682話 人は願望の生き物

 オフェリーはいそいそと、マリー=アンジュの介抱をしている。

 目立った回復はないが、症状が悪化していないのは大きい。

 皆が安堵あんどしていると、キアラとチャールズが執務室にやって来た。


 ヴァード・リーグレに動きがあったか。

 キアラの顔を見ると、いい知らせのようだ。

 俺が目で報告を促すと、キアラはほほ笑む。


「ポンシオ将軍が赴任したヴァード・リーグレについてです。

リカイオス卿配下のアンディーノ将軍が、攻撃を仕掛けてきましたが……。

それを撃退しただけでなく、追撃で敵に大損害を与えたとの報告です」


「予想通りと言いますか……。

どういった経緯で、戦闘になったのでしょうか?」


 キアラがチャールズをチラ見する。

 チャールズは苦笑して肩をすくめた。


「アンディーノ将軍は最初に、ポンシオ将軍の赴任を聞いたときに嘲笑したらしいです。

獣人の将軍など前代未聞。

ラヴェンナは余程人材がいないらしい。

みたいな感じですな。

それでキアラさまに頼んで、ちょっとした噂を流してもらいました。

『ポンシオ将軍のことを、口では馬鹿にしているが……内心怖がっている』とね」


 一度イキってしまうと、方針転換して慎重になるのは難しい。

 命のやりとりで無意味にイキれば、自分の選択を狭めることになる。

 まあ仕方のない部分もあるがな。

 なにせ急に部下が増えたのだ、なんらかの手段で統率する必要がある。

 安直な方法は、相手を馬鹿にし、皆で共感しあうことだ。

 それでもアンディーノ将軍は、そこまで馬鹿とは思えない。


「そうなると攻めるしかないでしょうね。

しかし……そこまで甘く見たのでしょうか?」


 チャールズは皮肉な笑みを浮かべて、肩をすくめる。


「そこまで馬鹿ではありませんな。

こちらの態勢を見て、防備は硬いと悟ったようでしてね。

安易には攻められないと判断したようです。

ところが周囲は、偏見に凝り固まっていますからな。

押し切られて攻めざる得なくなりました」


 それ以外ないだろうな。

 相手に誘いをかける意味もあってのポンシオ起用なわけだし。

 乗ってきてくれないと困るのだ。


「なるほど。

それでどの程度の兵力で攻めてきたのですか?」


「2万ですな。

アンディーノ将軍に与えられた全兵力でしょう」


 全兵力で侵攻するのは、正しい判断だ。

 本来なら他の将軍にも助力を頼むべきだろう。

 ところがポンシオを馬鹿にしたおかげで、助力を仰ぎにくくなる。

 周囲も賛成しないだろう。

 勝ったつもりでいるのだからな。


 獣人の将軍は前代未聞なのだ。

 社会的地位は、冒険者ギルドの役員までが知る限り上限だろう。

 枢機卿や教皇、貴族ではいない。

 司祭ならいた、とオフェリーから聞いたな。


 偏見とは恐ろしいものだよ。

 人間ばかりが担ってきた役職に関して、獣人の能力を高く評価することはない。

 最大限評価したとしても、自分たちよりちょっと下程度だろう。

 無意識に天井を作っている。

 もし人間だったら、ベルナルドに準ずる能力があるかもしれない、と警戒したがな。


 根拠のない楽観は、次の楽観を呼ぶ。

 ポンシオの部下となった人間は、不平不満を持っていると思い込むだろう。


 否定はしないが、処罰権込みで送り出している。

 ひとりポンシオを侮った他家の騎士がいた。

 彼は軍紀違反で切り捨てられた、と報告を受けている。

 その従卒たちは横暴だ、と主家に訴え出たとも聞いた。

 ところが主家の考えは従卒たちとは違ったのだ。


 ベルナルドの件があって、連中は俺に文句を言える立場にはなかった。

 言ったら潰すことは匂わせているからな。

 なので今のところ、面従腹背の傾向は見られない。


「そこは正しい判断です。

ヴァード・リーグレの守備兵力は、確か4000程度でしたね。

他家からの援軍も合わせた数ですが」


 自領の防備もあるので戻ってこなくていい、と俺が各領主に通達した。

 ところが各領主たちは震え上がって、防衛を除いて可能な限りの人員を送り込んできたわけだ。

 最悪見捨てられる可能性も考えたのだろう。

 最初から厳しくしていればよかった、と俺は後悔するが……既に遅い。

 4000いれば防衛ならば大丈夫、とポンシオは報告してきた。


 チャールズは口の端を、少し歪めて苦笑する。


「ええ。

それで一気に、ヴァード・リーグレを落とそうと画策したようです。

そこまで幾つかの砦はありますがね。

無視すると決定した模様です。

各砦も十分堅牢なので、一つずつ落としては時間がかかりすぎるとの判断でしょう。

スカラ家からまた援軍がきては、厄介なことになりますからな。

アンディーノ将軍には堅実な手を選ぶ選択肢がないのでしょう」


 ちょっと乱暴すぎるなぁ。

 砦をスルーしても、ノーマークは有り得ないだろう。


「砦を完全にノーマークにしたのですか?」


「そこはポンシオ将軍の指示で、攻撃は控えるようにとの指示がでていました。

そして兵站の妨害もしなくていい、との指示までありました。

敵さんは、我々が臆病風に吹かれ……砦から出撃出来ない。

そう侮ったようです。

もしくは守備兵たちが不満を抱いているから、攻撃をしてポンシオ将軍の手柄にしたくないと考えたか……。

なので砦は無視して構わない、というのが大勢を占めたそうです」


 アンディーノ将軍は、無視した砦から妨害行為があれば、慎重を期す口実が出来たろう。

 ところがポンシオはそれに乗らなかった。

 そればかりか、全力でいらっしゃい、と誘いをかけたな。

 これはほくそ笑んでいそうだ……。


「景気のいい話は注意しないと、自分で信じたくなりますからね。

これは完全にポンシオ将軍の狙い通りですか」


「アンディーノ将軍の行軍を見ると、慎重を期したい様子が窺えましたけどね。

それも迷っているようでしたな。

砦からなんの反応もないのですからね。

致し方ないかと。

さらには部下が一気に増えて、統率も行き届かない。

これで指揮官が迷っていては、景気のいい話に流れてしまうでしょうなぁ。

ペルサキス卿であれば、部下たちは完璧に従ったでしょうが……。

この手の組織は、攻撃には強いです。

ですがねぇ……。

一度劣勢になるともろいものです」


 しっかりした訓練と幾度かの実戦を経ないと、指揮系統は完璧にならないからなぁ。

 今回は相手を侮っているから、驕り高ぶった気持ちを、手っ取り早い接着剤にしたわけだ。

 チャールズのいうとおり、その接着剤は優勢なときでないと役に立たない。

 一度状況が悪くなると、自分たちの足を引っ張ることにもなる。


「それでヴァード・リーグレに攻め寄せたと」


 チャールズは真顔でうなずく。


「そこからは、数日間は怯えているように見せかけたようです。

ポンシオ将軍もなかなかの役者ですよ。

アンディーノ将軍は夜襲に備えるようにと指示しましたが……」


 相手を侮っていた場合、本当の意味で規律が保たれない。

 そこに慎重さが入り込む余地はないのだ。

 命令出来ることは限られてしまうだろう。

 それでも余裕なら話は違うが……。


「部下は真に受けなかったと。

それどころか臆病だと言われかねませんね」


 チャールズはニヤリと笑うが、僅かながら自嘲も含まれているような感じがした。

 アンディーノを馬鹿にしているというより、むしろ気の毒がっているフシすら見える。

 最初のボタンを掛け違えたばかりに、取り返しがつかない事態に陥る。

 チャールズだって他人事ではないだろうからな。


「まさにそのとおりです。

やむを得ず、警戒は形ばかりに戻したようですな」


「それで、ポンシオ将軍は様子を窺ったのですね」


 チャールズは、声を立てずに笑いだす。

 どうも面白いことがあったようだ。

 すぐに真顔になるが、頰が緩んでいる。


「ええ。

罵声を浴びせるなどして、こちらをおびき出そうと努力したようですがね。

まあ……あれですよ。

指揮官がプライドの高い男なら激怒しますがねぇ。

普通ならですよ」


 ドMを罵っても、ご褒美でしかないと思う。

 まあ普通の将軍はプライドが高い。

 勘違いを責めるのは酷というものだ。

 ポンシオが特殊すぎる。


「ああ……。

かえって喜んでしまったのですか」


 チャールズは必死に笑いを堪えて、真顔を保つ。


「ええ……。

次はなにをいうかなぁと、ニコニコ笑っていたそうです。

周囲はドン引きしたと。

まあ……当然でしょうね。

そこで突然、ポンシオ将軍が夜襲を仕掛けたのです」


 罵声は敵をおびき出す目的でやるならいいが……。

 この場合は悪手だな。

 侮っている相手に罵声を浴びせると、本当にそう信じ込んでしまう。

 それは兵士たちから指揮官へと伝染する。

 そんな弛緩しかんしきっているところに一撃かぁ。


「敵はさぞ大混乱したでしょうねぇ」


 チャールズは苦笑してうなずく。


「ええ。

おかげで敵は大混乱です。

同士打ちも多発したようですね。

そこで態勢を整えるため、撤退を決断しました。

アンディーノ将軍は馬鹿じゃありませんからね。

一度引き上げて、機を待つつもりだったのでしょう。

まあ、そこからが楽しいことになりました」


 俺も思わず苦笑してしまう。


「もし完璧に統率されていれば逆襲することも可能でしょう。

推測ですが……。

敵側は責任のなすり付けあいなどで、かなりゴタゴタしたと思いますね。

撤退の方法ですら揉めるでしょう。

アンディーノ将軍が、いくら懸命に統率しようとしてもムリですよ」


 なにせ馬鹿にしていた相手から一撃食らったのだ。

 普通であれば、羞恥心を隠すためにも大声で積極策を唱える。

 ところがだ。

 積極攻撃をして失敗したら、と保身が勝れば……。

 しかもヴァード・リーグレは堅固だ。

 まともな思考能力が残っていれば、さらに攻撃を仕掛けようとは思えない。


 つまりその時点で、無難に責任をなすり付ける選択になる。

 撤退でいかに貧乏くじを引かないか。

 それだけを各部隊の指揮官は考えるだろう。

 統率出来ないとは、これを止められないことも意味する。


「ご明察です。

退却を整然と行うのは難しいでしょう。

夜に退却を開始したのですが、先走る者まで現れる始末です。

それでもポンシオ将軍は慎重を期して、日が昇ってから追撃をはじめました」


 こうを焦らないのは流石だな。

 ポンシオは、ベルナルドからも熱心に学んでいた。

 元々の才能に加えて、教師がすこぶる優秀だったのだ。


 それにただ籠城だけでは士気を保てない。

 部下の士気を衰えないように、かなり努力したはずだろう。

 そして耐えた分だけ、士気が勝りすぎて猪突ちょとつしがちになる。

 さらにはベルナルドの敵討ちをする、と決意するものたちもいたからな。

 これを抑えるのは大変だろう。


 ポンシオの才能が、ヴァード・リーグレで大きく花開いたわけだ。

 そう、大きなドMの花が。


「ポンシオ将軍のことだから、ただの追撃ではなさそうですね」


「いやぁ……。

ご主君のような嫌らしさでしたよ。

使徒からもたらされた言葉で、のような感じですかな。

攻撃するぞと見せかけて、相手が反撃しようとすると……さっさと逃げる。

それをしつこく繰り返したから、敵の統率がどんどん取れなくなります。

自然と撤退が敗走になったようです。

しかも放置されていた砦の兵士たちも、ここで祭りに加わりました。

効果は抜群ですよ。

そもそも砦の守備兵は、ラヴェンナの兵士を回していたのです。

自主的な判断を信用出来るのは、なんと言ってもラヴェンナ兵ですから」


 ポンシオは結構粘り強い。

 結構じゃないな。

 異常にだ。

 それが追撃に発揮されると、まあ……たまったものじゃない。


「夜襲をかけるフリもしたでしょうねぇ」


「まさにそうです。

ポンシオ将軍はとてもイキイキとしていたそうで……。

また、とつぶやいたそうです。

攻めてくるといったニュアンスではなかったようで……。

危ない意味でのだ、と全員思ったそうですよ。

周囲がさらにドン引きしたようですな。

結局3000程討ち取ったようです。

こちらの死者はゼロ。

怪我人は、20名程度との報告です。

アンディーノ将軍は物資を捨て、逃走しました」


 アンディーノ将軍は首筋が寒くなるだろう。

 それにしても……とんでもないな。

 思った以上に、ポンシオはタチが悪いのかもしれない。

 ラヴェンナにとってはラッキーだがな。


「それは大変結構ですね」


 チャールズは笑いをおさめて、真顔になった。


「それでそろそろ、反撃に移ろうかと思いましてね。

如何でしょうか?」


 俺はこのタイミングを待っていた。

 反撃ではない。

 二の矢と三の矢をうち込む瞬間だ。

 最初の噂はただの仕込みに過ぎない。

 この下地があるからこそ、これからの手が生きてくるのさ。


「もうちょっとだけ待ってもらっていいですか?

リカイオス卿の陣営をさらに崩せます。

その後でなら攻撃はずっと楽になりますよ。」


 チャールズは小さくため息をついた。


「また悪辣あくらつなことを考えていますなぁ。

同情はしませんが、同じ立場にはなりたくないものです」


「そこでキアラにお願いがあります。

他家にはそれなりに死刑囚がいるはずです。

ひとり選んでください。

出来れば家族がいるとベストですね。

裏切りにくいですから。

任務を達成したら無罪放免にすると約束して、仕事をしてもらいましょう」


 キアラは小さく首を傾げる。


「今なら、他家の死刑囚を使うのは可能ですわね。

それでどうするのですか?」


「アンディーノ将軍への密書を持たせます。

監視と称して、耳目をふたりつけましょうか。

そして巡礼街道を避け、山道を使ってください。

リカイオス卿の領地に侵入してもらいます」


 キアラはメモを取りはじめる。

 執筆じゃないよな。


「それで密書はどのように?」


「返書の形を取ります。

アンディーノ将軍がこちらに内通したい、と打診してきたことへの返事です。

服にでも縫い付けて、決してなくさないように。

いい条件を適当に考えてください」


 キアラは小さく首を傾げる。


「あら。

内通を誘わないのですね」


「ええ。

どこかの山村の近くに入ったところで、その囚人を殺してください。

人に見つかるような感じで結構です。

囚人の衣服や持ち物は、そのままで立ち去ってください。

それで耳目は引き上げてもらいます」


 キアラは手を止めて、眉をひそめる。


「死体を見つけさせるのですね。

でもそれになんの意味が?」


「リカイオス卿はラヴェンナの手が伸びることに神経質になっています。

山村にもお触れなどは届いているでしょう。

不審な人を見つけたら報告するようにとね」


 キアラは小さく息を飲み込む。

 ペンの走る速度が上がった……。

 指示をメモしているんだよな?


「つまりアンディーノ将軍に、内通の疑いをかけるのですわね。

リカイオス卿の陣営は、足の引っ張り合いが多いですから……。

簡単に窮地に陥りますわね。

久々にいい感じのお兄さまが見られて嬉しいですわ。

魔王さまなってきましたね」


 ってなんだよ。

 俺はせき払いをする。


「それがリカイオス卿の手にわたるころに、三の矢です。

ある書状をディミトゥラ王女への手紙に、おまけとしてつけてください。

慎重にチェックしないとわからない……。

その程度は隠すのがベストです。」


「ディミトゥラ王女への手紙は、リカイオス派の廷臣が検閲していますわね。

検閲された、とわかるようにはしていませんけど。

でもカルメンに、手紙を調べてもらったら……。

私とディミトゥラ王女以外の人が読んだ形跡ありでしたもの。

これは前にお話ししましたよね」


 密かに検閲されていることは報告を受けている。

 当然なので、なんの感想もなかったが……。

 リカイオス派は、ラヴェンナとディミトゥラ王女を泳がせているつもりだろう。

 そして当たり障りのない文通なので、徐々にチェックが緩くなっているとも聞いた。

 だからこそチャンスなのだ。


「将軍の中にはリカイオス卿でなく、王家に忠誠を誓っているものもいるようです。

ラヴェンナはその橋渡しを希望されている、とでも加えてください」


 キアラは首を傾げる。


「それは、見せるつもりですの?

それともバレないことを狙ってですの?」


「見てもらわないと困ります。

仮にチェックをすり抜けても、ディミトゥラ王女がフォローしてくれるでしょう。

平和を願っていることは確実なのですから。

その程度は期待してもいいかと思います」


 キアラは、ちょっと黒い笑みを浮かべた。


「それよりお兄さまの二の矢が届いたら、リカイオス卿は神経をとがらせますわね。

そうすると文通も、かなり入念にチェックされますわ。

すり抜けることは有り得ないかと。

お兄さまは、アンディーノ将軍をリカイオス卿に排除させるつもりですわね」


「ええ。

確実に排除してくれます。

人は感情の生き物でもありますが、願望の生き物でもありますから。

普通の人は、それらを理性で制御します。

ところが疑心暗鬼は、肝心要の理性を変質させるでしょう。

本人は熟考したつもりでも、理性が願望になったことに気がつかない。

むしろ考えるほど、願望を補完するための……こじつけになってきます。

そして熟考したことが、願望を現実と錯覚させますから。

どれだけ願望を積み重ねても、現実は歩み寄ってくれません。

自分から近寄らないとね」


 キアラは小さく息を吐く。


「リカイオス卿も願望を、事実と誤認しがちですものね。

端から見れば滑稽なことでも、本人は熟考したつもりなのでしょう。

お兄さまの仕掛けた沼にハマるわけですのね」


「そうなればリカイオス卿陣営は、ガタガタになります。

謀反をでっちあげて、政敵の排除も可能だと思うでしょうからね。

そのあとの攻撃タイミングは、ロッシ卿にお任せします」


 チャールズは呆れ顔で、肩をすくめた。


「開いた口がふさがりませんな。

久々にゾッとしましたよ。

ともかく対処はロンデックス殿にゲリラ活動をやってもらいますよ。

そのあとで攻撃を仕掛けます」


「ガタガタになれば、ロンデックス殿は仕事がしやすいでしょう。

あとはお任せしますよ」

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