技術もないので、公平性への信頼がない。
さらには領主に気に入られれば、自分たちに有利な裁定をもらえる。
公平性など実はどうでもいいのだ。
村の利益こそ、彼らにとっては至上命題なのだから。
領主たちにとって、境目論争や治水などは頭を抱える問題であった。
加えて農耕民と牧畜民の争いも絶えない。
名領主とは、それらのトラブルを大事になる前に収めた、幸運な人にささげられる称号であった。
つまり領地が増えた、と単純に喜べる話ではないのだ。
それが村程度の小さな土地であればなおさらであった。
村同士のトラブルを抱えてすら、お釣りが来るなら領地を広げたい。
それがニコデモの認識であった。
「それがよいであろうな。
では、どのように回答すべきかな?」
ジャン=ポールは酷薄な笑みを浮かべる。
「期待だけ持たせる、曖昧な返答がよろしいかと。
今のところ、立場を明確にする必要もありません」
安全に領地が取れるときになれば……取ってしまえという話だ。
ランゴバルド王国はまだ統治機構の再構築中で、そんなリスクを抱え込む余裕などないのだ。
「それでよかろう。
それとロマンの置き土産……。
毒肥料の件は、どうなっている?」
毒肥料がランゴバルド王国にも流れてきているのは明白であった。
その知らせはニコデモの元にも届いている。
手を出さないようにと勧告したが、それを無視された形になってしまった。
だからと今断罪するのは難しい。
それを見越したからこそ、領主たちは目先の利益に飛びついたのだ。
ジャン=ポールは大袈裟に頭を振る。
「残念ながら……。
欲にまみれた領主たちが手を出しています。
そのツケを今になって払わされているようですが……。
それが治安の悪化につながっています。
最悪なことに、それが国境沿い。
アラン王国にまで飛び火しかねません」
ニコデモとしては、そのような領主は領地没収にしてやりたかった。
だが時機が悪い。
今は国として尻拭いをせざる得なかった。
「やはりな。
あまり使いたくはなかったが、ラヴェンナ卿の勧めに従うか。
似たような不毛の地でも収穫が見込める、と聞いている」
肥料の危険性を知らせてきたアルフレードも、領主たちが自制すると思っていなかったようだ。
その場合の対応策まで送られてきた。
本来であれば国王の権威を軽視している、と思うところだが……。
実際に権威が弱いことを熟知しているニコデモは、その対応策を有り難く受け取った。
まずは領主の不始末の尻拭いをして、国王への信頼を高める必要がある。
領主ではなく領民に対してのアピールだ。
国が守ってくれるとなれば、領主を更迭しても動揺は最小限に留まるだろう。
そうすれば、自然と国王の権威は高まる。
小さなプライドに
それは愚の骨頂であった。
ティベリオは苦笑してうなずく。
こんなものが不毛の大地で育つのか、確証がなかった。
ありふれた作物だからだ。
だがほかにいい対策もない。
そんな自嘲を込めた苦笑であった。
「ジャガイモですな。
種芋は送られてきているので、それを回すことにしましょう」
ジャガイモが痩せ地でも育つことは知られている。
だが不毛と化した大地で育つのだろうか。
アルフレードは似た環境で試しているとのことだが……。
実際の土地では試していない。
それでも何もしないよりは遙かにマシだ。
何かしている姿勢を示すことは、現時点で大事なのだから。
失敗しても傷口が広がらない。
反対する理由はなかった。
ニコデモは嘆息して苦笑する。
「アラン王国は実にはた迷惑なことばかりする。
毒肥料に麻薬、村の編入。
問題ばかり流れてくる。
いっそ大きな堀をつくって隔絶したい気分だ」
ティベリオは微妙な表情でうなずいた。
「それが出来たら楽でしょう。
今出来ることは、国境の警備を強化するしかありません。
たしか賊徒共が、壮絶な内ゲバをはじめるとの噂です。
こちらに逃れようとする者もでるでしょう。
病魔が体内に侵入されてはかないませんから」
ニコデモは、楽しそうに笑いだした。
病魔という表現が気に入ったらしい。
「賊徒の首魁が、罪人がこちらに逃げてくる可能性がある、と言ってきたからな。
逃がさないでくれ、と言わないあたりが救えないな」
賊徒の首魁とは、他ならぬトマのことであった。
トマはランゴバルド王国に、頭を下げて協力を依頼できない。
知恵を絞った成果なのだろう。
教会経由で、情報を流してきたのだ。
罪人がランゴバルド王国に流入しては、そちらにとっても不都合だろう。
それでも罪人が逃亡する可能性を教えるのは、道義的観点から決断したとあった。
あまりに尊大で恩着せがましい、協力要請だ。
ニコデモはたまらずに笑いだしてしまった。
そもそも逃がさないようにしろ、という話である。
ティベリオは皮肉な笑みを浮かべる。
「賊徒の首魁は、こちらに恩を売ったつもりでしょう。
勝手な主観は無視しますが、あの国の流民をこちらに抱え込むのは危険です。
無責任な権利主義に目覚めてしまっていますからね。
それが我が国で広がっては大変です」
人民に主権をとの叫びは、アラン王国の惨状によって胡散臭いスローガン、と思われている。
さらに声高に叫んだ人物が、その胡散臭さに拍車をかける。
清廉潔白で無私の人物なら発言に魂がこもる。
トマの発言では、むしろ魂は逃げ出すだろう。
何かがとりついても、それは悪霊に他ならない。
ニコデモは自嘲の笑みを浮かべる。
「まるでラヴェンナ卿が、昔やった疫病対策のようだな。
見える分マシという話もあるがな。
病根を絶つ力がないのは、なんとも嘆かわしい」
◆◇◆◇◆
会議の後のことだ。
ニコデモは、モデスト・シャロンを自室に招いていた。
「シャロン卿。
卿が観察する今の国内はどうかね?」
モデストは穏やかな笑みを崩さない。
「今のところ、大きな問題は顕在化しておりません」
ニコデモは眉をひそめる。
「つまり予兆はあるというのだな」
「御意に御座います。
ラヴェンナから流れてきた噂はご存じかと」
あれは事実だと言っているのだ。
ニコデモは頭に手を当てる。
「歴史上の話と思っていたアイオーンの子。
子供を躾ける
教会に寄生する世界主義。
これらはラヴェンナ卿の言葉でなければ……。
余はそれを口にした者に、休養を勧めるほどだ」
「それ以外にも危険な兆候が見え隠れします」
ニコデモの視線が鋭くなる。
「ラヴェンナ卿も知らぬのか?」
「まだ報告しておりませんが、とっくに気づいておられるかと」
ニコデモは苦笑して、ため息をつく。
「国王としては頼もしくもあるが……。
精神衛生上よろしくない存在だな。
一体ラヴェンナ卿には、何が見えているのやら。
それで何かね?」
「麻薬に御座います」
「アラン王国で蔓延していたと聞いている。
シケリア王国でもそうだな。
それとは違うと言いたいのか?」
モデストは静かにうなずく。
「従来も麻薬に類するものは存在しました。
ところが他国で蔓延しているものは、性質が少々異なります」
「ほう?」
モデストの目が細くなる。
「効果が強すぎるのです。
記録に残っている内容が正しいとすれば、従来のものより遙かに強いかと。
知人の有識者曰く、純度が高いとなるようです」
有識者とはカルメンのことだが、あえてモデストは名前を明かさない。
「つまり改良されているのか。
その知識を持つものがいるのだろうな」
モデストは静かにうなずく。
「御意に御座います。
このような知識は、突然生まれるものではありません。
長期間、研究改良を加え続ける必要があります。
ラヴェンナ卿は、それをやっているのがアイオーンの子だ、と
ニコデモは首を傾げる。
麻薬の流入は当然警戒している。
ジャン・ポールの尽力で、王都まで広まっていない。
「なんとも厄介な話だな。
その麻薬が、ここに危険を運ぶのか?」
モデストは僅かに唇の端をつり上げた。
「売買であれば、警察大臣の知るところとなります。
そうでないときは追い切れるのか。
警察大臣は人の欲望を追って、情報を得ています。
ただの譲渡であった場合、追い切れるのでしょうか?
それをラヴェンナ卿は懸念しておりました」
ニコデモは、思わず腕組みをする。
ただ配るだけ。
それを追うのは困難だ、と思い至ったのだ。
「戦争するより手軽に、他国を弱体化させられるな。
これについて対策は出来るのか?」
「一度泳がせて、徹底的に駆除するしかありませんな」
ニコデモは天を仰いで、ため息をつく。
本心からウンザリした表情だ。
「難問山積だな。
もしや卿がここにいるのは、それも企図しているのか?」
「御意に御座います」
ニコデモは引き
「ラヴェンナ卿を宰相にと望んだが……。
辞退されてよかった、と本心から思う。
そこまで見通せる人物が、近くにいたら息が詰まる。
余が関わるより……丸投げしたほうが、円滑に政務を処理できそうだ。
政務を放棄して、遊興に耽りたくなるぞ。
それで……どう駆除するのだ?」
「その説明をすると長くなりますが……」
ニコデモは大袈裟に、手を振る。
細かく聞いても、食事がマズくなるだけのような気がしたからだ。
「ならばいい。
それで余に協力できることがあるかね?」
モデストは恭しく一礼する。
「有り難きお言葉。
直近の対応は、人をお借りいただければと。
もう一つは、国費でこれらの研究をされるべきと愚考致します」
「それは他国への工作のためかね?」
モデストは小さく首を振る。
他国への工作を優先しても得るものは少ない、と知っているからだ。
「いえ。
医療にも役立ちます。
加えて……。
万が一にも将来、麻薬が蔓延したときの対処にも役立ちましょう」
ニコデモは気持ち身を乗り出す。
やって悪い話とは思えなかったからだ。
「なるほど。
その研究と言っても人が必要だろう。
どうすべきかな?」
「ラヴェンナに人を派遣して、そこで学ばれるのがよろしいかと」
ニコデモは小さくため息をつく。
「やれやれ。
またラヴェンナか。
なんとも我が王家は、脆弱なものだよ。
理解しているがな。
改めて突きつけられると、忸怩たるものがあるな」
モデストは穏やかな笑みを崩さない。
「長い目で見れば、ラヴェンナ卿の利益になります。
そう一方的に、負い目を感じる必要はないかと愚考致します」
モデストは礼儀を
ニコデモにとって腹を割って話せる、数少ない人物である。
「ほう?」
「最初は学ぶ一方ですが、じきに独自のものとなりましょう。
さすれば互いに
ラヴェンナ卿は独占を望みません。
ライバルになり得る存在があれば、助力は惜しまないでしょう」
通信技術などは、今のところ極秘だ。
モデストはアルフレードから、いずれは公開する予定だ、とも聞いていた。
現時点での公開は、不確定要素が増えすぎる。
だから見合わせているとも言っていた。
つまりラヴェンナは、知識を独占するつもりがないのだ。
それは善意で行うのではない。
知識の中心地となれば、多くの頭脳がラヴェンナを目指す。
他所が頭脳流出を恐れて、学校を設立するのは構わない。
負けないように競争するだけだと。
結果的にラヴェンナはますます栄える、とのことだった。
ニコデモは暫し考え込む。
考えるというより、心情的に納得する時間をつくっていた、というべきだろう。
「つまり積極的に吸収せよと。
それも道理だな。
今まで学問は、遊興の領域だったが……。
ラヴェンナ卿に倣って、実利に向けるとしよう。
アラン王国の
モデストは珍しく皮肉な笑みを浮かべる。
「さすれば今は賑やかしに過ぎない貴族たちも、競って学問に力をいれましょう。
10年程度後には、立地条件と権威からも、学を志すものはここを目指します。
なにぶんラヴェンナは遠いかと。
それに加えて、特殊な場所でありますから」
モデストは噓偽りを口にしていない。
だが本気で取り組まないと、ラヴェンナに頭脳が取られるだろうと思っていた。
そこまで責任を持てないのだ。
これはニコデモとアルフレード双方に配慮した言葉である。
ニコデモも言外にそれを悟る。
「そうだな。
親のスネではないが、ラヴェンナのスネを、
さすがにあの統治形態は学べないがな。
純粋な知識であれば採り入れることが能うだろう」
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