647話 閑話 上機嫌な人たち
ロマンが即位したあとのことだ。
ユートピア近辺で不穏な噂が流れ出す。
使徒の量産する食料を食べ続けると病気になる。
使徒の近くにいないと死んでしまう病気にだ。
こんな噂など、本来なら一笑に付される。
ところが使徒が出掛けるときには、体調を崩す人が増えるのも事実。
それも古株に限られる。
つまりひとつの説得力をもって噂が広まった。
外部からの噂は、ユートピアに迫るにつれ尾ひれがついて大きくなる。
それがあの噂であった。
無論、ユウは激怒する。
だが、以前ほどの勢いはない。
あの日以降、妙におびえているのだ。
極端に力を使いたがらない。
どんなに噂が流れても……食わなければ生きていけないのが現実。
だから作物だけはつくり続ける。
それ以外は、まったく何もしないのだ。
なかば裏切ったようなユウの行為を、マリー=アンジュは咎めなかった。
ただ悲しげに目を伏せただけ。
いたたまれなくなったユウは、マリー=アンジュを避けてしまった。
マリー=アンジュはユウを咎められなかった……というのが正しい。
ユウは思ったことを実行せずにはいられないと知り尽くしている。
ただ自分ひとりでは、実行に移せない。
誰かが勧めると、それに乗っかるだけだ。
今までは、頼りにしていたカールラの真意を
カールラに問いただしても、徒労に終わる。
「ロマン王を認めてしまったのよ。
いきなり内乱で負けては、ユウの権威が地に落ちるわ。
今は微妙なときよ。
そんなことは許されないわ」
政治的な判断について、マリー=アンジュはカールラの足元にも及ばない。
そのような言葉をだされては、追求などできなかったのだ。
マリー=アンジュは、気のせいだと片付けたカールラから感じた憎悪。
これが本物なのではないか……。
そう思ってしまった。
マリー=アンジュには、カールラから恨まれる心当たりなどない。
だが人の心の機微は知っている。
そうでなくては、男を操縦などできない。
別の理由を探す。
恨まれるとしたら、ロマンへの肩入れをしないように進言したこと。
それくらいだった。
カールラはユウを操縦して、なにをさせたいのか。
ユウはカールラの過去を聞いたらしいが、マリー=アンジュは知らない。
自分を追い落として、ユウの正妻におさまりたいだけなのだろうか。
ユウはそんな決断などできない。
『皆仲良くしてくれよ』
そうユウは常々言っている。
ただそれも今はどうなのか。
自信がもてずにいた。
結局相談できる相手は、オフェリーしかいなかった。
だが手紙をだしても危険だ。
ユウは手紙の内容を、すべてチェックしていると知っていた。
今までは姉妹の会話なので、ユウが黙認していただけなのだ。
なにか名案がないか……と思案するマリー=アンジュであった。
現実には、そう簡単には思い浮かばない。
そんなおり、それどころではない問題が持ち上がる。
以前は食糧と物々交換が成立していた。
それが難しくなったのだ。
途方に暮れたマリー=アンジュを横目に、カールラはひとつの提案をする
「アラン王家から援助してもらいましょう」
ユウは、この件について触れようともしない。
『自分のつくった作物が実は危険だった』とは考えたくもないのである。
徐々にユウハーレムの主導権は、カールラに移りつつあった。
それはカールラが、ユウと共に夜を過ごす時間の増加にも現れる。
今やマリー=アンジュは呼ばれなくなっていた。
ユウにとっては、後ろめたくて呼べないだけ。
決して嫌ったわけではない。
なにか大きな成功をおさめれば、自信を取り戻して呼べる。
マリー=アンジュはそのときを待っていてくれる、と信じるユウであった。
普通の女性なら、愛想を尽かして別れてしまうだろう。
だが普通のカップルではない。
マリー=アンジュにとってユウから離れるなど、発想の外であった。
生まれてからの教育。
加えて、ユウを見捨てては……立ち直れないほど傷つくのではないかとの思い。
それらが行動を縛るのだ。
駄目男から離れられない女性。
そんな状態に陥るマリー=アンジュであった。
この使徒側からの提案は、ロマンにとって歓迎できる話ではない。
『なんで他人の尻拭いなど……せねばならないのだ』と内心憤慨するロマンであった。
ロマンにとって、他人の献身とは自分がうける権利なのである。
有能で偉大なロマンは、他者から尊重されてしかるべきだ。
これがロマンの思考の根元であった。
ロマンがする他人への助力は、多大な貸しと信じて疑わない。
そんなロマンでも、使徒ユウは人間ではない別格の存在。
特別や1番が大好きなロマンにとっての憧れである。
その使徒への助力ですら、ロマンにとって苦痛なのであった。
ロマンにとって友好や対等な関係とは……自分のみが恩恵をうけることが常識。
相手が使徒だからこそ、ギリギリ飲み下せるのだ。
それにユウの機嫌を損ねては、自分が危ないことは知っている。
人前では使徒米の噂は『根も葉もない言い掛かりだ』と断言。
噂を口にした者を処罰までした。
表向きは誰も言わなくなったが、裏では広まり続ける。
それは、密告によって明らか。
悩むロマンにトマがひとつの入れ知恵をした。
「仮にそうだとしても食べ過ぎなければいいのです。
民の食糧と交換させましょう」
そう言って偏りすぎないように、各地に交換を強要したのだ。
ただロマンやトマとその側近は、使徒産の食物を決して口にしない。
噂を信じていない。
だが危ないかもと言われれば、口にしたくないのである。
ここで新たな問題が持ち上がった。
交換するにしても輸送費用がかかる。
アラン王国は陸路主体で、輸送コストは割高なのだ。
さらに派手な即位式と出兵で、かなり国庫が減ってしまった。
さすがのロマンも、臣下の給与に手をつけられない。
だからといってロマンは、自分の生活レベルを下げることなどできない。
そこでロマンは、ある意味平凡な解決方法を考え出す。
王都に残った上流階級を、晩餐の席に集める。
「卿らは我が臣下だが仲間であり家族だと思っている。
困ったときこそ助け合おうではないか。
国のため……なによりロマンのため、私財を快く提供してほしいのだ。
これは無茶な要求ではない。
ささやかで正当なるお願いだよ」
その結果、彼らは自主的に資産をロマンに差し出すことになる。
断ったら即処刑。
命あっての物種である。
だがこれで上流階級は、ロマンに見切りをつけた。
密告が流行しているので、うかつに動けない。
それでも反ロマン感情は、広がりつつあった。
それを知らないロマンは財政的に一息つく。
いざ賊の討伐と思ったが、それができない。
先の戦いで帰還した兵士が、ほぼ使い物にならなくなっていたのだ。
普通であれば敵対勢力にとって好機なのだが、使徒がバックにいるので動けない。
ユウとしては内密に助力したつもりだった。
ロマンが自慢しまくったせいで……。
使徒が前の戦いで助力したことは、公然の秘密となっていた。
新たに徴募するには金がかかる。
今その予算がない。
と言っても、ロマンが贅沢をやめればひねり出せる。
なにせ国庫収入の4割は、ロマンのために浪費されているからだ。
贅沢な生活や、民への見世物などにばらまいている。
我慢できないことに関しては、ユウと同類のロマンであった。
不満をためるロマンにとって、思わぬ幸運が舞い降りる。
農作物の収穫を倍増させる、特殊な肥料が出回りはじめたのだ。
かつ収穫時期も大幅に短縮される。
ヴァロー商会からもたらされたのだ。
どうやら在野の研究者が持ち込んだらしい。
ただ使徒ユウの件があるので、対応は慎重であった。
ユウの作物は魔法で検査すると、普通の作物と異なる反応をする。
特殊な肥料でつくられた作物は、通常のものとまったく変わらない。
ロマンは喜々として、トマに他国に肥料を流さないように指示した。
ここでトマは意外な行動を見せる。
いつもであれば当然のように、人の功績を横取りするのだが……。
この肥料を見つけだした人物の功績を称賛して、ロマンに伝えたのであった。
ロマン一味の行動原理は一貫している。
成功は自分のおかげ。
失敗は他人のせい。
周囲は
自分の知らないルートから持ち込まれたので、安全だという確信をもてなかった。
つまり保身の一環。
ライバルなど……いつでも引きずり下ろせる。
そんな自信があった。
もしこれがなにかの副作用をもたらすなら、自分の責任にならないのだ。
それこそが大事。
ノーリスク・ハイリターンがトマの身上であった。
海老で鯛が釣れたら、餌にする海老すらも惜しむのだ。
「大丈夫なのでしょうか。
自然の摂理に反して、なにか副作用がなければいいのですが」
いつものようにロマンが上機嫌のときに、保身の布石を打ったのだ。
このようなときロマンは鷹揚である。
「トマは相変わらず心配性だな。
このロマンが神から祝福されている、なによりの証拠ではないか」
食糧を他国に売りつければ、再び兵を徴募して賊の討伐ができる。
どこも内乱の結果、食糧は不足しているのだ。
それなら高値になるのは当然。
売ってもらった他国は、ロマンに恩を感じるはず。
だからロマンの指示に従うべきだ。
これは正当な権利だ……そう心から信じている。
母から歪んだ全肯定の愛を受け続けた男のなれの果て。
それがロマンなのだ。
かくしてロマンは上機嫌で自分の軍装のデザインや、行進曲の作詞作曲に夢中になったのであった。
あとで大きな収入が入ると期待して、さらに国庫から金を引き出したのはいうまでもない。
◆◇◆◇◆
クレシダ・リカイオスは殊の外上機嫌であった。
仕事中のアルファに、スキップしながやってくるほどだ。
クレシダに仕えて10年近いアルファですら、はじめて見る光景。
クレシダは、背景に花が浮かび上がるような満面の笑顔を浮かべる。
「ねえ。
アルファ! ちょっと聞いてよ!」
アルファはいつものように無表情。
「クレシダさま。
とてもご機嫌のようですね」
クレシダは胸の前で手を合わせ、うっとりとした表情になる。
「そうなのよ。
やっぱり
「あの使徒米の噂でしょうか」
この噂はアラン王国から流れてきた。
この話を聞いたときクレシダは
そして計画の実行を即座に指示したのである。
それでもクレシダの興奮はおさまらない。
翌日に、4人分の死体をアルファは処理した。
新記録である。
「ええ。
見事によろめいたわね。
待っていれば転ぶのは明白。
それこそ私が欲していたものよ。
欲しいピースを、欲しいタイミングではめ込んでくれる。
これほどの喜びがあるかしら。
しかも事前の打ち合わせなんてないわ!」
アルファはクレシダの上機嫌ぶりに、目を細める。
「おかげで以前から仕込んでいた、あの肥料が役に立ちますね」
「そうなのよ! あれで通常の作物への依存度が一気に高まるわ。
そこに私が餌を撒く。
数ヶ月後が楽しみだわぁ~」
あの肥料はクレシダの差し金であった。
これにロマンが食いついたとの報告をうけて以降、この上機嫌ぶりである。
「作物自体は普通ですからね。
ただ土地そのものが枯れ果てるなど、誰も思いもしないでしょう」
使徒は作物に、魔力を注ぎ込んで急成長させた。
故に食べ続けると影響が出る。
クレシダのばら撒いた肥料は、土地から強引に養分を吸い出させる。
作物は普通だが、反動として土地が痩せ細る。
そしてチェルノーゼムで、それを行うと効果は抜群。
代わりにチェルノーゼムは、作物が育たない死の土へと変わる。
アイオーンの子は、ひっそりと暮らしていたが、痩せ地で収穫を増やす必要に迫られていた。
その研究の成果で、失敗作と位置づけられていたのだ。
それをクレシダは量産させたのである。
普段であれば、徐々に様子を見て段階的に広めていく。
危険があれば、軽症で回避できるだろう。
普段であればだ。
元々クレシダは、内乱で食糧が欠乏するタイミングでの投入を狙っていた。
それならば回避できない。
それよりずっと早く、絶好の機会が舞い降りた。
使徒米による人体への悪影響。
それが巻き起こす恐慌と、ロマンの短慮が結びつくと……。
回避する余裕を奪うのだ。
農業や灌漑技術が未発達なアラン王国を殺せる武器に変化する。
「これぞ愛の共同作業よ。
これでアラン王国は、獣の本性に立ち返るわ。
食糧を巡ってのね。
そうなれば、他国に攻め込むのは必定。
なければ奪うしかないもの。
ああ……。
なんて晴れやかな気分なのかしら」
クレシダはうっとりしながら、軽く一回転する。
ところがアルファは僅かに首を傾げた。
「ただ腰巾着のトマが、保身を図った。
これが気になりますね。
クレシダさまの計画を知っていたとは思えませんが」
クレシダは口の端をつり上げて、皮肉な笑いを浮かべる。
「フン。
あれはただの保身よ。
むしろ都合がいいわ。
あの
でも……悪名高い
「これも計算のウチですか」
クレシダはチッチッと指をふった。
「計算するに値しないってだけよ。
当然
それが私の手助けになる。
こんな素敵な贈り物は活用しないとね」
「これでロマンの破滅は確定的でしょう。
使徒はどうなりますか?」
クレシダは爽やかに笑った。
「カールラ次第じゃないの?
お手並み拝見よ」
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