640話 閑話 真心と下心

 ゼウクシス・ガヴラスは、第5拠点襲撃の事件調査に20名ほどの部下を連れ、事件現場を訪れていた。

 襲撃後に駆けつけた使徒騎士も交えての確認作業となる。

 一通り使徒騎士から説明を受けると、ゼウクシスは腕組みをして厳しい表情になった。

 この襲撃は完璧に統率されており、実に計画的だと感じたからだ。

 

「遺体から魔法で死ぬ直前の記憶を取り出したろうが……。

襲撃者を特定するものはないのか?」


 使徒騎士は恐縮したように肩をすくめる。


「住人は襲ってきた賊の姿を見ていましたが、とくに所属がわかるようなものはありません」


 ゼウクシスとしては単に確認したといった感じである。

 使徒騎士たちが必死に調べたことは知っているからだ。

 あくまで、念のためである。


「全員がそうなのか?」


 使徒騎士の表情が途端に曇る。


「いえ……。

ふたりほどまったく記憶を手繰れませんでした」


 ゼウクシスはけげんな顔をする。

 そんな事例は聞いたことがないからだ。


「そんなことがありえるのか?」


 使徒騎士は頭を振った。


「いえ。

我々の知る限り……はじめてです」


「それでそのふたりとは?」


「まず広場の中央に賊の死体がひとつ。

喉をかき切られていました。

油断したところを襲われたかと。

切り口からして、相当の腕利きです」


 内輪もめでもあったとすべきなのだろうか。

 油断していたなら、その線が強いだろう。


「ではもうひとりは?」


「街から墓標の木に向かう途中に、子供の遺体がありました。

胸をひと突きです」


 ゼウクシスは、あまりに不自然な状況に眉をひそめる。

 拠点から出たところで殺されたのが、気になる。

 背中なら追っ手に殺されたと考える。

 胸をひと突きであるなら、正面から刺されたとしか考えられない。


「確認するが、正面からだな?

念のため発見現場に案内してくれ」


「はい。

正面です」


 使徒騎士に案内された場所は、拠点から少し離れたところだ。


「ここで街から逃げてきたところを、賊の待ち伏せにあったようです」


 待ち伏せとは考えられない。

 墓標の木を焼いてきたはずだ。


「待ち伏せというより、木を焼いた賊と……運悪く鉢合わせたようだな。

不思議だ。

この木を焼くことに、何か意味があるのか?」


 使徒騎士は肩をすくめる。

 これを焼いた意図などわからないのも当然だろう。

 この木の由来すら知られていないのだ。


「いえ、誰かの遺体を埋めた場所としてしか……。

まったく意図がわからないですね」


 ゼウクシスは腕組みをして、渋い顔になる。


「どちらにしても、これだけでランゴバルド王国の関与を主張するのは無理筋だろう……」


 噂だけを理由に開戦に踏み切るなど、あまりに無謀すぎる。

 そんな道を進んだ場合、完全に勝つしかない。

 負けにしても適当なところで講和にしても、リカイオス卿の破滅以外の何物でもない。

 政治的観点から正当性がない場合、勝てなかったときに全てのツケを払わされるのだ。

 ゼウクシスはもう一点確認することを思い出した。


「ところで拠点の襲撃前に、巡礼街道で襲撃が横行していたな。

事件後は?」


 使徒騎士は悔しそうな顔で項垂うなだれた。


「いえ、ピタリと止まりました。

完全に誘導されたものと思います」


「どうも不可解だな。

略奪ではなかったのか?」


 使徒騎士はため息をついてうなずいた。


「ドサクサ紛れに程度はありますが、住民皆殺しが目的かと」


 その見解は、ゼウクシスとしても同意見だった。

 もう一つ確認すべきことがある。


「使徒騎士団としては何名程度での襲撃と考えている?」


「300名程度かと思います。

どこに逃げたのか……。

行方は知れません」


 人数的にも、ゼウクシスの予想と大差ない。

 どうしても引っかかる点は……あれだけである。


「やはり記憶を手繰れないふたりが気になる。

教会にそのような事例はあるか?」


「いえ。

問い合わせましたが、そのような事例はないと……」


 ゼウクシスとしても一応の確認である。

 あったら、とっくに動いているだろう。


「では冒険者ギルドはどうか?」


「そちらはまだです」


 使徒騎士は冒険者を一段下に見ている。

 自分たちが知らないことを知っていると思わないだろう。

 だがギルドの知識は侮れない。


「では早急に聞いてみてくれ。

これがはじめてのことなのか。

それとも単に、そのようなケースはあるけど見落とされているのか……。

どちらにしても、この問題が鍵だろうな」


 ラヴェンナ卿とのやりとりはまだ禁じられていない。

 これを伝えて、見解を聞いてみたいとも思った。

 厄介な相手だが、こんなとき……あれほど頼りになる人物はいない。

 だが政治的にリスクの高い行為だ。

 だからといって内密に、連絡をとるのは危険だと重々承知している。

 この行為がリスクと釣り合うのか……。


 ゼウクシスはすぐに首を振った。

 立ち止まっても、仕方がない。

 前に進むために、ここに来たのだ。

 そうゼウクシスは決意したのであった。


                  ◆◇◆◇◆


 襲撃事件から見舞客のラッシュがあったクレシダ邸も、今は落ち着きを取り戻している。

 ところが夜に人目を避けて、ひとりの令嬢がクレシダを訪ねてきた。


 ロクサーン・ディアマンディス。

 17歳になろうとしており、有力貴族の長子であるディスマス・ガラニスとの結婚が近づいていた。


 ロクサーンはクレシダのまつ部屋に案内される。

 扉に見慣れぬ文字が書かれていた。

 一瞬興味を惹かれたが、ただの模様かと思いなおす。

 部屋の中では、クレシダが煙管を吹かしながら、気だるい表情で座っていた。

 ロクサーンに気がつくと、物憂げに髪をかき上げる。


「ディアマンディス嬢ね。

たしかロクサーンだったかしら。

お座りなさい」


 ロクサーンは一礼して着席する。


「はい。

このたび、リカイオス嬢におかれましては……」


 クレシダは片手を上げる。


「ああ……。

そのお見舞いの言葉は聞き飽きたわよ。

アルファ、この言葉って何回目だっけ?」


 クレシダの後ろに控えているアルファは、表情ひとつ動かさない。


「今回を含めると97回目です」


 クレシダは大げさに天を仰ぐ。


「だから本題に入って頂戴。

私のところに、こんな夜に来るのだもの。

知られたくない頼み事があるのでしょう?」


「はい……。

私が婚約していることはご存じかと思われます」


 クレシダは苦笑して肩をすくめる。


「知らないわ。

他人の結婚事情なんて興味がないのよ」


 ロクサーンの婚約は有名であった。

 自分は軽い存在だ……と言われた気がしたロクサーンは一瞬鼻白む。

 だが、すぐに表情を隠した。


「実はディスマス・ガラニス卿との結婚が、三カ月後に迫っているのです」


 クレシダは煙管の煙を、ふっと吐き出した。


「ふーん。

お祝いしてほしいわけでは……無さそうね」


「は、はい。

その今回の婚姻は、親同士で決めた話でして……」


 話を聞きながら、クレシダはごく普通の灰吹きに灰を落とす。

 別の箱を開けて、煙草を詰めて火をつける。


「そんなの当たり前でしょ。

当たり前のことは言わなくていいの。

用件を言いなさい」


 ロクサーンは再び鼻白んだが、すぐ上目遣いになる。


「この婚姻、私は嫌なのです」


 クレシダは意味深な笑みを浮かべて、煙をロクサーンに噴きかける。

 ロクサーンは一瞬顔をしかめたが、すぐに首を振る。


「ただ嫌なだけで、愚痴を聞いてほしいの?」


「い、いえ……。

リカイオス嬢のお力で、この婚姻をなかったことにできないかと……。

勿論お礼はいたします。

たしかこのネックレスを、以前ご所望だったかと」


 大きな宝石がはめ込まれたネックレスを取り出した。

 ロクサーンが亡き母から譲り受けたものだ。

 以前それをクレシダはほしがった。

 そのときは断られたのだ。


「それでどうしてほしいの?

なかったことになんて、私が叔父さまにお願いしてもムリよ」


 クレシダの視線に、ロクサーンは満足気にほほ笑む。

 ようやく自分のペースになったと確信したようだ。

「リカイオス嬢のお力なら可能かと。

今ならば誰も、そのお言葉に異を唱える者はいないでしょう」


 ロクサーンは少女らしからぬ……誘惑するような表情になった。

 クレシダは煙を、ふっと吐き出す。

 部屋の中が、不思議と煙で満たされていく。


「ふーん。

それは言葉の内容にもよるわね」


「なんとかお願いできないでしょうか……」


 クレシダはロクサーンがゾッとするような笑みを浮かべた。

 ロクサーンの背筋に、汗がしたたり落ちる。


「ただ嫌だからじゃねぇ……。

何か隠しているなら、気に食わないわ。

どうせ他に、好きな男でもいるんでしょ」


 ロクサーンの顔が青くなる。


「ど、どうしてそれを……」


「急に言い出すなんて、それ以外ないでしょ。

その男と結婚したいから、ディスマス・ガラニスを陥れてほしいと?」


 ロクサーンはうつむいてしまった。

 このあたりは察して口にしないのが、上流階級のマナーでもある。

 だがクレシダに、そのような配慮がないことを失念していたのだ。

 クレシダは再び煙を噴きかける。


「黙っていたらわからないわ。

自分に都合が悪いことはダンマリって、私嫌いなの。

はっきり言わないと、話はここまでよ」


 クレシダが腰を浮かせると、ロクサーンは慌てて顔を上げる。


「ま、まってください……。

事実無根で構いません。

ガラニス卿と問題があったとでもおっしゃっていただければ……」


 クレシダは深い笑みを浮かべて、椅子に座りなおす。


「ああ……。

つまり私が、そのディスマスだっけ?

その人に襲われたとか言いふらせば、彼は破滅ね。

そして貴女は好きな人と結婚できると」


「そ、そこまでは……。

ただ無力な女の身で、両親の決めた結婚を覆す手が他には……」


 クレシダは小さく笑いだす。


「駆け落ちでもすればいいじゃない」


 ロクサーンは慌てて首を振った。


「それは私の思い人の両親に迷惑が……」


「なに馬鹿なこと言っているのよ。

婚約者を破滅させるのも、恋人の実家を破滅させるのも大差ないわよ。

貫き通したいならそのくらいの覚悟はもたないとね。

まさか貴女……。

ディスマスだけ破滅してほしいの?

自分たちは今の暮らしを守って結婚したい……なんて思っていないでしょうね」


 ロクサーンにはそうですと言えなかった。

 すがるような目になる。

 この表情をすれば、大体の人は察していうことを聞いてくれる。

 その経験からくる自然な動作だった。


「いえ、その……。

どうかお願いします!

私にはリカイオス嬢しか頼れる人がいないのです」


 クレシダはフンと鼻で笑う。


「どうしてこう醜い行為ほど察してくれ、と願うのかしらね。

口にすれば簡単なのに。

まぁ……恋は盲目ってやつね。

手伝ってあげてもいいけど、ひとつ条件があるわ」


 やっと思い通りに話が進んだ……と感じたのか、ロクサーンは身を乗り出した。


「なんでしょうか。

なんでもします!」


 クレシダは再び煙を吐き出す。

 いっそう部屋が煙で満ちていく。


「それは結構。

自分も破滅する覚悟が必要ね。

フリじゃ駄目なのよ。

襲われるフリでは、都合が悪くなれば逃げ出すでしょ。

だって相手を破滅させようとして、自分だけ無傷なんておかしいわ。

餌もつけずに大魚をつり上げるなんて、醜悪な夢物語よ。

でも本当に襲われたら、願いをかなえてあげる。

それに犯されても、その殿方と愛し合っているのなら……簡単に乗りこえられるよね。

どんなに汚れても、それが殿方と結ばれるための汚れなら……受け入れてくれるわよ。

それこそ愛だもの」


 ロクサーンの顔が真っ赤になる。


「そんなむちゃです!

エレボス以外の殿方に抱かれるなんて、エレボスに申し訳が立ちません。

私のはじめては……エレボスと決めているのです」


「大丈夫よ。

愛があればね。

愛は真心だから……貴女と添い遂げるつもりがあるなら、それを受け入れてくれるわよ。

もし恋だったら諦めなさい。

下心だから、そんな汚れた女は捨てられるでしょう」


「そ、そんな……。

もう結構です!」


 ロクサーンは立ち上がろうとするが、体が動かない。

 ムリに動こうとして、椅子からずり落ちてしまった。


「さっきなんでもするって言ったでしょ。

だから……もう遅いわ。

体が動かないでしょ。

あとね……。

扉に昔の文字でこう書いたの。

『この部屋に入りしもの、全ての希望を捨てよ』ってね。

希望ではなく現実が、貴女をまっているわ。

ああ……そうそう。

男に犯されている間、ずーっと意識はあるわよ。

無実の罪で婚約者の破滅を望むのでしょう? 同じくらいの苦しみは背負わないとね。

でも……ことが終わったら、一切の記憶はなくなる。

だから頑張って乗りこえてね」


 クレシダは目だけ必死に動かすロクサーンにほほ笑みかける。

 そしてパチっと、指をならす。


「アルファ。

この子をそうねぇ……。

スピロに犯させて頂戴。

たしか女に飢えていたでしょ。

でも殺したら駄目よ」


 スピロとは屋敷の地下で飼われている男。

 時折理性を取り戻すが、普段は正気を失っている。

 だが女を犯すときは関係ない。

 本能のまま行動するのだ。


「承知しました。

その後は?」


 クレシダはかわいらしい仕草で、あごに人さし指を当てる。


「どこか適当なところに捨ててきて頂戴。

誰かが見つけられるところにね。

それと……彼女の願いをかなえてあげないとね。

ディスマス・ガラニスねぇ。

たしか結構……弱みがあったはず。

女癖が悪かったわね。

そのあたりを漏らしてあげて」


 人の結婚事情を知らないとは大噓であった。

 クレシダの元には、あらゆる情報が集まっていたのだ。

 楽しそうにほほ笑むクレシダに、アルファは無表情にうなずく。


「承知致しました」


 ロクサーンを連れてきた御者は、裏門から主人が出て行ったと聞かされた。

 慌てて探しにいくも、彼は姿を消してしまう。

 クレシダはロクサーンが屋敷をでていったと、その父親に連絡する。

 かくして必死の捜索が行われ、翌朝に無残な姿のロクサーンが発見された。

 第5の襲撃にあったときのクレシダのようで、なにがあったのかはいうまでもなかった。

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