644話 閑話 不快

 怪文書が各国に送られ、世界にささやかな衝撃が走った。


 ユートピアでは使徒ユウが、頭を抱えている。


「なんだこれは! まるで僕が認めたから……。

ロマンがなにをしても許されるって話じゃないか。

即位は認めたけど、そのあとの行為まで認めたなんて言っていないぞ!

だいたいなんだよ。

なにもしないけど税金だけよこせって、トチ狂っている!

しかも密告を推奨している……。

どこの独裁国家だよ!」


 ユウでも統治者が安全と食の保障をするから、税金をとるという話は理解している。

 密告など推奨すれば、社会が荒廃することも知識として知っていた。

 転生前のフィクションでも、密告を推奨するのは悪役のやることだと認識しているからだが……。

 独裁者にお墨付きを与えたなど、悪党の片棒を担いで、平然とできるほど神経が太くないのだ。

 

 独裁国家なるものの実態を知らないカールラも、頰を引きらせていた。

 まさかこんな文書を送りまくるなど……想像だにしていなかったのだ。

 そして思い起こす。

 クレシダに書状で、ロマンを使って混乱を起こすつもりだと書いた。

 返事は素っ気ないものだった。


『あんな汚物を使うようじゃダメね。

きっと後悔するわよ。

まあ、好きにやればいいわ』


 最初はただ嫌いなのかと思ったが……。

 見事に後悔している。

 実はこうなると予期していたのではとすら思った。

 とはいえ、今の段階ではなにもできない。


「今は見守るしかないわね……」


 ずっと渋い顔のマリーは、使徒不介入の前提を破ったせいだ、と思っていた。

 それを指摘しては、ユウが心を閉ざしてしまう。

 なんとかあるべき方向に軌道修正せねば、と焦ってもいた。


「ユウさまの言われるとおり、即位までは認めたとするしかないでしょう。

以降は不干渉を貫けばよろしいかと思いますわ。

ユウさまの名前を使って、なんでもできると思うのが間違いなのです」


 ユウは力なく項垂うなだれた。


「そうだな。

マリーのいうとおりだ。

済まない。

最初からマリーのいうことを聞いていれば良かったよ……」


 マリーはユウに、優しくほほ笑んだ。

 これで暴走が止められるかもしれないと。


 瞬間背筋が寒くなる。

 一瞬カールラの瞳に、憎悪の炎が燃えたように見えた。

 だがカールラの表情は、穏やかなまま。


(気のせいだったのかしら……)


                 ◆◇◆◇◆


 ランゴバルドの王宮では、夕食にいつものふたりが招かれていた。

 陛下の悪趣味晩餐とよばれる出席メンバー。


 宰相ティベリオ・ディ・ロッリと警察大臣ジャン=ポール・モローだ。

 国王ニコデモ・ランゴバルドはワイングラスを回しながら、意味深な笑みを浮かべる。


「宰相に警察大臣よ。

あのロマン教皇王から送られてきた書状について、どう思う?」


 ロマンが王と教皇を兼務していることから、教皇王と外部からはよばれている。

 ティベリオは苦笑しつつ肩をすくめる。


「感想を述べたくない……という思いです」


 ジャン=ポールは皮肉な笑みを浮かべる。


「痴人の見た夢を、そのまま書き記したものでしょうか。

政治的意図はなにもないかと」


 ニコデモはワインに口をつけて、静かにグラスをテーブルの上に置いた。


「少なくとも、今後どうするかは目に見えている。

まず内戦と不平分子の弾圧。

国力を大きく落とすであろうな。

それよりも厄介なことがある」


 ティベリオが憂鬱な表情を浮かべた。


「巡礼街道を掌握しましたからな。

国内の不満を、外にそらす目的で攻めてくる可能性が高いでしょう。

それも内戦が終わってからですが」


 ジャン=ポールは皮肉な笑みを崩さない。


「アラン王国の動きはありません。

ただ今後は、なんらかの動きはあると思われます。

ヴァロー商会関係がラヴェンナで、暗殺未遂を働きましたから……。

こちらでも騒ぐ可能性は捨てきれません」


 ニコデモは口の端をゆがめた。


「我が友に、喧嘩をふっかけたわけだ。

今は反撃の時機を待っているのだろう。

いつかその長い手を突っ込んで、仕返しをするだろうな」


 ティベリオは小さく笑いだす。


「他人事ながら連中が気の毒になりますな。

どんな悪辣あくらつな手を使うのやら」


 ジャン=ポールは苦笑してうなずいた。


「珍しく宰相殿と、意見が合いました。

自業自得と言えばそれまでですがね」


 ニコデモもアルフレードがどんな手を使うのか、興味はある。

 しかし、聞いても絶対教えてくれないことはわかっていた。


「それよりだ。

友とは困難や苦痛も分かち合うべきだ。

そう思わないかね?」


 ティベリオが一瞬だけいやそうな顔をする。


「あの書状を、ラヴェンナ卿に回送するのですか」


 ニコデモは愉快そうに笑いだした。


「苦労を共にしてこその友というべきだ。

不公平ではないか。

あんな書状で、時間をとられたのだ。

我が友にも、ぜひ時間の浪費をしてもらいたいところだな」


                 ◆◇◆◇◆


 ロマン王からの書状を見たフォブス・ペルサキスは、白い目で親友のゼウクシス・ガヴラスを見た。


「ゼウクシス……。

これは嫌がらせか?

なんだ? この夢に満ちた世界は?

30過ぎの男の妄想なんて見せられても嬉しくないぞ。

キモいだけだ」


 ゼウクシスはため息をついて頭を振った。


「なにを馬鹿なこと、言っているのですか。

見せなかったら見せろ、と言って文句をいうのは、いつものことでしょう。

それで『こんなくだらないもの見せるな』と怒りだすまでがセットです」


 フォブスは心当たりがあって視線をそらした。


「い、いや……。

そんなことはしていない……よな?」


「前科14犯です」


 フォブスはあきれ顔でゼウクシスをにらむ。


「お前、いちいち数えているのかよ……。

性格悪いぞ」


「ラヴェンナ卿に比べたら、私は聖人のように清らかな性格ですよ」


 フォブスはいやそうな顔をして手を振る。


「その比較は卑怯だろ。

ともかくあの内容で大事なことは一つだけ。

せいぜいアラン王国で内乱が起こる予感程度だ。

私たちに出番はない」


 ゼウクシスはため息をつく。


「そう言わないでください。

これを筆写した人の気分が悪くなって寝込んでしまいました」


 フォブスは申し訳なさそうに肩をすくめる。


「お、おう……」


                 ◆◇◆◇◆


 ロマン王からの書状を見たクリスティアス・リカイオスは、グラスを床にたたきつけた。

 パリーンと音を立て、グラスは粉々になった。


「なんだこれは! 共同戦線どころか内乱で、手一杯になるじゃないか!

あの……%△#?%◎&@□!野郎が!」


 怒りのあまり言葉になっていなかった。

 クリスティアスは力なく頭を振る。


「単独で攻撃せざるを得ない。

もはや動きだしてしまったのだ……。

こうとわかれば、時機を待ったのに」


 ヴァロー商会から、共同でランゴバルド王国を攻める提案があった。

 それを勿体つけて承諾したのだ。

 こうなれば単独で優位に立って、アラン王国の参戦を促すしかない。

 気がつけばハシゴを外された気分になっていた。


 すでに計画は動きだしていた。

 各方面への根回しは、ほぼ終わっている。

 今計画を中止しては、リカイオスの権威が失墜してしまう。

 元々ムリに話を進めておいて……。

 土壇場で止めます、とはいかないのだ。


 政治的に再び死んだアントニス・ミツォタキスが復活するだけで済まない。


 成り上がりの悲しい宿命でもある。

 今権勢を誇っていても、その実態は脆弱なのだ。

 苦労して手に入れた権勢が雲霧消散する恐怖に追い立てられていた。

 

                 ◆◇◆◇◆


 ロマン王からの書状を見たクレシダ・リカイオスは、不機嫌な表情でそれを焼いた。

 部屋にはクレシダひとり。


「なんでこんな不快なものを、ロマンは送ってくるのかしら……」


 クレシダに直接送られてきたわけではない。

 叔父であるクリスティアス・リカイオスへの書状はすべて筒抜けなのであった。

 郵送中に素早く模写したものが、クレシダに送られてきたのである。


 不機嫌な顔でブツブツ言っていたクレシダは、部屋をノックする音に顔を上げる。

 クレシダは使用人のノック音で誰かわかるのだ。


「アルファ。

いいわよ」


「失礼します。

クレシダさま。

ワインをお持ちしました」


 クレシダは笑顔でワイングラスを受け取る。


「ありがとう。

こんな不快な話を聞いたら、酒でも飲まないとやっていられないわ」


 いうが早いかワインを一気飲みした。

 アルファは表情一つ変えずに、空のグラスにワインを注ぐ。


「ああ……。

あのロマンからの書状ですか」


 クレシダは酒混じりの息を吐き出し、不機嫌そうに頰を膨らませる。


「ねえアルファ。

予定変更よ」


 アルファは何のことか知っているようで一礼する。


「承知致しました」


 クレシダは再び、ワインを一気飲みする。

 そして憂鬱そうにため息をつく。


「あいつを生かしておいたら、より不快なことをしだすわ。

と言っても……」


 アルファは再び、グラスにワインを注ぐ。


「アラン王国を揺さぶる準備はできていますが……」


 クレシダは一気飲みせずに、グラスを回しながら天を仰ぐ。


「そう。

時機が悪いのよね。

最短でも内乱が起こってからかぁ……」


「焦ってはせっかくの仕掛けが、水泡に帰してしまいますから……」


 クレシダは忌々しそうな顔で外を眺める。


「わかっているわ。

やっぱりムカツク。

こっちに立ち寄ったら消してやったのに……。

悪運だけは強いヤツだわ」

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