675話 閑話 偽り

 カールラ・アクイタニアは、少し不機嫌だった。

 嫌な噂が流れ出したのだ。


 カールラはマリー=アンジュを排除して、正妻の座につこうとしている。


 それは目的ではなく手段なのだが、真実の一端をとらえている。

 ユウはタダの嫉妬だ、と笑い飛ばしているが……。

 ユウの信用は当てにならないことは熟知している。


 基本的に猜疑心は強いが、そう思われることを嫌う。

 孤独が嫌いで、皆に囲まれることを好む。

 その猜疑心を薄めるために、絶対的な契約などで相手を縛りたがる。

 そしてそれは自分が望んだからではない。

 相手に言われて渋々認めた……。

 そんな形にこだわるのだ。

 

 本来なら好きになどなれない相手なのだが……。

 不思議と愛してしまっている。

 この心の動きはカールラ自身にとって理解不能なものであった。


 仮にユウに疑われることがあっても……言いくるめることは簡単だ。

 だから大した問題ではない。

 不機嫌な理由は、別にある。


 こんな嫌らしい真綿で締めるような罠を仕込むのは、アルフレード以外に存在しない。

 その理由は簡単だ。

 マリー=アンジュを経由して、使徒を制御する目論見なのだろうと思い当たった。

 

 それならばやりようがある。

 クレシダを紹介した教会関係者に、内々に指示をだした。

 

 ロマンを利用する計画は、想像を超えた愚かさに頓挫している。

 クレシダが嘲笑ったのも当然だと痛感してしまう。


 自分の願望は実現できるのだろうか。

 一瞬不安になるも、もう足を止めることは出来ない。


                    ◆◇◆◇◆


 教皇庁で無為の日々を過ごしているマリー=アンジュに、一通の書状が届いた。

 ロマン王が麻薬騒動の説明をするというものだ。


 ちまたで広がる噂にマリー=アンジュは不安を隠しきれない。

 自分がロマンを慕っているなど有り得ない。

 生理的嫌悪感しかない相手なのだ。


 とにかく早く役目を終えて、ユートピアに戻りたかった。


 このまま放置しては、使徒ユウは取り返しのつかない破滅にまっしぐらだ。

 なんとか自分が立ち直らせなくてはいけない。

 そのためには、離れていては駄目なのだ。

 そしてカールラを押さえ込まなくてはいけない。

 ハーレムメンバーになったら、使徒を利用して好き勝手するものが現れるかもしれない。

 それを止めるのは、幼き頃からたたき込まれた使命でもあったのだ。


 今までは姉オフェリーとの手紙が、心の支えだった。

 最近はそれも出来ずに、心の支えを使命に求めるマリー=アンジュである。


 王宮に到着すると、謁見えっけんの間でなくロマン王の寝室に通される。

 内々の話をしたいらしい。


 不安に思ったが、ここで断って帰ると二度と会う機会はない。

 そして自分になにかかされる心配はない、と思っている。

 使徒ハーレムに手をだしたものは、今までひとりもいないのだ。

 そうマリー=アンジュは信じたかったのである。


 覚悟を決めて、ロマン王の寝室に向かう。

 

 寝室に通されると、ガウン姿のロマン王がいた。

 部屋は妖しげな煙に満たされて、頭がクラクラする。

 ロマンは気持ち悪い笑顔を浮かべた。


「ああ。

マリーたん。

よくきてくれたね。

ハァハァ。

マリーたんペロペロ」


 マリー=アンジュは、思わず引きった顔になり後退あとずさる。

 それでも躾けられた礼儀は忘れない。


「教皇王陛下におかれましては、ご機嫌麗しく存じます」


「ああ。

とてもご機嫌だよ。

なにせ10年前からロマンのものにしたかった……。

マリーたんが手に入るのだからね」


 マリーは背筋が寒くなった。

 10歳に満たない頃に、性的な目で見られていたのは錯覚ではなかったのか。


「私の心と体は、ユウさまだけのものです。

それをご存じないのですか?」


 マリーの声は震えていたが、ロマンは顔を紅潮させて鼻息を荒くする。


「その使徒さまがね。

ラヴェンナの手先である裏切り者は要らないといったのだよ。

このロマンにくれてやるとね」


 マリーは一瞬頭が真っ白になる。


「う、噓です!」


 ロマンは立ち上がって嫌らしい笑みを浮かべる。


「ちゃんと手紙ももらっているのさ。

それに心配ないよ。

マリーたんはこのロマンが可愛がってあげるからね」


 ロマンが開いた手紙には、使徒の紋章が書かれていた。

 途端にマリーは心の中でユウに助けを求めつつも……気を失った。


                    ◆◇◆◇◆


 ユートピアでぼんやり外を見ていたユウは、悪寒に襲われた。

 マリーが助けを求めている。

 そう直感したユウは立ち上がる。

 隣にいたカールラが驚いた顔になる。


「どうしたの?」


「マリーが危ない。

助けにいく!」


 なんの異変も感じないカールラは、首をかしげる。


「気のせいよ。

ユウの正妻に危害を加える人なんていないわよ?」


 そこにノエミ・メリーニとアンゼルマ・クレペラーが駆け込んでくる。

 ノエミは顔が青い。


「ユウさま。

マリーが危ないわ!」


 アンゼルマも厳しい顔だ。


「ええ。

助けにいきましょう」


 真の仲間と呼ばれる面々がそろったことで、ユウは力強くうなずく。


「よし! どこにいるかはわかっている。

急ごう!」


 ユウは急いで、空飛ぶ馬車に乗り込んで飛び出していった。

 カールラは予想外の事態に呆然とする。


 少しして我に返ると、厳しい顔になった。


「どうして気がついたのかわからないけど……。

もう遅いわ」


 過去に忌み嫌った所業に、手を染めていると自覚する。

 既にあとには引き返せない。


 地獄に落ちるだろうが、復讐を果たせずに天国にいくなど嫌なのだ。

 地獄に落ちても復讐を果たしたい思いだけが、カールラを支配している。

 そしてひとり自嘲気味に笑うのが精一杯だった。


                     ◆◇◆◇◆


 空飛ぶ馬車を運転しながらも、使徒ユウは倦怠けんたい感と戦っていた。

 もしマリーの身にもしものことがあったら、王宮の連中を皆殺しにしてやると思っている。

 だが倦怠けんたい感が、冷や水を浴びせた。


 本当に出来るのだろうか。

 もし出来ないことを知られたら……。

 自分はどうなってしまうのか。


 ユウは自問自答するが、今一自信がなかった。


 そんなときにマリー=アンジュは、意識を取り戻す。

 違和感に自分の体を確認する。

 服は破かれており、全裸でベッドに横たわっていた。

 シーツは乱れており、最悪の事態に顔が青くなる。

 行為が行われた匂いは、それをいやでも直視させた。


 マリーは頭が真っ白になって、小刻みに震えた。


「マリーたん。

お目覚めだね。

それにしても意識がなくても、体は反応するんだなぁ。

使徒さまの貧弱なイチモツより、ロマンのイチモツがいいと言っていたよ。

キツキツだったけど、それがまたイイんだよなぁ。

存分に体中をペロペロさせてもらったよ。

出来れば10年前に抱きたかったけど……。

贅沢は言ないなぁ」


 声の主は全裸のロマンだった。

 椅子に座って、ケシの実を頰張っている。

 口の端からだらしなくよだれを垂らしていた。


 その瞬間マリー=アンジュは、気分が悪くなって嘔吐おうとしてしまう。

 ロマンの顔が瞬時に赤くなる。


「なんだ! その反応は!

なぜ喜ばない!」


 ロマンは殺気だって立ち上がる。

 突然、ロマンの体が横に吹っ飛ぶ。


 使徒ユウだった。

 怒りに震えた顔で、ロマンを殴り飛ばしたのだ。

 そしてベッドで嘔吐おうとし続けるマリー=アンジュを見て小刻みに震える。


「お前! 僕のマリーになんてことを! 殺してやる!」


 壁に激突したロマンは気絶している。

 あとに続いてきたノエミとアンゼルマは、小さな悲鳴をあげた。

 すぐに我に返ったノエミは自分のマントを外し、マリーに着せる。


「マリー! 大丈夫!」


 マリー=アンジュの嘔吐おうとはおさまったが、目は真っ赤だった。


「ユウさま。

ごめんなさい。

私汚されてしまったわ……」


 ユウは青い顔で首を振る。


「マリーは悪くない。

悪いのはこんなところにいかせた僕だ……」


 突然、寝室の扉が開く。

 警備兵たちが入ってきた。

 警備兵たちは使徒がいることに驚いて硬直している。

 使徒でないなら、問答無用で取り押さえるのだが……。


 硬直する警備兵を押しのけてトマがでてくる。

 部屋の様子を見て驚いた顔になった。

 わざとらしい様子に気がつく者は誰ひとりいない。


「こ、これは……」


 ユウは怒りの余り言葉がでてこない。

 ノエミはマリー=アンジュを抱きしめ続けている。


「大丈夫だから」


 壊れた機械のように、マリー=アンジュに言い聞かせていた。

 そして怒りの満ちた顔のアンゼルマが、トマの前にでてくる。


「見てわからないの?

ロマンは許されないことをしでかしたのよ?

今この場で、この世で最も残酷な処刑をしてやるのよ。

邪魔しないで」


 トマは小さく頭を振った。


「許されないこととおっしゃりましたが……。

使徒さまから、マリー=アンジュ嬢を教皇王陛下に下賜する、と書状を受け取っております」


 使徒ユウは顔を真っ赤にする。


「僕はそんなことした覚えがないぞ!」


「お言葉ですが……。

使徒さまの刻印がされた書状に……そうありました」


 トマは部屋を見渡して、テーブルの上に置いてある書状をユウに差し出す。

 ユウはすかさず、書状をひったくる。

 一瞬呆然とするが、すぐに顔をゆがめた。


「印はそっくりだけど、これは偽物だぞ!

魔力がこめられていない!

こんな偽物を信じたのか!?」


 いつもなら平伏するトマだが、珍しく冷ややかな表情を崩さない。


「お言葉ですが……。

以前、書状の真偽を調べようとしたとき、使徒さまのご不興を被りました。

自分からの書状を疑うのかと。

ですから今回も疑いませんでした」


 使徒ユウは自分がそう言ったことを思い出して、一瞬たじろぐ。

 すぐに強く頭を振った。


「だからって!

こんなおかしな内容なら確認しろよ!」


「お言葉ですが……。

以前も突拍子もない書状が送られたとき、真偽を確認しました。

そのときもお怒りになりましたよね。

使徒さまのお心は、我々下々には計り知れません。

ですので、今回も疑うことすらはばかられました」


 これも心当たりがあった。

 誰に言われたか忘れたが、アラン王国の忠誠を試すためと言われてある書状を送ったことがある。

 

 ロマンが即位したときに、王都でハロウィーンパーティーをやれとの内容だった。

 そんな習慣などない。


 ハロウィーンパーティーは、使徒が開催した記録はあるので、未知の内容ではなかったのだが……。


 いきなり脈略のない祭りの開催要請に、王宮から使徒に確認の使者が送られた。


 そこでユウは、自分の書状を疑うとは、ロマンの忠誠も口先だけか、と皮肉ったのだ。

 ユウ自身は開催にはこだわっていなかった。

 ただロマンの忠誠心を試す、という囁きに悪乗りしただけ。

 そのままハロウィーンパーティーは、お流れになった事件である。


 そのときマリーは、反対していたことも思い出してしまった。


『人の忠誠心を試すのは、ユウさまにとって相応しい行為ではありませんわ』

 

 そのときの言葉が脳裏に蘇る。

 それを笑って、無視したのは他ならぬユウであった。


 これでは、どんな書状が送られても疑えない。

 そもそも使徒の書状を騙るような不届き者がいる、とは思っていなかった。

 バレたらタダでは済まないのだから。


 だが現実に起こってしまった。

 このままでは自分の責任となることに気がついたユウは、内心大いに焦る。


「だからといって……。

僕が正妻のマリーを、他人に差し出すなんて有り得ないだろう。

愛しているんだ……」


 ユウの語気は、急に弱々しいものへと変わった。

 トマはそんなユウに、重々しくうなずいた。


「今回の件はお互いさまというべきでしょう。

無論、教皇王陛下のされたことは、とても許せないとお思いかと。

ですが一度お引き取りを。

マリー=アンジュさまはすぐに、ここを離れたいとお思いでしょう。

此度こたびの騒動に関しての対処は、このトマがユートピアにお伺いして決めたいと存じます」


「そうだった。

マリーをすぐに、ここから連れ出さないと」


 形勢の不利を悟ったユウは、ノエミに、マリー=アンジュを抱きかかえさせて、馬車に乗り込んだ。

 最初は、自分が連れて行こうと思ったが、手が止まってしまったのだ。


「今は男に触れられたくないだろう。

ノエミが抱きかかえてやってくれないか」


 ユウは内心で拒否感がでたなど認められなかった。

 咄嗟に言った言葉が真実なのだと、自分に言い聞かせ続けたのである。

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