625話 手紙 魂から愛をこめて

 親愛なるアルフレードさまへ。


 突然のお手紙に驚かれたでしょう。

 貴方は私のことを知らないでしょうが、私は貴方のことをよく知っています。

 隣にいるであろう奥さまよりも。


 そして貴方のことを思うと、胸が締め付けられるように痛むのです。

 愛ではありません。


 この狂った世界から解放される寸前までいったのに……。

 解放され損なった貴方の苦しみを……考えるだけで胸が痛くなるのです。

 

 きっと貴方は、幕が下りたのに舞台にとり残された哀れな役者。

 そんな気分でいるのでしょう。


 でも周りが退場させてくれない。

 なんて残酷なのでしょう。

 幕は下りたというのにです。

 不世出の名優に、哀れな道化を演じさせ続けているのでしょう。


 そのような悲しい貴方を、私が救おうなどと思いません。

 それはおこがましいのです。


 それよりこの胸に湧き上がる衝動を抑えきれない。

 人の本性を理性という化粧で塗り固めた、貴方の世界を壊したいという衝動。

 これは、私の胸を焦がし続けます。


 それともう一つ……。

 貴方を囲む苦しみ。

 これに思いをはせると、自然と涙がこぼれます。


 ときに善意という名の自己満足で、貴方を苦しめる。

 ときに愛という名の束縛で、貴方を縛る。

 ときに信頼という名の押しつけで、貴方の行動を決めつける。


 きりがありません。


 私の嫌いな今の世界を壊せば、貴方は解放されます。


 貴方のためではありません。

 私は本能が命じるまま、世界を壊すのです。

 その結果、貴方が救われれば……どれほどの喜びでしょうか。


 誤解しないでほしいのですが、私は理性を否定するつもりはありません。

 真の理性が芽生えるには、獣の本性を貪る十分な時間が必要なのです。

 その本性を貪り尽くす前に、偽りの理性がこの世界に押しつけられました。


 本性を覆い隠して、自分は理性的だと偽っているのです。

 その証拠に一皮むけば、すぐ人は本性に立ち返るでしょう。

 まだまだ、理性の皮は厚くない。


 だから私は世界を崩壊させて、獣の世界に戻したい。

 人を導きたいからではありません。

 穢れた理性と、偽りの奇麗事に耐えきれないのです。

 嫌いだから消そうとする、私の魂に刻まれた本能。


 皆は私を狂っている、などといって見ないフリをするでしょう。

 狂っているから、全てが間違っている。

 だから私を否定する自分は正しい……と信じ込むのです。

 見ないフリをして問題が解決すると思い込むのは、獣にも劣る所業だと思いませんか。


 貴方だけは、私を真の意味で理解してくれると信じています。

 見ないフリなどできない人でしょう。


 私も貴方を見ないフリはしていません。

 私の目的とあまりに相反する、愛しい貴方を。

 むしろ不都合だからこそ、真摯しんしに見続けています。


 獣は危険であるものから、目をそらしません。

 逃げるか襲いかかるでしょう。


 見ないフリをして、その場に立ち続ける。

 そのような愚かな行為を決してしないのです。


 だからこそわかったことがあります。

 私と貴方の根元は一緒です。


 使徒の世界という世界を覆い尽くす欺瞞が許せない。

 この一点において私たちの心は一つなのです。


 ただ力をもっているだけの幼児をおだて続けて、都合よく使い捨てる人々。

 それを隠すためなら、どんな汚い手段でもいとわない。

 それでいて、自分たちは正しいことをしていると信じ込む醜さ。


 その正しいとはなんなのか。

 きっと言葉にできないでしょう。


 山は山、川は川、正しいから正しい。

 その程度です。

 本来は違うのに、自然にあるものと思い込む。

 

 貴方もそれを嫌っていることは、心の底から感じています。

 その欺瞞ぎまんは人々の中に、矛盾としてにじみ出ているのはご存じでしょう。


 本当に正しいから正しいのであれば……。

 正しいといわれる行為に非難はできないはずです。

 人前では尊いといいつつ、都合よく利用する。


 これは貴方も感じておられるでしょう。

 人が正しいとされる行為をしたとき、他人はその人が完全なる無私の心でないとののしります。

 偽善であると。


 これは貴方を非難する言葉として浴びせられています。

 それを聞いたとき、私は怒りで胸が一杯になりました。


 それでは正しいとはなんなのだと。

 善行をした人が、なにも行動しない人に非難される醜さ。


 自分の醜さを見ないフリで、自分が賢者にでもなった気分でいるのでしょうか。

 その非難がなにかの役に立つのでしょうか。


 同調する者もいます。

 それは……不満をもつ者同士が、ただ傷をなめ合うだけでしょう。

 醜いことこの上ありません。


 そもそも人の所業で、完全なる無私など存在しないのです。

 感情をもつ人であるが故に、それは当然でしょう。

 存在しないものを求めて、他人を非難する。


 つまりは正しさなど、都合のいい道具だと告白しているようなものです。

 道具だからこそ、使い手を非難できるのですから。

 それを道具と認めず、あるべき概念のように語っているのです。

 その事実を明らかにすれば、非難の嵐が待っているでしょう。

 

 見たくないものを見せるな、という……ありきたりの反応。

 目を背けてもその道具は汚れていくのです。

 人の手垢で汚れはたまっていくでしょう。


 道具だと認識しない限り、奇麗にできないのですから。

 穢れた理性が正しさを道具とみなすことを拒否するのです。


 さらには内心で正しさを嫌っているからこそ、それが行われると非難するのです。

 嫌いな人が、自分の嫌なことをしたからこそ非難する。

 嫌なことをしておいて、自分より優位に立つなど許せないのでしょう。

 本当に正しいことが概念で真理であるなら、そこには優位性も大小もないはず。

 なのにモノのように考える。

 それは彼らの正しいことは、本質的に道具だと思っているからこそ。

 それをだれも美しい……などと思わないでしょう。

 

 自分の醜さから目を背け、相手を抽象的な言葉で攻撃して自分を慰める。


 これらは醜い欺瞞ぎまんに他ならない、と思いませんか?


 そのような醜さは獣にはありません。

 だから獣のほうが好ましいと思いませんか。


 好むにしても……。

 獣と同類の愛玩動物を愛する人もいるでしょう。

 それは愛する意味が違います。

 これも欺瞞ぎまんでしょう。


 愛玩動物は裏切らないといって、愛玩動物に慰めを求めるもの。

 それではその人は、一度も噓をついたり裏切ったことがないのか。

 有り得ないでしょう。


 もしくはただ愛玩動物を愛するという人もいます。

 どちらにも共通することは、自分を慰める道具に他ならない。


 その愛玩動物の自由と、野生で生きる習性を奪ったのです。

 勝手に奪うのは、はたして愛なのでしょうか?


 自分が困窮すれば、ほとんどの者は手放すでしょう。

 そのときに涙を流すものもいると思います。

 本当に泣きたいのは、そのあと生きる術を失った愛玩動物のほうでしょう。

 それを無視して、自分は悲しんでいると嘆いたフリをする。

 もしくは、仕方がない……好んで手放したわけじゃない、と己を慰めている。


 これも道具であれば、なんら問題はないでしょう。

 もてなくなったから手放す。

 ただそれだけなのですから。


 彼らは自分だけが裏切られないため、獣にだけ誠実さを求めるのです。

 それか弱い生き物を自分が庇護している、という優越感に浸るためのもの。

 その本質は、利用するための道具。

 ですがそれを愛という奇麗な言葉で隠そうとする。


 例を挙げれば際限ないので、このあたりにしておきます。


 結局全ては都合のいい道具として、愛や正しさを使いわける。

 それがこの世界です。


 お互いが獣なら、このような欺瞞は存在しないでしょう。


 つい熱くなってしまいましたが、やっと私の言葉を貴方に贈れるのです。

 この喜びようと、つたない言葉を、お許しいただければ幸いです。


 このお手紙を託したこと。

 決して酔狂ではありません。

 会いに行けば、内なる本性に負けて貴方を殺そうとしてしまう。

 そのときに殺せるかわかりません。

 ですがその結果、私の死は確実でしょう。


 まだ私にやるべきことがあります。

 だから会わずに、お手紙を差し上げた次第です。


 これは世界を徹底的に壊すため、必要不可欠な要素となるでしょう。


 世界が崩壊したとき、言い訳や希望などを残してはならないのです。

 私のことを知らないから後れをとった、などと敗北した言い訳を見つけられてはいけません。

 穢れた理性にすがりつく手段など残してはならないからです。

 これで貴方は、私とその本心を知りました。


 ここから先は、舞踏の始まりです。

 私の純粋な本能が勝つか、貴方の不完全な理性が勝つか。

 負けたほうは、舞台から滑り落ちます。


 ご安心を。

 私が仮に負けても、この手紙を言い訳にするつもりはありません。

 それは、私の憎む偽りの理性に他ならないからです。


 おそらく顔を合わせることはないでしょう。

 お互いの顔を知らないまま、どちらかが死ぬのです。


 ですが出会うことに意味などありません。

 遠く離れていても、私たちは通じ合っているのですから。



 とりとめのない手紙になりましたが、最後にどうしても伝えたいことがあります。


 使徒の正義を壊していただいて、本当にありがとうございました。

 私にはできなかった。

 この一点において、だれよりも純粋に貴方を崇敬しております。


 では、お体をお大事に。

 私はいつでも、貴方の心の影にたたずんでおります。


            クレシダ・リカイオスより 魂からの愛をこめて。

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