687話 禁忌

 古文書の翻訳はまだ完成していない。

 ちょっと図書館に向かって、状況の確認をしよう。

 俺が呼ぶと、報告のための資料整理などで手間がかかる。


 図書館の一室に通された。

 そこには翻訳作業の監督をしているティト・ジョクスがいる。

 何故か俺を見て、ギョッとした表情になった。

 無茶な仕事を押しつけた記憶はないぞ。

 ちょっと悲しい。


「ジョクス館長。

確認したいことがあります。大丈夫ですか?」


 ティトはビクビクとしている。

 そんな身構えなくてもいいだろうに……。


「あ、はい」


「安心してください。

新たな仕事ではありません」


 ティトは露骨に安堵あんどした顔になる。


「それはよかった。

いえ……なんでもありません。

それでなんでしょうか?」


 なんか釈然としないが、用件を済ませよう。

 俺が長居すると、不要なプレッシャーを与えてしまいそうだ。


「アイオーンの子に関する翻訳を優先してもらっていますよね。

大筋の翻訳は完了したのであれば、内容は把握しているかと。

それについて質問があるのですよ」


 1カ月以内には提出すると報告を受けている。

 大筋の翻訳は終わっているとも。

 ティトは表情を曇らせる。


「気になる問題が持ち上がったので、再度確認をしているところです。

なのでお答えする内容が正しいか、現時点では断言できません」


 なにか深刻な問題でもあるのか。

 違うな。

 あったら報告がくるはずだ。


「なにか問題がありましたか?」


 ティトは渋い顔で頭をかく。

 なんだろう、この感じは。

 なんとも形容しがたい問題なのだろうか。


「元々、古代人の言語は複雑でして……。

高度な語形変化が特徴的です。

それでもなんとか進めていましたが……。

とある部分が皆の手を止めてしまいました。

議論した結果、と思い至ったのです。

そこで疑問になったのが、今の慣習で無意識に意訳している部分はなかったのか。

これに胸を張って『ない』と言える者はいませんでした。

そこで全体の見直しを進めています」


 そんなことか。

 実に真っ当な理由だと思う。

 そんな口ごもる話じゃないだろう。


「なるほど。

そのまま確認を続けて結構ですよ。

断言できなくてもいいので質問させてください。

魔物を人の食糧にするような記述はありませんでしたか?」


 ティトは幽霊でも見るかのような表情で硬直した。

 あったようだ。

 喜ばしいのか、絶望すべきか……。

 決めるのは早計か。


「あのぅ……。

もしかして私たちの仕事を、密かに監視していませんか?」


 いやいや。

 そんなことは、監視した気分にしかならないだろう。

 ムダなことに労力を使いたくない。


「そんなことをする必要ないでしょう。

なんでまたそんなことを?」


 ティトは大きくため息をついた。


「ですよね……。

すみません。

でも……とある部分が……それなんですよ。

そんな話聞いたこともありません」


 魔物を素材として利用することはあっても、食用になどしない。

 何故と聞かれれば、毒であって食えないからだ。

 食えば吐き出すか、激しい下痢に襲われる。

 それは今の常識だな。

 その常識が通じない、と認識したわけだ。

 それなら他の常識も通用しないだろうな。


「実は相当危険な内容だったりしますか?」


 ティトは大きくため息をついた。


「今の慣習と乖離かいりしすぎた内容に、皆が戸惑いました。

その他の記述も、口にするのが躊躇ためらわれるような内容ですので……。

翻訳結果の写しがあります。

仮提出としてお渡ししましょう」


 常識と真っ向から対立する内容であれば、提出には勇気が必要だろう。

 もし翻訳の誤りだったら、あらぬ非難を浴びかねない。

 常識を軽視している、と誤解を招くからだ。


 ラヴェンナでそのようなことはないが、他所では違う。

 そしてティトの人生は、他所で過ごしてきた時間のほうが長いのだ。


 このティトの判断を、保身と決めつけるのは酷だろう。

 慎重さと判断すべきだ。

 ただティトの反応が俺にひとつの問題を認識させる。


「謝る必要はありませんよ。

それよりです。

もし翻訳に集中するあまり……。

古代人の思想に取り込まれそうなら、少し間を開けるなりしてください。

皆さんの私生活に支障を来しては困ります。

それで提出が遅れても構いません。

作業員の心身を安定させる時間も、作業に必要な時間ですからね」


 熱中するあまり、古代人と思想が同一化するかもしれない。

 そのほうが翻訳はスムーズになるからな。

 だが、職場をでたときにあれは仕事だ、と切り替えられるのか。

 そこまで人間は器用じゃないだろう。

 深くのめり込んで同化するほど、仕事の出来映えが素晴らしくなるなら……なおさらだ。


 こんなところで皆に潰れてもらっては困る。

 健全な私生活なくして健全な仕事は成り立たない。

 芸術とか発明は、その枠でおさまらないが……。

 枠内であれば徹底させるのは、俺の責務だからな。


 ティトは大きく胸を撫で降ろす。


「有り難うございます。

そうですね。

少し我に返る時間を頂こうかと。

どれくらい必要かは精査してご報告します」


 どうやらこの写しの中身は相当ヤバイ内容らしい。


「そうしてください」


                 ◆◇◆◇◆


 受け取った翻訳内容を執務室に戻ってから一読する。



 思わずため息をつく。

 子供がいるティトにとって口にしたくもない内容があった。

 これは感受性が強い人なら病みかねない。


 俺の様子をうかがっていたミルは不思議そうな顔をする。


「アル。

どうしたの?」


 俺は苦笑するのが精一杯だった。


「まさに人間の業の深さを思い知らされました。

クノーさん、カルメンさん……。

それとライサさんを応接室に呼んでください。

一緒に見てもらう必要があります」


「えっと……。

見ていいかな?」


 俺は首をふる。


「可能なら見せたくはないですね。

でも……。

それだけだと納得できないでしょう。

ひとつの見出しだけ教えます。

それで勘弁してください。

『言葉を一切教わらなかった赤子は、どんな言葉を話すようになるのか?』

それを実験した結果が記されています。

しかもあらゆる種族で試していますよ。

それ以上の実験もしています」


 ミルはまったく無表情のまま固まってしまった。

 すぐに小さく頭をふる。


「ええっ……。

ゴメン、なんか頭が混乱して言葉にならないわ……」


「それが正常ですよ。

アイオーンの子は、人ですら知的好奇心を満たす実験材料にすぎないようです。

書かれているのは、狂気の世界です。

ところが見ないわけにはいけません。

でも耐性のある者だけで見るべきでしょう」


 パトリックは死霊術士だ。

 死霊術は、アイオーンの子から派生したのかもしれない。

 カルメンは薬学の専門家だ。

 色々な薬を用いた実験結果も記されていた。

 ライサは、アイオーンの子と接点があったのだ。

 意見を聞くなら、その3人だろう。


 この人選で最も大事なのは、狂気に満ちた内容に耐性のあることだ。

 狂った研究内容だが、ラヴェンナの発展に役立つなら遠慮せずに使わせてもらおう。

 耐性がないと、冷静に役に立つかの判断が出来ないからな。


 キアラは平気だと思うが、今は忙しいからな。

 あとでカルメンから伝えてもらおう。


 昨日クリームヒルトとこの件について話したから、耐性があれば呼んでもいいが……。

 魔族も実験対象にしているのだ。

 敢えて除外した。


 本来ならモデストにも意見を求めたい。

 だが俺の指示で王都に戻っている。

 世界主義の陰謀があればカウンターを仕掛けてもらうためにだ。

 ジャン=ポールでもその気があれば可能だろうが、完全な味方ではない。

 信じ込むのは愚かだろう。

 モデストが王都に戻ると聞けば、ジャン=ポールは俺の考えを察知するはずだ。

 それを悟ったから、俺にトマの情報を横流ししたのだろう。

 モデストを送り込んでいなければ、もっと情報を絞るか……小出しにしてきたはずだ。


                 ◆◇◆◇◆


 応接室に3人がやってきた。

 ライサは眠そうにしていたが、俺の顔を見て表情が鋭くなる。


「どうやらちょっと深刻な話のようだね」


 パトリックは意外そうな顔だ。


「カルメンはわかりますが、ライサさんもですか。

この取り合わせは実に珍しい」


 カルメンは興味津々といった顔だ。

 その視線は、テーブルに置かれた翻訳の写しに注がれている。


「それだけ特殊な話なのでしょう。

その紙の束が問題のようですけど」


「まずは座ってください。

これは地下都市にあった古文書を翻訳したものです。

アイオーンの子に関する記述をまとめてもらいました。

その大半を占めていたのは、彼らのやったことです。

人体を用いた実験結果が、克明に記されていました。

そこにあるのは純粋すぎる知的好奇心、としか言えないものですよ」


 ライサは唇の端をつり上げる。


「たしかに……。

人としてなにかが抜け落ちた連中だったね。

アルフレードさまがそこまでいうってことは、倫理感の欠片もないんだね?」


「ええ。

おおよそ人とはどのような生き物なのか。

それを徹底的に調べた内容になります」


 パトリックは真顔でうなずく。


「死霊術に関わる内容がありそうですね……。

死霊術は、魂と肉体の関係を知ることから始まっていますから」


 カルメンは興奮気味に身を乗り出す。


「そこまでいくと、毒や薬についても記述がありますか?」


「ええ。

今では使われていないものも、片っ端から調べています。

効能や体のどこに影響がでるか。

それらが詳細に書かれています。

知るためなら……生きた被験者の体を切り開くことも躊躇しません。

言い方は悪いですが、マトモな精神の持ち主は見ないほうがいい内容です。

決して皆さんが狂っているという意味ではありません。

常識の外側に触れて冷静でいられること。

加えて専門知識がある人を選んだ結果です」


 ライサは苦笑して手をふった。


「気を使わなくていいよ。

私は自分がマトモじゃない、と自覚しているからね。

でないとシャロ坊の師匠なんてやっていられないよ。

じゃあ見せてもらおうか」


 ライサは翻訳内容を淡々と確認する。

 パトリックは興奮気味に内容に目を通す。

 カルメンは過呼吸寸前で踏み止まりながら、かなり興奮して読んでいる。

 

 全員が目を通したので、気になる部分について意見を聞きたかった。


「それで皆さんの意見を聞きたいのです。

アイオーンの子はこれを研究していました。

魔物の肉を、どうして人が食べられないのか。

ここから始まったようですね」

 

 ライサは真顔でうなずいた。


「食えれば家畜よりずっと楽に食料になるからね。

育てる手間がかからない。

まあ、家畜ほどあっさり殺せないのが難点かな。

ある意味当然考えることだね」


 カルメンはキラキラと目を輝かせている。


「そこで彼らがすごいのは、すべての種族で試したことですね。

そこからの実験がなんの迷いもないところがまた……。

パトリックさんもそう思いませんか?」


 パトリックもやや興奮気味にうなずいた。


「魔族ならデメリットはあるが、魔物の肉を食べられる。

その事実を知ってからがすごいな。

魔物の肉を細かく砕いて、他の肉に混ぜれば他の種族でもいけるってのがなぁ。

しかも魔物の種類によっても、微妙に効果が違うとこまで調べ上げている。

諦めず、人に食べさせるまで改良を続けるとは。

食べたことによる副作用が発生してからが、彼らの恐ろしいところだ。

副作用を消すのではなく、人がどう変わるのかを調べ上げている。

あまりに純粋な好奇心しか感じられない。

その途中で何人命を落としても、意に介さないとは。

今では絶対に出来ない発想だ」


 さすがの人選だ。

 誰ひとりとして目を背けない。

 食いつきがよすぎる気もするが……。


「歯止めのない好奇心ですね。

だからこそトコトンまで調べられたのでしょう。

この世界は地獄で死んでしまえば救われる。

だから放縦に生きて構わないというのが、アイオーンの子の思想です。

もしかしたら地獄を天国にしよう、と考えたのかもしれませんね。

このような発想も、世界を知ろうとすることから始まったのでしょうから」


 ライサは渋い顔で肩をすくめる。


「そいつに異論はないけどね。

問題は、魔物の肉を人に食わせることが可能ってことだ。

しかも徐々に人でなくなるんだろ。

そして理性は失われ、本能に支配される。

半分魔物になるんだろ?

わざわざ半魔と書かれているんだ。

既に人ではなくなっていると確信があるんだろう。

それなら半人になるからね」


 この世界が不安定だからこそ出来る。

 転生前とは違うのだ。

 残念ながら転生前がどんな世界なのか忘れてしまったが……。

 こんなことを考えたと覚えているのだ。

 魔法で物体を生み出せない世界だったのだろう。


 この世界は魔法で物体を一時的でも生み出せる。

 人だってそんな物体にすぎない。

 だから使徒米と一緒で、その存在を変質させることが出来てしまうのだろう。

 そう簡単ではないだろうが、手段は明確に存在するのだ。

 だからこそ折居はマリー=アンジュを治せるのだろう。

 カルメンは腕組みをしてアゴに手を当てる。


「それだけならまだいいですけどね。

古文書が正しいなら……。

この半魔にかみつかれた人間は、徐々に半魔になる。

だから半魔は、ネズミのようにどんどん数が増えるってことですよね。

伝染病というか……吸血鬼そのものですよ。

個々の力は弱くても、吸血鬼より行動の制約が少なくて増殖力は桁違いですね」


 パトリックも渋い顔でカルメンにうなずく。


「かみつくのも、半魔にとって人の魔力はとても食欲がそそられるらしいと。

もしくは人に戻りたくて、本能的に欲するのかもしれない。

人だけを襲う魔物になるのが、悪意しか感じないな。

過去にどこかで、半魔を解き放ったと思うね。

実験室に閉じ込めて、大人しく研究する連中じゃないだろう。

ただ……。

どうやって終息させたのかまでは書かれていない。

あまりに危険すぎるので、禁忌の術となったのは笑えないがね。

それでいて、詳しい研究結果は書き残している」


 アイオーンの子ですら禁忌にするとは、それだけ被害が甚大なのだろう。


「半魔化した人間は10年と生きられない。

餌が無くなれば、自然と死滅することが救いだったのは皮肉ですよ。

もしかしたら、古代人たちにもかなりの被害がでたのかもしれません。

だからこそ禁忌とされてしまった。

この再現を恐れたからこそ、魔物を食べることがタブーとして、今に伝わっているのかもしれません」


 パトリックは苦笑して頭をかく。


「なるほど。

詳細な結果で残すより、禁忌にすれば抑止も強いわけですか。

具体的な事例なら、議論の対象になります。

禁忌であれば、話題にすることすら許されません。

ラヴェンナを捨てた古代人は、人々に禁忌として伝えた、と考えるのが自然ですね。

ただしアイオーンの子にそんな抑止は効かないから、詳細な記録で伝えようとしたのかもしれません」


 カルメンはハッとした顔で首を傾げる。


「もし、これが世界人民共和国で発生するとどうなりますかね……。

当然クレシダは知っているのですよね」


 ライサは真顔で肩をすくめる。


「比喩でなく、この世の終わりになるね。

幸いこの半魔は弱点だらけだから、なんとか対処できるさ。

それでもあそこの人口の半分は吹き飛ぶ。

それにしても、手の込んだ悪意だよ。

アラン王国の食糧供給不足につけ込むんだ。

それを演出して、毒入りの食糧を渡すなんて、ちょっと趣味が悪すぎると思うよ。

でも肥料の件があるから、そう簡単に怪しいものに飛びつくかね」


 この計画のタチが悪いところは、頑張らなくても成功することだ。

 人間の本性に添った形だからな。


「バレないように混ぜると思いますよ。

クレシダ嬢にとって有利なのは、あそこは無政府状態です。

利益に目がくらんだ商人なら喜んで騙されると思いますよ」


「待った。

たしか連中は私益の追求を認めていないだろ。

下手したら首が飛ぶんじゃないのか?」


 ライサも世界人民共和国の宣言は知っている。

 ところが人民に理念を守らせるのは建前なのだ。

 指導者層が現実的か腐敗していれば、粛正は見せしめの手段になる。

 純粋であれば、粛正は目的になるだろう。

 すべての失敗を環境のせいにするからな。


 トマは理念に共感などしていない。

 ただ権力を維持する手段なのだ。

 だから粛正するときに、自分にデメリットがあるかが判断基準になる。


「飛ぶと知っていても、利益は理性を狂わせます。

もしくは有力者に、賄賂を贈れば見逃して貰えますよ。

あそこの首脳陣は、現時点で裕福ではないから平等と謳うでしょう。

ただ裕福になってきたら……どうでしょうね」


「ああ……。

表では清貧を謳って、裏では贅沢三昧か。

ある意味わかりやすいねぇ」


「どんなに美しい理想を謳っても……。

実行する人が、我欲にまみれていたら実現できませんよ。

人は、その能力に応じた理想までしか実現できないのですから。

実現不可能な理想は、出来損ないの喜劇にしかなりません」

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