694話 欲求不満
珍しくオフェリーが、執務室でため息をつく。
マリー=アンジュは快方に向かっているはずだが……。
オフェリーは憂鬱な顔で、時計を見ている。
午後3時か。
執務室の書類棚の上で昼寝をしていたエテルニタが、さっと降りる。
オフェリーに近づいて腕に、体をスリスリさせる。
まさに癒やしの猫だよな。
オフェリーは嬉しそうに、エテルニタをモフモフする。
そんなエテルニタだが、マリー=アンジュのところには行きたがらない。
オフェリーが連れて行こうとしたときは、威嚇までした。
驚くオフェリーの腕をすりぬけ、高台に避難して絶対に降りてこなかったな。
嫌な場所に連れて行かれる、と予知したかのようだ。
なにか感じているのだろうが……。
もしかして使徒の力が嫌いなのかもしれない。
俺に寄ってくるようになったのも、記憶が薄れはじめてからだったな。
猫がそうなのか、エテルニタがそうなのかはわからないが……。
そんなことをぼんやり考えていると足音が聞こえた。
扉が開いて、カルメンが入ってくる。
「オフェリー。
今日はアレの日でしょ。
エテルニタを預かりに来たわ」
オフェリーは名残惜しそうに、エテルニタを抱きかかえカルメンに渡す。
「お願いします」
なにか、行事でもあったのか?
「なにかありましたっけ?」
カルメンがエテルニタを抱きかかえながら、意外そうな顔をする。
「ラヴェンナ軍の訓練の日なんですけどね。
そこでの模擬試合が大人気ですよ。
一騎打ちは大勢が見物に来ますね」
模擬試合があるのは知っている。
日付と時間までは興味がなかったので、気にしていなかったが……。
「ああ。
そういえば、そんな話がありましたね。
それでオフェリーが治療に?」
オフェリーはウンザリした顔で、ため息をつく。
「ロッシ卿とロンデックスさんの一騎打ちが、とても激しすぎるんです。
模擬戦どころか……。
殺し合いのような真剣さなんですよ。
万が一にも死なせるわけにいかないのです。
ところが……。
ふたりは私がいるからと、気にせず全力で打ち合うんです」
「なんというか……。
オフェリーも大変ですね」
オフェリーが俺の前にやってきて、顔を近づけてきた。
「一度見に来てください。
そうしたらどれだけ大変なのかわかりますから」
「わざわざ見物に行くのもどうかと思いますよ」
オフェリーは俺に顔を近づけたまま、シュンとする。
「ダメですか……」
間近でそんな顔をされたら断れないだろ。
絶対に知っていてやっている。
「そんな捨てられた子犬のような顔をしないでください。
わかりました。
行きましょう。
ミルも一緒に来ませんか?」
ミルを置いていくのもアレだ。
たまには気分転換もいいだろう。
ミルは驚いたが、すぐにニッコリ笑う。
「そ、そうね……。
アルからの折角のお誘いだし行くわ」
オフェリーは、嬉しそうにうなずく。
「良かったです。
皆一緒がいいですよね」
ミルは怪訝な顔で、首をかしげた。
「オフェリーはアルを独り占めしたくないの?」
「それはアルさまの日に、たっぷりしますから。
それより皆で、アル成分を補充しましょうよ」
俺は食べ物か?
そうなるとアーデルヘイトとクリームヒルトを、のけ者にするわけはにいくまい。
かくしてアーデルヘイトとクリームヒルトまで呼ぶことになる。
ゾロゾロと、模擬戦をやる訓練場に向かうことになった。
◆◇◆◇◆
訓練場はえらい人だかりで驚いた。
どうやら、オフェリーがくるのを待っていたようだ。
チャールズとヤンが、訓練場の中央で談笑している。
フル装備で準備万端、といったところか。
俺に気がつくと、チャールズは一礼した。
「これはご主君。
珍しいですな」
だろうなぁ。
滅多に来ないからな。
「オフェリーが治療でヒヤヒヤするから、大変さを見てくれと言われたのですよ」
チャールズはニヤリと笑う。
「なるほど。
オフェリー夫人には感謝していますよ。
思う存分に腕を振るえますからな。
適度にやり合わないと、勘が鈍るのですよ」
オフェリーはブツブツと文句を言っている。
ヤンが笑顔で、片手をあげる。
「おう! ラヴェンナさま!
俺っちの動きを見てくれよな」
「ロンデックス殿の戦いを見るのは初ですからね。
しっかり見させてもらいますよ」
ギャラリーは結構いるが……。
ゾエがいるな。
多少は、トラウマが克服できたのか。
それともヤンが心配なのか。
ロマンが自死したと聞いたとき、ほのかに笑ったらしい。
それだけに傷の深さの一端が知れる。
ゾエは俺に気がつくと一礼した。
こちらも手をあげて、挨拶を返す。
そういえば、チャールズとヤンの一騎打ちは互角と言っていたな。
チャールズの獲物はハルバード。
2メートルはある長さだ。
ヤンは2メートルほどの長さがあるウォーハンマー。
しかもヘッドが、普通のヤツよりでかい。
こんなので殴られた日には、鎧だってペシャンコだろう。
そしてハンマーがないほうの柄先は、鋭い槍になっている。
そういえばヤンが、オニーシムに頼み込んで作ってもらったらしい。
魔力が通らなくていいから、とにかく頑丈なものとのオーダーであった。
絶対に、アレで殴られたくはないぞ。
盾で防いだとしても、腕が折れるだろう。
たしかにオフェリーが必要だな。
チャールズとヤンが、武器を挨拶代わりに軽く打ち合わせた。
そして互いに距離をとる。
訓練場が静まりかえる。
簡単には打ち合わないな。
互いに小さく動きながら、機を探っている。
構えを若干動かし誘うなどの、高度な駆け引きが繰り返されていた。
チャールズより若くて力の強い兵士たちは、この駆け引きに負けてあっという間に打ち破られる。
チャールズからは、いつもの皮肉な笑みは影を潜めて、殺気がほとばしっていた。
ヤンも普段の様子から一変、飛びかかるタイミングを計る獣のようだ。
この緊張感は凄いな。
ところがミルたちは、今一わかっていないようだ。
アーデルヘイトがしきりに、首をかしげている。
「旦那さま。
おふたりの筋肉は素晴らしいですけど……。
アレってなにを待っているのでしょうか?」
筋肉の話を混ぜるところは、相変わらずブレないな。
「お互いが好機をつくるため、牽制し合っています。
ふたりの間を、無数の見えない刃が飛び交っているようなものです」
アーデルヘイトはわかったような……わからないような顔をしている。
「そうなんですかぁ……」
「どの方角から打ちかかるとか……。
わざと隙を見せて誘うとかですね。
その中で僅かに本物の隙が出来るので、逃さずに打ち込みます」
アーデルヘイトは戦いの内容に興味があるのかは謎だ。
ただ俺との話を続けたいようだ。
「隙を逃がすと、どうなります?」
「当然人なので、待っている側にも隙が出来ます。
しかもチャンスを逃したあとなので、直後の集中はほんの僅かですが……落ちますよ。
そこをたたみ込まれると、防戦一方になります」
アーデルヘイトは納得した顔で、強くうなずいた。
「あ~。
たしかに謝肉祭の開始が、悪天候でずれるとガクっときますね。
立ち直るのに時間がかかります。
それにしても……。
旦那さまは運動能力ゼロなのに詳しいのですね」
嫌な思い出が蘇った。
思わず遠い目になる。
「昔兄上たちにしごかれましたから。
3日で匙を投げられましたけど。
稽古が嫌だったのもあって、色々聞いたのですよ。
聞いている間は稽古をしなくて済みますからね」
クリームヒルトが突然吹き出した。
「お
よく3日も我慢できましたね。
不毛の大地に、3日も水を撒けませんよ。
イポリート先生だったら、一目見て止めると思います」
不毛の大地ってねぇ。
否定できない自分が悲しい。
「悲しいけど同意見です。
むしろやる前から、匙を投げてほしかったですよ」
思わず遠い目をしてしまう。
それと同時に模擬戦が動きはじめた。
先に仕掛けたのはヤンか。
あのウォーハンマーを、チャールズはどう受けるのか。
チャールズはハルバードでハンマーの柄を軽くすくい上げる。
怖いことするな……。
ハンマーの軌道が上に逸れる。
即座に身を屈めて、ハンマーをやり過ごす。
そこにチャールズが、ハルバードを打ち込む。
ヤンはハンマーを振るったことで回転しており、防御は間に合わない。
マジモンの殺し合いじゃないか。
オフェリーが憂鬱になるはずだ。
ヤンはなにを思ったか、体を回転させつつチャールズの懐に飛び込む。
ハルバードの柄を、脇で受ける。
たしかに飛び込めば、比較的安全だけど……。
無茶苦茶だろ。
しかも木じゃなくて、チャールズのハルバードはすべて鉄製だ。
メシッと嫌な音がしたぞ。
骨にヒビが入っていないか?
ミルは思わず目を背ける。
ヤンは体を回転させたから、ハルバードを受けたときチャールズに背中を向けている。
ところが、まるで後ろが見えるかのように柄を突き出す。
肋骨を犠牲にしても、腕を生かすことにしたか。
この咄嗟の判断は凄いよ。
俺には絶対出来ない。
突き出したのは、槍となっている部分だ。
あげくに回転運動を、無理矢理止めて今度は直線攻撃か。
避けやすい顔じゃなく、胸を狙う周到さ。
背中に目があるかのような突きだな。
こんな動き読めるかよ……。
ところがチャールズは、ギリギリで躱す。
鎧を槍がかすめて、金属のこすれた嫌な音がする。
音に敏感なミルは耳を塞いでしまう。
さすがのチャールズも、若干体勢を崩す。
そこにヤンがクルリと正面を向いて、ハンマーを打ち下ろす。
突きはブラフだったようだ。
これは避けられないだろ。
チャールズはギリギリのところで、ハルバードの柄でハンマーを食い止める。
だがブロックしたとはいえ、肩に一撃入ったはずだ。
鈍い音がしたからな。
これは痛いだろうなぁ……。
そのまま、お互い距離をとる。
紛れもない死闘で、ふたりとも余計な声を出さない。
それが真剣さを感じさせる。
観衆からはどよめきと歓声が沸き上がった。
チャールズは、よくヤンの無茶苦茶な戦い方に対応している。
ふたりは再びにらみ合ったが、突然オフェリーが指笛を吹く。
「そこまで!
ロッシさんとロンデックスさん、骨にヒビが入っています。
これ以上続けると、もっと酷いことになります!」
ヤンが首を振った。
兜で隠れているから表情は見えないが、口を
「やっと体が温まってきたんだ。
止めないでくれよぉ」
チャールズも同じように首を振る。
「同感だな。
この感覚は燃えてくる」
オフェリーは強く首を振る。
「ダメです。
この前それで続けさせたら……。
とんでもないことになったじゃないですか。
治すほうの身にもなってください。
それに、私が止めたら止めるって約束しましたよね」
ヤンがガックリと肩を落とす。
「でもよぉ……」
チャールズは兜をとって苦笑する。
「残念だがここまでのようだ。
約束を破るわけにはいかないからな」
ヤンは視線を逸らす。
その視線の先には、腕組みをして怒っているゾエがいた。
ヤンは観念したように兜を脱いで、ため息をつく。
「しゃーねーな。
次は1発で仕留められるように、技を磨くか」
オフェリーはふたりに、治癒魔法をかけはじめた。
チャールズはオフェリーに一礼しつつ、肩をすくめる。
「十分すぎる技だと思うがね。
よく後ろを向いたまま避けにくい場所に、槍を突き出せたな」
「ん?
アレはカンだよ」
俺は思わず呆れてしまった。
「よく一瞬の閃きに、すべてをかけられますね……」
「逆だよ。
ラヴェンナさま。
それが出来ないと、戦いでは生き残れない。
外れたら笑って死ぬくらいの気持ちじゃないとな。
ロッシさんもそうだろ?」
チャールズは真顔でうなずいた。
「そうだな。
そもそも命のやりとりの場に、そんな気持ちで立つことがおかしいのさ」
この話を聞くと、やっぱり俺に白兵戦はムリだな。
ライトセイバーで不意をついても、チャールズやヤンに勝てるとは思えない。
「やっぱり私には、戦いは向かないですね。
おふたりの話を聞いて、そう思いました」
ゾエがいつの間にか駆け寄ってきて、ヤンにタオルを差し出す。
ヤンは照れくさそうに笑って、それを受け取る。
汗をかきながら、俺に笑いかけてきた。
「いやいや。
俺っちから見れば、ラヴェンナさまのほうが凄いと思うぜ。
ゆっくり考えて冷静に判断するなんて、俺っちにはムリだ。
時間が長いほど迷っちまうからさ」
チャールズは、肩を回してオフェリーに一礼した。
治療は終わったようだ。
「まあ……。
人には向き不向きがあるからな。
自分にない能力ほど凄いと思うものさ」
ド素人の俺でもわかるほどハイレベル……。
無茶苦茶な戦いだったな。
「なんと言いますか……。
凄いものを見せてもらいましたよ」
ヤンは意味ありげに笑う。
「そうかい?
そいつは嬉しいねぇ。
いい見世物だったかな?」
「ええ。
多くの人が、見物に来る理由もわかりましたよ」
ヤンはウンウンとうなずく。
「じゃあ、見世物代金を頂こうか?
ラヴェンナさまの驕りで飲みに行こうぜ。
ロッシさんも付き合うだろ?」
なんというか……チャッカリしているな。
チャールズは、肩をすくめた。
「ご主君の奢りなら、特上のものが頼めますな」
そのくらいならいいか。
ミルは、仕方ないといった顔で苦笑している。
「たまにはいいわよ。
いつもだと困るけどね」
オフェリーが突然挙手する。
「私も参加する権利があります。
治療で疲れました」
そう言われてはな。
誰を呼ばないとなれば、問題がある。
「ミルたちも来てもらいましょう。
ラペルトリさんもどうですか。
女性が多いから、気は楽だと思いますよ」
ゾエは驚いたが、すぐにほほ笑んだ。
「そうですね。
ご配慮に感謝します」
ミルたちの酒癖は悪くないから安心だ。
ここにシルヴァーナがいたら大変だ。
……突如背筋が寒くなる。
「え? アルが奢ってくれるの?」
なんか幻聴が聞こえたな。
あれ? 目の前にシルヴァーナがいるぞ。
「どうも疲れているようです。
幻まで見えはじめました……」
幻影のシルヴァーナが、俺にビシっと指を突きつける。
「なに意味不明なこと口走っているのよ!
それよりこれから飲みに行くんでしょ!
アタシも連れてってよ。
色々我慢していて、欲求不満が溜まっているんだからいいでしょ」
なんでこの場にいて、耳
あと我慢って、ダンジョンに行くな……とかだろ。
そういえば結婚の話もあったか。
ミルが笑って、俺の肩をポンとたたく。
「こんな盛り上がる騒ぎに、ヴァーナがいないと思ったの?
ここは諦めるしかないわよ。
ヴァーナ。
飲んで暴れたりしたらダメだからね」
シルヴァーナは露骨に、視線を逸らす。
「そ、そんなことないわよぅ……。
アタシがいつ、酒に酔って暴れたのよ」
いつもだろうに……。
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