655話 閑話 親近感

 フォブス・ペルサキスとゼウクシス・ガヴラスは、屋敷の一室で酒を組み合わしている。

 フォブスはゼウクシスが、危険を冒してアルフレードに情報を伝えたことは知らされていない。

 だが、そうであろうと察していた。

 責任を追及されたとき、自分に累を及ぼさないためだろう。

 だからといってゼウクシスを犠牲に、自分が生き残りたいとは思わない。

 

「ところで……。

最近の魔王は大人しくないか?」


 ゼウクシスはグラスを口に運ぶ最中で、ピタリと動きを止める。

 そして小さくため息をついた。


 長年の付き合いから、自分の意図をフォブスが察していると思っていた。

 それでも、共犯になるとは決して言いださない。

 フォブスの沈黙は保身ではなく、ゼウクシスの決意を尊重したからだ。


 もしゼウクシスの責任が追及された場合、フォブスは決して見て見ぬフリなどしない。

 ならば意図を隠しても無意味なのでは、と思うときが有る。


 それは違う。

 伝えた場合、問答無用で共犯だ。

 ボカした場合、フォブスを説得するなり、なんらかの行動をとれる時間が有る。

 スッキリはしないが。

 ゼウクシスが漏らしたため息は、そんな思いも幾分混じっている。


「ラヴェンナ卿は余り喋りませんが、常に動いていますよ」

 

「そんな無口だったか?

たしかに政治的な話では無口な部類か。

白々しいことなら、平気で口にするけどな。

つまり今も、なにか企んでいるわけだ」


 ゼウクシスは第5襲撃の調査結果を『犯人不明』とだけ報告した。


 冒険者ギルドの回答は、要を得なかったのだ。

 どうも別方面から圧力がかかったのでは、と思えるほどの不自然な回答だった。

 だがゼウクシスに、それを問いただす力はない。


 そしてアルフレードからの返事を待っている猶予はなかった。

 やむを得ず、このような報告をしたのだ。

 フォブスは本当にそうなのか? と問うている。

 アルフレードの話題をするくらいだ。

 連絡をとった、と感づいているのだろう。

 普段ならアルフレードの話題を露骨に避けるからだ。


「ラヴェンナ卿の話は置いておきましょう。

それより変な噂が流れていることはご存じですか?」


「ん? アイオーンの子だっけ?

昔教会に、異端として消された集団の片割れとか。

そんな連中が生きていたってなぁ」


 ゼウクシスは苦笑しつつ、肩をすくめた。


「実際そうなのかわかりませんけどね。

ただ第5拠点を襲撃するような集団としてなら……考えやすいでしょう。

だからこそ急に、噂が広まっていると思いますよ。

どこからそんな噂が流れてきたのか不思議ですけど」


 ゼウクシスはそう言いつつも、噂の発信源はラヴェンナからだと察している。

 そして返事がこれだとも。


「ゼウクシスはどうなんだ?」


 ゼウクシスは真顔になって、視線をテーブルに落とす。


「正直なんとも。

ただ地下に潜っていた集団が、表にでてきた可能性は有ると思います。

調べてみたいところですが……」


 フォブスは苦笑しつつ、窓の外に視線を向けた。


「さすがにそんなのを調べられる組織は持っていないだろう。

その手の調査は、魔王の得意技だろうがな」


「その点はうらやましいですね。

できないから……と座視するわけにもいきません。

目だけは光らせておきましょう」


 フォブスはうなずいたが、すぐに渋い顔で腕組みをする。


「そういえば……。

カラヤンが戻ってきたけど、体のいい左遷を食らったなぁ。

ちょっと気の毒だよ」


「そうですね。

リカイオス卿が慰労のため、と言っていますが……」


 フォブスは軽く舌打ちをする。

 愉快に思っていないことだけは、ハッキリわかる。

 そんな表情だ。


「なにもない田舎の代官だ。

まあ……。

難癖つけられた揚げ句、粛正されるよりはマシだろう。

現状、オッサンはやりたくてもできないが」


 ゼウクシスも同感のようで、厳しい顔でかぶりをふる。


「そうですね。

それより麻薬の蔓延など問題山積。

ここで下手な粛正などしては、政治的立場を弱めるだけですからね。

それでもリカイオス卿の目は、外を向いています。

心配ですね」


「しかも蔓延しているのが、旧ドゥーカス領を中心にだ。

放置してもいいことなどない。

ただリカイオスのオッサンが、魔王に喧嘩を吹っかけた手前……。

あとには引けないのだろうさ。

成り上がりは、簡単に転げ落ちるからな」


「そうですね。

アラン王国から穀物の輸入を確保できる、と豪語した直後に内戦です。

リカイオス卿はかなり荒れた、と聞きました。

面目丸つぶれで、次に失態を犯せば失脚しかねませんね」


 フォブスは笑って頭をかく。


「そうなると、戦争を吹っかけてムリにでも勝つしかない。

今まではそれでうまくいっていた。

だが今回ばかりは勝算がないだろう。

勝算がないまま、戦争をはじめるほど耄碌していないはずだ」


「だからと黙っていても失脚しますね。

今回の失態は、それほど大きなものですから。

ただ……。

この事態を解決に動いたお方には驚きましたけど」


 国王が動いたのは、シケリア王国の歴史でも数えるほどしかない。

 それも、すべて使徒降臨前の前例にすぎない。

 だからこそ全員が驚愕きょうがくしてしまい、これを阻止できなかった。


「まったくだ

陛下には驚かされた。

考えてみれば、この事態を打開できるのは、リカイオス卿か陛下しかいないからなぁ。

それでも陛下が動くとは、誰も思っていなかった」


「ええ。

誰かの意見を代弁することは有っても、自らの意見を言わないのが慣習でしたからね。

その誰かに、まったく心当たりがない。

陛下の周囲は、リカイオス卿のシンパで固められていますからね」


 アントニス・ミツォタキスは監視されており、動きが有れば阻止される。

 それがなかったのだ。

 つまり王宮内部での意思決定。

 それでも側近はリカイオス派だらけ。

 王が独断で決めた、と専らの噂であった。


「そう。

多分最も驚いたのが、リカイオスのオッサンだと思う。

まさかラヴェンナと交易を再開させるとは思わないさ。

侍従を送るとはなぁ」


「デュカキス卿ですね。

私はお会いしたことが有りません」


「私は一度だけ会ったが……。

わからん人物だったな。

代々侍従をしている家柄らしいがな。

つかみ所がない。

妙に爽やかなんだが……」


 ゼウクシスはいつになく、人の悪い笑みを浮かべる。


「ある意味ラヴェンナ卿の相手には適切かもしれませんね」


 フォブスはひとしきり大笑いする。

 1分程度笑い転げていたが、ようやく落ち着きをとり戻した。


「たしかにそうだな。

食わせ者同士……仲良くやってくれと思うよ」


「食うと言えば……。

ペルサキスさま。

婚約してから女遊びが、ピタリと止まりましたね」


 フォブスは露骨に視線をそらす。

 シルヴァーナとの婚約以降、あれほど多かった女遊びがピタリと止まったのだ。

 ゼウクシスにとって有り難い反面、違和感が拭えなかった。


「まあ……。

一応婚約しているからな」


 ゼウクシスは確信した。

 そんな理由で踏みとどまるほど、フォブスの下半身は重たくない。


「ペルサキスさまが女性関係で、そこまで誠実だとは初耳ですよ。

ええ……本当にはじめてです。

私の知る限り、ペルサキスさまの下半身には羽が生えていますからね。

今の下半身はまるで鈍牛です。

実はペルサキスさまが亡くなっていて、影武者に入れ替わっていた……ならあり得ますけどね」


 フォブスは観念した顔で手をふる。


「わ、わかった! 白状する!

他の女を口説こうと思っても……。

あの魔王が、頭に浮かぶんだよ!

おかげで萎え萎えだ……」


 馬鹿げた理由だが、アルフレードと対面して食わせ物っぷりをたっぷりと味あわされた。

 だからこそ納得できる。


「その点では、ラヴェンナ卿に感謝しないといけませんね。

私がいくら口を酸っぱくして説教をしても……。

その場でしか反省されませんでしたからね」


 フォブスは劣勢を感じつつ、なにか言い返さずにはいられなかった。


「いっそお前も、ラヴェンナの女と結婚しろ。

そうすれば、私の悩みがよくわかる。

旅は道連れ、というではないか。

共に魔王の影に震えようじゃないか」


 ゼウクシスは口と目だけ笑いながら、残念そうな顔をする。

 実に白々しい表情であった。


「誠に残念ですが……。

それでは友好の象徴としての婚姻。

その意味が変わってしまいます。

『ペルサキスさまが、ラヴェンナに取り込まれている』と邪推までされますよ。

いやぁ……本当に残念ですね」


「ゼウクシス……。

お前……性格悪くなったな」


                  ◆◇◆◇◆


 シケリア王宮。

 国王のプライベートルームで、国王ヘラニコスと末娘ディミトゥラ、侍従のヴァイロン・デュカキスが対面している。


 ヘラニコスはいつもは、温和なほほ笑みを絶やさない。

 今もほほ笑んでいるが、笑いの質が少し違うようだ。


「デュカキス卿。

外交使節の任、大義であった。

本来侍従である卿を外交使節にするなど、いささか礼を失した行為ではあったが……」


 侍従の仕事は、国王の近辺にはべることであり、外交使節などしない。

 だが多くのものがリカイオス派で占められており、国王ヘラニコスが直接使える人物は限られている。

 当然ながら侍従長もリカイオス派。

 ヘラニコスが最も信頼しているのは、このヴァイロンであった。

 ヴァイロンは、爽やかな笑みを浮かべたまま一礼する。


「そのような温かいお言葉を賜り、光栄の至りに御座います」


「それでラヴェンナ卿だ。

直接会ってみて……卿はどう見たかね」


「大変興味深いお方、と拝察いたします」


 ヘラニコスは、楽しそうに含み笑いを浮かべる。


「大変興味深いか。

どのような点がだね」


「業績に不釣り合いなほど謙虚です。

そして大変合理的な方で、頭脳明晰めいせきでした。

それだけ優秀なのに……自分ひとりで、すべてをやろうとしません。

なまじ優秀な人は、部下に大事な仕事を任せきるなどできませんから。

ラヴェンナ卿は、部下に大幅な権限を委譲し、余計な口出しをしません。

ここまでなら珍しいですが、一応は存在するでしょう。

ところが……。

部下が仮に失敗しても……部下が被るべき泥を、自身が被る。

このような統治者など、寡聞にして見たことがありません」


「たしかに興味深いな。

ディミトゥラはどう思うかな」


 ディミトゥラは18歳。

 美しいプラチナブロンドに透き通るような青い瞳。

 可憐な王女そのものである。

 ディミトゥラは扇子に口を当てて、優雅にほほ笑む。

 年の割にとても落ち着いた物腰であった。


「とても傑出したお方のようですわ。

真に誇り高いお方なのでしょう。

それだけでなく……。

周囲も優秀なのでしょう?」


 ヴァイロンは真顔になってうなずく。


「はい。

幾人かとお話ししましたが……。

皆さんとても優秀でした。

数年前まで辺境にいて、ろくに文字も書けなかった人たちとは思えません」


 ディミトラは意味ありげなほほ笑みを浮かべる。


「全員をラヴェンナ卿が育てたわけではないでしょう。

ラヴェンナ開発初期の側近たちは、とても優秀だと思いますわ。

彼らも部下の教育を担ったでしょう。

そうですね……。

妹のキアラ嬢なんてどうかしら?」


「大変お美しいだけでなく、極めて聡明そうめいなご令嬢でしたな。

王女殿下と対等に話せるほどの知性をお持ちかと。

興味がおありでしょうか?」


 ディミトラは、ニッコリと笑う。

 ほほ笑むことは有っても、ニッコリ笑うことは珍しい。


「ええ。

できればお友達になりたいとも思っていますの。

飼っている猫の名前が同じなんて……とっても親近感が湧きますわ。

その切っ掛けとして、今回の交易を陛下にお願いしたのですから」


 ディミトラは王女であり、めったに王宮の外にでない。

 基本我が儘など言わず、逆にヘラニコスが心配するほどだ。

 上の兄姉は我が儘をいうだけに……。

 とても目立つのである。

 そんなディミトラの数少ない我が儘が『猫を飼いたい』であった。

 それも王族が飼うような奇麗な猫でなく、野良猫がいいと。

 

 仕方なく認めたが、今度は自分で探すと言いだす始末。

 お忍びの格好をさせ、護衛をつけての外出を許可したが……。

 あろうことか下町まで入っていき、カラスに襲われていた子猫を助けたのである。


 その子猫はかなり傷つけられたせいか、今でも多少足が不自由だ。

 普通の令嬢なら捨ててしまうのだが……。

 ディミトゥラは子猫を『エテルニタ』と名付け、大事に育てている。

 自分のベッドで一緒に寝るほどであった。

 このことは限られたものしか知らない。


 世間など知らないはずだが、妙に民の生活に詳しい。

 だが出しゃばることがないため、そのことを知るもの自体少ない。

 

 上流階級ではクレシダと正反対とまで噂されていた。

 一部男性たちには、熱狂的に崇拝されている。

 クリスティアス・リカイオスも当然その中のひとりであった。


 そんなディミトゥラを、国王ヘラニコスは溺愛している。


「驚いたがな。

リカイオス卿が挽回の手を打てないのであれば、余が手を打つほか有るまい。

そんなときに、ディミトゥラが献策してくれたからな。

昔から年に似合わず聡明そうめいだ。

余のひそかな自慢でもある。

若き才女は、ラヴェンナ卿の近く以外にもいるわけだ」


 ヴァイロンは、愛想のいい笑みを崩さずにうなずく。


「御意に御座いますな。

実に奥ゆかしい王女殿下であらせられますゆえ……。

知られていないのが残念ではあります。

ともかく……。

ラヴェンナ卿から可能であれば、調印をしたいと求められています。

するしないに関わらずもう一度赴きますので、その際にお願いをしましょう」


 ディミトゥラは悪戯っぽい笑みを浮かべる。

 人前ではめったに見せないものだ。

 

 そのような姿をヴァイロンの前で見せるのは、ディミトゥラの侍女がヴァイロンの娘であるからだ。

 と言っても正式な子ではなく愛人の子。

 愛人の身分がとても低いため、母子ともに貴族として認められていない。

 それでも不自由なく生活できている。

 愛人にも気配りをかかさないヴァイロンと娘の関係も悪くない。


 ディミトラの侍女に推薦してくれたことを娘は感謝している。

 優しく控えめなディミトラの侍女は、多くの女性が夢見る職業でもあった。


 王家が使用人を雇うときに、神経を尖らせるのが出自である。

 その点では歴代の侍従の庶子は、安心して受け入れられる人材であった。

 そしてディミトゥラと侍女は主従というより仲のいい姉妹に見える。

 なのでディミトゥラとヴァイロンの関係は、叔父と姪のようなものであった。

 

「ええ。

よろしくお願いするわね。

そのとき、リカイオス卿のことを聞かれると思うから……」


 最近はこの3名で、シケリア王国の方針を相談し合うことが増えている。

 いくらディミトゥラが聡明そうめいでも、経験の不足は隠しようがない。

 ヴァイロンと相談することで、それを補えるのだ。

 娘である侍女に大変よくしてくれているので、ヴァイロンは個人的にもディミトゥラに好感を持っており、協力を惜しまない。


 なにより今のリカイオス卿に国のかじ取りを任せていては、シケリア王国が彼の投機的野心のツケを払わされるからだ。

 ヴァイロンは『わかっております』という顔で一礼する。


「無論承知しております。

ご安心ください」

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