654話 クレシダの狙い

 オフェリーが教師の仕事を終えて、執務室に戻ってきた。

 せっかくなのでキアラに、お茶をいれてもらう。

 一息ついたところで、オフェリーにも報告書を見せて、現状の説明をする。

 読み終えたオフェリーの顔色は優れない。

 ユートピアでも麻薬が蔓延している、と知ってしまったからな。


 ミルも復活したようだし再開するか。


「麻薬について考えましょうか。

ヴァロー商会が麻薬を流通させるとしたら、どんな動機が考えられるでしょうか?」


「うーん。

簡単なのは金欲しさ?」


 キアラは渋い顔で、ティーカップを指ではじく。


「あとはトマの責任を追及して引きずり下ろす。

そんなケースも考えられますわね。

つまりヴァロー商会内での権力闘争ですわ。

まだロマンは、落ち目になっていませんから」


 オフェリーはティーカップを、難しい顔でのぞき込んでいた。


「アイオーンの子が、ヴァロー商会に潜り込んでいたら、クレシダの命令に従った可能性もあると思います」


 どれも、妥当なところだな。

 俺はお茶を一口飲んでうなずく。


「そんなところでしょうね。

どれもしっかりした根拠があります」


 ミルは少し上目遣いになる。

 日々、俺の注意をひく技術は進歩しているのだが……。

 嬉しいやら、他のことを進歩させてくれ、と思うやら複雑である。


「アルはどう思っているの?」


 直球で答えてもいいが……。

 俺の推測が正しいか自信がない。

 前提から話して、確認をとるのがいいだろうな。


「目的が異なる相手を動かすには、相手の欲望を達成するように動かすのが、最も確実でしょう」


 ミルはあっさりすぎるほど簡単にうなずいた。


「回答の前置きね。

でもそれなら動かす必要はないと思うわよ?」


 すぐに俺の考えを読み取ってくれるのは助かるな。

 困るときもあるけど……。

 こんなときだけ見抜いてくれと思うのは、都合が良すぎるだろう。


「ヴァロー商会が欲しいのは金です。

権力も金を生む道具ですから。

統治にかかるコストはロマン王にやらせて、金が欲しいといったところでしょうか」


「名誉欲とかないの?」


 ミルは統治に関わって見識が広くなっている。

 名誉という虚栄心を無視するのは得策でない、と理解しているだろう。

 当然の疑問だな。


「それはある程度稼いだあとですね。

大きな利益が欲しいなら、経済界や政界をうまく泳がなくてはなりません。

利権の広さだけでなく、規制を決める手段にも通じていますからね。

そのために仲間入りしたいと、普通は考えるでしょう。

その世界では、誰しも備える虚栄心が一つの価値観となります。

見栄を張ってでも立派な人と思われ、尊敬を受けることが大事となるでしょう。

そうでなくては相手にされません。

逆にとても立派な人物だ、と評判を得れば……勧誘すらされるでしょうね」


「表向きだけでも、よく思われることが大事なのね。

エルフの正しさにこだわるのと、ちょっと違うけど……。

表面上は似ているものね。

義母さんたちと話がしやすかったのは、そのおかげかな?」

 

 それはあるだろうな。

 初対面で話が通じて、自分たちの慣習を必死に学ぼうとしている姿を見れば……。

 普通なら好意的になるものだ。


「エルフは個人の信条としてでしょう。

人間は社会的な生き物として、評判を気にするものです。

本音がどうあれ、建前が大事なのですからね。

建前だからこそ、あからさまに踏みにじれません。

裏道を探すことは熱心ですけどね」


「そうね。

そこが違う点だと思うわ。

エルフは本音と建前が一緒になるけど……。

人間は違っていたもの」


「そんなものは非効率的と無視し、本音の利益だけを追求すると……。

異端とみなされ、排除されるでしょう。

あるルールに従うことが、安心感につながりますから。

それはラヴェンナも一緒です。

ラヴェンナの法に従わない人の居場所はありません」


 ミルは納得顔でうなずいた。


「そう考えたら、そんな集団の違いは基準となるルールだけなのね」


「さすがです。

見事に物事の核心をつきましたね」


 これは偽らざる感想だ。


「伊達にアルの妻じゃないわよ」


 ミルは満面の笑みで胸を張った。

 キアラは舌打ち。

 オフェリーは無表情。

 また競争がはじまってしまう。


「話を戻します。

ヴァロー商会はまだ、経済界や政界での足場がほとんどありません。

それでも、まず利益を求めます。

『衣食足りて礼節を知る』ですよ。

まだ衣食が足りないので、評判という礼節など考えられません。

そもそもフロケ商会だって、最初は利益最優先でしたよね。

いまや大きくなりました。

最近になって経済界での影響力を考え、名声を求めはじめたくらいです」


「お金が欲しいのはわかったわ。

お金のためならなんでもやるのが、モラルがないってことかしら?」


 誰だって最初から、危ない橋を渡りたくない。

 それでも渡る橋の選択をするとき、モラルが関わってくる。

 モラルがあるなら……渡ったあとも安全な橋を探す。

 モラルがなければ、とにかく最短で渡れる橋に飛びつく。

 あとのことを考えない。


 現実であれば、目に見えるからそうそう間違わないだろう。

 見えないものを判断するのはとても難しいのだ。


 ヴァロー商会は、渡らざる得ない状況に追い込まれたと思う。

 まともな商売では、ロマンの浪費に追いつかないのだ。

 そもそもモラルがあれば、ロマンから距離を置くだろう。

 だから同情の余地などない。


「ここでロマン王と関わったことが問題になります。

ロマン王は浪費ばかりで、ヴァロー商会への上納金の要求は釣り上がるばかりでしょう。

だからと……ギブアップして離れられません。

投資した膨大な資金を回収できていませんからね。

悪評も高まるばかり。

撤退してもいいことなどない。

いま世界中で最も切実に、金を欲しているのはヴァロー商会でしょう」


 それでも拙速で撤退すべきなのだが……。

 それを決断できる人間はいないだろう。

 突然ミルが目を輝かせる。


「金を生むための麻薬ってわけね。

じゃあ動機はお金?」


「そうだと思います」


 ミルは嬉しそうに笑った。


「やった! 正妻の権威を守れたわ!」


 キアラは大きな舌打ちをした。

 オフェリーはテーブルに『のの字』を書きはじめる。


「そんなことで競争しなくても……。

ともかくヴァロー商会が主体にならなくては蔓延しません。

他が麻薬の流通を企図すれば、確実に潰されますから」


 突然オフェリーは遠慮がちに手を挙げる。


「あのぉ……。

お金と麻薬って、そんなに関係が強いのですか?」


 あまり実感がないか。


「麻薬を買うためなら、人殺しだってしますよ。

理性を吹き飛ばすのが麻薬なのです。

さらにアラン王国は、麻薬の広がる土壌として適切なのですよ。

いままでは使徒と教会が押さえ込んでいたのでしょう」


「アラン王国で広がるのはどうしてですか?」


 突然キアラが、身を乗り出した。

 俺たちの中で麻薬関係の知識が最も深い。

 ミルに対応意識を燃やしている……。


「私が答えますわ。

それはアラン王国が文化芸術の国だからですの。

マンネリ化を打破したいときに、効果が得られることもあるそうです。

神経が研ぎ澄まされ、幻が見えるそうですわ。

その結果として、想像もつかない作品が生まれることもありますから。

あとは単に頑張っても、文化芸術は成果が得られませんもの。

プレッシャーから逃げるとき、麻薬はとっても魅力的ですわ。

そして最後……美形ぞろいで、肉欲の国でもありますの。

麻薬で恍惚状態になって、男女が交わると抜け出せないほどの快感が得られますわ」


 ぶっちゃけすぎだが、間違ってはいない。

 オフェリーは妙に感心した顔でうなずいている。


「上流階級で流行することが大事なのですね」


 キアラは教師然とした顔でチッチッと指を振った。


「ちょっと違いますわ

国全体がそんな基準なので、国中に蔓延してしまいますの。

アラン王国は麻薬に弱い国なのですわ」


「そんな国に住んでいたなんて、まるで想像もつきませんでした……。

体を蝕んでしまうから、治癒がとても難しい。

それが麻薬中毒ですね。

私は治療した経験がありませんけど……。

そう教わりました」


 キアラが俺に目で合図をしてきた。

 説明終わりだな。

 オフェリーは麻薬がもたらす個人的影響なら知っているようだ。

 国に及ぼす影響を説明しておくか。


「一度使うとあとはズルズルと、底なし沼に引きずり込まれます。

金を稼ぐなら、かなり効率がいいかもしれませんね。

ただし国はそれを許しません。

国が明確に禁止しているのは、理由があります。

歯止めが利かず、民を損なうだけ。

一部が利益を得るだけで、そのツケは国が払うことになる。

税収が落ちて治安も下がります。

結果的に人口も減る。

悪いこと尽くしですよ。

それでも得られる利益が莫大なので、厳しい罰則と使徒の正義で抑制しているのです。

ハイリスク・ハイリータンの商売ですからね」


 キアラはお茶を一口飲んでから、冷笑を浮かべる。


「その割に、撲滅に熱心だったのは……。

第4までだったと思いますけど」


「第5は見たくも聞きたくもなかったのかもしれませんね。

本心はわかりませんが。

第6は取り締まったと思います。

私たちの世代で蔓延していませんでしたからね。

話がそれました。

ロマン王を満足させつつ、ヴァロー商会が利益を上げる手段として、麻薬売買に手を染める。

ただし商会は製法を知りません。

そこに持ち込む者がいたら? 肥料で信頼されたあとなら容易いでしょう」


 ミルが小さくため息をつく。

 つながりが見えてきたのだろう。


「それがアイオーンの子なのね」


「ええ。

第5のときも暗躍していたようです。

お手の物なのでしょう。

ただ大量に生産するほどの力はない。

どこかの組織を使う必要があるのでしょう。

第5のときもそうでしたからね。

なのでヴァロー商会に、製法を教えたと思います。

ヴァロー商会は初動のみ、製造と流通を担当したと見るべきでしょう」


 キアラは不思議そうに首をかしげる。

 なにか変な説明をしたかな。


「初動ですの?」


 ああ。

 そこの部分か……。


「ええ。

尻に火がつく前に、トカゲの尻尾をつくるのです。

自分たちは無関係と言えるようにね」


「そんな程度で騙されますの?

尻尾が見つかれば、本体なんて簡単に推測できると思いますわ」


 その疑問は正しい。

 相手が普通ならね。


「ロマン王ではなくクララック氏が、情報をすべて握ります。

詐欺師の親玉が、詐欺師の摘発をするのですよ?」


 ミルは引きった笑いを浮かべる。

 酷い話だからなぁ。


「さ……最悪ね。

でも、使徒が騙されるのかしら?」


 あまり口にはしたくないが……。

 ロマン王が王位継承者だと知っていたら、あんなことはしなかったのだがなぁ。

 嘆いても仕方ないか。


「そこでまあ……。

アクイタニア嬢がでてくるのです。

ロマン王以外が即位しては、目標に届かない。

なので必死にもみ消すでしょうね」


 キアラはジト目で俺を睨む。

 前にも苦言を呈されたからなぁ。


「お兄さまの甘さが招いたことですわね。

もう言いませんけど」


 しつこく言われても反論できない。

 ここで、手打ちにしてくれたのは有り難いよ……。


「そうしてもらえると助かります。

ともかく……。

またたく間にアラン王国内に、生産体制が広がるでしょうね」


「それって見つかりやすくなりませんこと?」


 多分、簡単に見つかると思う。

 それだけ、急激に広がると思っているからな。


「でしょうね。

でも摘発されるマイナスより、生産拠点のプラスのほうが多いでしょう。

もしくは取り締まる側を、共犯にするかもしれません。

賄賂で取り込まれる役人は多いと思いますよ。

本来なら買収不可能な騎士が取り締まります。

ですがアラン王国は違う。

そんな地道な仕事は冒険者にさせると思いますが……。

そもそもアラン王国内で、冒険者は汚れ仕事を押しつけられているのです。

よほど正義感に駆られないと、なあなあで済ませるかもしれません。

ギルドの支部だって結託しかねませんよ」


 ミルは疑問があるようで、少し考えて首をかしげた。


「そうなるとロマンの領地だけ荒廃するのかしら?」


 そうはならないんだよ。

 取り締まる力がなければ、どこまでも広がる。


「勢力圏や国境など欲望の前では無関係。

アラン王国を中心にかなり広がりますよ」


「麻薬の蔓延って、ヴァロー商会をたたけば解決できるのかしら?」


 俺は苦笑して首を振る。

 そう話は単純でないからだ。


「いえ。

ここからがクレシダ嬢の狙う本番です。

おそらく製造原価が安くて、強烈な麻薬なのでしょう。

最低でも第5時代のノウハウが残っているはずですからね。

蔓延すると、麻薬を売りたがる競合がでてきます。

そんな競合すべてに製法を流すのですよ。

あとは欲に駆られた連中が、せっせと世界中に麻薬を広めてくれます。

内乱直後か内乱中の国で、それを抑えることは……ほぼ不可能です」


 オフェリーはため息をつくが、すぐに首を振った。


「そんな蔓延は、あの人が黙っていないのでは?」


 オフェリーは使徒のことを『あの人』呼びで一貫している。

 いろいろと思うところがあるのだろう。


「使徒は大きい虫ならたたきますが、散らばった虫なんてたたきませんよ。

散らばった虫は、国でなんとかしろと。

これは正しい見解ですね。

そんな治安維持まで使徒に頼ったら、使徒を国王にしないといけません。

既存の国王などいても無意味ってことですからね。

現実問題として……動けないのことが大きいでしょうが。

それより足元のユートピアで、麻薬が広がっています。

足元の火を消すだけで手一杯でしょう」


 マリー=アンジュが主導権を奪われている。

 つまり、カールラのさじ加減で決まるわけだが……。

 足元の火をどこまで本気で消すのか。

 なにかに利用しようとする可能性が高いだろうな。

 たとえば俺を犯人としてでっちあげるとか……。


 オフェリーは納得していないようで、首をかしげている。


「あの人のお膝元で、そんなことが可能なのでしょうか?」


 普通なら有り得ない話だな。

 ただ……いまは条件が整っている。


「そうですねぇ……。

そもそも彼らのつくる統治機構が、人口の流入に対応できていません。

中間管理職も育っていない。

使徒ハーレムの面々が、マンパワーで解決しているようなものです。 

幸か不幸か使徒米の話で、人口流入が減少しましたけどね。

私がクレシダ嬢なら、昨今の不安に便乗します」


「不安って使徒米の話でしょうか?」


 不安になると安心を望むのは当然の心理だ。

 そしてそんなときこそ、胡散臭い話に引っかかる人が増えてしまう。

 いまはすべての基準が崩壊しかかっている。

 余計に目の前の希望にすがってしまうだろうな。


「ええ。

使徒米の症状に効果がある薬と偽って与えれば、簡単に食いつきますよ。

少なくとも一時的ですが、元気にはなりますから。

ある程度摂取したときには、もう立派な中毒患者です」


 ミルは眉をひそめている。

 使徒は大嫌いだが、周囲の人々に罪はないからな。

 単純にザマアと思えないのだろう。


「たしかに使徒は、対処で手一杯だわ。

昔ならまとめて治癒できたけど、いまはムリなのよね。

それでクレシダは、なにを狙うの?」


「利益を巡って、麻薬製造業者同士の抗争がはじまります。

ヴァロー商会だって黙っていないでしょう。

そこにチェルノーゼムを破壊する肥料。

どうなりますか?」


 ミルは天を仰いで、大きく息を吐き出す。


「戦争というより、無秩序な世界がやってきそうね……」


「第5拠点の襲撃で、不安を世界中にばら撒く。

そして麻薬と食糧不足のダブルパンチ。

トドメはユートピアでさえ麻薬が蔓延する。

いままでの常識がすべて崩壊します。

アラン王国はとくに酷いと思いますよ。

こうなったら動けなくなるまで、血を流し続けるでしょう。

アラン王国だけでの閉じた話にならないでしょう。

かくして世界は、徹底的に荒廃するわけです。

そうなると理性など邪魔でしかない世界が訪れるわけです」


 幸いランゴバルド王国は新しい体制になっている。

 常識の崩壊によるダメージは少ないだろう。

 皮肉なことに、特殊と位置づけたラヴェンナが、一つの拠り所になるわけだ。


「クレシダがアルほど賢くないと祈りたいわ」


 それならどれだけ楽だろうか。

 俺はすでにズルができなくなって、全盛期は終わっている。


「それはないでしょう。

むしろクレシダ嬢のほうが賢い可能性は高いと思います」


 キアラは少し憮然とした顔をする。

 昔なら即座に否定したものだが……。

 クレシダの能力を測りかねているようだ。


「お兄さまが知恵比べで負けるなんて、にわかに信じがたいですわ」


「見なければ現実が変わるわけではありませんからね。

とはいえ、常に強い者が勝つわけではありません。

頭も同じですよ」


「勝算はありますの?」


「一応はですけどね。

どちらにしても、次のアクションを見定めてからです」

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