664話 閑話 退廃の王都

 アラン王国の王都プルージュは荒廃していた。

 表向きは繁栄している。


 だが貴族たちは、なにかすれば罪に問われる。

 出来ることはとても少ない。


 芸術に逃避しようにも、ロマン王がしゃしゃり出てくる。

 彼らの美的センスからすれば、あまりに独善的すぎた。

 異論を述べれば、罪に問われる。

 仲間内で話し合おうにも、密告が推奨されているのだ。

 そんな会話は自殺行為。


 ロマンの暗殺計画が一度持ち上がった。

 それは密告により失敗。

 連座と冤罪を含めて、大量の血が流されたのだ。


 何もしないことが、保身の最適解。

 かつてない速度で、麻薬が蔓延している。

 かくして王都は退廃一色であった。


 退廃した都の主ロマンは、ケシの実をお菓子代わりに貪りつづける。

 それ以外では歌と絵画などの芸術活動に没頭していた。

 

 突如、ロマン王の重臣に緊急招集がかかる。

 重臣たちは大急ぎで謁見の間に集まった。

 少しでも遅れたら、罪に問われるからだ。


 得意満面なロマンが玉座に座っており、神妙な表情をしたトマが隣に控えていた。

 一同の注目は、トマの前に置かれた物体に注がれる。

 絵画を布で隠していることは一目瞭然であった。


 全員がそろったのを確認したロマンが立ち上がる。


「諸君。

緊急招集に応じてくれたこと、このロマンは嬉しく思う。

諸君らに重大な発表があるのでな。

この喜びを分かち合いたくなったのだ」


 ロマンはトマに目で合図する。

 トマが布を、物体から取り外す。


 大きな絵画だが、あまりに前衛的すぎた。

 一同は言葉を失う。

 やたらとゴテゴテしているだけでなく、金色を乱用している。

 恐らくロマンの自画像なのだが、一同は確信が持てなかった。


 ロマンが興奮気味に、両腕を広げる。


「素晴らしいだろぉぉぉぉぉぉ!!」


 ゴマすりに慣れた重臣たちも、呆気あっけにとられる。

 どうゴマをするべきか、判断を迫られたのだ。

 間違ったゴマすりでは罰せられる。

 端から見れば、どうしようもない茶番。

 だが、彼らにとっては必死であった。


 ロマンが一瞬鼻白む。

 だが顔を真っ赤にして、胸を張る。


「素晴らしいだろぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」


 一時の猶予もない重臣たちの結論が出た。


「「「おおおおおぉぉぉぉぉ!!!」」」


 慌てて歓声を上げたのだ。

 歓声だけなら揚げ足をとられない。

 涙ぐましい努力であった。


 トマは嫌らしいへつらい顔で、手揉みをする。


「いやぁ。

本当に素晴らしい!!

こんな独創的で素晴らしい絵ははじめて見ました!!

さすがは史上初の教皇王陛下です。

歌のみならず、絵画まで世界一とは!」


 ロマンはいつもの醜い笑みを浮かべる。


「いやいや。

いくら事実でもそうおだてるな。

参ったなぁ……」


 招集はこのためだ。

 これ以外の用事などなかった。


                  ◆◇◆◇◆


 お披露目が終わったロマンは自室に戻って、ケシの実を頰張っている。

 そこにノックの音がした。


「入れ」


 入室してきたのはトマであった。


「教皇王陛下。

このトマをお呼びと……伺いましたが」


「うむ……。

トマに聞きたいことがあってな。

母上はご健勝だろうか?」


 さすがのトマですら言葉に詰まる。

 既に前王妃はこの世の人ではない。

 ロマンはそれを知っているからだ。


 トマは必死に自分の記憶を思い起こす。

 そうでないと、自信が持てなかったのだ。



 前王妃マルティーヌは、ロマンの退位を企んでいた。

 密告でそれを知ったロマンは、愕然とする。


「な、なんとかしろ」


 ロマンの退位となれば、トマを筆頭に重臣たちの身が危うい。

 トマと重臣たちは相談して、前王妃の殺害が決定された。


 そのときですら、トマは自分から言い出さない。

 誰かに言わせるのであった。


 前王妃殺害の実行犯として、奴隷を差し向ける。

 近衛兵は上流階級の子弟なので、芸術家に敬意を払う。

 寝返る可能性大だったからだ。


 追い詰められたマルティーヌは、自分の股を指さした。


「刺すならこの出来損ないの子宮を刺すがいい! ロマンはここから生まれてきたのだ!」


 ロマンは詳細が伝えられると泣き崩れた。


「なんで殺した! これじゃあロマンは親殺しの悪者じゃないか!」


 トマはロマンの手をとると、嫌らしい笑みを浮かべた。


「教皇王陛下。

もし前王妃を生かしておけば、必ず陰謀を実行に移します。

そうなっては『優しい世界』の実現は、夢に消えるでしょう。

陛下の忌み嫌う世界になりますぞ。

利益だけを追い求め、民たちが生き急ぐ。

そんな世界です。

今回は大義のための犠牲とお考えください」


 ロマンは泣きながらうなずいた。


 それ以降、ロマンは夜に『母上を見た』などと言い出すようになる。

 医師はケシの実を精神安定剤として処方したのだが……。

 ロマンは瞬く間にケシの実の虜になってしまった。

 用法用量などお構いなし。

 トマはそれを勧めこそすれ、止めることはしない。

 止めた医師はいたが、いつの間にか姿を見なくなっていた。



 やはり記憶は正しい。

 そうトマは安堵した。


 そんなトマの内心を知らないロマンは、虚ろな目でケシの実を頰張る。


「先ほど母上が、部屋におられたのだ。

すぐ消えてしまったが……」


 前王妃殺害以降、ロマン暗殺の陰謀が発覚。

 それは密告により未然に防げたが、ロマンは疑心暗鬼に陥った。

 ケシの実の消費量はさらに増え、今や主食となりつつある。


 芸術に打ち込んでいるときだけは、以前と変わらない。

 それ以外では、虚ろな目をしてケシの実を頰張りつづけていた。

 トマは小さくせき払いをする。


「それは前王妃さまが、陛下に早くコンサートを実現せよ、とおっしゃっているのではないでしょうか」


 回答になっていないが、ロマンにはそれで十分だったようだ。

 ロマンの目に光が戻る。


「おお……。

そうであったな。

来月には決行するのであった。

王都の連中は、ロマンに嫉妬して陰謀を企む。

民は違う。

ロマンを愛している。

そんな民には、褒美をやらねばな。

真の芸術に触れると、人生が豊かになるであろう」


「左様にございます。

教皇王陛下への親愛を、より深めるでしょう」


 ロマンは突然椅子から立ち上がる。


「そうだな!

親愛こそロマンの力になる。

それを見た叛徒たちも恐れおののくだろう。

ロマンの歌が、世界を救うのだ!」


                  ◆◇◆◇◆


 ロマンの部屋を出たトマは、自分の執務室に戻った。

 部屋に入って扉を閉めたトマが嫌な顔をする。

 ひとりの男が自分の椅子に座っていたからだ。


 その男は、個性らしい個性のない人物。

 僧服が唯一の個性である。

 この人物モルガン・ルルーシュは、正式に教会と王宮の連絡役に任命されていた。


 トマは男を睨みつける。


「ルルーシュか。

ここには来るなと言っただろう」


「教会と王宮の連絡役が訪ねてくるのは普通さ。

大体……お前の要望になんら強制力はない。

それよりわかっているな?」


 トマは不機嫌さを隠さない。


「言われるまでもない。

このトマを疑っているのか?」


 モルガンはフンと鼻を鳴らす。


「当たり前だろう。

お前程度の小物が信用される……とでも思っているのか?

いつ裏切っても不思議じゃないだろう。

それでも構わないがな。

その結果として、お前は切り捨てられる。

怒り狂った民衆の前に放り出されるだろう。

そして死体まで辱められて、下水に捨てられる。

それでも、お前には過ぎた待遇じゃないか」


 トマの顔が真っ赤になる。

 モルガンを殺さんばかりの勢いで睨みつけた。


「だからこそだ。

裏切ってもいいことなどない。

こちらにも利益があるから、計画に乗ってやったのだ」


 モルガンは冷笑を浮かべる。


「随分偉くなった、と勘違いしたものだ。

ヴァロー商会でも厄介者で嫌われていたろう。

お前が若い頃に、博打にハマって奴隷にされそうになったなぁ。

そのとき、誰に助けられたのやら……。

涙目で鼻水を垂らしながら、俺に土下座をしたお前がねぇ」


 トマとモルガンは幼なじみ。

 さらに親戚でもある。

 若い頃のトマは、博打に溺れて借金が返せなくなった。

 奴隷の身分に落ちる直前まで追い詰められたのだ。


 進退窮まったトマは、借金を肩代わりしてもらうため、モルガンに泣きつく。

 虫が好かないヤツだと思っていたが、相手をしてくれるのはモルガンしかいなかったのだ。


 前々からモルガンの羽振りがとても良かったので、度々借金を申し込んでは断られていた。

 モルガンから提示された条件が割に合わない、と思ったからである。


 だが奴隷になるよりマシだ。

 奴隷になったトマを待っているのは過労死のみ。


 美形なら逆転のチャンスがある。

 だがトマはその条件に合致しない。


 奴隷になっても、生き延びるチャンスはある。

 奴隷長に尻穴を差し出すことが条件だ。


 奴隷長は女を与えられない。

 つまり性欲の捌け口は男になる。


 奴隷長のお気に召せば……長生き出来る可能性が高い。

 労働の割り当てがとても緩くなる。

 さらには奴隷長がお役御免になるときに、次の奴隷長に指名されるからだ。

 そんな奴隷長を一定期間勤めれば、自由民として復帰出来る。

 奴隷の反乱を防ぐための慣習でもあるのだ。


 差し出すリスクは当然ある。

 趣味に合わなければ、奴隷の間でも下層に落ちてしまう。

 笑いものにされ、軽蔑されるからだ。

 そして真っ先に過労死する。


 そもそもトマは男に興味などない。

 だが美少年相手に掘る側なら、ギリギリ飲み下せる。

 自分が掘られることなど、決して耐えられない。


 つまり奴隷になるくらいなら死んだほうがマシなのだ。


 だが死にたくはない。

 このままでは負け犬で終わってしまう。

 博打にのめり込んだのも、大金を稼いで成り上がるつもりだったのだ。


 自分を嫌ったり見下してた連中を見返してやる、と心に決めている。

 自分が偉くなってから、連中が媚びてきたときに『もう遅い』と突き放してやるのだ。

 

 そのためには……生き延びなくてはいけない。

 さらに過酷になった条件を受け入れて、トマは命拾いをしたのである。


 その日からトマは、モルガンの操り人形になったのだ。

 トマにとって腹立たしいのは、時折モルガンから飴を与えられることだ。

 しかもその態度は、無造作に飴を地面に落として『舐めろ』と言わんばかり。

 突っぱねるほど無欲でないトマは、怒りながらそれを舐める。

 その飴はとても甘美であった。


 ロマンに取り入る切っ掛けも、このモルガンがお膳立てしてくれた。

 前王妃とのコネを作れたのも、モルガンのおかげである。


 権力者に取り入ったことで、トマは裕福になっていく。

 博打をする必要もなくなった。


 トマの羽振りが良くなって考えが変わる。

 操り人形でいる必要はなくなったからだ。

 

 モルガンに借金を返して、関係をチャラにしたいと願っているのだが……。

 そんな素振りを見せると、決まってトマの近くの人が消える。

 トマは恐怖心の下僕となり、関係の解消など言い出せなくなった。


 さらに気がつけば状況は悪化。

 操り人形から自由になっても、自分を待っているのは悲惨な最期と自覚させられる。


 その段階でモルガンから、選択肢を突きつけられた。

 このまま関係を続けるなら、身の安全と財産は保証する。

 解消するなら、一切の保護はなくなると。

 トマにとって選択肢のない状態に追い込まれていた。


 かくしてトマは操り人形に甘んじることになる。


 それでもトマのプライドはとても高い。

 モルガンを睨みつけつつ、ささやかな抵抗を試みることにする。


「金ならやるぞ。

何時いつまでも自分が格上だと思わないことだ。

トマはアラン王国有数の資産家なんだからな!」


 モルガンはトマを哀れむような目で見た。


「格をつけたがるのは変わっていないな。

本当に自分に自信のないヤツだ。

言っておくが、お前は選べる立場じゃない。

スペアはいくらでもいるのだ。

ドブネズミに死体を弔ってほしくなければ、せいぜい頑張ることだ」


 トマは殺意のこもった目で、モルガンを睨みつける。


「トマが王になってから、いつくばっても遅いからな!

今だって社会的には、トマのほうが身分は上なんだ!」


 モルガンは鼻で笑って、席を立つ。

 トマとすれ違いざまに、腕を振るとトマが吹っ飛んだ。

 吹っ飛んだトマは本棚に叩き付けられる。

 鼻が折れたのだろう。

 派手に鼻血を垂らしている。


 音声遮断の魔法がかかっているのか、警護の兵士が入ってくることはなかった。


 モルガンはトマを冷ややかに見下ろす。


「社会的身分なんて関係ないな。

お前は我々の助力がなければ、誰の役にも立たない無能者だ。

それをまだわかっていないようだな。

そんなヤツに、王位をくれてやると言っているのだ。

日和ひよるようなら、また殴ってやるぞ。

鞭で打たれないと、お前のような無能者は理解しないからな。

お前が日和ひよろうとしていることなど、とっくにお見通しだ。

殴られて済んだだけ感謝しろ」


 トマが他勢力と接触していることは秘密のはずだった。

 それが漏れていることに、茫然自失となる。

 鼻の痛みを感じたのは、ずっとあとのことだった。

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