696話 閑話 絶望と困惑

 アルフレードから、国としての体をなしていないと酷評された世界人民共和国。

 体をなしておらずとも、既存の行政機構は存在する。


 その行政機構は、絶望の淵に追い込まれていた。

 まさかロマンのときより悪くなる……とは想像だにしなかったのだ。


 ロマンは、細かいことに口を挟まない。

 目立つことだけにしか興味がないので、尻拭いにしてもなんとか出来る余地が大きいのだ。

 ところがトマになってから、事態は悪化する。

 自身が能吏であると思うトマは、細かなことに口を挟むのだ。

 ただし自称で、能力は伴っていない。

 ロマンと同じで、流れに乗ることは出来ても、流れを作ることは出来ないのだ。


 口の挟み方も中途半端で、肝心の部分はいい加減である。

 とにかくやってみよう、とはじめさせるが……。

 指示は曖昧そのもの。

 役人が質問をすると、そのくらい察しろと嫌みを言われる。

 失敗すると、役人が自分の意図を理解していなかったという。


 これにはトマなりの理由があった。

 すべて決めると自分の責任になる。

 だが任せきるのは我慢できないので、思いつきで口を挟む。

 自分の偉さを実感できるので、自尊心も満足させられるからだ。


 唯一見事なのは、表向きは部下に選択肢を残す点。

 言い訳は出来るようにしていた。

 選択肢と言っても……。

 崖から落ちるか。

 底なし沼にハマるか

 この2択だ。


 以前は保身のために、トマが深く介入しなかった。

 役人たちが賢明に尻拭いをし、破綻を防いでいたのだが……。

 それを自分の力と思い込んでいた。

 自分の指示は正しいことが大前提。

 なので失敗して当然の指示であろうが……。

 失敗すれば、役人が無能なせいなのだ。


 そんなトマが王になった。

 その結果、口出しできる部分が膨大になる。

 そして手が回らない部分も増えた。

 なので運よく介入を逃れられる問題もある。


 それをトマは許せない。

 偶然失敗しなかっただけだ。

 自分が指導しないといつか失敗をしでかす、と思い込んでいる。


 他人の責任を自分のものとして追及されるのは、トマにとって耐えられない。

 過去そのような経験をしたとき、怒りに震えて涙が止まらなかった。


 王になってからも、部下の失敗を追求されるのは耐えられない。

 そこでトマは秘策を編み出す。


 民衆だけで構成された対策委員会を設立したのだ。

 委員は知見を必要とされず、民衆から無作為に選ばれた。

 コネなどが不要で、突然偉くなれることに民衆は拍手喝采。


 これは役人の上位に位置し、指示勧告をする。

 役人の功績は委員会の功績となり、功績で突出するものは現れない。

 民衆からの支持につながり、同時に責任転嫁できる。

 トマにとってはwin-winの妙案であった。

 役人が常にloseであることを除けばだ。


 これはトマのやり口そのものであった。

 つまり生け贄を用意し、そこにすべての責任を押しつける。

 安直だが効果的な手法。


 トマは会議を設立して終わりとしない。

 精力的で有能な王であるとアピールすべく、配慮を怠らないのだ。

 それは別の問題が起こる度に、脊髄反射で対策委員会を設立することだった。


 一例としては、食糧対策委員会が設立される。

 輸送に問題がでると輸送対策委員会の設立を指示。

 そして仕入れが問題となり、仕入れ対策委員会が生まれる。

 輸送中に略奪が起こると輸送警護検討委員会……。

 重複するような仕入れ輸送対策委員会まで生まれる始末である。


 瞬く間に100程度の委員会が、産声を上げる。


 指示を受ける行政機関はひとつ。

 頭は100を超える。


 それぞれ独立した頭なので、矛盾する指示も飛び交う。

 委員会同士で対立するも決定権が不明瞭なため、ただの言い争いに終わる。

 かくしてカオスになり、問題の解決はなされない。


 さらに悪い事態は続く。

 トマの姿勢は委員会のメンバーにも伝染する。


 上司の失敗は部下のせい。

 部下の成功は上司のお陰。

 上司の成功は、無能な部下を巧みに操った成功。


 これはトマの言動そのものだった。


 こんなムチャが通ったのは当然理由がある。

 統治機構が壊滅しており、慣習がない。

 つまり抵抗などされないのだ。

 慣習のある組織であれば、おかしな命令はフィルターを通して骨抜きにされる。

 つまり害悪は減少されることになる。

 そのフィルターがないのだ。


 慣習がダメであれば、これは悪い方向に働く。

 だが今は命令がダメなのだ。

 そのまま実行されて、失敗に終わる。


 役人への責任追及ばかりが激しくなり、ますます行政機関の麻痺が深刻化していった。

 心ある者は自死に追い込まれる。

 それ以外は王族の領地へ逃走した。


 まだ熱狂から醒めていない民衆は、処罰で歓声を上げる。

 これで問題が解決される、という言葉に納得してしまう。


 結果を冷静に求める段階ではない。

 冷静であれば、反革命罪でギロチンが待っているのだ。


 そこに旧フォーレ国民が、暴走を続ける。

 現状の混乱に拍車をかけている。

 食糧の着服などが発覚した。


 民衆の怒りの炎は旧フォーレ国民に向かうが、旧フォーレ国民は弾圧でもみ消そうとする。


 これはトマの常套手段であった。

 生贄を用意して、すべての責任をそこにかぶせる。

 そして、なあなあにするのがいつもの手であった。

 かくして旧フォーレ国民を根絶やしにする準備は、着々と進んでいるのである。

 

 そんなトマの様子をモルガン・ルルーシュは、冷ややかに静観している。

 だが世界主義としては、静観では済まない。

 予想の斜め下をいくトマの失態に、カールラ排除計画を足踏みせざるを得なかった。

 それで仕方ない、とはならないのである。

 

 グスターヴォ・ヴィスコンティ管轄の教会の地下室に、ふたりの男が向き合っている。

 モルガンとグスターヴォであった。

 グスターヴォは不機嫌を隠さない。


「同志ルルーシュよ。

この惨状をどう弁明するのだ?」


 モルガンは、涼しい顔を崩さない。


「弁明する必要などあるまい。

自分が賢いと思い込む愚者の思考など、誰も予測できんよ。

黙っていれば、ギロチンに自ら飛び込んでくるさ。

準備はすべて出来ている。

あとは時機を待つだけだ。

これは同志エベールの賛同も得ている」


 グスターヴォは、渋い顔で腕組みする。


「あまり悠長にしている暇はないぞ。

政教分離を志向する連中が、共感を集めている。

ある程度使徒を制御する必要がでてきたぞ」


「そちらは問題ない。

アクイタニアは、目論見が外れて焦りはじめているだろう?

暴走もままなるまい」


 グスターヴォは皮肉な笑みを浮かべる。


「マリー=アンジュか。

何時死ぬかと思ったが、快方に向かっているようだな。

どうやら使徒を唆して、ランゴバルド王国を攻撃させたいようだが……。

大きく当てが外れたな。

アクイタニアには、マリー=アンジュを暗殺する手段は持っていないだろう」


 モルガンはグスターヴォの楽観に同意する気になれないようだ。

 いつもの冷笑的な態度は、なりを潜めている。


「どうかな?

妙に自信があるのを見ると、我ら以外と通じている可能性があるぞ」


 モルガンの様子に、グスターヴォもなにか感じるところがあったらしい。

 真顔になって、首をひねる。


「外部との接触は、クレシダ以外にないぞ。

クレシダにそんな力があるのか?

どちらにしても、同志バローが操っているのだ。

さほど問題はないだろう」


 モルガンは珍しくため息をつく。


「勝手にアクイタニアが思い込んでいるだけ……。

ならいいがな。

アクイタニアは賢くないが愚かではないぞ」


 これはボドワン・バローに対する疑念の表明であった。

 グスターヴォは目を丸くする。

 同志への猜疑さいぎは、世界主義にとってご法度なのだ。

 それが許されるのは、一部の指導者層に限られる。


「その話でいくと、同志バローの忠誠を疑うことになるぞ。

同志を疑うとなると問題だ」


 モルガンは珍しく、自嘲の笑みを浮かべる。


「それは重々わかっている。

だが……。

世界は動いているのだ。

先例や慣習に固執しては、大義の成就は難しい。

ラヴェンナの魔王以外にも、不確定要素が多すぎる。

アイオーンの子の真偽すらわからないのだ。

冒険者ギルドの本部も、機能不全になっている。

書庫の片隅の情報に関わる余裕もないようだ」


                  ◆◇◆◇◆


 マリー=アンジュは困惑する日々を過ごしている。

 人生の終わりを覚悟していたが、それがやってこない。

 それどころか体に、力が戻りはじめたのだ。


 オフェリーは怪しげな物体を持ってきて、自分の食事前に祈りはじめる始末。

 それは木彫りのニシンに手足が生えていた。

 マリー=アンジュは魔物かと思ったほどだ。

 オフェリーは、こともあろうに折居さまという神と口走る始末。


 教会の人間としては、あるまじき発言なのだ。

 神は唯一で、それ以外は悪しき存在と教えられてきた。


 咎めようにも、オフェリーは教会の人間ではない。

 本人がそう断言している。

 マリー=アンジュ自身、神に対しての疑念を持ってしまっていた。

 それで曖昧に笑って済ませたのである。


 ただ徐々に体調が良くなるのは事実。

 そしてオフェリーがあまりに真剣に祈るので、一緒に祈るようになっていた。

 

 そんなある日のことだ。

 食事を終えてオフェリーと談笑していると、眠気が襲ってくる。

 オフェリーもフラフラとしており、すごく眠そうだ。

 その眠気に抗う力はなく、マリー=アンジュは眠りに落ちていった。


 マリー=アンジュは気がつくと、自分が船の上にいることに気がつく。

 たしかベッドの上だったはずだが……。

 これは夢なのかと思った。

 体がとても軽いのだ。


 ただ違和感を覚える。

 波は揺れているのに、船は微動だにしない。

 不思議に思っていると、人の気配に気がつく。


 いつのまにか、オフェリーがいたのだ。


「お姉さま。

ここはどこなのでしょう?」


 オフェリーは驚いた顔で硬直していたが、すぐに頭をふる。


「マリー。

あなたこそどうしたの?」


 マリー=アンジュにはオフェリーが、なにを言っているのかわからなかった。

 オフェリーは懐から手鏡を取り出すと、マリー=アンジュに向ける。

 それをのぞき込んだマリー=アンジュは驚く。


 自分の容姿が、昔の美しかった頃に戻っていたからだ。

 恐る恐る自分の頰に手をふれると、肌の張りが違う。


 突然なにかの気配に、ふたりは気がつく。


『どうも突然すみません。

そろそろ大丈夫かと思い、ご挨拶をしたくてお呼びしました』


 頭に響く声に驚くが、オフェリーは驚かない。

 オフェリーの視線の先には、えもいわれぬ生き物がいたのだ。


 木彫りのニシンに手足の生えている物体が直立していた。

 直立しているので、腹だけが見える。

 とても珍妙な光景であった。


 マリーは頭が混乱して、ついオフェリーに救いを求める。


「お、お姉さま。

これは……」


 オフェリーは平然とした顔で、マリー=アンジュにほほ笑む。


「大丈夫よ。

折居さまだから」


 マリー=アンジュの頭は混乱する。

 あの木彫りの珍妙な像が、こともあろうに喋って動いているのだ。


「その……。

なにが大丈夫なのかわからないのだけど……」


 折居と呼ばれた存在は、こちらに会釈する。

 と言っても、人のように頭や腰を曲げない。

 体を前傾させつつ、小さな紙きれをマリー=アンジュ嬢に差し出す。


『はじめまして。

僕はこういうものです』


 オフェリーに促されて、マリー=アンジュは紙を受け取る。


「豊漁と漁の安全、商売繁盛。

あと船酔い防止の神……。

折居?」


 オフェリーがしきりに首を傾げる。


「船酔い防止って……。

増えていませんか?」


 オフェリーは前に会ったことがあるようだ。

 だから落ち着いているのか、とマリー=アンジュは納得した。

 つまり危害を加える存在ではないらしい。


 折居と名乗る存在は、再び直立に戻る。


『はい。

神だって、日々進化するのです。

あとはお嬢さんの回復の手助けをさせてもらっています。

これは特例ですけどね』


 オフェリーは納得顔でうなずいてから、頭を下げる。


「折居さま。

いつもマリーがお世話になっております」


 マリー=アンジュは呆然とするが、オフェリーから無言の圧を感じた。

 慌てて頭を下げる。


「は、はじめまして。

オフェリーの妹のマリー=アンジュです。

いつもお世話になっております……」


 といったものの……。

 マリー=アンジュは自分がなにをやっているのか、まるでわからなかった。

 折居は照れたように、頭らしき部分に手を当てる。


『いえいえ。

お加減は如何ですか?

そろそろ大丈夫かと思ったので……』


 マリー=アンジュは硬直するが、再びオフェリーからの圧を感じる。

 ハッと我に返った。


「は、はい。

驚くくらい……元気になってきています。

もしかして、折居さまのおかげですか?」


 折居はクネクネと体を動かす。

 前後には動けないが、左右には曲がるようだ。

 だが木彫りの人形が曲がるのは、とてもシュールな光景である。

 それなら前にも曲がっていいのにと思った。

 なにかこだわりがあるのかもしれない。


『僕だけの力ではありませんが……。

お手伝いをさせてもらっています』


「ひとつ質問してもよろしいでしょうか……」


 折居はビシっと、直立不動の姿勢を取る。


『どうぞどうぞ』


「目は後ろ側の左右についているのに、こちらが見えるのでしょうか……」


 いや聞きたいのは、そんなことじゃない。

 そうマリー=アンジュは思ったが、思わず口にでてしまった。

 折居は腰のあたりに、両手を当てる。


『目なんて飾りです。

人さまには……それがわからんのです』


 たしかに常識が通じる相手ではないことに気がつく。

 そもそもこんな生き物が動いていること自体おかしいのだ。

 これは夢の中と思った。

 それでも昔の姿に戻れたなら嬉しく思っている。


「そ、そうですか……。

そ、それと、もう一つ……。

折居さまはもしかして神様なのですか」


 折居は胸を張るようにのけぞる。


『はい。

不肖この折居、神格化されております!』


 マリー=アンジュの教わった前提を、キッパリ崩されてしまった。

 だがマリー=アンジュに、反論する気はない。

 オフェリーに『ラヴェンナに入ったら、ラヴェンナに従うこと』と諭されていたからだ。

 自分は、オフェリーのおかげで拾ってもらえた。

 使徒ユウを支えていたときに、苦労を山ほどしてきたことも大きい。

 ここでオフェリーを困らせることは出来ない。


「あと……。

私の姿は、どういうことでしょうか?」


 折居はさらに、胸を張るようにのけぞる。


『毎朝かかさずに、聖別されたニシンを食べてください。

すぐにではありませんが、その姿に戻れます。

希望を持ってもらうために、その姿になってもらいました。

希望はとても大切ですからね!』


 この姿に戻れるなら、これほど嬉しいことはない。

 希望が胸に湧き上がる。

 だがひとつだけ疑問が浮かぶ。


「最後にひとつだけ……。

なぜそこまでしてくれるのでしょうか?

それだけがわからないのです」


 折居は腕を組んで、体を左右に揺らす。


『そこは色々と、事情があります。

口外しないことが、怖いお方の意向ですので……』


 神様が恐れる怖い存在とはなんなのだろうか。

 どちらにしても、回答はもらえなさそうだ。

 突然、オフェリーがマリー=アンジュを抱きしめる。


「私の妹だからでいいでしょ?

理由なんていらないわよ」


 突然……折居の目らしきところから、水がピューと飛び出す。


『うぉぉぉぉん! 僕は、そういうのに弱いんです。

家族愛は泣けるんです!

塩づけにされたおかげで涙もろくて……』


 オフェリーはコメントに困ったらしい。

 助けを求めるような様子だが、マリー=アンジュも困惑するだけだった。

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