621話 閑話 深淵

 ボドワンの額には、汗がにじみ出ていた。

 部屋は少し寒いくらいなのに不思議と熱いのだ。

 クレシダはワインを口にして、子供のようにウインクした。


「あなたたち……たしか情報に通じているのよね。

アラン王国に協力者はいるかしら?

あのロマンはダメよ。

取り込んでいるのでしょうけど……。

味方にしても邪魔なだけだから」


「ご明察、恐れ入ります。

お言葉ですが、あれは扱いやすい駒に過ぎません。

当然ながら……使い捨てる意味でとなりますが」


 クレシダは、汚いものでも見るかのように顔をゆがめた。


「便利とかそんな問題じゃないわ。

穢らわしくて嫌いなのよ」


「嫌いならなおのこと使い捨てればよろしいかと」


 クレシダは、唐突に高笑いをはじめた。

 ひとしきり笑ったあと、ボドワンに苦笑する。


「話がかみ合わないわね。

私の考えを教えてあげるわ。

私はね、嫌いなものは……見たくもないし聞きたくもない。

ましてや触れたくもないのよ。

そして私がロマンを……。

それだけじゃないわ。

お父さまやお母さまも含めて、あの手の汚物を嫌うのには理由があるのよ」


「な、なんでしょうか……」


 クレシダは、ぞっとするような笑みを浮かべる。


「本能に従うのはいいわ。

でもね……。

その本能に従った結果から、目を背けるヤツが嫌いなのよ。

殺そうが……奪おうが、なにをしても構わないわ。

でもね、その被害者や周辺からの憎悪を受け入れるべきよ。

それでも人から好かれたいなんて、どれだけ醜いのよ。

私は憎む権利まで奪うほど冷酷じゃないわ」


 クレシダの言葉は突飛なようだが、筋は通っている……とボドワンは感じてしまった。

 だが、人はそう単純に生きられないことも知っている。


「そんな都合のいい現実を望む人は多数かと存じますが……」


 クレシダは再びワインを口にして、鋭い目でボドワンをにらむ。


「多い少ないの問題じゃないわ。

普段は善人ぶっていて……本能に負けて悪事を働く。

そしてまた何食わぬ顔で、善人の集団に戻っていくヤツが死ぬほど嫌いなの。

一度本能に負けたなら、そのまま本能に従って生きるべきよ。

本能に負けたことを無視して『私は理性的です』みたいな顔をするのは耐えられないの。

とても気持ち悪いわ。

だから私は、普段からああしているの」


「では意図的に……」


 クレシダは表情を緩めて、髪をかき上げる。


「あれは素よ。

多少脚色しているけどね。

少なくとも近寄ったら危ないと警告しているわ。

それでも私に近寄ってきたら……。

なにをされても、文句は言えないでしょ。

だから私は寄ってこない相手には、何もしていないわよ。

私を非難する連中はね……。

危険地帯に自分から入り込んで、いざ怪我をしたら『安全じゃない』って文句をいうようなものよ。

それって吐き気がするほど、気持ち悪くない?

獣のほうがずっと美しいわ。

人だと言葉を口にして、それが通じてしまうからね。

私をより不快にさせるもの。

獣なら吠えてもわからないから、気にならないわ」


 ボドワンは再び圧倒されてしまった。

 やはり狂人ではない。

 自分のルールに従って生きている。

 そしてとんでもなく危険だと、本能が警告する。

 だが理性で、強引にそれをねじ伏せる。

 今ひるんだら、容赦なく殺される。

 自分だけではない。

 組織自体が、不要と判断されてしまう。


「た、たしかに……」


 クレシダは、突如得意げな笑顔になる。

 16歳相応の笑顔。

 だが返り血と全裸のため、異常さが際立つ。


「それでね……。

そんな醜いものがはびこる理由を考えたの。

まやかしの理性が正しい……とされている。

この世界は、そんな偽りで成り立っているのよ。

狂っていると思わない?

だから壊すの」


 一つの確信が、ボドワンの頭に生まれた。

 クレシダのいっていた言葉の真意が……。


「救うとは、もしやこのような世界から解き放つから……救いと?」


 クレシダはウインクして、グラスを掲げた。


「よくできました。

こんな狂っている世界を生きるには狂わないとダメよ。

少なくとも私は耐えられない。

でも逃げるのはシャクなのよ。

だから壊してから去りたいの。

でも他の人たちは、そこまで純粋じゃないでしょ。

だからまやかしの理性との板挟みになる前に……救ってあげたのよ。

死ぬ直前に、獣の快楽を得てね。

司祭じゃないけど、これは功徳というものよ」


 一切の迷いなくいい放つクレシダに、ボドワンは恐怖した。

 組織でもここまで、純粋に自分の行為を功徳と語れる者はいない。

 心の底から信じてもいない功徳を積む者より、はるかに純粋だと感じた。

 ボドワンが唾を飲み込むと、クレシダは妖艶に笑ってグラスに口をつける。


「それには私の手は、穢れていてはダメなのよ。

ロマンのような穢れが実体化したような汚物は見たくもないわ。

あなたたちが勝手に使うのはとめない。

でも目障りになったら、私が消すわよ。

そうでなくても……そのうち消すわ。

穢れに触れた連中ともどもね。

穢れは伝染するのよ。

奇麗に焼き尽くさないとね。

そこだけは覚悟なさい」


 ボドワンは黙ってうなずくしかなかった。

 クレシダは満足した顔でほほ笑むと、ワインを飲み干す。

 今度は、メイドがこなかった。

 なにか取り決めがあるのだろう。


「肝に銘じます。

ふと思ったのですが……それだけの覚悟がおありなのでしょう。

目的を達成したあと、自決されてもいいのではありませんか?

わざわざ殺されることを望むより確実かと」


 クレシダは大きなため息をついた。


「バカねぇ。

私が自決したらダメなのよ。

『あんな女でも、最後は自責の念に負けて死を選んだ』なんて言われるわ。

それじゃつまらないでしょう。

後悔するくらいなら、最初から壊さないわ。

だから殺してもらうのよ。

私の動機は純粋なの。

それを私が穢すことはできないわ」


 ボドワンは返事に窮してしまった。

 額の汗をぬぐって、ようやく自分を取り戻す。


「なるほど……。

無粋な質問を、お許しくださると幸甚こうじんに存じます」


 クレシダは、小さくあくびをしてほほ笑む。


「いいわ。

素直に謝ったのなら許してあげる。

ところで……ロマン以外に使えそうな人はいないのかしら?

ロマンにオールインしているようでは、情報に通じているなど言えないわよ」


「それでしたら、同じくこの世界を破壊したい……と願っている人物がおります」


 クレシダは目を細める。


「あら……いい趣味ね。

誰かしら?」


「カールラ・アクイタニアです。

名前はご存じかと。

使徒ハーレムにいますが、自分を含めての破滅を願っています」


 クレシダは記憶をさぐるような顔で、首をかしげる。

 そして薄く笑って、煙管の灰を頭蓋骨に落とす。


「へぇ……。

いいお友達になれそう。

たしかその子は、アルフレードの差し金でハーレム入りしたはずよね」


「はい

たしかにそのような経緯はあります。

カールラ自身は、恩を感じていないので問題ありません」


 クレシダは小箱からタバコらしきものをつまんで、煙管につめる。

 燭台で火をつけて、煙を吐き出す。


「もうちょっと、カールラの情報をもってきて頂戴。

現時点で、友達としてふさわしいか判断できないわ。

最初だけ勢いよくても……。

途中で日和られたら面倒だからね」


 ボドワンはけげんな顔になる。

 カールラが日和るとは思えないからだ。

 あの恨みの根深さ……どう考えても尋常ではない。


「長年恨み続けてきたと思います。

それで腰砕けになるのでしょうか?」


 クレシダは哀れむような目で、ボドワンを見つめた。

 ボドワンが思わず、頭を下げたくなるような目だった。


「世界を壊すのよ?

使徒が言い出した……臥薪嘗胆だっけ? あんなのでは中途半端すぎよ。

そんなものに頼って、恨みを維持するようじゃぬるいの。

何年平和に過ごしても、衰えないほどの……純粋で強力な恨みがいるわ。

例えば愛しい我が子を抱きしめていても忘れないほどのね。

静かにほほ笑んでいても、自分の中の怨念を自覚し続ける。

そこまで必要よ。

力んでいては、どこかで疲れて日和るもの。

自然体で恨み続けないとダメよ。

半端な恨みで世界が壊せるなら、とっくに壊れているわ」


 ボドワンはこの少女が何者なのか……わからなくなっていた。

 理屈で知っているのだろうか。

 それとも常に、なにか抱えているからなのだろうか。

 どちらにしても、妄言で片付けられる話でないことはたしかだ。


「承知致しました。

近日中にカールラの情報をおもちします」


 クレシダは、小さく肩をすくめる。

 妙に疲れたような動作だ。

 やはり16歳とは思えない。


「あなたは本当に、人のことがわかっているの?

わかったふりでは、私についてこられないわ。

まあ……ついてこられなくなっても引き返せないけどね。

もう危険地帯にいるのよ。

後戻りはできない。

目的を達成したかったら、前に進みなさい。

その身が朽ちてもね」


「き、肝に銘じます……」


 クレシダは再び煙管を口にして、煙を吐き出す。


「改めて確認するけど、あなたたちも世界を壊したいのよね?

私はそこで終わりだけど、あなたたちはその先が欲しいと」


「左様にございます」


 クレシダはボドワンに、冷たい視線を向ける。

 汗をかいているはずなのに、背筋が凍るような冷たさを感じる。


「どうも不安だわ。

あなたたちはぬるいのよ。

現状に不満をもつ人が、たまに世界を壊したいと思うでしょうけど……。

それと同程度では話にならないわ。

ダメな理由がわかる?」


「力のなさでしょうか。

不満をもって、自分の境遇を変えられない程度の願望でしょう」


 クレシダは煙管を口にしたまま横を向く。


「20点」


「は?」


 クレシダはボドワンに向き直ったが、あきれたような顔をしている。


「100点満点中よ。

失敗する理由を教えてあげる。

そんな半端者は、自分までは壊したくないのよ。

周りの家を壊しても、自分の家だけは壊したくないの。

だから周りを壊せば、自分だけは家持ちになれる。

哀れな貧者の発想よ。

その程度で壊せると思う?」


 ボドワンはクレシダの言葉の中に、正しさを認めてかぶりをふる。


「ムリでしょうね。

どうしても手加減してしまいます。

では自分の身を捨ててでも……成し遂げようとすればいいのでしょうか?」


 クレシダは妖艶にほほ笑む。

 どことなく教師ができの悪い教え子を諭す、そんな表情も混じっている。


「60点ね」


「まだ足りませんか」


「ちゃんと正解に近づいている部分は認めてあげる。

でもね……ヤケになっても成功しないわ。

自分の家を焼いて、周囲を延焼させようとしてもね。

自分だけが焼け死んで、せいぜいボヤどまりね」


「捨ててもダメ、捨てなくてもダメですか……」


「そう。

捨てる捨てないって考えること自体が間違っているわ。

自分のことを考えたらダメよ。

どこにどのタイミングで火をつけたら、焼け野原になるか……冷静に見極めるの。

自分が逃げることなんて考えたらダメ。

不純物が混じると失敗するわ。

ただ純粋にその目的のために、すべてをささげるのよ。

はたしてカールラに、それができるかしらね」


「私はできると思っております」


「まあいいわ。

報告を見てからね。

面白そうなら会いに行って、たしかめるわ。

そのときは手配してもらえるわよね」


 ボドワンはいつの間にか、クレシダのことを知りたい欲求に包まれていた。

 何故かはわからない。

 危険であっても未知なるものに興味を抱く。

 そんな好奇心なのか、本人にもわからなかった。


「お任せください。

いささかつかぬことを……お伺いしてもよろしいでしょうか?」


「なによ? つかぬことって。

いってご覧なさい」


「何歳頃から、人を救いはじめたのですか?

それと何人ほどかも」


 クレシダはあきれ顔で頭をふった。


「つまらないことを知りたがるのねぇ。

5年前かな。

人数なんて覚えていないわ。

あなたは、今まで自分の前を通り過ぎた人数……覚えている?」


「通り過ぎた程度で救うのですか?」


「私の領域に入ってきたなら、それだけで十分よ。

私からは動かないわ。

そういえば最初に救ったのは、かわいそうな奴隷だったわね。

まさか11歳の私に欲情した目を向けるなんてねぇ。

私に救われたから、惨めな生活を送らなくて済むし……きっと感謝していると思うわ。

最後にいい思いができたのだしね」


 ボドワンに素朴な疑問が浮かんだ。


「11歳からですか……。

今まで懐妊はされなかったのですか?」


 クレシダは突然大笑いする。


「そこ気にする?

意外と下世話なのね。

赤ん坊って面倒なのよ。

本能のままなのは美しいけど……。

私は他人の本能を満たすために、自分の本能を後回しにしたくはないの。

だからそんな心配しなくて済むように、毒を飲んで子供が産めない体にしたわ。

そうしないと何回、産むか堕ろす羽目になったかわからないもの。

どっちにしても邪魔でしかないわ」


 自分の子供すら他人といいきる。

 このような人物を、ボドワンは見たことがない。

 とんでもない怪物に近づいたことを、ボドワンは自覚していた。

 そしてかすかな希望が、胸に浮かんだ。

 この怪物なら、魔王に勝てるかもしれないと。


 そしてクレシダの言葉には、裏表がない。

 組織の中でも、裏表のある言葉は飛び交っている。

 理想をとなえつつも、幹部はその理想に背を向けていると知っていた。

 平等をとなえつつ、自分だけは贅沢な暮らしをする。

 それも陰に隠れてコソコソと。

 クレシダのいう『本能に負けても理性的な顔をしたがる』醜悪な生き物だ。

 それでも理想のために、命をささげる気持ちは変わらない。

 そんな醜悪な連中のために、理想を捨てることがボドワンにはできないのであった。


 不純で醜悪な幹部に比べて……クレシダはどうだ。

 純粋そのものではないか。

 正気といわれる者たちが、欺瞞ぎまんに満ちた大義を掲げる。

 狂人のようなクレシダが掲げる目標は純粋そのものだ。


 ボドワンは正気か狂気など……まったく意味をなさないとの思いに満たされた。

 血まみれの少女が、とてもまぶしく見えたのである。

 気がつくとひざまずいていた。


 クレシダは、優しくほほ笑んで手を差し出した。

 指輪が妖しく光っている。

 ボドワンはその指輪に、口づけをした。

 クレシダという深淵をのぞき込んだボドワンは、その深淵に魅入られてしまったのだ。

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