695話 憂鬱なメッセージ
俺はいつものように、執務室で決裁をしている。
オフェリーはマリー=アンジュの見舞いで不在。
俺以外には、部屋にはミルと補佐官たちだけ。
そこに、真剣な顔をしたキアラがやってきた。
なにか報告がありそうだ。
キアラからもたらされた報告書を読んで、思わず渋面を作ってしまう。
「クレシダ嬢がアンフィポリスの統治責任者に就任ですか」
キアラも、厳しい顔をしている。
「正直なところ……驚きましたわ。
表舞台に立つことはない、と思っていましたの」
「この言葉は、額面通りに取ってはいけないでしょうね。
表に出た振りをして、実は役人の陰に隠れるでしょう」
額面通り受け取ると危険すぎる。
キアラは、すぐ納得顔でうなずく。
「ああ……。
周囲はお飾りだと思うのですね。
それと情報が得にくくなりますわね。
今まではリカイオス卿を見ていれば推測できたのですが……。
ディミトゥラ王女からの情報も、有効に使えていましたものね。
それが使えなくなると捕らえるのが難しくなりそうです」
そして直感的に気がついたことがある。
気がつきたくはなかったが……。
「そうです。
もう一つ、憂鬱なメッセージが込められていますよ」
キアラは怪訝な顔をする。
自分が見落としたのかと自問自答しているようだ。
気がつかないのは当然だろう。
論理の世界ではないからだ。
「お兄さま宛てにですか?」
思わず、ため息が漏れる。
「ええ。
嫌なことに、すぐ理解できました」
俺のため息が余りに大きかったのか、心配そうな顔でミルがやってきた。
「それはなんなの?」
「《 もっと私を見て》というクレシダ嬢からのメッセージですよ」
ミルは驚いた顔になったが、すぐにドン引きした顔になる。
「ええっ。
なんて嫌なメッセージなのよ」
「クレシダ嬢の動向を知りたければ、かなり注視しなければいけません。
ただでさえアンフィポリスの治安が悪いのです。
情報を得たければ、かなりの危険を覚悟しないといけませんね。
だからこそ……。
知りたければ、《 もっと私を見て》となるのです」
キアラは自信満々に、胸を張る。
「危険は覚悟の上ですわ」
必要であれば、その指示を出す覚悟はある。
だが今は、そのときではない。
そこに未知のリスクがあるからだ。
「そう単純な話ではありません。
もし半魔にする手段を複数所持して、耳目の誰かを半魔にしたら、どうしますか?」
キアラは、ガックリとため息をつく。
「ああ……。
戻ってきたとき、耳目が壊滅的ダメージを受けますわ。
そう簡単にはいかないのですね」
「なのでアンフィポリスでの諜報は控えてください。
今はまだね」
キアラは苦笑して、肩をすくめる。
「それがお兄さまから、クレシダへの返事ですのね」
「そうですね。
沈黙も返事です。
それに直接アンフィポリスを探らなくても、情報は手に入りますから」
キアラの目が鋭くなる。
「そうなんですの?」
「ええ。
なにも情報は、直接的な行動から取るとは限りません。
なにを明かして、なにを明かしていないか。
そして周囲の状況からも推測できます。
まずは様子を見るしかないでしょう」
キアラは納得顔でうなずいた。
「わかりましたわ。
そういえば……。
ディミトゥラ王女にあの書状を送りましたわ。
そろそろリカイオス卿に、攻撃をする頃合いですのね」
リカイオス卿が粛正をして、動揺が広がったタイミングで攻撃を仕掛ける。
そこは、チャールズに一任していた。
ヤンの投入時機も、そのあたりになるだろう。
「ええ。
もうじきですよ」
ミルは少し心配そうに眉をひそめる。
「そういえばアルは、色々とシケリア王国に、クレシダの陰謀があるって話を広めているでしょ。
もしペルサキス卿が感づいたとしたら、大丈夫なの?
クレシダに消されないかしら?」
シルヴァーナの件があるから心配なのか。
「それは大丈夫です。
きっとクレシダ嬢は、リカイオス卿よりペルサキス卿を評価していますから」
ミルは不思議そうに首をかしげた。
「普通逆じゃないの?
制御が楽なほうを残さないかしら?
アルはそうやってきたよね」
普通ならばそうだな。
よく、俺の手口を見ているよ。
「クレシダ嬢と私では、立場が異なりますから」
ミルは不思議そうに、首をかしげた。
「立場?」
「クレシダ嬢は、私の手が直接シケリア王国に伸びるのは避けたいでしょう。
つまり防波堤として、優秀なほうを残したいと思いますよ。
リカイオス卿を消すことはあっても、ペルサキス卿を消すことはないです。
ただ完璧に敵になりそうなら、話は別ですが」
ミルは少し安心したように胸を撫でおろす。
有能だからこそ、クレシダの盾になりえるのだ。
「そっか。
だから極力消さない方向にするのね」
状況次第で消すだろう。
ただ……。
「もし消すときは、私の攻撃に対処できる確信を持ったときでしょうね。
ただそこまで、手間をかけるとは思えません」
「危険な敵を消すのが手間なの?」
具体的な方策はわからない。
だがどんな方向性かは予想できる。
「私がクレシダ嬢なら、個別に消すより……。
全体の勢いで押し流すことを考えます。
彼女もそうすると思いますよ」
ミルは、すごく複雑な顔をする。
「なんというか……」
「どうしました?」
ミルは小さくため息をつく。
「クレシダがアルと通じ合っているって話を思い出して、モヤモヤするわ」
まだ引っかかっていたのか。
ミルの負けず嫌いを、少し軽く見ていたな。
「ああ……。
彼女と私は、似たもの同士ってだけですよ。
それを通じ合っている、と勘違いしたか……。
ミルたちを惑わせるために書いただけです」
ミルは、少しふくれっ面だ。
認めたくはないようだな。
「全然似ているように思えないけど……」
「まあ、方向性が違うだけですね」
「真逆じゃないの?」
その真逆が大事なのだよ。
「真逆だからこそですよ。
本質が類似しているので、目指す行動によって真逆に見えるのです。
もし本質が違えば、逆の行動をしてもずれが生じますからね」
キアラは渋い顔だ。
「なんだか……」
ミルはキアラに苦笑する。
意見が一致したのだろう。
「モヤっとするわね」
「見なければ本質が変わるわけではありませんからね。
私にとっては、ちょっと変わった鏡を見ているようなものです。
だからこそわかるのですよ。
ただそれだけです。
ミルが心配する必要はありません」
ミルは顔を真っ赤にしてオタオタしはじめた。
クレシダに俺が惹かれると心配しているかもしれないからな。
「べ……別に心配していないわよ!」
もうちょっと丁寧に説明するか。
「似たもの同士ですが、決定的に違う部分があります。
だからこそ私は、決してクレシダ嬢を好ましく思いませんよ」
「それはなに?」
どうしても好きになれない要素があるってことだ。
「クレシダ嬢は徹頭徹尾、自分が大好きなんです。
そこに少しの客観性もありません。
私はそんな人を好きになれませんよ」
ミルたちは俺が、自己嫌悪の塊なのは知っている。
時折、それが表に出て説教されてしまうが……。
それだけにミルにとっても納得しやすいだろう。
ミルは複雑な顔をしていたが、すぐに首をかしげた。
「自分大好きって、使徒にロマンやトマがそうだって言っていたわね。
あれと同じなの?」
あれと一緒にされたら、クレシダは烈火の如く怒るだろうな。
「違いますよ。
自己愛トリオは、たしかに自分が大好きです。
ところが……他人が自分を愛すのは当然と思っている。
むしろ自然の摂理くらいに思っているでしょう。
翻ってクレシダ嬢は、他人がどう思おうと意に介しません。
自分が自分を愛しているだけでいいのです。
だからこの世で、自分に最も似ていると思う私に執着するのでしょう。
自己愛の裏返しに過ぎませんよ。
そんな人は気持ち悪くて、好きになれません」
ミルは納得したようだが、気まずそうに目をそらす。
「なんだか複雑だわ。
アルが自分のことを嫌いなのは知っているけど……。
あまり口にしてほしくないわ。
でもこの話を聞いたのは私だからね……」
バランスが欠けていることは自覚している。
だからこそ俺は、どこか壊れていると思っているのだが……。
「普通の人は、大なり小なり自分のことが好きですよ。
そして客観性も持ち合わせます。
客観性がなさすぎると異常だ、と思われるのですよ。
クレシダ嬢に聞いたわけではありませんが……。
きっと彼女は、あのトリオを
「同族嫌悪ってヤツかな?」
そうではない。
他者への依存や寄生を嫌う精神が、クレシダの土台だろう。
その上に自己愛があるだけだ。
普通は自己愛が土台と思うだろう。
それは自己愛の匂いがきつすぎるから、土台に注意が向かないだけだ。
「いいえ。
人に依存しているのに、人より優れていると思うのが嫌いなだけですよ。
私の推測ですけどね。
だた自分が大好きで、他人と関わらないなら、変人で済みます。
ところがあのトリオは、他人も同じ考えであることを望むので、あっちから寄ってくるわけです」
ミルは引き
「それは絶対に嫌ね。
でも……クレシダと同じ感想だと思うと、なんか複雑だわ」
ミルの言葉に俺の思考が一瞬止まった。
そうか……。
クレシダの手は、すでにミルに伸びていたことを失念していた。
振り払う必要があるな。
「別にクレシダ嬢の考えが、すべて嫌悪するものではないでしょう。
それも計算に入っているかもしれませんね。
放置すると、彼女の術中にハマりかねません」
ミルは驚いて目を丸くした。
「ええっ」
クレシダが概念化すると危険だな……。
だが死んだら概念化するだろう。
これは危険だ……。
俺が勝ったとしても油断ならない。
「クレシダ嬢が徹底的に嫌悪されると、彼女のやったことすべてが忌避すべきものになります。
もし彼女が気まぐれでも善行のようなことをしていたら……。
どうなります?」
「ちょっと抵抗があるわね……。
え? まさか……」
思わずため息が漏れる。
後先考えないなどとんでもない。
後をしっかり考えている。
「死んだ後も、人々に傷を残そうとするでしょう。
理性が勝つなら乗り超えられます。
感情や本能が勝るなら、その善行すら忌避しますね。
否定せずとも敬遠するでしょう。
死んだ後も、人々に理性の
ミルの言葉を聞いて、気がつきましたよ。
倒せばよしとならないとは、面倒な人ですね……」
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