663話 閑話 ふたつの死闘

 シケリア王国の王都ドゥラ・エウロポス。

 そこには、王城が存在する。

 城壁に囲まれた城で、警備は厳重。


 新月の夜で世界は闇に包まれていた。

 篝火かがりびだけが唯一の光となっている。


 その城壁を駆け上がる人影に気がつく者はいない。

 いつものメイド服でなく、忍装束に身を包んだアルファであった。

 見た目は忍者そのもの。

 足袋ではなく、ブーツを履いている。

 そしてマントを羽織っているのが、忍者とは異なる。

 顔を隠しており、忍装束とマントは、不思議と周囲の色に溶け込むようだ。


 人間離れした動きで、壁を駆け上がっている。

 城壁の上に立ったアルファは、周囲を見渡す。

 ディミトゥラ王女の屋敷を見つけると、音もなく城壁から飛び降りた。


 数名の見張りと出くわすが、音もなく後ろに回り、喉をかき切る。

 なぜか血が飛び散っていない。

 見張りは声も出せずに崩れ落ちるが、アルファは草むらに死体を隠す。


 屋敷に音もなく忍び寄る。

 物陰に隠れており、その姿は誰の目にも映らない。

 突如、アルファの足が止まる。


 屋敷の前に、奇妙な人物が立っていた。

 ナイトキャップとナイトガウンに、身を包んだヴァイロン・デュカキスである。

 スリッパを履いており、どことなくコミカルな光景であった。

 

 アルファは反射的に息を潜める。


 ところがヴァイロンは、見えないはずのアルファの方向に視線を向けたのだ。

 そしてヴァイロンは寝ぼけ眼を軽くこする。

 ところがまったく隙がない。

 アルファですら、容易に手を出せなかった。

 

 ヴァイロンは、欠伸をかみ殺す。


「こんな静かな夜に、ネズミが紛れ込むとは……。

物騒な世の中になったものだな」


 アルファは、身を潜め続けた。

 だが咄嗟にその場から飛び去る。

 いきなり地面から、土の槍がせり出したからだ。


 無詠唱の魔法を使うものは少ないが存在する。

 詠唱したほうが威力は上がるので、詠唱が主流。

 土の槍の大きさと速さは、高位魔術師の詠唱つきより強くて早かった。

 とんでもない強敵の出現にアルファの目が鋭くなる。


 アルファが飛び去った方向に、ヴァイロンは目を細めた。


「ほう。

ネズミにしては鋭い。

よほどの手練れか」


 と言い終わる前に、小太りの体に似合わない俊敏さで側転する。

 不思議とナイトキャップは、頭から落ちない。

 スリッパで地面を踏みしめると、キュッと音が鳴る。

 とてもシュールな光景だ。

 ヴァイロンの立っていた場所に、数本の針が刺さっている。


 アルファは内心驚愕きょうがくした。

 これを避けられたことなどなかったからだ。

 敵は魔術師として、破格の手練れだと悟る。

 それだけではない。

 体術も超一流。

 冒険者になれば、金級の中でもトップクラスに位置づけられるだろう。


 動けるデブなどでおさまらない。

 風のように俊敏なデブ。


 ヴァイロンは、侍従と聞いていたが……。

 真の任務は王家の守護者。

 そうアルファは確信した。


 即座にその場から大きく飛びすさる。

 再び地面から、土の槍が今度は3本も飛び出したのだ。

 見えないはずなのに、狙いは正確無比。


 ヴァイロンも、即座にバク転する。

 再びスリッパからキュッと音がした。

 立っていた場所と横に逃げたら当たる場所に、針が刺さっている。

 

 物陰のアルファと屋敷の前に仁王立ちするヴァイロンの間に、濃密な殺気が漂っている。

 普通の人間がその場に踏み込めば気絶するだろう。


 突然それは破られる。

 屋敷の手前に、煙幕のような煙が立ちこめたからだ。

 屋敷は見えないバリアーのようなもので守られており、煙すら侵入できない。


 ところがヴァイロンは暢気に、ナイトガウンのほこりを払う。

 既にアルファの気配は消えていた。

 追ったところで無駄だと察したようだ。

 最低限の義務ははたしたので、欲張る気はないらしい。


 警護の兵士が、大勢集まってくる。

 大勢の足音を聞きながら、ヴァイロンは欠伸をかみ殺す。


「見事な引き際だな。

あんな手練れが存在するとはなぁ……。

もしや噂で聞くアイオーンの子か。

与太よた話ではない気がするな。

キアラ嬢から王女の身辺警護の示唆があってこれだ」


 ヴァイロンは、警護の兵士に色々と指示をして屋敷に戻る。

 不思議とスリッパは、音を立てていなかった。


                  ◆◇◆◇◆


 死闘が繰り広げられたドゥラ・エウロポスとは、まったく別の場所。

 そこでも死闘が繰り広げられようとしていた。


 港の倉庫の前で、バルダッサーレは腕組みをしている。

 隣のアリーナは怪訝な顔で首をかしげた。


「バルダッサーレさま。

どうされましたか?」


 バルダッサーレは、遠い目で海を眺めた。


「ああ……。

過去の忌まわしい記憶が蘇っていてね……。

アリーナは知らないか。

アルフレードからの贈り物と聞くと、どうしても警戒してしまう」


 アリーナはバルダッサーレの警戒ぶりが不思議だったのだろう。

 小さく笑って、バルダッサーレの手を握る。


「食べ物ですよね。

きっと美味しいものだと思いますけど……」


 バルダッサーレは力なく、首を振った。

 贈り物は前から届いていたが、あれこれ理由をつけて先延ばしにしていたのだ。

 さすがに食べ物なので、これ以上の先延ばしはできない。

 渋々やって来たのであった。


「アリーナはアルフレードの性格の悪さを知らなすぎる。

アイツはこの世で、一番腹黒い。

『この世で1番弟に欲しくないランキング』の永世1位だ。

以前、アルフレードはお礼と称して……大量の石鹼を送りつけてきた。

この倉庫に入りきらないほどのな」


「石鹼ですか?」


 バルダッサーレは鼻をつまむジェスチャーをした。


「軟石鹼だよ……」


 アリーナの頰が引きった。


「え、ええっ! あの臭いやつですか?」


 バルダッサーレは、重々しくうなずく。


「そう。

おかげで数ヶ月、ここから匂いが消えずに、大変な目にあった。

あれ以来、役人はアルフレードからの贈り物と聞くと、絶対に中身を確認しない……」


「で、でも食べ物ですよ。

考えすぎかと」


 バルダッサーレは戦いに出向くときより真剣な顔で、アリーナの両手を握る。


「そうだな……。

もし私が戻ってこなかったら、アリーナの夫は勇敢に戦った……。

そう覚えておいてくれ」


 アリーナは呆れ顔になるも、ニッコリと笑う。


「大袈裟すぎますよ。

では私も参ります。

夫婦は苦楽を、共にするものですから」


 アリーナも結構頑固だ。

 それでもキアラよりずっと可愛げがある。

 バルダッサーレはそんなアリーナを大事にしている。

 その熱愛振りは、周囲も苦笑するほどだ。

 アリーナも二度目の結婚はとても幸せで、バルダッサーレを心の底から慕っている。


 おかげてアミルカレの『もげろ』は、バルダッサーレに向けられていた。


「わかった……。

だが危ないと思ったら、すぐに逃げろ。

いいな」


「お心遣いは有り難いのですが……

逃げるときは一緒です」


 バルダッサーレは唾を飲み込んで、扉を開ける。

 倉庫の中はなんの変哲もない木の樽が数個鎮座していた。

 バルダッサーレは安堵あんどのため息を漏らす。


「少ないな。

アリーナのいうとおり……考えすぎかなぁ」


「そうですよ。

アルフレードさまはとても優しいお方でした。

開けてみましょうか。

厳重に封がされているのは気になりますけど……。

ニシンらしいので当然でしょうか」


 バルダッサーレは封に手をかける。


「これはパンパンだな。

一度開けると閉じるのが大変そうだ」


 バルダッサーレは力をこめて、封を解く。

 無情にも地獄の釜が開く。

 バンと破裂音が響き、液体が飛び散る。


 反射的に、バルダッサーレはアリーナをかばう。

 その体に、容赦なくエルフ殺しの液体がかかる。

 その後の倉庫は沈黙が支配していた。


 異臭に気がついた役人が慌てて気絶したふたりを救出したのであった。

 その際に、数名が犠牲になったのはいうまでもない。


 バルダッサーレは薄れゆく意識の中で思い出したことがある。

 アルフレードから注意書きが渡されていたことを。


『発酵するので、早めに開封してください。

遅くなったら大変ですよ』


 地獄のような匂いと共に、バルダッサーレとアリーナの仲はさらに深まった。

 はたして怪我の功名というべきなのだろうか。

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