662話 奇跡の価値

 王都ノヴァス・ジュリア・コンコルディアから、報告が届いた。

 差出人はジャン=ポール・モロー。


 ロマンが飛びついた肥料の件についてだ。

 空前の豊作を見た領主たちが、内密に入手しているとの情報だった。


 こちらから肥料の危険性について説明してある。

 さらに宰相に頼んで、各領主に警告をしてもらっていた。

 安全であることが確認されてからでも遅くはない。


 だが目先の欲に駆られたのだろう。

 致し方ない部分もある。

 1000年の時間は、奇跡の価値を大きくさげた。

 奇跡はものじゃない。

 程度の認識だ。


 胡散臭い奇跡に対しての抵抗が少ないのだろう。

 うまい話には裏がある、と警戒心をもたない。

 使徒米、使徒貨幣など随所に問題はでているが……。

 今のところ見ない振りをすればやり過ごせる。


 俺が正当性を打ち砕いても、力までは打ち砕いていない。

 痛い目を見ない限り、奇跡の価値は上がらないか。


 奇跡を期待するから、地道な努力は軽視される。

 もうそんな時代ではないのだがなぁ。


 書状をもってきたキアラは、俺のため息に眉をひそめる。


「お兄さま。

これは厄介ですわね」


「警告する看板を見て……立ち止まれる人ばかりではないわけです。

その先に夢の世界が待っていますからね。

広まりすぎないよう、手を打ってもらうしかありませんね。

ところが封建制の悲しさで、あまり他領の統治に口を出せません。

問題が起こってから改易しても、誰に荒れ地を与えるのか……」


 キアラはクスリと笑ってから、肩をすくめる。

 

「あら、ゴメンなさい。

なんだか可笑しくって。

お兄さまが『危ないから、様子を見ろ』って警告しても、誰も聞く耳をもちませんわ。

新しいことをはじめて成功した第一人者なんですもの。

お兄さまにすれば、当たり前を積み重ねた結果ですけど……。

外から見れば、奇跡を実現させたと思われていますわ」


 大変不本意だが……。

 キアラのいうことはもっともだよ。


「返す言葉もないです」


「それでもラヴェンナに近い領主であれば、無視はできませんけど……。

そもそもロマンは、外への流通を防いでいましたわね。

やっぱりクレシダが製法を流したのでしょうか?」


「だと思いますよ。

ただ大規模な製造場は、アラン王国にしかないはずです。

被害が少ないのは救いですかね。

アラン王国外では、製造場が拡充される前に飢饉が発覚するでしょう。

不幸中の幸いってヤツですよ。

今のところはですが」


 キアラは小さく眉をひそめる。


「今のところ……ですか。

アラン王国から流れてくるのとお考えですの?」


「大量に肥料を造るとします。

それが毒でしかなかったとき、どうなりますか?」


 キアラはため息をついて、天を仰ぐ。


「ああ……。

もったいぶって、作物と交換などと言い出しそうですわね」


 それだけなら可愛いと思う。


「絶対に契約後にもめます。

普通の人は、契約の内容を正として、交渉をしますね。

ロマン王は特殊な前提を正とします。

自分は特別で道徳的にも優れた存在。

だから愛されて尊敬されて当然。

周囲も相応の配慮をすべき、といった考えですよ。

つまりロマン王の願いを叶えるのは、絶対的な正義となります。

なので条件や契約内容を変えても問題ない。

そして相手が契約内容を勝手に変えるのは……決して許さないでしょう。

そもそもの前提が食い違います」


「たしかにあの怪文書を見ただけで、話の通じない人種だとわかりますわ。

しかもお兄さまは、至近距離であれを食らったのですものね」


 思わずため息が漏れる。

 あそこまでウンザリする相手ははじめてだったからな。


「ロマン王は契約という言葉なら知っています。

でも概念は知りません。

それがないと、約束事ができないから契約するだけです。

あとで条件を平気でひっくり返します。

それを非難されると……誹謗ひぼう中傷だと受け取るでしょう。

約束や契約の概念はない。

噓をついても、自分は正しいと思う。

かつ病的にプライドが高い。

理性は理屈を探すときか、人を騙すときにしか働かない。

基本感情の奴隷。

そんな相手と金銭のやりとりか、援助なりで関わったらどうなります?」


 キアラはため息をついて苦笑する。


「トラブルは確定ですわね。放置もできません。

戦争は不可避なのでしょうか」


「戦争と呼べれば、まだマシです。

政治的な判断で幕引きができますから。

食糧を求めての侵略では、話が変わります」


「下手をすれば、両方が死に絶えるまで争うことになりそうですわね……」


 実は悩んでも、どうしようもないのだ。

 できることは苦笑して頭をかく程度。

 あとは惨事に備えるくらいだろう。


「制御できない部分を悩んでも、仕方ありません。

農林省に依頼している実験がうまくいけば、なにかの解決策にはなると思います」


「ああ……。

あれは楽しみですわね」


 なにがどんな役に立つか、世の中わからない。

 少なくともあの肥料で、荒れ地になったあとの対策だけは考える必要があるだろう。


「元々違う目的での実験でしたがね。

それはそうと……。

ディミトゥラ王女との文通はどうですか」


 キアラは、少し真剣な顔になる。

 軽い話ではないようだな。


「それについてですけど……。

お時間頂けますか?」


「構いませんよ。

いつがいいですか?」


「では昼食後に、私の部屋に来てください。

夕食後だと義姉さまたちの視線が鋭くなりますもの」


 聞き耳を立てていたミルとオフェリーは、露骨に視線をそらしたのであった。


                  ◆◇◆◇◆


 昼食後に、キアラの部屋を訪ねる。

 ノックをして通されると、案の定エテルニタを抱いたカルメンがいた。

 エテルニタが俺に気がつく。


『みゃお~う』


 突っ込まないからな。

 いちいちふたりが笑うから、エテルニタが味を占めるのだ。

 ともかく……本題に入ろう。


「内密の話で、カルメンさんがいるとなれば前世ですね。

やはりディミトゥラ王女もそうだったのですか?」


 キアラは心なしか嬉しそうだ。


「ええ。

匂わせてきましたので、こちらも匂わせて返しました。

そうしたら私たちしか知らない話をしてきましたもの。

確定でしょうね」


 やはり特別な感情がわき上がるか。

 カルメンと違い、ディミトゥラ王女のケースでは、素直に祝福できないのだが……。


「ちなみにどんなお話ですか?」


 どこで話が漏れるかわからないのだ。

 直接的な話はしないだろう。

 キアラもディミトゥラ王女も、上流階級の人間だからな。


「知る限り、男の子の転生はいませんでした。

なので女の子の話題になりましたわ。

端から見れば、架空の女の子の名前をやりとりしているでしょう。

理解など不可能だと思いますわ」


「なるほど。

それでキアラとカルメンさんの認識とも一致したわけですか」


 キアラは、少し複雑な表情でうなずく。

 昔の仲間とは言え、嫌な記憶とセットなのだ。

 素直に嬉しいとはいかないだろう。


「私たちが把握しているのは、4人全員女の子でしたわ。

女の子は5人いたので、あとひとりどこかにいるのかもしれません。

男の子はわかりませんけど。

それで5人の名前が送られてきました。

クレシダはアナスタシア。

私はステラ。

カルメンはリコリス。

ディミトゥラ王女はシビラ。

最後のひとりはカリオフィリアですわ」


「なるほど……。

ディミトゥラ王女の立ち位置はどうなのですか?」


 キアラは、少し嬉しそうに笑う。

 つまり敵ではないか。

 今のところはだが。


「平和を望んでいますわ。

戦争に前のめりなリカイオス卿を警戒していますの。

お兄さまも平和を望んでいるので、概ね協力し合えると言っていましたわ」


 つまり国の利益は譲らない。

 大変結構な話だ。

 落とし所を探れるなら、話し合いに持ち込める。


「概ねですか。

実に正直ですね」


 カルメンは少し目を細めて、外を眺めた。

 シケリア王国の方角なのだろう。


「シビラだったときは、夢見がちで直感の鋭い子でしたね。

頭脳明晰めいせきって程でもなかったと思います。

ただ直感はものすごく鋭くて、占いも大好きでしたね。

師匠にしたい人がいるから戻ってきたら教わりたい、と言っていましたけど……。

多分ライサさんのことでしょうね。

ディミトゥラ王女になってから、随分と頭が良くなったと思います」


 キアラは膝に飛び乗ってきたエテルニタをモフモフしはじめた。

 ゴロゴロ喉を鳴らしてご機嫌のようだ。

 俺と目が合うと……。


『みゃお~う』


 と鳴いてドヤ顔だ。

 突っ込んだら負けだと思う。

 薄情にもキアラは笑っているが……。


「交易の話もディミトゥラ王女からでたそうですの」


 あまりこんな話に、水などさしたくはない。

 だが無視もできまい……。

 嫌な話だが確認しよう。


「短期間のやりとりで、随分信用したのですね」


 過去の仲間だからと信じ込むのは危険なのだ。

 個人なら口出しはしない。

 だが公人で、それは許されない。

 それ以外にも、大きな問題がある。


 キアラはアッサリとうなずく。

 杞憂きゆうだったかもしれないな。


「クレシダやアイオーンの子のことがありますもの。

慎重にやりとりをしました。

向こうから積極的に明かしてきましたし、仮に暴露されても……。

冗談で済みますわ」


 その問題は大丈夫か。

 やはりもう一つの視点はかけているようだな。


「それだけではありません。

クレシダ嬢に他の転生者がいることを教えてしまいました。

命を狙われる可能性だってあるのです。

だからキアラたちの警護を強化しましたが……。

ディミトゥラ王女は大丈夫でしょうかね?」


 キアラは、驚いた顔になる。

 そこまでは思い至らないか。

 露骨に狙われていると、いつも通りのでは警護も変わる。


「大丈夫だと思いますけど……。

注意するように伝えておきますわ」


「そうしてください。

飼い猫の名前が偶然一致して始まった……。

王女の気まぐれ、という形が無難でしょうね。

アイオーンの子に、目をつけられると面倒ですから。

もう遅いかもしれませんが……。

それ以外になにかありましたか?」


 キアラは、少し気まずそうだ。

 前世の仲間と連絡ができて、少し浮かれてしまったのかもしれないな。

 仕方のないことでもあるが……。


「まだ文通をはじめて、間もないですし……。

カルメンのことも伝えていないので、ご報告できるようなことはありませんわ」


「そうですね。

差し当たりは相手の真意を探りつつ、友好関係を保つようにしてください」


 ディミトゥラ王女について、キアラたちほど俺は信用するにいたっていない。

 疑ってかからないが、信じ込んでもいない。

 現時点ではそこまでが限界だろう。

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