656話 閑話 ティファニーの転生術

 ユートピアは非常に荒れていた。

 麻薬中毒患者の急増は、治安悪化を招く。

 それだけでなく、通常の運営にも支障をきたすほどだ。


 苦境におかれた住人たちは、こんなときは使徒ユウに期待する。

 麻薬中毒患者を治癒してくれること。


 実に都合がいい話である。

 だが、使徒の拠点に住みたがる人たちは、楽していい暮らしを望むからやってくるのである。

 自分たちはなにもせずに、ただ治してくれという主張。

 この住民たちの願望は予定調和、とでもいうべきものであった。


 その報告を受けた使徒ユウは、不機嫌な表情を隠さない。


「僕のつくった食糧を疑って、麻薬に溺れたんだろ。

なんでそこまで面倒みないといけないんだよ。

自己責任だ」


 マリー=アンジュはユウの言葉に一理あることはわかっている。

 それでも放置していい、とは思えなかった。


「ユウさま。

お気持ちはわかりますが……。

放置して他の人たちに、被害が広がっては大変なことになります。

せめて私に治療させてください」


 マリー=アンジュはユウから距離を取られたことで、心境が変化したようだ。

 今までは機嫌を損ねないようにと、気を使う日々だった。

 だが……。

 カールラが、ユウを悪い方向に引っ張り続ける現状に、考えを改めた。

 嫌われるのを覚悟で、行動を正すべきだと考えたのだ。


 ユウを見捨てる気など、まったくなかった。

 使徒ユウを、このような性格にしてしまった責任を自覚していたからだ。

 できることは、これ以上落ちていかないように、と押しとどめるだけ。


 もう手遅れかもしれない。

 それでも、しないよりいいでしょう。

 そう自問自答するマリー=アンジュであった。


 ユウは言葉に詰まって、反射的にカールラに救いを求める。

 カールラはユウに、優しくほほ笑んだ。


「マリーは優しいわね。

でも……。

麻薬に溺れたものは、治してもまた麻薬に手を出すわ。

際限がないのよ」


 一見すると、正論のような言葉であった。

 だが解決策を提示したわけではない。

 マリー=アンジュは眉をひそめる。


「では放置するの?」


 カールラは小さく息を吐いて、首をふる。


「マリーの懸念は尤もよ。

麻薬中毒者は隔離すべきね。

それなら罪のない人を守れるでしょ」


 隔離など対処ですらない。

 マリー=アンジュにとって、とても納得できるものではなかった。

 医療担当のブリジッタ・ティルゲルが思い詰めてしまっている。

 それを日々慰めているだけに見捨ててもいい、とは思えなかったのだ。


「それだけ?

このままだとどんどん増えてしまうわ」


「それはわかっているわ。

そもそも麻薬が広まったのは、ロマンの怠慢よ。

王なんだし対処してもらいましょう」


 マリー=アンジュとカールラの会話で、素知らぬフリをしていたユウは、突然立ち上がる。


「そうだな。

こんなことになった責任は、ロマンにある。

まず麻薬の流通をとめさせよう。

そのあとで治療なりを考えるべきだよ。

そうでないと、際限なく麻薬中毒者がやってくる。

全員を治療する羽目になるよ。

仮に治療したとして……。

カールラの言ったとおり『治るのだから、危なくなったらまた頼もう』と考えて、また麻薬に手を出すだろう。

僕たちは便利な召し使いじゃないんだ」


 かくして麻薬が蔓延する責任を、ロマン王のものとして追求することになった。

 これ自体おかしな話だ。

 ユートピアは、王権が及ぶところではない。

 周囲に麻薬が蔓延したため、こんな結果を招いた。

 かなりムリのある理屈、いや難癖というべきか。

 だがロマンの悪評が突き抜けているため、妙に説得力がでてしまう。


 そしてすぐにロマンからの使者が、ユートピアにやってきた。

 大臣のひとりらしいが、ユウにとって名前すら知らない人物であった。

 マリー=アンジュは同席していない。

 会ったのはユウとカールラだけである。

 カールラがユウを説き伏せて、マリー=アンジュを同席させなかったのだ。


 ロマンは都合が悪くなれば、表にでない。

 称賛されるときだけ表にでてくる。

 これは誰しもが予想していた。

 なのでこのこと自体に、驚きはない。


 大臣は震える手で、書状を使徒ユウに差し出す。

 それを受け取って読み進めるユウが、不機嫌な表情になる。

 カールラがそれを受け取って目を通す。

 読み終えて大きなため息をついた。


「麻薬が広まったのは……。

ロマン王が家臣を信じて任せたけど、家臣がそれに甘えてしまったからですって?」


 大臣は震えながら平伏する。


「恐れながら……」


「つまり、ロマン王にと言いたいのね?」


「滅相も御座いません。

陛下は責任を痛感されております」


 さすがのカールラも絶句してしまった。

 大きなため息をついて、肩を落とす。


「それでどうするかと思ったら……。

世界の民たちが、ユウからの信頼をかつてないほど失ってしまった。

その信頼を王としてしっかり取り戻させる。

それってなんの答えにもなっていないわ。

ロマン王の優しい世界って、なんでしょ!」


 大臣は震えながら平伏する。


「お、恐れながら教皇王陛下に御座います……」


 バカバカしいと思ったカールラは、苦虫をかみつぶしたような顔になる。

 この大臣は訂正しないと恐らく罰せられるのであろう。


 だがカールラにとってそんなことは関係ない。

 なにか言おうとしたカールラだが、大臣に遮られる。


「陛下に優しいとは、世界中の民に優しいことと同義である、とご聖明がありまして……」


 声明を聖明。

 布告を聖なる福音。

 ロマンはそのように言葉を変えさせていたのだ。


 カールラの頭の中でプチッと音が鳴った。

 容赦のない怒りと罵倒がその口から飛びだすのである。

 さすがのユウも、このときばかりは居心地が悪くなっていた。


「カールラ。

もういいだろ。

とにかくロマンには、麻薬の蔓延を抑えるように、ちゃんと伝えてくれよ。

このままだと麻薬に優しい世界になっちまうぞ。

まさか、ロマンはラリってないだろうな?

流通が減るの嫌だからって……。

取り締まるのが口先だけなら容赦しないぞ」


 大臣の顔は屈辱と怒りで真っ青になっていた。

 ユウは自分を恐れているためと勘違いしたのだが……。


「め、滅相もない。

しかとお伝えいたします!」


 大臣が退出したあと、ユウがため息をつく。


「カールラ。

あまりやりすぎると恨まれるぞ」

 

「ユウが大臣を怒鳴ると、大臣とロマンがユウを逆恨みするわ。

だから私が恨まれておくの。

きっとロマンはなにもできないわ。

いっそユウが王になっちゃえばいいんじゃない?」


 ユウはいやそうな顔で首をふる。


「そんな汚い政治の世界なんて、首を突っ込みたくない。

あの世界は欲まみれの無能者だらけだ。

そもそもロマンは酷いが、他に誰がやっても変わらないだろ。

政治なんて、面の皮が厚くて馬鹿でないとできないんだ。

それに……ここの管理だけで精いっぱいだよ」


 カールラは、自分の計画が大きく狂ったことを自覚していた。

 自室に戻って、ベッドに倒れ込む。

 今やっていることは、なんの成果を生み出さない。

 もはやロマンにランゴバルド王国を攻撃させる計画は頓挫してしまった。

 さらに予想外なことにユウは、あの戦い以降……なにもしなくなってしまった。


 心が折れそうになる。


 だがアルフレードと最後に面会した光景が、脳裏に浮かぶ。


 自分などこの程度しかできない、と高をくくって送り出したのか。

 そしてクレシダの自分を、下に見るような表情も思い浮かぶ。


 最後に罪もなく殺され、辱めを受けた仲の良かった使用人を思い出す。


 必死に自分を奮い立たせるカールラは、大きく息を吐き出した。

 決意を新たにしたその目は、静かな深淵しんえんに満ちていたのである。


                   ◆◇◆◇◆


 空には満月が浮かび、静かな夜のこと。

 クレシダ・リカイオスはテラスでぼんやりしている。

 眉間に、かすかなしわが寄っていた。


 部屋がノックされる。

 返事を待たずに、侍女のアルファが入室してきた。


 グラスとワインを手に持っている。


「クレシダさま。

いつものをお持ちしました」


 クレシダは振り向きもせずに、ワイングラスを受け取る。


「ありがとう」


 アルファはグラスにワインを注いで一礼した。


「では失礼いたします」


 クレシダはワイングラスを、軽く揺らす。


「ねぇ、アルファ」


 退出しようとしたアルファが、足をとめる。


「なんでしょうか?」


「私の不機嫌の理由、わかる?」


 アルファはクレシダの隣に戻ってきた。

 不機嫌なことはわかるが、理由まではわからない。


「いえ。

今のところ、計画は順調かと。

たしかに厄介な噂がでまわっております。

それでも大きな影響はないと思います」


 クレシダは、大きくため息をつく。

 恋する乙女が、相手を思うため息と同じであった。


「それが不満なのよ。

愛しい人アルフレードの対応がつまらないの。

凡庸と言ってもいいわ。

内乱のときにみせた……。

あの自信に満ちた、ゾクゾクするような手を一向に打たないのよ。

そんな精彩を欠いた愛のやりとりなんて……期待外れもいいところよ」


「では……。

今までが出来過ぎだったのかもしれません」


 クレシダは再び、大きなため息をつく。


「違うわね。

迷いが感じられるわ。

はぁ……切ないわ」


 アルファはクレシダが、他にも話したいことがあると察した。

 このようなことは滅多にない。

 だが仕えてから長いアルファには、それがわかるのであった。


「それが不機嫌の理由ですか」


 クレシダは外を眺めつつ苦笑する。


「アルファに隠し事はできないわ。

よく気がつく子だったしねぇ。

もうひとつあるのよ。

愛しい人アルフレードの妹キアラ。

まったく眼中になかったのだけど……。

『エテルニタ』ってのが気になるわ。

考えれば年も近いし……」


 飼い猫の話はどうでもいい与太よた話として流れてきたものだ。

 エテルニタの名前を聞いたときのクレシダは、しばらく無言だった。

 アルファの目が細くなる。

 このときだけは懐かしそうな顔をする。


「私たちと同じですか?」


 つまりはアルファも第5襲撃の被害者であった。

 クレシダはワインを、口にして目を閉じる。


「そうねぇ。

やっぱり間に合わせの術だったから、影響がでちゃったのかもしれないわ」


「失敗ですか?」


 クレシダは渋い顔をして、指に髪を巻き付ける。


「ティファニーの転生術。

その発動条件を完璧に満たしていなかったからね。

仕方ないかぁ……」


 クレシダの転生について、アルファは知っている。

 だからなんの驚きもみせない。


「転生術には、条件があるのでしたね。

術者が女性であることと。

飼い続けた猫にエテルニタと名付けて、力を注ぎ続けるのが準備。

それらの準備が整ったときエテルニタは寿命が尽きる。

その亡骸を抱いて自死することでしたっけ?」


 クレシダは自嘲とも苦笑とももれる笑いを浮かべ、グラスを空にする。


「そうそう。

だから火あぶりにされたときは、ティファニーの転生術が成立しなかったのよ。

ここまでかと思ったけどね。

ところが運よくアナスタシアになれたわ。

でも術で転生したわけじゃないから……。

ティファニーの英知は、かなり失われてしまったわ。

3割も残っていないもの」


 アルファは無表情のまま、グラスにワインを注ぐ。


「それでも十分……クレシダさまは聡明そうめいだと思います。

この世に並ぶものがないほどに」


 クレシダは、遠い目で満月を見上げる。

 他人の称賛には、興味がないといった感じだ。


「目的を達成できるなら、馬鹿でも構わないわ。

ともかく……。

アナスタシアになったとき、平凡な生き方もいいかな、と思ったのよ。

なにかの運命の転機かなって。

ずっとティファニーでいるのも退屈していたからね」


 クレシダは自嘲の笑みをアルファに向ける。


「ついエテルニタを拾ってしまったけど……。

今までの道具でなく、本当に愛するペットとして育てたかったのよ。

ところがあの事件でしょ。

そもそもの発端がアイオーンの子よ。

ただ死ぬだけでは決して逃げられない、と悟ったわね。

よくよく考えたら、私の魂って転生癖がついているのかもしれないわ。

こんな運命から逃げたいと思ったら、徹底的に世界を壊すべきだと思ったのよ。

そうすれば……なにか変わるかも知れないでしょ?」


 アルファは、目を細める。

 珍しく柔和な笑みを浮かべている。


「たしかに運命はあるのかもしれませんね。

私がアイオーンの子として生まれ変わったのは……運命だと思います。

そしてあの苦しみを、クレシダさまと共有できたのは私にとって幸運でした。」


 前世のことを語るアルファは、人並みに感情をみせる。

 集団自殺した子供たちの生まれ変わりとして、強い思いがあるようだ。

 クレシダは小さく笑って、グラスに口をつける。


「腹をくくったのはいいけどね……。

転生する気なんてなかったから準備ゼロ。

でも別の手段があったわ。

怨念と絶望に満ちた皆が……足りない部分を補ってくれたの。

一緒に死ぬことで、なんとか転生術は発動したわ。

少しでもティファニーの力が必要だったからね。

ただの転生では足りない、と思ったもの。

ところが不完全な術だから、予想外の事故が起こっちゃったわよ。

本来なら、私ひとりが転生する予定だったわ。

つい最近までは、巻き添えはアルファだけと思っていたけど……。

多分……女の子全員巻き添えね。

ティファニーの転生術は、女性であることが大前提だったからねぇ。

揚げ句、生まれる場所も散り散りになる始末だし」


 アルファは昔を懐かしむように、目を細めた。


「私にとっては喜ばしいことです。

あのときの生き残りは12人でしたね。

女の子は5人。

もしキアラが、あのときの子だとすると……。

残りふたりも転生していると?」


「運よく今でも生きていればそうね。

だとしても私のやることに変わりはないわ。

ちょっと悪い気もするけど。

理解されないのはわかっているわ。

それでも私はやるべきことをやるだけよ」


 アルファは、少し残念そうな顔をする。


「クレシダさまに賛同して、味方になることはないのでしょうか。

あの転生は凡人にない力を与えるものでしょう。

私もそうでしたから」


 クレシダは苦笑しつつ軽く手をふった。


「それはムリよ。

今やラヴェンナに居場所が、しっかりとできているのだから。

それを捨てて世界を壊すなんてムリよ。

そもそもあんな不完全な術だと、どんな能力に秀でるか……わからないもの」


「そうでした。

でもキアラはとても優秀なようですし……。

知性にでも秀でたのでしょうか?」


 クレシダは静かに目を閉じる。


「どうかな?

噂を聞くと、周囲が引くくらい愛しい人アルフレードを愛しているようだから……。

情愛が強くなりすぎる副作用かもね。

たしかに頭脳や組織力は優秀だけど……。

愛しい人アルフレードに及ぶものじゃないわ。

あれは愛しい人アルフレードに教えられたものよ。

どんな突出した力を持っているか……私にはわからないわ。

アルファは感情をほとんど失った代わりに、暗殺などに適した身体能力を得たでしょ。

本来ティファニーでない魂が術で転生すると、そんな副作用がでちゃうのよ。

私だってアナスタシアを経由してしまったから、副作用ありよ。

おかげで本能が抑えきれないんだもの」


「キアラのこと……。

調べてみましょうか?」


「そうね……そうして頂戴。

キアラかぁ……。

前は誰だったのかしら。

それにしても、愛しい人アルフレードの妹ってねぇ。

運命の神の悪戯かしらね。

ホント腹立たしいわ。

それとも私の決意を試しているつもりなの?。

どちらにしても上等よ。

受けて立つわ」


 アルファからの返事はない。

 クレシダも返事など期待していないようだ。

 クレシダは立ち上がって、テラスの外に唾を吐く。


 それは運命の神に喧嘩を売る宣言のようだ。

 クレシダは振り返りもせずに、部屋に戻っていった。

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