633話 閑話 信じる者と疑う者

 治療を受けたクレシダ・リカイオスとアルファは、屋敷に戻っていた。

 クレシダは翌日にはドレスに着替え、部屋から外を眺めている。

 傷は完治しており、あのような事件があったか、その姿だけではわからない。


 かなり強力な治癒魔法を施したため、反動として体力はかなり減少しているはずだが、見た目は元気そのもの。

 今は元気でも病気になりがちな時期なので、くれぐれも安静にしてほしい、と指示されていた。


 クレシダにとってそんなことはお構いなしである。

 大きなあくびをしたクレシダの元に、アルファがお茶を持ってきた。

 クレシダは、少しあきれ顔になった。


「アルファ。

休んでいていいのよ?

まだ体がだるいでしょ」


 アルファは表情を変えずに一礼する。


「ありがとうございます。

どうにも動いていないと落ち着かないもので……」


 クレシダは笑って、外を眺める。

 外は快晴そのものだ。


「それが本能なら仕方ないわね。

それにしても……いいお天気ね。

なんだかとても晴れやかな気分だわ」


 そんなクレシダを、クリスティアス・リカイオスが最初の見舞客として訪ねてきた。

 リカイオスはドレス姿のクレシダを見て、眉をひそめた。

 

「クレシダ、ダメじゃないか。

安静にしておかないと……」


 クレシダはクリスティアスに、悪戯っぽく笑う。


「元気な姿を見せた方が、叔父さまは喜ぶかと思ったの。

それにベッドの上だと退屈だわ」


 クリスティアスはなんとも言えない、複雑な表情になる。


「私への気遣いは不要だ。

でもうれしいよ。

くれぐれもムリをしないようにな」


「ええ。

それとごめんなさいね。

私のワガママで叔父さまに心労を……」


 うつむいたクレシダに、クリスティアスは慌てて首を振る。

 普段のクレシダなら絶対こんな姿を見せない。

 今回ばかりは心の傷は深いのだ……とクリスティアスは暗い気持ちになった。


「いや。

クレシダのせいじゃない。

認めた私と、不甲斐ない使徒騎士団のせいだ。

ところでクレシダ。

ムリならいいが……」


 クレシダは力なく首を振った。


「ごめんなさい。

あのときのことは覚えていないの。

アルファに聞いたけど、アルファもショックで記憶がないみたい……」


 クリスティアスは自分の聞きたいことを先回りされて、少しバツが悪そうになる。


「そ、そうか……」


 そんなクリスティアスに、クレシダは優しい笑みを向ける。


「叔父さま。

私のことはいいから、叔父さまはリカイオス家のためだけを考えてね」


 クリスティアスは我が意を得たりと、力強くうなずいた。


「勿論だ。

それはクレシダのためにもなるからな」


                  ◆◇◆◇◆


 翌日からクレシダの元に見舞客が訪れはじめた。

 アントニス・ミツォタキスもそのひとりである。


 アントニスはクレシダと世間話を交わしたのち、辞去しようと腰をあげる。

 突然クレシダが手でそれを止めた。


「ミツォタキス叔父さま。

ちょっと思い出したことがあるの」


「なんでしょうか?」


 クレシダはあごに指をあてて、少し考え込むポーズをとった。


「クリスティアス叔父さまが来たときには思い出せなかったのだけど……。

襲われたときのこと、ちょっと思い出したのよ。

『アルフレード』とか『ランゴバルド』って聞こえたわ」


 アントニスは驚愕して固まってしまった。


「な、なんですと!?」


 クレシダは曖昧な笑みを浮かべて、肩をすくめた。


「ハッキリと思い出せないけど、そんなことが聞こえたと思うわ。

こんな大事件でしょ。

思い出したことはちゃんと話さないとね」


 アントニスは曖昧な表情でうなずくほかなかった。

 そして帰りの馬車の中で、ひとりつぶやきを漏らす。


「この度は、敗北を認めて……。

潔く引き下がるべきだろうな」


 この話を握りつぶすのは自殺行為だ。

 クレシダが、クリスティアスに伝えたとき粛正の口実になる。

 絶対にクレシダから伝えるだろう。

 その前に、こちらから伝えるしかない。


 伝えると、婚姻話は頓挫するだろう。

 国内で、ラヴェンナへの反発と疑心が渦巻く。

 多くの者が事実なのかと疑うことはたしかだ。


 だがそれを表だって言えるのは、平時に限られる。

 クレシダが被害者であることから、声をあげにくい。


 ただでさえ、国内はクリスティアスの1強状態なのだ。

 声をあげられるのは、自分しかいない。

 今回それを封じられたわけだ。


 クレシダの言葉に私見を加えても危険。

 クリスティアスは、自分を危険視している。

 これまた粛正の口実にされかねない。


 だからといって、そのまま伝えると……。

 周囲から消極的ながら認めたと受け取られるだろう。

 旗頭の自分がこうではラヴェンナとの友好推進派は黙るしかない。

 クリスティアスを制止する者が、誰もいなくなることは明白。


 アントニスはクレシダの言葉に懐疑的だ。

 まったくの噓か、何者かの陰謀だと確信している。


 アルフレードがこのような愚行を犯すと思えない。

 だが……。

 このようないいがかりレベルでの嫌疑をかけられると……どうなるか。

 いくらアルフレードが友好を推進したくても、立ち止まらざる得ない。

 つまり関係が悪化するのは必至だろう。

 

 そしてクレシダは被害者なのだ。

 普段クレシダを悪くいう者たちですら……気遣う言葉しか口にできない。


 これが虚偽だと発覚しても、時既に遅し。

 あのときは混乱していた……などと言われては、どうにもならない。

 加えて『あれは誤解だった』と謝罪するクリスティアスではない。

 後ろめたいなら、相手を消せばスッキリするのがリカイオス流だ。


 もしまっとうな評判を築き上げていれば、国家間の争いを招いた虚言は致命傷になりえる。

 だがクレシダは悪評の鎧で守られている。

 そこに大きな悪評が加わったとして、なんら痛痒つうようを感じないだろう。

 

 仮にこれが意図してのものなら、被害者の立場を最大限利用している。

 恐ろしく狡猾な人物だ。


 常人にはマイナスでしかない悪評をプラスに転化し、最大限利用する。

 これは並の人物にできない。

 アントニスが知る限り、アルフレードのみだったが……。

 もうひとりをリストに加えるべきかと考えた。


 モデスト・シャロンが帰国したことを考えると、短慮のワガママ娘ではないのかと思える。


 モデストは毒蜘蛛と称されているが、会ってみるとウマが合う人物だった。

 確固たる自信と優れた見識を併せ持っている。

 名門貴族である自分が敬意を払うにたる人物。

 そう確信したのだ。


 モデストは大変頭が切れる人物である。

 その人物が急遽帰国したのは、隠された理由があると考えていた。

 となると……。

 クレシダが絡んだ以外、原因は考えられない。


 だが判断を下すのは早計というものだ。

 現時点では負けを認めて引き下がるのが賢明だろう。

 そうアントニスは判断した。

 アルフレードとの関係を決定的な破局に向かわせないためには、引き下がるほかない。


 知識人階級でもあり、名門貴族であるアントニスは退くことと待つことを知る政治家でもある。

 ミツォタキス家の家訓は『ときを待て』であった。

 今の状態で無様に足搔あがいても、身の破滅しか待っていない。


 クリスティアスのように急速に成り上がったものは、失うことを極端に恐れて引き際を見誤る。

 アントニスのような名門貴族からすれば、貧乏人根性と蔑視する精神だ。


 身の程をわきまえず……引くことを知らない。

 ただ貪欲に突き進むのは、どんなに才能があっても、立派な人物と呼べないのだ。

 アントニスに限らず、名門貴族ならではの常識でもある。


 待てば海路の日和ありの心境で、アントニスは馬車の行き先を、クリスティアス邸に変更させたのであった。


                  ◆◇◆◇◆


 クレシダの見舞客の中には、フォブス・ペルサキスとゼウクシス・ガヴラスの両名もいた。

 今回の結婚話について、クレシダは何も触れなかった。

 身構えていたふたりにとって肩透かしである。

 これはクレシダの気が変わらないうちに逃げるが賢明。

 そう判断したふたりは、他愛もない世間話をしたあとにさっさと退散したのだった。

 

 帰りの馬車の中で、ゼウクシスは浮かない顔をしている。

 フォブスは怪訝そうに、向かいに座っているゼウクシスを見た。


「どうした?

クレシダの毒気にでもあてられたか?」


 ゼウクシスは黙って首を振る。

 そしてふたりだけにわかるサインをだす。


『内密で話をしたい』


 見間違えようもないサインである。

 フォブスは真顔でうなずく。

 沈黙したふたりを乗せた馬車は、フォブスの屋敷へと向かった。


 屋敷の一室でふたりは向き合う。

 フォブスは怪訝な表情だ。

 こんなケースは滅多にないからである。


「ゼウクシス、どうしたのだ?」


 ゼウクシスは真剣な表情で、身を乗り出す。

 なにかわからないが……。

 これはかなり決意が固い、とフォブスは内心警戒した。


「今回の襲撃事件ですが……。

詳しく調べてみるべきかと思います」


 フォブスは眉をひそめる。

 ゼウクシスの進言が、あまりに唐突すぎたからだ。


「リカイオスのオッサンが調べるだろ。

なんでお前が?」


「リカイオス卿は真実など、気にしないでしょう。

望む結論を拾ってくるだけですからね。

それでは危ういと思います。

相手がラヴェンナ卿であればこそ、真実が強い武器になるでしょう。

今回の事件は、どうにも納得がいきません。

そもそも不審な点が多すぎると思いませんか?」


 フォブスは腕組みをして、渋面をつくる。

 たしかに事件の衝撃が強すぎて、冷静に見られていなかったことに気がつく。


「そうだな。

どれだけの数が襲ったのかわからないが、生存者がふたりだけってのは……」


 ゼウクシスは静かにうなずく。


「統率され、計画的でないとムリだと思います。

無計画でやるなら、3000程度の兵士は必要でしょうね。

そんな数が、誰にも悟られずに動けると思いますか?」


 フォブスは苦笑して、首を振る。

 相手が報告を一切無視でもしない限り、3000人の隠密行動など不可能なのは、子供でもわかる話だ。

 内乱時ですらムリだった。

 そもそも1000近くになれば隠密なんてできない。

 どんなに訓練しても、人は食わないと生きてはいけないのが摂理だ。


 それだけの人数が一カ所に留まると、その地域の食糧消費量は増大する。

 通常の流通では追いつかない。

 内乱前なら人口が多かったので、まだなんとかできる。

 今は人口も減り、農地は荒れ果てて食糧は不足気味なのだ。


 食い尽くしそうになったら移動する場合でも同様だ。

 移動した先で消費が激しくなる。

 

 食糧の値段が局所的に跳ね上がるだろう。

 利にさとい商人がそれを見逃すわけはない。


 さらには、それだけの人数がいると必ずトラブルが起こる。

 それを隠しおおせることなどできない。


 自分でもできないし、クリスティアスでも不可能だろう。

 さらにいえば、そんな話は一切聞いていない。

 つまり大人数での襲撃などありえない、との結論に達する。


「ムリだな。

500くらいが限界だろう。

それもかなり計画的に運用しての話だ。

3000だとすると……。

どうやって食わせるのかも謎だなぁ」


「私は計画的で400未満の人数での襲撃だと考えます。

賊が頻発して、使徒騎士団が誘い出されたのも陽動でしょう。

陽動の人数まで含めたら……。

少なすぎてはムリですからね」


 軍事行動として考えれば、純粋な正攻法だ。

 その攻撃目標が、常識では考えられない場所だっただけで……。


「なるほど。

反論の余地はないな。

では聞くが……。

誰が何のために?」


 ゼウクシスは物憂げな顔で頭を振る。


「それはわかりません。

ですが噂通り、ラヴェンナ卿が黒幕……ではないでしょう」


 ミツォタキス卿がリカイオス卿の屋敷を訪れてから、そんな噂が広がりはじめた。

 そしてミツォタキス卿は、病と称して引きこもってしまったのだ。

 噂が既成事実になるのは危険だ、とフォブスは苦々しく思っている。


「その点は同感だな。

あの魔王は、そんな悪手など選ばないだろう。

少なくとも落とし所を考えてから、相手を殴りにくる。

今回の襲撃は、落とし所がない状態だ。

教会だけでなくアラン王国まで巻き込むぞ」


「調べてみないことにはなんとも。

幸いペルサキスさまは、国内の治安維持という閑職に回されています。

その権限で動けるでしょう」


 フォブスは渋い顔になる。


「閑職は余計だ。

たしかに調べるべき話だ。

だが……」


「なにか問題でも?」


 フォブスは厳しい顔で腕組みをする。


「私のカンだが……。

どうもこの話はキナ臭い。

調べようとするお前の身に、危険が及ぶかもしれない。

いくらお前が一騎打ちで私より強くても、不意をつかれれば人は簡単に死ぬ」


 ゼウクシスは苦笑して、肩をすくめる。


「わかっています。

私が死んだら、ペルサキスさまは自滅するでしょう。

育児を放りだしたようで落ち着けませんからね。

そう簡単には死ねませんよ」


「私を子供のようにいうなよ……」


 ゼウクシスは大袈裟なため息をつく。


「婚約騒動を巻き起こしておいて、まだ言えますか?

胸を張って、なんらやましいことはないと?

ペルサキスさまは、下半身の記憶力に限れば鳥並のようですね」


 フォブスは二の句が継げなかったのである。

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