632話 閑話 宴の仕上げ

 今まで世界を支配してきた常識が、アルフレードによって大きく揺らいでいる。

 そこに別方面から揺らすのではなく、直接的な攻撃が加えられた。


 第5使徒の拠点が襲撃され、炎上しているのだ。

 最近、巡礼街道で賊が頻発しはじめた。

 そのため、使徒騎士団が街道の警護に出動していたのだ。


 そもそも使徒の拠点が襲撃されたことはなかった。

 だから守備兵を残さずに使徒騎士団が出動することに、誰も疑問を持たなかった。

 それだけ広範囲に賊が出没していたのもある。

 収益が減っているところに、頼みの安全すら保障できなくなると、使徒騎士団は経済的に干上がってしまう。


 元々巡礼目的なので、街の住人は少ない。

 巡礼を支える人数しかおらず、昨今の不況で人は減少傾向にあった。

 最大で3000人を超えた人口は、今や1000人を切っていた。


 襲撃者は300名程度。

 クレシダ・リカイオスをのせた馬車が、拠点に入ると同時に襲撃が始まった。

 略奪ではなく明確な攻撃。

 金品に目もくれずに殺すことだけが目的。

 殺し火を放つ。


 そして逃げ惑う住人を、一カ所に追い立てる。

 クロロス家の宮殿だ。

 生き残った住人が駆け込んだ宮殿は襲撃者に囲まれた。


 そして容赦なく、火が放たれる。

 炎に耐えきれずに出てきたものは、矢が浴びせられた。

 人々の叫びは、炎の音にかき消されていく。


 ここまで明確な破壊行為は内乱中でもなかった。

 それほど徹底した殺戮である。


 そんな喧噪をよそに、クレシダは侍女ひとり連れて、墓標の木を訪れていた。

 侍女は20歳前の細身の女性。

 白い肌に明るい茶色い髪、ダークグリーンの瞳。

 だがその顔に一切の表情が浮かばない。

 動きに一切の無駄がなく、クレシダの護衛役も兼ねている。

 

 クレシダは額を木に当て、しばらく目をつむっていた。

 木から体を離すと、その頰には涙が伝っている。

 

 かすかに唇が動き、誰かの名前を呼んだようだ。

 だがそれは誰にも聞こえない。


 クレシダは瞳に悲しみを宿し、胸に手を当てる。


「待たせてごめんね。

今から私が、皆を解放してあげる。

こんな見せ物にされて可愛そうに……。

それと……エテルニタ。

ごめんね。

私が拾わなければ、アイツから酷い目に遭わされずにすんだのに」


 クレシダは涙を拭うと、木に油をかける。

 そして火打ち石で火をつけた。

 木は徐々に燃えていく。

 その瞳に、何の感情も宿っていなかった。

 

 クレシダは小さく息を吐くと、侍女に向き直る。


「アルファ。

貴女は逃げるのよ。

急いで向かってきている間抜けな使徒騎士団に、助けでも求めなさい。

私は仕上げをしないといけないわ」


 アルファと呼ばれた侍女は首を振る。


「クレシダさまを残して、私だけが助けを求めに行くことはできません。

リカイオス卿の怒りを買ってしまいます。

そうすればお仕えできなくなるでしょう。

それは私にとって、死も同然なのです」


 その言葉にまったく抑揚がない。

 そんなアルファにクレシダは、優しくほほ笑んだ。


「そう。

私と共にあることが、アルファの本能なら尊重しないとね。

いいわ。

どうせ騎士団が到着するまで、しばらくかかるわね。

仕上げはふたりでやりましょう」


 アルファは黙ってうなずく。

 そして、歩き出すクレシダの後ろをついていった。


 途中で逃げてきた子供と出くわした。

 親が自分を犠牲に我が子を逃がしたのだろう。

 子供の顔は、恐怖でこわばっている。


「た、助け……」


 そう言い終わる前に、子供の胸にナイフが刺さる。

 理解できないといった顔で、子供が地面に崩れ落ちた。


 クレシダではない。

 アルファが投げたのだ。

 クレシダが肩をすくめる。


「あら……。

ちょっと手が早くない?」


 アルファは子供の胸からナイフを取り出す。

 返り血を浴びても一切の感情をみせない。


「いえ。

逃がしては後日、憂いになりかねません」


 クレシダは苦笑し、子供の死体を一瞥して歩き出す。


「そうね。

この子は、どうせ生き伸びても……この先地獄よね。

それならここで死んだ方が幸せだわ」


 生き残っても、子供の証言などいくらでも握りつぶせる。

 それだけの算段があった。

 その子供の親が賊を引き入れたと、罪をでっちあげて抹殺することを即座に計算ずみだったのだ。

 クリスティアス・リカイオスは虚偽でもいいから、とにかく犯人を欲するとクレシダは見抜いていた。


 そんな目に遭うくらいなら、今殺された方が幸せだ、とクレシダは思い直したのだ。

 クレシダの苦笑は、自分の甘さに向けてのものだった。


 無意識のうち少し感傷的になっていたようだ、と自嘲の笑みを漏らす。


                   ◆◇◆◇◆


 クレシダは建物が炎上し、多くの死体が転がる街の広場に到着した。

 無残にも打ち倒された像を一瞥し、満足げな笑みを浮かべる。

 それはエレニ・クロロスの立像だった。

 像に唾を吐きかけ、広場に集まっている襲撃者たちの前に進み出る。


 返り血を浴びた男たちがクレシダを見ると、一斉に一礼した。

 ボドワンに集めさせたクレシダ直属の傭兵たち。

 どこにも行き場がないお尋ね者たちだ。


 クレシダは周囲の様子を、満足気に見渡す。


「首尾はどうかしら?」


 ひとりの男が進み出てくる。

 返り血は少ない。

 集団の中で比較的冷静なようだ。


「はい。

ご指示のとおり、クロロスの者はすべて屋敷に閉じ込められ、火だるまになっています。

最後は崩れた屋敷の下敷きになるでしょう」


 クレシダは炎上する屋敷を眺めた。

 高いところにあるので、広場からよく見える。

 普段は先祖の功績を誇るためのもの。

 今は、崩れゆく地獄を映し出している。

 

 クレシダはフッと笑って、自分の乗ってきた馬車に目を向けた。

 そこには殺された御者が、地面に横たわっている。

 御者は何も知らずに、襲撃者に殺されたのだ。


「では、仕上げをしましょう。

私たちを

それで今回の仕掛けは完成よ」


 男は一歩後退あとずさる。


「で、ですが……。

このような男たちに襲われては……。

命の保証はありません。

そうなったら、どうするのですか?」


 クレシダは優しくほほ笑む。


「温いわね。

死んだら私はそこまでの女よ。

生きていてもことをなし得ないわ。

命をかけずにどうやって世界を壊すの?

すでに世界の居場所がないお前たちは、生き残るために壊すしかないのよ。

でも……。

貴方の心遣いは、とてもうれしいわ」


 クレシダはほほ笑みながら、男に近づく。

 男が怪訝な顔をしていると、炎に照らされた何かが光った。

 男の喉首は、クレシダが手にしたナイフにより切られる。

 何が何だかわからない表情の男。

 血を大量に噴き出し崩れ落ちた。


 返り血を浴びたクレシダは、妖しくほほ笑む。


「ご褒美よ。

この世界から解放してあげる。

それにちょうどいいわ。

抵抗して、ひとりくらい殺したことにすれば真実味は増すもの」


 あぜんとする男たちに、クレシダは自分のドレスを破いて胸をはだける。

 この妖しい魅力に、男たちは皆が生唾を飲み込む。

 

「さあ、宴の仕上げをはじめるわよ。

騎士団が迫ってくるまでね。

貴方たち……女に飢えているでしょ?

それは血を浴びた男の本能よ」


 その言葉が終わるのを待たずに、男たちはクレシダとアルファに襲いかかった。

 暴行は血のにおいと炎によって、宗教的な儀式にさえ思える。

 

 クレシダは歓喜の表情で、男たちと交わっていた。


 アルファは何の感情もみせずに、ただ横たわる。

 男のなすがまま、淡々と行為を観察していたのだ。


 普通であれば気味悪いと思うだろう。

 だが男たちは獣になっている。

 血を浴びて、ただ欲望に支配されていた。

 誰もその異様な光景を、気にする者はいない。

 むしろその違和感が、欲望を刺激していた。


                    ◆◇◆◇◆


 騎士団が慌てて戻ってきたとき、男たちは逃げ去った後だ。

 必死に生存者を探したが、クレシダとアルファのふたりだけ。

 そのふたりも、騎士が目を背けるような酷い暴行を受けていた。

 打撲、骨折、局部の裂傷など。


 急ぎ馬車に運び込まれ、懸命の治療を受ける。

 治癒術師たちは治療の最中、不思議な光景を目にした。

 意識がないはずのクレシダは、満足気なほほ笑みを浮かべていたのだ。


 自分を守るために心の鎧をまとったのか、と思い……皆が沈痛な面持ちとなる。

 あまりに辛い現実に直面すると、心を守るために笑うことがある……と聞いたことがあったからだ。

 それ以上にリカイオス卿の怒りを考えると身震いした。

 

 案の定、この知らせを聞いたリカイオスは激怒する。

 騎士団の代表を呼びつけ、叱責と呼べない罵声を浴びせた。

 道中の安全は、騎士団の責任とされているからだ。


 クレシダがカールラに会いに行くといったとき、リカイオスは難色を示した。

 だが巡礼街道なら安全と言われては反論できない。


 リカイオスは姪の不幸に激怒しつつ、シケリア王国内で起こった事件であることに頭を悩ませる。

 これを早急に解決することが必要となった。

 手をこまねいていれば、リカイオスの権威が大きく傷つく。

 

 なんとしても犯人を探し出し、処罰しなくてはならない。

 不幸中の幸いというべきか、騎士団が自治権を盾にリカイオスの調査を拒めない。

 これを機に、シケリア両国内の巡礼地を没収する口実が生まれた。

 野心家としてのリカイオスは、歓喜に震える。

 クレシダに報いるためにも、この機を逃すまいと決意したのだった。

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