684話 はた迷惑な存在

 嬉しそうなオフェリーから、報告を受けた。

 マリー=アンジュの症状が、多少改善されたと。

 折居の力は本物だったわけだ。

 マリー=アンジュまで、折居人形に祈るようになった、と余計な報告までセットだった。

 俺にどんな顔をしろというのだ。


 ある意味笑える話だ。

 だが関係者であれば笑えない話が、王都からもたらされた。


 宰相ティベリオからの書状だ。

 この話を閣議で発表してもらうことにした。

 

 世界人民共和国からの使節が、王都ノヴァス・ジュリア・コンコルディアを訪れたときの内容だ。

 国としてはアラン王国の、正統な後継であると。

 それを知らせるための使節だというのだ。


 そうなるとロマンが有耶無耶うやむやにした謝罪の件について問いただされる。

 ところがこの返事は酷かった。


『アラン王国とランゴバルド王国で交わされた約束は、非道にして無道な王族がした約束にすぎない。

人民の国にとって、これは無効だ』


 そう堂々と言い放ったらしい。

 では国境線も引き直しになると突っ込まれる。

 回答がまた酷い。


『国としては継続している。

我々は暴虐な王を排除して、正しい在り方にしただけだ』


 意味不明すぎるだろう。

 それでは話にならないと、ニコデモ王が突っぱねる。

 ところが、使者の言い分が呆れる内容だ。


 『不当な状況でなされた約束だ。

人民感情として認められない。

公正な配慮を当然の権利として望む』


 といった次第。

 ホント、その場にいなくて良かったよ。


 当然話し合いは平行線を辿る。

 つまりランゴバルド王国としては、世界人民共和国を国として認めないとなる。

 ある意味戦争不可避となったわけだ。

 

 閣議でこの話をすると、全員が呆れ顔でため息をつく。

 言葉もないといったところだ。


 マガリ性悪婆がくぐもった笑いを浮かべた。


「なんだいその人民感情ってのは。

と自称しているようなものだよ。

そんな連中と約束をするなら、詐欺師と約束したほうがマシだね」


 ミルが驚いた顔になる。


「そこまで言わなくても……」


「ミルヴァはまだ経験が浅いから、楽観的なんだろう。

だがね。

この世で最も不確かなものは、民衆の感情さ。

民衆の感情ってのは、濁流のようなものだよ。

ときには正しい方向に流れる濁流もあるさ。

それは運がいいだけだよ。

基本的には流れやすいほうに流れるのさ」


 ミルも心当たりがあるのか、苦笑してうなずいた。


「景気のいいことや、攻撃的なことには強くまとまるのね。

そのあたりは、アルに教えてもらったわ。

でも……ラヴェンナのお祭りで皆が盛り上がるけど、それとは違うのかな」


「あれは個々人で、それぞれ楽しむだけさ。

楽しまない人がいても、それを他人に強制しない限り問題ないだろ?

濁流はそれ以外の流れを認めない、強制的な力だ。

わかりやすく言えば、この魔王が死にかけたときさ。

ミルヴァたちが使徒に持った感情みたいなもんだよ」


 いうに事欠いて、このマガリ性悪婆め……。

 普通に領主でいいだろ!

 ミルは嫌そうな顔で手をふる。

 さすがミルだ。

 言ってやってくれ。


「ああ……。

あれは本当に憎かったわ。

たしかに使徒が正しいとか言ったら殺されるような雰囲気だったわね。

あれが民衆の感情なら否定する気はないわ」


 ミルは俺が魔王と呼ばれることは、問題にしないのかよ。

 マガリ性悪婆は、苦笑してうなずく。


「それは当然の感情だろうさ。

肯定するのは構わない。

だからと感情すべてを肯定するのは危険だよ」


 プリュタニスは苦笑しつつ、頭をかいている。


「なんと言いますか……。

ここはものすごく率直ですね。

外と接するようになって、それは痛感していますよ」


 外の上流社会と接するようになったからな。

 違いを実感しているだろう。

 マガリ性悪婆が、皮肉な笑みを浮かべる。


「憎いって言葉を、公の場で言えるだけ、ラヴェンナはとても健全だよ。

酷いところでは、とまでなるからね。

人の持つ当然の感情を否定するなら、それが起こらないようにすべきなんだ。

見なければその現実が消えるわけはないんだよ。

その理屈を、どれだけのお偉いさんが知っているのか謎だがね」


 マガリ性悪婆が、これだけ話すのは珍しい

 過去の体験談を聞かされているから、理由は納得出来るな。

 嫌な記憶が蘇るような事柄なのだろう。

 それなら好きに話させるべきだ。

 違うものの見方があることを、皆に知ってもらうことは、決して損ではないからな。

 俺が好きに喋らせる気だと、マガリ性悪婆は気がついたようだ。

 フンと鼻を鳴らした


「話がそれちまったね。

すべてを肯定するなといったのには、理由があるのさ。

悪い感情の流れだってあるんだ。

それこそ最近話題になっている、見たい現実に流されちまうヤツだよ。

オリヴァーもそれに押し流されてえらい苦労したろう?」


 なんとも深刻な顔をしていたオリヴァーは、ため息交じりに頭をふる。

 たしかにあの騒動の被害者だったな。


「そうですね。

一度熱狂すると、さらなる熱狂を呼びます。

濁流の先が崖であっても……落ちるまでそれが危うい、と気がつきませんからね。

崖だと主張すれば、流れに弾き飛ばされるでしょう。

あのときほど、人の理性がどれほど脆弱なのか……思い知らされましたね」


 マガリ性悪婆は苦笑して肩をすくめる。


「人だから、どうしようもない。

それとどう付き合っていくかが大事なのさ。

見ないヤツほど、簡単に流されちまう。

見たくない現実を見続けられるなんて、ごく少数なんだよ」


 なぜかマガリ性悪婆は、俺にニヤリと笑いかける。

 俺自身、そうならないように注意はしている。

 でも完璧に出来ているとは思えないよ。


 チャールズはニヤリと笑って、アゴに手を当てる。


「希望的な勝算だけで攻撃した結果、撤退しませんでしたな。

統率もままならずに、惨敗したわけですが……。

慎重論を口にしようものなら、味方に殺されそうな位の濁流だったんでしょうなぁ」


 マガリ性悪婆は、チャールズにニヤリと笑い返す。


「勢いではじめたことは、それ以外の計画がないのさ。

だからこそ指導者は、決して感情に飲まれて戦いをはじめてはいけない。

感情が主人になると、冷静な判断が出来ないからね」


 ミルは妙に真剣な顔でうなずいていた。


「感情ってとっても危険なのね。

こうやって聞くと、とっても怖くなるわ。

でもそれからは逃げられないってことよね。

それを無視して、感情が正しいという人は信用出来ないってことかな?」


 マガリ性悪婆は、珍しく難しい顔でため息をつく。

 間違っていないが、正解ではないのだろう。


「ひとつ部族間の約束に例えようか。

危険だけど無視出来ない獲物がいたとする。

異なる部族が協力すれば比較的安全に狩れる、と思ったら協力するだろ。

そこで役割分担を、族長同士が約束するわけさ。

約束したのは族長だけど、族長という個人間の約束じゃない。

部族間の約束だよ。

その約束を自分の部族に守らせるのは、族長の役目。

ここまではいいね」


 ミルはウンウンとうなずいている。


「ええ。

昔のラヴェンナに当てはめるのね」


 マガリ性悪婆は、満足気にうなずく。


「10年たったとしようか。

自分たちの負担ばかり多い、と文句をいうヤツがでてくる。

事実は無関係だよ。

自分たちは不公平な約束の被害者だ、とすればいい。

誰でもなんらかの不満は抱えているんだ。

誰かを憎む間は、自分の不平不満を忘れられるからね。

これが麻薬のように心を蝕んで、魔王の言った正義中毒患者が生まれる。

そうなると真偽は関係ない。

ただ不公平だという願望が真実になるだろ。

不公平な約束を正す、という言葉だけなら正しいことだからね。

結果として、感情という濁流が流れはじめる。

そして次の狩りで、いきなり約束を破るんだ」


 ミルは理解不能といった顔で、頭をふる。


「ちょっとまって。

それなら前もって、条件の変更を打診しない?」


 マガリ性悪婆は苦笑しつつ、皮肉な笑みを浮かべる。


「言っても断られるさ。

とはいえ、その狩りを中止出来ない。

メリットがあるからね。

だが不満は、その部族民たちが口にする。

不満を聞かされたヤツはいい迷惑さ。

だからといって約束など変えられない。

それに普通なら約束を破るなんて思わないだろう。

破ったら自分の部族長に罰せられるんだ。

結果、トラブルが起こるさね

そして破った部族長は糾弾される」


「ええ。

だって部族内をまとめて約束を守らせるのは、族長の仕事よね。

嫌なら約束を結び直さないといけないわ」


 マガリ性悪婆は、意地の悪い笑みを浮かべる。


「大変結構。

ところがその族長が、こう言ったらどうするね?

『部族でこの条件を受け入れては、部族民の感情がおさまらないのだ。

だから約束を守らなかったのは理解してほしい。

こちらの感情に配慮してくれ』

とね」


 ミルはウンザリした顔でため息をつく。


「それ話にならないでしょ。

約束を守らせるのが役目なのに、勝手に譲歩しろって。

普通の人なら、相手にしないわよ。

ああ……。

人民感情ってそういう意味ね」


「そういうことさ。

根拠となるのが、感情的に受け入れられないだからね。

それは約束を決めるときにする話だ。

決まったあとにするものじゃない。

日によって変わる感情を、根底の話に持ち出すんだ。

状況が変化しても、内容が変わらないから約束というのさ。

相手は幾らでもひっくり返せる。

気に入らないと言えば済むんだからね。

そんなのを認めると、どんどんエスカレートしていく。

これのタチが悪いのはね……。

相手が嫌がるのだから認めるべきだ、と思う馬鹿が湧いてくることさ」


 シルヴァーナが頭の後ろで、手を組みふんぞり返る。


「あーいるわねぇ。

冒険者でも最初に取り分を決めたけど、あとになって気に入らないから、もっとよこせっていうヤツ。

なら約束するなと言いたいわ。

『あのときは譲歩しないと約束が出来なかった』

と言い訳するのよ。

ま……確実にハブられて生きていけなくなるけどね」


 ジラルドはシルヴァーナを見て苦笑する。


「シルヴァーナがブチキレるのは、こんなケースが多いですよ。

特定のパーティーに入らないから、そんな連中とあたるケースは他の冒険者より多いわけですがね」


 ミルが驚いた顔で手に口を当てる。


「そんな馬鹿なこというの?」


 ジラルドは苦笑して、肩をすくめる。


「一度組んで冒険をはじめると、あとから変えるのは難しいのです。

仲間同士の連携などを覚える必要がありますからね。

それを見越して、要求をつり上げるんですよ」


「すごいセコイんだけど……」


 シルヴァーナはフンと鼻を鳴らす。


「そんなヤツを、パーティーに入れると危険よ。

さっさと追放しないと、パーティーが崩壊するから。

そいつはあぶれ者同士で組むことになるけど、絶対にうまくいかない。

だいたいは全滅か途中で逃げ出すのがオチよ。

おかげで尻拭いをさせられるケースがあるから腹がたつわ。

実は国同士も、同じようなものなのねぇ」


 マガリ性悪婆は、少し驚いた顔で苦笑する。

 シルヴァーナが本質を捕らえると思わなかったからか。


「そりゃ人の集まりが国だからね。

でかくなるが、本質は同じさ。

だから約束をして、それを守ること。

これが最も基本になるのさ。

考えてもみなよ。

ここにいる連中は、思想信条や生活様式だってバラバラだ。

それでも結束しているのは、たったひとつの共通項があるからさ。

つまり約束を破るのは悪いことだ、という認識さ」


 シルヴァーナが妙に感心した顔でうなずいている。


「あーそうね。

フォブスも不思議がっていたなぁ。

なんであんなバラバラな連中が恐ろしいほどまとまっているのか、ってね。

魔王の危険な力なのか、と首をひねっていたわ。

なるほどぉ~。

その共通認識があるから、話し合ってまとまれるんだ。

アルにとって仲間にする最低条件がそれなんだね」


 俺は黙ってうなずく。

 俺が発言すると、暫く俺が話すことになるからな。

 まだマガリ性悪婆の講義タイムは終わっていないだろう。

 マガリ性悪婆は、フンと鼻を鳴らす。


「だから約束を破るにしても、もっともらしい大義名分が必要になる。

それすら探さないヤツは、人の輪に入る資格がないのさ」


 ミルは納得顔でうなずいた。


「約束を変えたいなら、まずは条件の変更を交渉しないとダメでしょ。

最初に契約した前提が変わるなら、変更の申し出は根拠があるけど……。

気に入らないからってのは理由にならないわよ。

まあ、頭の悪い人って言い方はどうかと思うけど……。

正当な理由があって、不公平な約束なのでは、と勝手に推測する人もいるわね」


「今までの経緯を無視して、ただ相手が文句を言っていることだけ重視するんだよ。

唯々その場を丸くおさめたいだけかもしれない。

そいつひとりなら勝手に食い物にされろ、と思うがね。

アタシはそんなのに巻き込まれるのはゴメンだね。

ミルヴァは他国の我が儘を聞いて、ラヴェンナに我慢を強いるのかい?

魔王の正妻なんだ。

当然違うだろ」


 ミルは真顔でうなずく。


「それはムリよ。

我が儘をいう人たちに、何も強制出来ないんだから。

強制出来る人が、ちゃんとまとめてくれないと。

相手の我が儘を聞いたら、誰のためにもならないって、アルが言っていたわね」


「それが一番正しい認識さ。

ところが……。

他人にケツを拭かせて、自分がいいことをした気分になっているヤツはいるんだ。

そんなのはクソだと思うね。

それでいいことをしているつもりなら、そいつの頭が悪いなんて当たり前じゃないか。

狙ってやっているなら、そいつは潜入工作員だよ」


 ミルは引きった顔で苦笑する。


「そ、そうね……。

そんなとんでもないこと口にしたら、アルに鼻で笑われるわよ。

なんか今日のプランケットさんは、いつにも増してキレているわね……」


 マガリ性悪婆は小さく肩をすくめる。


「おっと、つい毒を吐いちまったね。

アタシの性根がねじくれちまっているから、そんな気持ち悪いものに拒否反応がでるのさ。

だから魔王のお膝元は、居心地がいいんだ。

小憎たらしいくらい、感情に流されないからね。

まあ、話を戻すよ。

相手だって、部族をまとめて約束したんだ。

それを気に入らないからひっくり返された。

だから約束をしなおした。

ただ相手の言いなりになる族長に、誰がついていくんだい?」


 ついってねぇ。

 いつも毒を吐いているだろ。

 ミルはそこに疑問を持たなかったのか、素直にうなずいた。


「そうね。

自分の部族の利益を守るのが族長だものね。

ただ相手の言いなりなら……いらないわ」


 マガリ性悪婆は、全員を見渡して理解していると感じたのだろう。

 満足気にうなずく。


「そういうことさ。

そこでもう一つ。

別部族に新たな族長が就いたとする。

代替わりでもいいさ。

部族間の約束は、どうなる?」


「前のままかな。

他の部族にとっては、部族との約束よね」


 マガリ性悪婆は、皮肉な笑いを浮かべた。


「そう。

だけどさ、あの世界人民共和国とやらはどう言ったかね。

前の族長がした約束なんて認められない……だ。

あいつらは、常に自分たちに配慮しろってのさ。

ガキの我が儘と一緒だよ。

泣き叫ぶ分、まだガキのほうが可愛い。

泣き叫ぶ代わりに、自分は理性的かのような顔をして……通じない話をするんだよ」


 ミルは引きった笑みを浮かべて苦笑する。


「なんかボロカスね」


「澄ました顔をしているそこの魔王だって、アタシと同じ意見だと思うよ。

もっとお上品な言葉で、化粧をするけどね。

アタシはあの手の連中が、ヘドがでるくらい嫌いなんだよ」


 ミルは苦笑しながら、俺をのぞき込む。


「アルも同意見なの?」


 否定する気はないな。

 同意見であることはたしかだ。


「領主としての立場上、皆を煽る言葉は言えませんね。

ただ契約を結べる相手ではないと思っています。

変わりやすい山の天気をアテにして、農作業をする馬鹿はいないでしょう」


 農林大臣のウンベルト・オレンゴは、納得顔でうなずいた。


「なるほど。

約束事は農業のような、長期的なものなのですね。

たしかに天候がまったく読めない土地で、農業なんて出来やしません」


「そういうことです。

不慮のトラブルなどはありますが、たまにだから対処出来るでしょう。

このことからわかるのはひとつだけです。

世界人民共和国は扇動したもの勝ちの、はた迷惑な存在でしかないことですよ」

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