628話 ひどい善政

 懸案だった経済圏構想は、今のところ順調。

 ニシンの前に、反対派の多くは屈してしまった。

 ニシンさまさまである。


 この問題は、商務大臣のパヴラ任せでいいだろう。

 最近はイカ耳をピンと立て、上機嫌で張り切っている。


 よほどうれしかったのだろう。

 ニシンを家の祭壇に飾るとまで言いだした。

 生ものだからムリだ。

 それともミイラにでもする気か?


 どのみち一食分のニシンがもったいないので、せめて木彫りのニシンで我慢してくれと言った。

 そもそも祭壇なんて家にあるのか、と聞いたらつくると言いだす始末。

 どんな祭壇かは、怖くて聞けずじまい。


 たかが一食、されど一食。

 一食なら……と皆が同じことをしたら、一時的に消費量が倍になる。

 市場からニシンが消えるだろう。

 そうすると枯渇するのではと、パニックを誘発しかねない。

 食の供給全体の不安へと波及する危険性がある。


 枯渇するのはニシンだけなのかと。

 誰かが言いだせば、自信を持って否定できる人は少ないだろう。

 問題にならないとわかる人は、こんな馬鹿げた話で大声を出したがらない。

 つまり沈黙と不安が支配するのだ。

 結果的に漠然とした不安が広がるだろう。

 とくに噂の力は大きいのだ。


 心配性だと笑われるが……。

 パニックが発生するくらいなら、笑われたり馬鹿にされたほうがはるかにましだ。

 混乱すると、経済力の弱い人が犠牲になりかねない。


 今までラヴェンナでの餓死者はいない。

 それが俺にとっての密かな誇りだったのだ。

 餓死者を出さないのは当然なので、声を大にして言えないが……。

 善政で知られるスカラ家だって、餓死者はでている。

 それだけ難しいのだ。


 ラヴェンナで極端な貧富の差はまだないが、それでも差は存在する。

 パニックになると、食糧が買い占めなどの投機対象になりかねない。

 そうすると食の値段が跳ね上がる。

 結果、弱い立場の人が犠牲になるだろう。


 生きるためではなく、誰かの欲のためにだ。

 そんなモノは座視できない。


 こいつを平常化させるのは、とんでもない労力が必要だろう。


 日頃から、備蓄や流通量を公表しているが……。

 あくまで予防的な措置にすぎない。


 これほど心配するのはなぜかと言えば……。

 皆が日々怠りなく、政務に励んでくれている。

 つまり問題が大きくなる前に対処できているのだ。


 その弊害として、皆の関心を集めるニュースが少ない。

 そんなときに、食の危機なんて噂が、一人歩きしたらどうなるか。

 善政だからこそ些事さじがニュースとなる。

 ニシンが枯渇するかもしれないと。

 ありもしない可能性だけで大騒ぎである。

 それだけ余裕があるってことだけど……。


 悪政では些事さじなどニュースにならない。

 皮肉なモノだよ。


 ニシンの神格化が原因で、食糧事情が混乱したら笑えない。

 それどころか本当にニシンの神が生まれたら、どうするんだよ!


 ここはラヴェンナ。

 つまり……神の生まれやすい土地だ。

 絶対に女神ラヴェンナが、俺を呼びつける。

 そして、くどくど文句をいう。

 その横から、塩漬けニシンに挨拶されたらどうするのよ。


 返す言葉もないし、そんなモノと遭遇したら……。

 次の日から食えなくなる。


 とにかく……この話は忘れよう。


 それとは別に、バルダッサーレ兄さんの結婚式が迫ってきた。

 クレシダが動くならここだろう。

 当然……ランゴバルド王国内で目立った動きはない。


 そんなとき、王都にいる警察大臣ジャン=ポール・モローから報告が送られてきた。

 閣議でキアラにそれを公表してもらう。


 経験を積んでもらうため、今回からプリュタニスは正式メンバーとして閣議に出席している。


 クレシダとの戦いで、俺は自分自身を信用できない。

 どうしても他の頭脳を、頼りにしてしまう。

 プリュタニスは若いし、将来ラヴェンナの重鎮になる人物だ。

 普段から重要情報に接してもらう必要があるだろう。


 そのプリュタニスは腕組みして鼻で笑う。


「なんですか……。

この聞いたところによるととか……。

ちまたの噂とかのオンパレードは。

何一つ確たる情報ではないでしょう」

 

 ジャン=ポールからの報告は、つかみ所のない伝聞形式となっている。


 聞いたところによれば、ヴァロー商会の関係者が王都に姿を見せるようになったらしい。

 ちまたの噂によれば、経済圏の参加を望んでいるなどなど。

 このような伝聞から推測するに、特定の集団がランゴバルド王国とラヴェンナに浸透工作を計っている……と思われる。

 そんな感じだ。


「モロー殿得意の保身術ですよ。

なにかあったあとで、自分の失態として追及されたくないのです。

もっと核心的な情報を握っているでしょうね」


 キアラが、ニッコリとほほ笑んだ。


「では締め上げて、吐かせますの?」


「ムリでしょう。

それより状況が傾けば、モロー殿は勝手に情報を吐き出します。

今はもっと自分の価値を高めるために、血眼になって情報をかき集めているでしょう。

モロー殿を締め上げても、王都の情報収集が滞ります。

それを見越してこんな報告を送ってきたのでしょう」


 キアラは少し残念そうな顔をする。

 締め上げることが楽しいのか?


「仕方ありませんわ。

でもこんなうわさ話を送ってくるのは、やっぱり世界主義の影を感じたのでしょうか?

わざわざ特定の勢力なんていうくらいですし」


「そうでしょうね。

ヴァロー商会はロマン王子の与党みたいなモノです。

そしてロマン王子の背後に、世界主義がいるでしょう。

経済圏をかき乱す気かはわかりませんけどね。

もしくは工作員を送り込んで破壊活動をさせる気か……」


 プリュタニスが腕組みをして、厳しい顔になった。


「アルフレードさま。

ヴァロー商会が世界主義の影響下にあるとして……。

こちらにやってくる人員は、どの程度染まっているのでしょうか?」


「推測に過ぎませんが……。

下っ端に紛れ込んでくる可能性がありますね。

末端ほど理想に共感して、狂信の度合いは高いと思います。

だから決して口を割らない。

下手に口を割られては困るでしょう。

まだ組織自体を隠したいはずですから。

なにか懸念でも?」


 プリュタニスは皮肉な笑いを浮かべて、肩をすくめる。


「すべての人は平等と言いつつ、そうでない組織でしたね。

つまり上層部は、末端のことなど捨て駒程度に考えているのでは?

盲信する末端なら、うわべの言葉だけで命を投げ出すでしょう」


 世慣れしていないからこそ盲信するだろう。

 そんな人間が、そこまで必要な技量を持っているか?

 持っているなら貴重なはずだ。

 使い捨てるなら、ここぞというときになる。

 参加者全員が、一定レベルの技量を要求されるだろう。

 足手まといがいては、実行前に発覚するリスクが高まる。


 港の船をほぼ焼き払うような大がかりな工作は、石版の民でないとムリだ。

 しかもここぞというところだったのだ。

 いくら石版の民でも、もう一度はできないだろう。


「でしょうね。

ただ捨て駒が工作活動を担えるほど優秀かはわかりません」


「別に工作員としての技量はいりません。

なにより発覚の危険が伴いますからね。

そこは別の実行部隊を用意すれば事足ります。

末端を使い魔にしてしまえば、情報は取り放題ですよ。

しかも即座に伝わりますからね。

父が獣人にやった手口です。

禁忌とされているからこそ、教会にも伝わっているでしょう。

彼等がその方法に思い至らないとは思えません」


 部屋が一気に騒々しくなった。

 たしかに情報が筒抜けでは不利になる。

 使い魔は普通の商会員としての仕事をしているだけでいいのだ。

 それも要職であるほどいい。

 何も怪しまれないだろう。


 情報の重要性は、ここにいる全員が熟知している。

 だからこそ、ことの重大さを理解したのだろう。


 どうも思考がクレシダのことばかりに向いて、こっちはお留守だったな。

 思わず頭をかいてしまう。

 

「その可能性は強いですね。

かといってヴァロー商会の関係者を排除できるかと言えば難しい。

協力関係を結んで、他の商会に潜り込むなんて、よくある話ですから。

相手の動きを監視するしかないですね。

今のところは……ですが」


 勢力として大きくなると、どうしても小回りが悪くなる。

 俺がため息を漏らすと、プリュタニスが気持ち身を乗り出してきた。


「アルフレードさま。

世界主義への対応は、私に任せてもらえないでしょうか?」


 ちょっと驚いた。

 申し出はうれしいが……。


「プリュタニスにですか?」


「はい。

アルフレードさまは別方面で手一杯のようですね。

私でも気がつくことに、気が回っていないくらいです。

普段なら絶対にあり得ません。

それなら注意喚起するより、負担を軽減するほうが建設的です。

いつまでもアルフレードさまに頼りすぎるのは、実に格好悪いですからね。

それにアルフレードさまが出て行くと、奴等は地下に潜る可能性があります。

私なら甘く見て、少なくとも逃げるようなことはしないでしょう」


 プリュタニスのいうとおりだ。

 俺としては問題ない。

 皆の意見は……。

 一同を見渡すと、マガリ性悪婆がフンと鼻を鳴らした。


「若いモンがやる気を出したなら、年寄りは引っ込むモンだよ」


 年寄りは余計だ。

 だが、立候補までしてくれたのだ。

 ここは任せよう。


「わかりました。

そちらはプリュタニスに託します」


 プリュタニスは自信満々といった感じで、胸を張った。


「ありがとうございます。

必ず期待に応えて見せますよ」


 意気込むプリュタニスに、オリヴァーが目を細める。


「若いのならこのくらい元気なほうがいいですね。

見守りがいがあるというモノです」


 最後に、俺をチラ見しやがった。

 どいつもこいつも俺を玩具にしやがって。

 善政で深刻なニュースがないから俺を玩具にして遊ぶ。

 ひどい善政だよ。


「ともかくこの件は、それでいいでしょう。

あとはリカイオス卿から、以前出された条件ですが……。

漏れがあった、と陳謝しながら追加分を送ってきました。

よほどシャロン卿に来てほしくないようですね」


 追加条件の確認などで1カ月弱かかるだろう。

 そのころは結婚式に出席するために、ラヴェンナを離れている。

 シルヴァーナが机に突っ伏す。


「アタシの結婚を先延ばしにしやがって……。

一体アタシに、なんの恨みがあるのよ!」


 陰謀に振り回されたシルヴァーナが、ちょっと気の毒だ。

 だが俺にできることはない。


「シルヴァーナさんに恨みはないと思います。

なにか企んでいるのか……。

国内の体制固めをする時間がほしいのか……。

真意はわかりませんね。

少なくともシルヴァーナさんに、恨みはないはずですよ。

多分」


 そもそもクリスティアス・リカイオスは、シルヴァーナの名前すら覚えていないだろう。

 シルヴァーナはなぜか、俺を睨みつける。


「じゃあアルのせいかっ!」


 なんでそうなる。

 戦争したがりの野心家と世界の崩壊を企む黒幕がいて、面倒なことになっているだけだ。

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