665話 閑話 尊い犠牲

 教皇庁の外周に存在する貧民街。

 そこに古びた教会がある。

 福祉の一環として、病人の治療、炊き出しなどを行う場所でもあった。

 これは『すべてのものに救済を』という教会の建前を体現している。


 そんな古びた教会の地下室で、3人の男が向き合っていた。

 

 ひとりは、この教会の主であるグスターヴォ・ヴィスコンティ枢機卿。


 前の主はグスターヴォ・ヴィスコンティ司祭。

 枢機卿就任に伴い、後任に席を譲るはずだった。


 本来なら司祭が教会の主となる。

 だがここは人気がない。

 窓際と言ってもいいのだ。


 それでも平時であれば誰かはいたのだが……。

 教会関係者といえども、身の安全が保障されなくなっている。

 誰もが恐れて尻込みをしてしまった。


 司祭時代のグスターヴォが任命されたのも、ランゴバルド王国から逃げてきたからだ。

 空席だった教会を押しつけられた形となった。


 後任がいないので、グスターヴォが兼任を願い出る。

 枢機卿団はもっともらしく渋ったが、内心は渡りに船だった。


 これはあくまで教会側の理由と動機。


 グスターヴォの立場では事情が異なる。

 グスターヴォにとっても貧民街で人の来ない教会は、世界主義の活動拠点としてもうってつけ。

 元から他人に譲る気などなかった。

 そもそもここは世界主義者の司祭が代々主となっていた。

 いわば根城の一つ。


 世界主義者たちは活動を活発化させており、推薦すべき司祭のストックがいなかった。

 世界主義の判断は『そのままグスターヴォに兼任させるべき』となったのである。


 グスターヴォと向き合うのは、当然世界主義のメンバーだ。

 もうひとりはボドワン・バロー。

 最後にモルガン・ルルーシュである。


 どことなく不穏な空気のなか、グスターヴォがせき払いをする。


「同志バロー。

クレシダ・リカイオスの操縦に難航していると聞くが?」


 いささか詰問調だが、ボドワンの表情は変わらない。


「札付きの我が儘娘だ。

簡単に誘導などできない。

それは報告済みのはずたが?」


「アイオーンの子の残党が実在しているとの噂も聞く。

そんな集団ならクレシダに目をつけるだろう。

我らにとって操りやすいとなれば、他者にとっても同様だ。

そのあたりの動きはないのか?」


 ボドワンは表情を変えないまま、首を振る。


「アイオーンの子か。

噂だけだろう。

奴隷階級でも噂程度でしか聞いたことがない。

無視できる話ではないが、計画を進めることが最優先だ」


 話を聞いていたモルガンは、突然舌打ちをする。


「それはいいが……。

同志バローはクレシダを、簡単に操れると豪語していたろう。

蓋を開けてみれば難事だったと。

それは理解できた。

難航はいいが、成功へのメドは立っているのか?」


 ボドワンはかぶりを振った。


「それは何とかなる。

徐々にこちらを頼りにしはじめたからな。

だが一つ……大きな問題がある」


 モルガンはフンと鼻を鳴らす。


「それを最初から言え。

突っ込まれて小出しにするようでは、無用な疑惑を招くぞ。

指導者サン=サーンスの寛容に甘えるのは感心しないな」


 ボドワンは不機嫌な顔でモルガンをにらむ。


「小出しにしたわけではない。

これは周知されている問題だ。

第5拠点と第6拠点。

つまりシケリア王国内の巡礼街道と拠点の話だ。

リカイオス卿に掌握されて、クレシダの望むものを輸送することが困難になりつつある。

絵空事だけでは懐柔できないぞ。

実利が伴わなくてはな」


 モルガンは渋い顔で舌打ちをする。


「表向きはまだ、教会の管轄だったな。

トマがリカイオスと通じて、このような形で処理したが……。

教会が追い出されるのも、時間の問題だな。

海路はラヴェンナに握られているから、そっちの方面でも難しい。

同志ヴィスコンティの失策がここにきて響くとはなぁ」


 ボドワンとモルガンからにらまれたグスターヴォは、肩をすくめた。


「仕方あるまい。

肝心要の同志モローが問題なのだよ。

組織への忠誠心に信がおけない。

あげくに石版の民が公然と姿を見せ、ランゴバルド王家に公認までされている。

厄介なのは連中が、ラヴェンナの庇護民になったことだ。

これは到底無視できない。

ランゴバルド王国で、ラヴェンナに表だって喧嘩を売る領主などひとりとしていないぞ。

最悪なのが連中は我らのことを熟知していることだ。

迂闊に動けないのだよ。

だから中枢部に浸透することすら……ままならない。

ゆえに外側からの浸透を図っている。

だがここでも障害が立ちはだかってな」


 モルガンは冷笑を浮かべて、グスターヴォを一瞥する。


「それも同志モローの秘密組織に阻まれていると。

飼い犬に手をかまれた、とでも言いたいようだな。

そもそも同志モローは、妻子を人質にとられ、身動きがとれないのか?

それとも時を待っているのか?

大義のためなら、妻子でも迷わず捧げるのが我らだろう。

どちらにしても調査不足だな。

同志モローから、同志の言葉が抜けるのかを含めて調べるべきだ。

指導者サン=サーンスの寛容に助けられているのは、同志バローと一緒か」


 グスターヴォはモルガンを睨みつける。


「同志ルルーシュは、指導者の側近たる同志エベールから格別の信頼を受けているな。

それでも我らより地位が上ではない。

我らは同志で、身分の差など存在しないはずだ。

いささか言葉がすぎるな。

同志への言葉とは思えないぞ。

そもそも同志ルルーシュこそ、ロマンのコントロールに失敗しているではないか。

あそこまで麻薬が蔓延しては、失態以外の何物でもないぞ」


 モルガンはグスターヴォの糾弾を鼻で笑う。


「ロマンの制御なんて不可能さ。

それより徹底的に、今の環境を破壊するのが大事だ。

次にトマが王位についても、大失敗は目に見えている。

かくして人民は、王政に疑問をもつだろう。

それでこそ我々の大義が人民のよりどころになる。

麻薬の蔓延も、そのための通過儀礼にすぎない。

一つの世界へと至る、尊い犠牲だよ。

それより同志バローに聞きたい。

使徒についてだ」


 ボドワンは表情を曇らせる。


「カールラ・アクイタニアが厄介だ。

最近は我々の制御から離れつつある」


「つまり打つ手なしか。

だからと言って……。

アクイタニアを消すのは一苦労だな」


 ボドワンは不気味な笑みを浮かべる。


「それについては策を進めている。

知恵は回るが、しょせんは小娘だ。

自滅させることは容易とまで言わぬがな。

十分可能だろう」


「お手並み拝見といこうか。

仮にアクイタニアを排除できたとして……。

その後はどうするのだ?

マリー=アンジュ・ルグランを復権させるのか?」


 ボドワンは笑いながら首を振る。


「いや。

ルグランはラヴェンナの影響を受けている。

もはや害でしかない。

一緒に消えてもらう。

後釜としては、使徒騎士団あがりのノエミ・メリーニを考えている。

はるかに操作しやすいだろう。

ところで同志ルルーシュ。

トマから随分と恨みを買っているようだが……。

計画に支障はでないのか?」


 モルガンは軽蔑しきった顔で笑いだした。


「あの人間未満の生き物は、対等か下手にでるとつけあがるのさ。

そのほうがかえって制御できなくなる。

ことあるごとに自分の立場をわからせるのが最善なのさ。

そうすれば、怒りがヤツの主人になる。

我々に牙をむくために、せっせと王位を狙うだろうよ」


 モルガンのトマ操縦法はシンプルであった。

 トマがなにかしそうになったら、まず殴る。

 むき出しの力を見せつけて萎縮させるのだ。


 殴った後で、本当の理由を言わない。

 本当の理由を教えると、それ以外なら大丈夫だ……と思い込む。

 トマにすれば、心当たりがありすぎるので余計なことをしなくなる。


 人扱いしてはいけないのが、トマ操縦法の原則であった。


 ボドワンは肩を震わせて笑いだす。


「なるほどな。

人間未満か。

そちらは同志ルルーシュに任せておくのが最善だな。

それより同志ヴィスコンティに確認したいことがある。

ラヴェンナはどうするのだ?

あの魔王は無視できないぞ。

あまりに邪魔な存在だ。

我らの計画にも大義にとってもな」


 グスターヴォはニヤリと笑って、アゴに手を当てる。


「手は尽くしている。

殺害は不可能だろうが……。

動きを封じることくらいは可能だ。

急激に発展すると、何処どこかに歪みはでてくるものだからな。

トマが余計なことをしてくれたおかげで、監視の目が厳しくなった。

それだけが問題だな。

同志ルルーシュ。

トマへの調教はしっかりしてくれないと困る」


 言い終えたグスターヴォはモルガンをにらむ。

 当のモルガンは何処どこ吹く風だ。


「同志ヴィスコンティはヴァロー商会頼りで、ラヴェンナで活動できているのだろう。

トマの執念がないと、あそこまで入り込めないぞ。

それで歯止めなどできるものか。

自分の無力さを……俺のせいなどにされては困るな」


 グスターヴォが顔を赤くして席を立つ。


「聞き捨てならないぞ!」


 突然、ボドワンがテーブルをたたく。


「よさないか!

ここで我らがいがみ合っても、何の益にもならぬ。

それより同志ルルーシュ。

アラン王国で突然でてきた肥料と麻薬について、心当たりはないのか?

研究には金と時間がかかる。

明らかに何者かの存在を示唆しているだろう」


 モルガンは眉をひそめた。

 今までのシニカルな雰囲気は消えている。


「元々地下に潜伏していた組織が、表にでてきたようだな。

肥料も麻薬も、トマと無関係なところからでてきた。

現在調査中だ」


 グスターヴォが小さくため息をついた。


「黒幕が噂のアイオーンの子だったら……わかりやすいのだがなぁ。

異端として抹殺された連中が、今まで勢力を保って生き延びていたのか?

俄には信じがたいところだ」


 モルガンが苦笑しつつ頭をかいた。


「そうなんだが……。

石版の民だって生き延びていたのだ。

頭から否定するのは危険だな。

我らもそうだろう?

俺の予想では存在すると思っているよ。

黒幕の可能性も高いだろう。

聞いたことのない技術が、いきなりでてきたんだ。

既存の組織の仕業なら、少しくらい尻尾がでると思わないか?

ただ教会が異端として関連した資料を……全部焼いてしまったからなぁ。

余計なことをしてくれるものだ。

わかったとしても……そこから、先に進めない」


 グスターヴォは渋い顔で腕組みをする。


「冒険者ギルドはどうなのだ?

知っていてもおかしくはないだろう」


「なら、枢機卿サマが問い合わせてくれよ。

連中は無頼の徒を気取っているが、肩書に弱いんだからな。

俺や同志バローが問い合わせたらどうなると思う?

知っていてもはぐらかされる」


 グスターヴォは苦笑しつつうなずいた。


「わかった。

こちらで当たってみよう」

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