693話 閑話 黒い炎

 噂のクレシダ・リカイオスは、アンフィポリスに向かう馬車の中だ。

 向かいには侍女のアルファが座っている。

 クレシダは外を見ながら、鼻歌を歌っていた。

 

「久々の長旅は楽しいわね」


「ご機嫌ですね」


 クレシダは、嬉しそうな顔で胸に手を当てる。


「当然でしょ。

愛しい人アルフレードへの私からの返事なんだから」


 アルフレードは、クレシダの活動を阻害しようとしてきている。

 そこでクレシダは、方針変更を決断した。

 それがアンフィポリスの責任者就任であった。


 クリスティアス・リカイオスは、この提案に対して歓迎の意をあらわす。

 クレシダは、第5襲撃以降は腫れ物のような扱いになっていたからだ。

 アルフレードがどんな計略を仕掛けてくるのか、誰にもわからない。

 そこでクレシダを狙い撃たれて、足元を掬われては困る事情もあった。


 アルファは表情こそ変えないが、小さく首をかしげた。


「クレシダさまは決して、表舞台に立たないと思っていました」


 クレシダは艶やかにほほ笑む。

 美少女とは言い難い容姿だが、こんなときは妙な色気がでる。


「勿論そのつもりだったわ。

ところがねぇ。

愛しい人アルフレードの手が、叔父さまをつかんでしまったもの。

避難しないと危険だわ。

こうでなくっちゃね」


 この件はアルファも知っている。

 ランゴバルド王国との国境沿いで見つかった密書のことだ。

 内容はクレシダも知るところとなっている。

 それを見たクレシダは、とても上機嫌だった。


「アンディーノ将軍の内通ですか」


 クレシダはフンと鼻で笑う。


「アンディーノにそんな度胸なんてないわよ。

でもね……。

失敗して対応が中途半端になっているわ。

叔父さまに忠誠を表明するため、いつくばるでもない。

かといって裏切るわけでもない。

それを見透かしたように、今回の手よ。

ゾクゾクしちゃうわ」


 恍惚こうこつの表情を浮かべるクレシダ。

 アルファはそれでも、表情が変わらない。


「リカイオス卿は密書が届けられても、誰にも話しませんでしたね」


 クリスティアスの心などクレシダは容易に把握できる。

 その、狼狽と疑心暗鬼もすべてだ。


「ええ。

でもね……。

もう手遅れよ。

叔父さまはつかまれているの。

逃げられっこないわ。

見ていなさい。

トドメの一撃がくるから」


 クレシダの楽しそうなほほ笑みに、アルファは、首をかしげる。

 アルファはリカイオスに、同情などしていない。

 自己評価と実力が異なる喜劇役者と感じていた。

 

 アルフレードが、まだ手を打ってくるとは予想していない。

 そもそもアルファは、アルフレードに興味はないのだ。

 妹のキアラには、非常に興味を持っている。

 転生した仲間同士という縁が、アルファをこだわらせているのかもしれない。


「まだあるのですか?」


 クレシダはクスクスと笑いだす。

 アルフレードの話をするとき、とても上機嫌なのだ。

 計画の障害になるほど喜ぶ有様であった。


「ええ。

それこそ叔父さまの猜疑心を、最大までかき立てる程ね。

それにしても、愛しい人アルフレードの底が読めないわね。

随分私の手口を知っているみたい。

半魔の噂まで流すのはビックリしたわよ。

どこまで私のことを知っているのかしらね」


 クレシダは自分の邪魔になるものは毛嫌いしている。

 アルフレードだけは別らしい。

 何故、そこまで執着するのか、アルファには理解できずにいた。

 だがそれを理解する気もないアルファであった。


「とても楽しそうですね」


「ええ。

驚かせてくれたお返しよ。

表舞台にでて踊ってあげることにしたわ」


 クレシダは楽しそうにしているが、アルファはとても楽しむ気になれなかった。

 動けなくなるわけではないが、大きく制限されることは明白なのだ。

 そしてどこまで、何を知っているのか。

 それがわからないと思わぬところで、足を掬われるとも懸念している。


 その懸念は、半魔の情報をつかまれたことで現実となった。

 ラヴェンナに、アイオーンの子にまつわる情報が眠っていることは聞いている。

 いつかラヴェンナに帰るときのために残したものだ。


 それが発見された揚げ句、利用までされた。

 防止するために、先祖は血の神子の核を残しておいたのだ。

 それまでキッチリ対処されたのは驚きであった。

 アイオーンの子たちの間では衝撃が走ったのだ。


「やはり地下都市から、情報を得たのでしょうか?」


「でしょうね。

それでもあの古代文字を、どうやって翻訳したのか不思議よね。

そうなると……。あの地下都市の秘密を探られるのも、時間の問題かぁ。

半魔が貴重な魔力供給源だったと気がつくわねぇ」


 クレシダでなくても予想できる。

 一つを解明できたら、次々と解明されるだろう。


「そもそも血の神子を倒せたことも不思議ですね」


「いつの間にか掃除していたのよね。

ますます知りたくなるわよ。

次の返事が待ちきれないわ」


「ラヴェンナ卿が我々のことを、どこまで知っているのか……。少し不安になりますね」


「いいんじゃない?

お互い全部わかっていたら、面白くないもの。

知らないことがあるからこそ知り合おうとするのよ」


「よろしければ探ってきましょうか?」


「ダメよ。

キアラの諜報能力を、甘く見ないほうがいいわ。

ホント大したものよ。

古典的な変装まで、部下に仕込むなんて。

変装は魔法でするのが常識よ。

それをすり抜けたら本物だ、と皆が思い込んでいるしね」


「たしかに部下への教育は、実に熱心ですね」


 ラヴェンナの耳目について、当然、クレシダとアルファは調べている。

 公的な諜報機関などはじめてのことなのだ。

 従来の諜報は、組織ではなく、個人や家が担っている。

 なにより特徴的なのが、部下の育成に極めて熱心なところだ。


「あと10年もすれば、世界最高の諜報機関になるわ。

今でも最高でしょうけど、まだまだ未熟な部分があるからね。

いくらアルファでも、ラヴェンナ潜入までが限界よ」


 アルファは、小さく首を振る。


「デュカキスの件は予想外でしたが、あのような手練れがいると思えません」


 クレシダは苦笑して、手を振る。

 アルファは感情が表にでないが、でないだけなのを知っているからだ。


「アルファに死なれたら困るしね。

それよりアンフィポリスにいってからのことよ。

抜かりないわね?」


「はい。

準備整っています」


 クレシダは朗らかに笑って、窓の外を眺める。


「では、叔父さまがどう絡め取られるのか、高みの見物といきましょう。

そうそう。

ロマンの寄生虫の排除もしないといけないわ」


 アルファは不思議そうに首をかしげた。

 世界主義がトマ・クララックを排除すると聞いているからだ。


「その件については、ボドワンに任せないのですか?」


 クレシダは意味ありげにウインクする。


「それでもいいけどね。

失敗したときのリカバリーよ。

なにせ民衆の意思なんて不確かなものを、頼りにするんだもの。

どう転ぶかわからないわ」


「カールラはどうしましょうか」


 クレシダは、少し考え込む。

 少しして、軽く両手を合わせた。


「ああ……。

そんな子いたわねぇ。

今一やり方が温いわ。

もうちょっとやるかと思ったけど……。

どこか中途半端にイイ子でいたがるのよねぇ。

まあ、本人の努力次第よ」


 カールラを排除する計画がある、とボドワンから知らされていた。

 知らされたときのクレシダは無関心そのもの。

 好きにすれば、といった感じだ。


「では排除計画も黙認するのですね」


 クレシダは皮肉な笑みを浮かべる。


「私が妨害すると、世界主義が慎重になるわ。

今は寄生虫とカールラだけを見ているでしょう。

そのほうが、あとで転ばしやすいからね。

友達になれるかわからない子のために、私が、リスクを負う必要はないわ」


 まだお試し期間らしい。

 そもそもクレシダは、個人に執着しない。

 フォブス・ペルサキスに執着したのは、半ば演技である。

 自分を彩る背景として気に入っただけのこと。

 決して、個人に対して執着していない。

 

 そんなクレシダは、アルフレードにだけ異常なまでに執着している。

 その真意は、アルファにもわからない。


「クレシダさまはカールラを評価していないようですね」


 クレシダは、物憂げに髪をかき上げる。


「カールラはねぇ。

人を信じすぎるのよ」


 アルファにとって意外な言葉であった。


「そうなのですか?

猜疑心の塊だと思いますが」


 クレシダはアルファに諭すような笑みを浮かべる。


「信じられるのは自分だけなんてヤツほど、簡単に騙されるのよ。

他人は必ず裏切る、という自分の判断を盲信しているからね。

その違いに気がつかないようじゃぁ……。

オツムが弱いとしか言えないわね。

人の心は天気と同じよ。

不確かなの。

環境によって変わりやすいか、そうでないかの違いだけよ。

それを認められないの。

そこが愛しい人アルフレードとの埋められない格の違いね」


 クレシダはカールラのことを評価していないのは、アルファもわかっていた。

 接触したのは、単に面白そうだったからだ。

 現在の評価は、まったくダメでないが合格点には届かない。

 マリー=アンジュをロマンに襲わせた話が届いたとき……。

 クレシダは『もっとがんばりましょう』といい、冷笑していたのだ


「カールラはゴール設定を間違っていると言われていましたね」


「それは本人も気がついているのよ。

でも自分を疑えないから、最初のゴールにしがみついているの。

使徒を意のままに動かすという願望にね。

愛しい人アルフレードが、カールラを何故送り出したのか……。

少し考えればわかるでしょ?」


 近くにおいても邪魔だから厄介払いしただけ。

 それが、クレシダの判断である。

 使徒をダメにするために送り込んだのでは、とすら思っていた。


 クレシダは楽しそうに煙管を取り出して、火をつける。

 普段は面倒くさがって魔法を使わないが、馬車の中では仕方がない。

 それは誰も見たことがない、黒い炎であった。

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