653話 文化の発展
今日の閣議は平和そのもの。
皆の報告を聞きながら、ベンジャミンから聞いたヨーセーフのことが、少し気になった。
なぜかと言えば、プリュタニスにどことなくイメージがかぶる。
亡命と投降の違いはあるが、裏切ったことには違いない。
プリュタニスも、年相応の感情を見せることもあるが、基本的にさめている。
プリュタニスの真意は……早く戦争を終わらせて、民を救うためだった。
ヨーセーフの真意は……自己保身と言い切れるのだろうか。
歴史書を記したことも共通している。
プリュタニスは指示し書かせた。
ヨーセーフは自分で書いたという違いはあるがな。
プリュタニスは俺に言われて、先祖の歴史を残すため。
ヨーセーフは自主的に自己弁護を選んだ。
この奇妙な対比は偶然なのか……必然なのか。
だが……。
少なくとも1500年前までは、それができるほど健全であったというべきだろう。
突然、腕に手の感触が。
ミルだった。
「アル。
どうしたの? プリュタニスをぼんやり見て」
「ああ。
ちょっと考え事です」
突然、商務大臣パヴラはイカ耳になって、目を輝かせる。
「こ……これは。
アル×プリュのシチュエーションですか!」
珍しいな。
生真面目なパヴラが意味不明なことを言い出すのは。
ただ不穏な雰囲気が漂っている。
「意味がわかりません」
パヴラは立ち上がる。
耳だけでなく尻尾まで立てている。
珍しく興奮しているなぁ。
「ひそかに淑女たちの間で流行っています。
男性同士のカップルを妄想した淑女の夢ですよ!」
おい……。
俺にそんな趣味はないぞ。
退屈そうに話を聞いていたシルヴァーナが、白い目で俺を睨む。
「アル。
ミルたちだけに飽き足らず今度は、男まで?
性欲の垣根ってないの?」
「妄想だと言っているじゃないですか」
プリュタニスが憮然とした顔になった。
これがイポリートだったらややこやしいことになる。
「そうですよ。
私だってアルフレードさまと、そんな関係になりたくありません。
言っておきますが私は、同性愛に興味はありませんからね」
そもそもとしてだ。
そんな、とっぴな話はどこから出てきた。
少なくとも……生きるか死ぬかの辺境で、そんな趣味は流行らない。
「そんな話はどこから流れてきたのですか」
パヴラは頰を指でかきながら、記憶を探るような表情になった。
「私がフロケ商会の手伝いをしていたときの話ですけど……。
ひそかなブームだと、お得意さんのご令嬢から教えてもらいました。
第5使徒が持ち込んだって話です。
801騎士団と関係があるとかないとか……。
そして第6使徒が、そんな人たちを発展家と呼んだらしいですよ。
愛を語る紳士たちの聖域はハッテン場と呼ぶそうです。
残念ながらラヴェンナにはありませんが……」
目眩がしてきた。
思わず頭を抱えてしまう。
そんな文化の発展はいらんつーの。
「つまりイポリート師範のような人のことですか……」
「ちょっと違いますね。
イポリート先生は、体がたくましすぎます。
厳密な体格規制があるんです!」
パヴラはなぜか、偉そうに胸を張った。
ちなみに皆ドン引きしている。
気がつかないのはパヴラだけだ。
生き甲斐を見つけたのはいいけどさ……。
亡き夫と子供が、あの世で泣くぞ。
まさかラヴェンナの名物が、筋肉と同性愛にならんよな。
「そうですか……」
ドン引きせずに、のほほんとした顔で聞いていたシルヴァーナが、口を
「そんなことはいいけどさ。
アタシの結婚どうなっているのよ!」
本人の意思を最優先したいと思っている。
だが急ごうとしても急げない。
「保留中です。
シルヴァーナさんが不服なら解消しますよ」
シルヴァーナは腕組みをしながら考え込む。
1分悩んで、俺にビシっと指をつきつける。
さわらぬシルヴァーナにたたりなし。
考え込んでいるシルヴァーナを
「若い女の時間は貴重なんだけどさ……。
2年程度で解決してよね!
アルなら……なんとかするっしょ。
じゃないと、ふたり乗りトロッコでプリュタニスと爆走して、アッーんなことをしていた、とか広めるからね!」
「私に言わないでください……」
プリュタニスは憮然とした顔で、シルヴァーナを睨む。
「どうして私に飛び火するのですか!
そんなデリカシーのないことをいうから、シルヴァーナさんは喪女王なんですよ!」
予想外の反撃に、シルヴァーナの頰が引き
ちょっと懐かしい。
先生とシルヴァーナの喧嘩が始まる光景を思い出してしまう。
「な、なんて失礼なヤツなの!
も……元をつけなさいよ! 今はイケメンゲットしているんだからね!
後見人に似て無礼に……!!」
シルヴァーナはビクっとする。
シルヴァーナの視線の先には……。
キアラだった。
静かにほほ笑んでいるが、いつの間にか右手に抜き身のナイフを持っている。
「シルヴァーナさん。
お静かに。
お兄さまのことで、根も葉もない噂を広めるなど感心できませんわ。
次は殺気ですみませんよ」
言い終わると、右手でナイフを投げた。
シルヴァーナは反射的に机の下に避難する。
さすがの反射神経だ。
だがナイフは飛ばなかった。
いつの間にかキアラの左手に移動している。
フェイントか。
ほんと器用だな。
まったく見えなかったよ。
シーンと静まりかえった会議上で、シルヴァーナが恐る恐る机から顔をだす。
ナイフが壁に刺さる音がしなかったから、不思議に思ったのだろう。
「わ、わかったから! その殺気を引っ込めてよ!」
喪女という自覚はあったのか……。
キアラはナイフをしまうと、会議上にホッとした空気が流れる。
気まずい雰囲気を察したのか、突然アーデルヘイトが、元気よく挙手した。
「旦那さま。
トロッコで思い出しました。
5周年のお祭りが近いですね!」
この雰囲気を変えてくれたのはありがたいが……。
「トロッコがなぜ関係するのですか?」
「去年は一般開放だけでしたけどね。
自走トロッコレースを今年から開催するのです!
誰が優勝するかで……かなーり盛り上がっています。
今回は凄腕の新人が、優勝候補の筆頭ですよ」
レースは今年からだろ。
全員新人だろうに……。
「凄腕の新人? みんな新人だと思いますよ」
アーデルヘイトはなぜか胸を張る。
「今年からトロッコに乗りはじめたオディロンさんです。
今一番勢いのあるレーサーですよ~。
あとは謝肉祭も、年々パワーアップしています。
今年の筋肉踊り隊は、人数が増えてすごいことになりそうです。
ルイさんが張り切っていましたから」
なんでレースに夢中になるのだ。
ルイのことといい……。
なんだか、目眩がしてきた。
「まあ、ほどほどに……」
ミルが俺の肩に手をおいた。
「アル。
皆祭りをとても楽しみにしているのよ。
ほどほどより……少し大目に見てあげて。
ただでさえラヴェンナは、世界一政務が厳しいところよ。
ストレス発散は大事なの」
このカオスとなった会議ですらマイペースのチャールズが、皮肉な笑みを浮かべた。
「実情を知らない外部からは、『祭りばかりに夢中になる、暢気な領民』と思われていますがね」
結束を高めるのに有効だから認めているんだよ。
ストレス発散かぁ。
そうミルに言われては仕方ない。
「わかりました。
そのあたりは警察大臣と法務大臣で、いい案配にしてください……」
エイブラハムとトウコは苦笑しただけだった。
◆◇◆◇◆
図書館長のティトから、アイオーンの子の部分翻訳が最優先なので、途中まで翻訳した古文書の内容が送られてきた。
やはり最初の血の神子は、別の場所につくられたのか。
その場所がパリエース地方らしい。
シルヴァーナが鼻息を荒くして、ダンジョンを探すと言い張ったが……。
当然許可しなかった。
正確には、シルヴァーナが参加することを。
婚約が破棄されていないとは、シルヴァーナを健康な状態で嫁にだす必要がある。
少しでも、危険がある仕事など任せられない。
シルヴァーナはブツブツ言っていたが、ミルに睨まれて大人しくなった。
初代血の神子は自然消滅したらしいので、そんなダンジョンが残っているかもあやしい。
だが調べてみる価値はある。
パリエース地方は元の住民感情も考慮して、急速な開発を進めていない。
徐々に利便性向上の要望があがってきているので、対応をはじめている。
そんな意味でパリエース地方の魔物分布確認や、ダンジョンの調査などは有益だろう。
それ以外の解読結果は、古代人が地下にこもっていて、どうやって食糧を確保していたのか。
その謎に答えている。
あのシルヴァーナ・ダンジョンに発生する、特殊な魔物は元々食用だったらしい。
魔物を食べるのは難しいはずだが……。
さすがにそこまで解読は進んでいない。
他にも興味深い話はあったが……。
解読結果の精査は、執務室に真顔でやってきたキアラに中断される。
その口からでたのは、はるかに優先度の高い情報。
「麻薬の蔓延ですか?」
「ラヴェンナとスカラ家ではありません。
いくつかの地域で、麻薬が蔓延しているようですの。
詳しくはこちらに」
報告書を受け取って一読する。
「見事にシケリア王国、アラン王国との国境沿いですか。
あげくに使徒街道、ユートピアと。
おそらくモロー殿からも、知らせが届くと思います。
そして国境沿いだけではないでしょう。
他の地域からの情報が入ってきていないだけでしょうね」
ミルはハッと息をのむ。
「もしかしてクレシダが?」
「そう見るべきでしょう。
やっぱりこの手を使ってきましたか……」
これでわかったことは、アイオーンの子の組織規模はそれなりに大きいこと。
今までは、規模がわからなかった。
これである程度推測できる。
「この手って? 麻薬のこと?」
麻薬の使用を予想していたわけじゃない。
別のアプローチを用意していることだ。
「戦争をはじめたければ……仕掛けさせてもいいのです。
現時点では、そっちのほうが楽かも知れません。
その手段は、いくつでもあります。
数ある選択肢から、今回は麻薬を選んだのでしょう。
もし麻薬が、アラン王国から流れてきたらどうします?」
「責任を追及せざる得ないわね」
キアラは皮肉な笑みを浮かべて、肩をすくめる。
「ロマンの性格を考えると、自分が被害者だと言い張ると思います。
あげく逆ギレまでしかねませんわ」
偏見とは……普通なら極端に偏らない人間を、極端に判断することだ。
では有り得ないほど偏った人間を、常人のように見るのはどうなのだろう。
これも偏見だろうな。
ロマンのような有り得ないほどバランスのない人間を……偏った見方で判断するのはどうなのだろう。
思わず言葉遊びをしそうになった。
「そうなるでしょうね。
使徒との関係がある以上、自分たちは被害者だと主張すると思います。
そして一向に調査などしないでしょう。
もしくは無実の人を、犯人に仕立て上げるかもしれません。
結果、麻薬の流入は止まらない。
もう一度追求しますか?」
ミルがため息をついて頭を振る。
「そんなことをしていたら、弱腰すぎて非難が相次ぐわね」
「つまり、解決を目指す必要があります。
アラン王国を討伐せざる得ないでしょう」
ミルはうなずくが、すぐに首をかしげた。
「シケリア王国はどう動くのかしら」
優先度は遠くのロマンより、近くのリカイオスのほうが高いからな。
「世界の注意がアラン王国に向いているところで、こちらに攻撃を仕掛けますかね。
負けたらリカイオス卿の破滅確定の博打ですが……。
麻薬の蔓延によって、なにをしなくても破滅します。
それに戦争に勝ってさえしまえば、私を主犯にでっち上げて万事解決でしょう。
勝利はあらゆる問題を押し流せますから」
ミルはあきれ顔で首を振った。
常識的に考えれば有り得ないからな。
「それってムリがない?」
「小さい成果がほしいなら、小さな勝利。
ムリを通したければ、途方もない勝利が必要ですね。
つまりは世界征服すれば、そんなムリでも通せます」
ミルは嫌そうな顔になる。
理論的に理解はできたようだ。
あくまで理論的にはだが。
「あまりに現実味がなくて、そんなことするとは思えないわね」
「それが正しい判断です。
できるかもしれない、と思っている人にとってはどうでしょうね。
ほんの一瞬でも気の迷いを揺らせば、『できるかも』から『やるんだ』に変えることも可能です。
リカイオス卿の性格を、クレシダ嬢は熟知しています。
勝算があるのでしょう」
キアラはクスリと笑った。
クレシダにはとくに思い入れがないのか、それともそんな感情を見せないだけなのか。
キアラが俺に言わないのであれば、あえて問いただすこともない。
「普通の勝算は勝つことですけどね。
クレシダにとっては戦争が始まれば勝ちなのですね」
「普通の人は、想像もできないでしょう。
だからこそ真意を見誤って、同じ目的で動いている、と勘違いするのかも知れません。
それにしても……。
確かアイオーンの子は、麻薬の製造にも
製造はそこだとしても……。
なんの根拠もありませんが、もし麻薬の流通にヴァロー商会が関わっていたとしたら?
これだけ短期間で広まるなら、相応の販路が必要でしょう」
ミルは驚いた顔で口に手を当てる。
「ロマンとクレシダがつながっているの?」
それはないと確信している。
なんの根拠もないけど。
「クレシダ嬢なら
関わることすら嫌がると思いますね」
「アルはクレシダのことわかるの?」
手紙を読んで、俺を同類と見ていることは伝わる。
その理論で考えてみただけだ。
実際のところ、会ったこともないので、断言はできない。
「もし彼女の言葉どおり私と共通点が多いなら……ですけどね。
ノーリスク・ハイリターンを望む人は嫌いだと思いますよ。
大事なのは現実として麻薬が蔓延している事実です。
つまり売り手の存在がある。
該当するのは……。
モラルが低く、権力者の後ろ盾がある存在。
つまりヴァロー商会以外ないのですよね」
ミルは眉をひそめて、首をかしげる。
今一納得できないかな。
「つまりロマンを経由せずに、トマを使ったってこと?」
「クララック氏も同様に嫌悪していると思います。
そこで視点を変えます。
きっとクレシダ嬢は、ひとつのことをひとつの目的でやらないでしょう」
ミルは小さなため息をついた。
「アルと似ているなら理論ね。
正直モヤっとするけど……」
ああ、不機嫌の理由はそれか。
理解が追いつかないもどかしさかと思っていた。
「戦争を引き起こすことがひとつ。
ロマン王と使徒をつぶすための行動である。
そんなところでしょうかねぇ」
突然、ミルは力なく降参のポーズをとった。
「さすがに知恵熱が出てきたわ……。
ちょっと休憩しない?」
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