692話 閑話 天才の閃き
シケリア王国の領内は、不穏な空気に包まれている。
そんな空気のなか、フォブス・ペルサキスは、気晴らしも兼ねた視察にでていた。
ところがフォブスは、予定より2週間も早くに帰還してくる。
ゼウクシス・ガヴラスは、なにも言わずに出迎えた。
ふたりはフォブスの私室で、酒を酌み交わす。
フォブスは視察で得た情報を、酒のつまみのように語る。
ゼウクシスはフォブスの感想を、厳しい顔で聞いていた。
「この不穏な空気ってのは……。
どうにも好きになれませんよ。
下手に動けば、やぶ蛇になりかねません」
フォブスは疲れたように頭をかく。
「まったくだよ。
まあ……。
私は漠然とした不安にすぎないがね。
アンディーノ将軍は気が気じゃないだろう」
ゼウクシスは苦笑してうなずく。
「前回の大敗北ですね。
狼人族の将軍なんて前代未聞ですが……。
ラヴェンナ卿の目利きは、大したものですよ」
フォブスは忌々しそうに、窓の外を見る。
「あの魔王……。
どれだけ手札を隠し持っているのだ?
戦闘の報告を聞いたが……。
ある意味ガリンド卿より難敵だぞ」
ゼウクシスも報告を聞いたとき、我が耳を疑った。
獣人の将軍で、極めて有能。
想像を超えた事態で、頭が理解を拒んでしまう。
「そうですね。
ガリンド卿相手なら慎重策でも、異論はでません。
ところが狼人族相手では異論だらけでしょう。
どれだけ口では難敵と言っても、長年染みついた常識は捨てられません。
心のどこかで……侮る気持ちがでてくるでしょうね」
フォブスは小さくため息をつく。
もっと面倒なのが、主君があの魔王だからだ。
敵にすれば、これ以上厄介な主君はいない。
将軍が力を発揮できるように、全力を注ぐからだ。
送り出してからも姿勢は変わらない。
讒言など聞く耳を持たないのだ。
どれだけ主君に足を引っ張られないか。
それが将軍同士の戦いでは重要な要素なのだ。
ラヴェンナと戦うのは、使徒が連呼していたチート持ちと戦うのに等しい。
最初から圧倒的に不利なのだ。
あの魔王が、ポンシオ将軍のために打った手が実に嫌らしい。
将軍の赴任時に、他家の協力は不要、と言い切った。
ベルナルドの戦死で後ろめたいと思っている他家は、これで震え上がる。
あとでその責任を問いただす、と言っているようなものだ。
全面的な服従をせざる得ない。
どうか協力させてください、と頭を下げる羽目になった。
獣人の将軍だからと、面従腹背をしようものなら……。
家ごと吹き飛ぶのは確実。
第三者からすれば単純なハッタリだ。
だが当事者は違う。
ハッタリだと思っても、家の存続を賭けた博打を打つのか?
失敗時のリスクが大きすぎる。
絶対に安全な方に賭けるだろう。
それが人間という生き物だ。
家の当主になるくらいだから、常識を
本当に嫌らしい脅しだ。
その上であの戦果。
他家の協力がなくてもやれる、と実績で示したわけだ。
誰ひとりとして、あの魔王に逆らえないだろう。
協力が駆け引きの材料にならないのだ。
「……ったく。
あの魔王性格悪すぎだろ。
ポンシオ将軍だったかな。
私の見立てでは、守勢の名将だろう。
経験を更に積めば、ガリンド卿も超えるさ」
フォブスの偽らざる心境だった。
騎士と違って挑発に乗らない。
とても忍耐強いとの判断だ。
それだけでも厄介なのに、追撃は慎重かつ粘着質だ。
ゼウクシスは意外そうな顔をする。
「随分高い評価ですね」
フォブスは苦笑して、手を振る。
「低く見積もっても、仕方あるまい。
私ですら攻めろと言われたら……。
勝つのは難しいだろう」
陽動など効かないだろう。
頭のなかで勝ち筋を考えた。
残念ながら、今一思いつかなかった。
もっと詳しく知れば変わってくるが……。
現時点では戦わないのがいい。
ポンシオ将軍を無視する戦略にするべきだろう。
可能ならばだが。
フォブスの楽しそうな顔に、ゼウクシスは眉をひそめた。
心底楽しそうな顔をするときは強敵とまみえたときだけだ。
つまりポンシオ将軍を強敵と見なしたのだろう。
それでもゼウクシスは、フォブスを天才だと思っている。
互角の条件なら、誰にも負けないと信じてさえいた。
負けることなど想像すらできないのだ。
「そこまでですか?」
フォブスとポンシオが戦うとき、無視できない要素がある。
それが、フォブスに勝つことを許さない。
「時間が幾らでもあるなら勝てる。
だが、わかるだろう?
リカイオスのオッサンは、そこまで気は長くない。
時間制限ありで、攻城戦はムリだよ」
ゼウクシスは思わず天を仰ぐ。
フォブスの明確な弱点なのだ。
納得するしかない。
「ラヴェンナ卿がじれて、攻撃を命じるなんて想像もできませんからね。
アンディーノ将軍を敗走させたあと、勢いで攻めてくると思いましたが……」
フォブスは自嘲気味に、肩をすくめた。
「まったく攻めてこなかった。
それを狙って仕掛けようと思ったが、全部水の泡だよ。
だがあの魔王は、オッサンを確実に仕留めるはずだ。
つまりもっといいタイミングを待っている……。
いや、つくるつもりなのだろう」
フォブスは、アンディーノ将軍敗走の知らせを受け、救援に向かった。
その上で、誘いをかけたのだ。
攻め易いよう、故意に隙をつくったのだが……。
並の将軍なら、容易に食いつく。
ところがポンシオ将軍は見向きもしない。
さっさと引き上げてしまった。
つまりアンディーノ将軍を破ったときは、攻撃のベストタイミングではないのだろう。
少なくとも、フォブスはこれで終わりなどと思わなかった。
ゼウクシスもそこは同感なのだろう。
ウンザリした顔で、ため息をつく。
「考えたくもないですね。
そういえば……。
国境付近の山村で、妙な死体が見つかったそうです」
フォブスは興味をそそられたようだ。
楽しそうに身を乗り出した。
「ほう?」
「なにか密書を持っていたようです。
さすがに内容は、リカイオス卿しか知りません」
フォブスは腕組みして渋い顔になる。
「なんともきな臭い話だな。
あの魔王の手が伸びてきたのだろうな」
「リカイオス卿に忠告しますか?」
フォブスは自嘲の笑みを浮かべる。
「ムダだよ。
忠告しても、余計疑われる。
成り行きに任せるしかない。
それよりもっと不可解なことが起こったろう。
それで早めに戻ってきた」
ゼウクシスも
本来は事件ではないが、人によっては事件になり得る。
「アンフィポリスの件ですか」
「そう。
故ドゥーカス卿の本拠地で荒れまくっている。
オッサンは、そこの治安回復をしたがっていたろう」
ゼウクシスは、思わず苦笑してしまった。
その治安回復が問題なのだ。
「そこの責任者にクレシダさまですからね」
フォブスは口の端をつり上げる。
「耳を疑ったぞ。
たしかに猜疑心の強いオッサンにとって信じられるだろうが……。
クレシダだぞ? 統治能力なんてあるのか?」
「そこはリカイオス卿が認めた役人を派遣するそうです。
あくまで最終決裁をするだけのお飾りのようですが……」
フォブスは頭をかいて、あきれ顔になる。
「役人の決定を、クレシダがひっくり返したら無意味だぞ?
噓なんてしょっちゅうなのだ。
出発前の約束なんて、アテにならん」
クレシダは役人の決定を通すだけの責任者だというのだ。
その言葉を信じるものは、誰もいない。
クリスティアス・リカイオスですらそうだろう。
だからこそフォブスには納得できない人事だった。
ところがゼウクシスは今一浮かない顔をしている。
「そうですね……」
フォブスは意外な顔をする。
このようなゼウクシスは珍しいと思った。
いつもと違って歯切れが悪い。
「なんだ? なにか思うところがあるのか」
ゼウクシスは
やがて小さなため息をついた。
「リカイオス卿は……。
クレシダさまが煙たくなったのではないでしょうか?」
フォブスは意外そうな顔をする。
あまりに突飛だからだ。
「なんでまたそう思うのだ?」
「ラヴェンナ卿が第5襲撃の首謀者と決め付けて、戦いまで仕掛けました。
ところがなんの成果も出せない。
ガリンド卿を戦死に追い込んでも……ぬか喜びしただけ。
次の将軍はとても有能で、返り討ちに遭う始末です。
アンディーノ将軍を重用してみせたリカイオス卿の面目は、丸つぶれとなりました。
むしろマイナスと言ってもいいでしょう。
クレシダさまの姿を見るたびに、自分の無能さを糾弾されている気になっているのではと」
フォブスは、ゼウクシスの言葉を笑い飛ばすことはできなかった。
真顔で腕組みをする。
「なるほどなぁ。
それは考えてもいなかった。
それだとクレシダをアンフィポリスに送り出したのは、もっとあくどい考えがありそうだな」
ゼウクシスは苦笑する。
突飛な話すぎて笑うしかできなかったのだ。
「下手をしたら、騒乱で亡くなることも期待しているかもしれません。
一族を大事にしていますが、自分が倒れてまで大事にはしないでしょう。
私が考えすぎかもしれませんがね……」
フォブスは頭をかいて、ため息をつく。
「オッサン……。
あの魔王を、甘く見すぎだ。
この世で最もタチの悪いヤツに、名指しで糾弾されたんだぞ」
「そこはラヴェンナの攻撃を撃退して、なんとか交渉のテーブルにつこうとするでしょう。
幸いガリンド卿がいません。
地理に詳しい将はいないでしょう。
ラヴェンナ側から攻めにくいとのお考えかと。
そこでクレシダさまが生きているとやりにくい、と思いませんか?」
フォブスは真顔でうなずいた。
「そういうことか。
それにしても……よくクレシダが、首を縦に振ったな」
フォブスは苦笑する。
あの我が儘なクレシダが、治安の悪い不便な都市に行くのか。
とても不思議だったのだ。
「どうやらクレシダさまが持ちかけたらしいのです」
フォブスは目を丸くした。
あまりに想定外だからだ。
「おいおい。
そりゃなんでまた……」
「わかりません。
ただ……」
ゼウクシスは推測だけで、会話をしたがらない。
だがフォブスの直感が話を聞くべきだ、と
「ただ……なんだ?」
「クレシダさまは、タダの我が儘娘なのでしょうか?」
フォブスはついに口にしたかと思った。
第5襲撃の見舞い以降、ゼウクシスはクレシダを違う目で見ているような気がする。
「その口ぶりだと違う、と言いたいのか?
世間の評判を否定する材料がないぞ」
ゼウクシスは真剣の顔で、身を乗り出す。
「第5拠点での襲撃後です。
もしタダの我が儘娘なら……。
リカイオス卿に犯人を捜して罰しろ、と詰め寄ると思います。
それをしていない。
むしろ不気味なくらい大人しいと思いませんか?」
フォブスは、思わず唸ってしまう。
言われてみればその通りだ。
直後、ある閃きが浮かぶ。
戦場でしか閃かないが、感覚はまったく同じものだ。
「たしかにな。
ん? いや……まさかな」
「どうされましたか?」
今度は、ゼウクシスが驚く。
フォブスが閃いたときの顔だと知っていた。
戦場以外で初のことだからだ。
そして天才の閃きは、理屈を飛び越えて正鵠を射ることも知っている。
「あの魔王の布告だ。
リカイオス氏とあった。
安いが効果的な挑発だと思ったが……。
まさかクレシダのことを指していないよな?」
ゼウクシスは思わず息をのんだ。
アルフレードならあり得る、と思ってしまう。
「つまりクレシダさまが、なんらかの陰謀に関与しているのですか?
ラヴェンナ卿は……なんらかの確証をつかんでいると」
フォブスは戦場で見るような笑顔を見せた。
こんなときは、普段の3枚目的な雰囲気が抜ける。
周囲を圧倒するような雰囲気に変わっていた。
「ゼウクシス」
「なんでしょうか?」
フォブスはニヤリと笑った。
「可能な限り、クレシダの身辺を洗ってくれ。
気がつかれないように。
私のカンにすぎないが……。
絶対になにかある。
繰り返すが、絶対にクレシダに悟られるなよ」
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