683話 折居人形
アラン王国にかわって人民共和国が樹立された、との報告が届いた。
樹立にともなう血の粛清までは含まれなかったが、容易に想像できる。
そしてロマンが自死したとの知らせも受けた。
その件について感想はない。
この情報は公表する。
それでも一つだけ配慮が必要になる。
左手でエテルニタをなでながら、右手で書類を整理しているオフェリーに関する話だな。
「オフェリー。
マリー=アンジュ嬢に伝えるかの判断は任せます。
必要なら使用人への口止めも含めてね」
オフェリーの両手が止まる。
「あ……。
そうですね。
今は伝えないでおきます」
この辺の判断は、オフェリーでないと出来ないからな。
それとゾエには個別に伝えることもないだろう。
気にしていないと言えば……噓になるだろう。
だが前に進もうとしているのだ。
個別に伝えられては、複雑な気持ちになるだろう。
エテルニタは、なでる手が止まったことに不服だったらしい。
オフェリーに高速の猫パンチ連打をくりだし、なでることを催促する。
オフェリーは笑って、並行作業に戻る。
実にほほ笑ましいな。
そう思っていると疲れた顔のオニーシムがやってきた。
なにか袋を持っている。
アポなしとは珍しい。
「アレンスキー殿。
どうしましたか?」
オニーシムはため息をついて袋に手を突っ込む。
「オフェリーに頼まれたものだ」
そう言って、俺の机の上にあのオブジェを置いた。
手足のついた折居だ。
1/10スケールとでもいうべきか。
そもそも……なんで俺の机に置くんだよ!
「なんですか? この妙に生々しい手足は。
血管まで見えますよ」
やたらとリアルなのだ。
しかも触れると、皮膚のような感覚まである。
「オフェリーが、木の手足ではダメと五月蠅いんだ。
だから骨をつくってな。
そこに筋肉のような材質をつける
さらに血管に見立てた細い管を張って……。
最後は少し透ける材質を、皮に見立てた」
かなーり苦労したのだなぁ。
こんな馬鹿馬鹿しい話を実現すること自体、ぶっ飛んでいるが。
「な、なんというかご苦労さまです……」
オフェリーが突然すっとんできて、真剣な顔で折居人形を吟味している。
手に持って上下左右をチェック。
ギルドの品質検査官のような顔だ。
折居の手足も触って、ウンウンとうなずいている。
「素晴らしいですね。
さすがオニたん。
これならバッチリです。
それで手足が曲がれば……。
いうことないんですけどね」
オニーシムが白い目でオフェリーをにらむ。
「ムチャをいうな。
時間が足りん。
オフェリーが
それって、時間あれば出来ると言っている。
そもそもオニーシムは出来ないという言葉を嫌っていたな。
ただそれなら急がせずに、じっくり待てばいいと思うのだが。
「なぜ急がせたんですか?」
オフェリーは不思議そうな顔をして、首をかしげた。
なぜそんな当たり前のことを聞くのか、といった表情だ。
「マリーの部屋に祭るためですよ。
折居さまがいれば、回復にもいいかと思います」
たしかに治療に関して、口出しはしない。
だが……。
聞くくらいはいいだろう?
いや! 聞かないと気が済まない!
「悪夢にうなされませんか?
一見すると魔物ですよ?」
「なんでですか?
とっても可愛いと思いますよ?
マリーに話したら、とても真剣な顔でうなずいてくれていました。
だから大丈夫です」
いや……。
それは絶対に違う。
ただ話を合わせただけだよ……。
俺とオニーシムは、思わず天を仰いだのだった。
◆◇◆◇◆
閣議のため、会議室に入ったのだが……。
商務大臣のパヴラ・レイハ・ヴェドラルが一番乗りだったようだ。
なにかの本を積み重ねて、熱心に読んでいる。
俺の入室に気がつくと、軽く会釈をした。
俺も軽く会釈を返す。
俺と一緒に入ったミルとオフェリーは、軽く手をふった。
今商務省は大忙しだが、ムリにでも時間をつくったのかな?
「ヴェドラル殿。
読書とは珍しいですね」
一緒に入ってきた、ミルとオフェリーも同感らしい。
興味深そうな顔だ。
パヴラは照れたように、頭をかいた。
「ええ。
ちょっと興味というか、いいヒントがないかなと……」
ミルはハヴラがなにを読んでいるか、気になったようだ。
少し疑わしそうな顔をしている
「それでなにを読んでいるの?
まさか……。
あ、あの薄い本じゃないわよね」
薄い本って……。
あの男同士の肉体関係を描いた本の総称だったよな。
アーアーキコエナイー。
俺は考えるのを止めた。
ところがパヴラはイカ耳になって、両手をふる。
「ま、まさか! 違います!
あれは誰もいない、自分の部屋で読むからいいんです!
どんなにだらしなく顔が緩んでも、人に見られませんから。
淑女の
これはキアラさまの本です」
パヴラの否定に
はい?
「もしかして……」
パヴラは胸を張る。
「はい。
領主さまのことを書いた本です」
違うと言ってほしかった。
だが現実は冷酷である。
「い、一体なぜ……」
「イザボーさんの影響です。
イザボーさんは子育ての最中ですけど、暇を見つけてこれを読んでいるんですよ」
なぜイザボーが?
「一体なんでまた……」
「学校のテキストで使われるじゃないですか。
将来子供が読むものは、どんなものか……。
最初はそれを確認したかったようです」
ああ……。
わかる理由だけに恨めしい。
それより聞き捨てならない言葉が出てきたな。
「最初は?」
パヴラは待っていましたとばかりに、身を乗り出す。
聞いてほしくて仕方なかったのか?
「はい。
読み進めるうちに、気になる箇所があったようです。
領主さまがスカラ家に調査を依頼した件。
覚えていますよね。
飼い葉の量や、作物の収穫量の調査です」
「ああ……。
それはお願いしましたね」
パヴラは耳をピンと立てて、興奮気味になる。
「小さく分けて数値化することで、問題の把握を容易にする。
これに感銘を受けたようです。
漠然とした総量ではわからないことが見えてくると。
イザボーさんには、昔から気になっていたことがあったんです。
同じ品物なのに売れ行きが、店によって全然違うときがあるんですよ」
地域や人、色々な条件で売れ行きなどかわるだろう。
それが疑問とは思えないが……。
「土地によって需要はかわるでしょう。
驚く程のものではないと思いますが」
パヴラは妙に偉そうに、チッチッと指をふる。
「似たような条件で違うんです。
漠然とした理由ならわかっていました。
ただ詳しい説明が出来なかったと。
それでこの本を読んで、いいヒントがあったそうなんです。
大きく違うのは、商店の陳列方法。
売り場の広さが違うので当然ですけど……。
それで売り場を細分化してみたら……。
驚くことがわかったんです」
苦笑して聞いていたミルは、身を乗り出した。
純粋に、知的好奇心が湧いたのだろう。
「それはなに?」
「売れやすい場所と売れにくい場所が、配置でかわることです。
陳列は店主が長年の経験に基づいて、決めていました。
こちらが推しても、店主にその気がないと売れる場所に置いてもらえない。
ムリを言って、その場所にしてもらっても、決してうまくいかないんです。
これはわかっていました。
じゃあ売れる場所をどう生み出すのか。
これは誰も言葉に出来ませんでした。
そんな説明できなかった店主の経験を、理論化する足がかりになりますよ。
理論化できれば、売れやすい店がつくるんじゃないか。
それと秘書業務についてのマニュアル化も素晴らしい。
これも商売に活かせば、どこの店でも店員の質を期待できるのではないか。
そう興奮気味に、イザボーさんが喋っていました」
たったあれだけの記述から、そこまでたどり着いたイザボーがすごいというべきだ。
「それはすごい着眼点ですねぇ……」
「イザボーさんは仕事人間なので、子育てをしていても気になるそうで……。
考える時間が出来たから取り組めた、と言っていました。
それで私も思ったんです。
この本にはそんなヒントが、沢山埋もれているんじゃないかと……」
ミルは納得した顔でうなずく。
「それで勉強をはじめたのね」
「当然ですわ。
お兄さま史は知恵の宝庫ですもの」
笑いながらキアラが入室してきた。
面倒なときに面倒なのがきたよ……。
会議室の扉は開きっぱなしなので、外にも聞こえるわけだ。
キアラは胸を張って、本の素晴らしさを演説しはじめる。
俺は聞こえないフリをすることにした。
キアラに読むように
床を転げ回りたい気分に襲われる。
学校での質疑応答が迫っていて、いい加減に流すわけにもいかないのがなぁ。
かくして全員がそろった。
会議をはじめようと思ったが……。
最後に入ってきたオニーシムが、また袋を持っている。
2体目か?
その予想は、冷酷なまでに的中する。
あの生々しい手足が生えた折居人形を、パヴラの前に置いたのだ。
「ホレ。
頼まれていたヤツだ。
これを飾っとけ」
パヴラは満面の笑顔で、折居人形に手を合わせる。
「ありがとうございます!
オフェリーさまから、姿形を聞かされてから……。
正しい姿にしなくては、と思っていました」
商務省にも飾られるのか……。
突然、水産大臣ジョゼフ・パオリが頭をかく。
「これ……。
やっぱり船首像にしないとダメですかね」
待てや。
そんな奇妙なオブジェを船首像にするな。
ところがオフェリーはフンスと胸を張る。
「当たり前じゃないですか。
手足は木でも仕方ないですけどね。
漁の安全の神さまですから」
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